第10話 目撃された家具屋


 仕事終わりの病院の女子更衣室は、ガランとしている日もあれば、満員御礼のように混み合っている日もある。

 今日はどうやら空いている日だったらしい。

 早矢はロッカーを開きながら長白衣をハンガーにかけた。

 テキパキと着替えていたら、大学からの腐れ縁と言える武田彼方(かなた)が声をかけてきた。


「小野寺~、昨日、駅近くの家具屋にいなかった?」


 ニヤニヤしながら告げられた一言に、早矢は思わず動きを止める。

 武田は肩くらいの綺麗な黒髪のボブを揺らしていた。中身はほぼ男みたいな奴だというのに、外見だけは綺麗めなのが腹が立つ。


「いたけど……なに、武田もいたの?」

「たまたまね」


 厚手の白衣のポケットからスマホを取り出し、武田は画面に指を滑らせる。背は早矢より少し小さくて黙っていれば大人しそうなのに、気が強くて負けず嫌い。

 楽しいことが大好きで、イベントやら何やらによく参加している社交性は早矢もマネしたいところだ。


「声かけてくれれば良かったのに」


 いつも通りにスクラブを脱ぎ、軽く畳む。私服に着替えていると、武田は「いや~」とわざとらしく腕を組んだ。

 面倒くさくなりそうな気がした。


「いやさぁ、すごい美人さんといたからさ……子供までいたし、何、実は結婚してたの?」

「どういう発想?」


 ニヤニヤとからかう様な笑みは変わらない。その口調も完全に楽しんでるもので、早矢は予想通りの展開に呆れたように返す。


「幼馴染だから。あっちは結婚して子供もいるけど、私は恋人もいない独身の人間です」

「知ってるー」

「じゃ、聞かないで」


 これだから腐れ縁は困るとニヤついた顔の武田の肩を押す。

 友人とは困ったもので、恋愛事情に土足で踏み込んでくる。いたとかいないとかは伝えたことがあったが、どんな人かまでは言っていない。

 大体そんなに長く付き合えないし。

 秘密主義とか言って離れていく人間も多い中、武田は変わらない付き合いを続けてくれる人間だった。


「でもさ、本当に美人さんだったよね。どこかで見た気もしたんだけど」


 武田は勘が良い。早矢は小さく肩を竦めた。


「他人の空似じゃない?」

「そうかなぁ。あんだけ美人だったら忘れないと思うんだけど」

「忘れてるじゃん」

「うーん」


 腕を組んで考え込む武田を放っておいて、早矢はロッカーの扉を閉め、靴箱に向かう。

 履き替えていると、慌てた様子の武田が追いかけてきた。


「ちょっと、置いてかないで」

「いや、帰らないのかなと思って」


 わざわざ帰る約束をしたわけでもない。医者の帰宅時間なんて、仕事が終わり次第なのだから。

 早矢の言葉に武田はわざとらしく頭を振った。


「小野寺、そういうとこがドライすぎると思いまーす」

「ほっておいて」


 気楽なやり取りをしながら一緒にロッカーを出る。エレベーターに乗り、出口へ向かいながらも、早矢の胸の奥にはじわりとした不安が広がっていた。

 武田が気づくなら、きっと他にも見ていた人はいるだろう。

 たとえ仮初めのものだとしても、今の平穏な生活を続けたかった。きっといつかはできなくなる生活だとしてと、早矢は甘受したかったのた。


 ※


「え~、あそこに同僚の人いたの? お医者さんでもああいうところ行くんだね」


 武田のことを話すと、陽菜が目を丸くした。

 沙羅ちゃんをお風呂に入れて、寝かしつけ、やっとのんびりできる時間。

 沙羅ちゃんを起こさないように温かい間接照明の光だけつける。ソファ周りだけだったらそれで十分だ。

 冷えたビールが美味しい。食後のリラックスした雰囲気が、二人の間には漂っていた。


「それを言うなら、芸能人でもああいうところで良かったんだね」


 早矢は缶を傾けながら、陽菜の言葉に返す。

 芸能人より医者の方が家具屋にいる割合は高いだろう、きっと。

 陽菜は顎の下に指を当てると大きく首を傾けた。あざと可愛い、とはこういう仕草に使うのか。毎日一回は陽菜の可愛さにやられている気が早矢にはした。


「誰も気づかないし、結構、好きな人は多いと思うけど」

「そういうものかねぇ」


 確かに早矢はあそこで芸能人を見たことはない。もしくは、気づいてないだけなのか。

 とちらにしろ早矢が気になるのは陽菜に関することだけなのだけれど。


「陽菜を見たことあるって言ってたから……誤魔化したけど、また聞かれる気がするわ。どうすればいい?」


 隠しておくべきか。武田は隠してることに対して突っ込んでくる性格じゃない。

 けれど美人やイケメンに目がないのは昔からで、そう考えると陽菜のことを見つけそうな気がした。


「うーん、基本的には早矢ちゃんが信頼している人なら言っても大丈夫だよ。あたしも大した仕事してるわけじゃないし……知ってる人の方が珍しい」


 陽菜は肩をすくめながら、のんびりと答える。

 モデルなんて大した仕事じゃないか。

 少なくとも早矢は陽菜が出る雑誌は買っていた。電子書籍になってから保管も考えなくて良いので楽なものだ。


「でもさ、SNSとかに載るとすごいんでしょ?」

「うちの旦那はSNSしないし、逃げられたなんてバレたくない人だから積極的には探してないと思う」


 早矢の心配を一刀両断するような答えだった。

 バレたくない?

 だから探さない?

 陽菜の言葉は聞き取れるのに、早矢には理解できない言葉になってしまったようだった。


「奥さんと子供がいないのに?」

「そういう人間なの」


 思い切り顔をしかめた早矢に、陽菜の表情が一瞬だけ曇る。早矢はそれ以上は聞かなかった。

 陽菜の旦那がどんな人間か、まだ全然知らないし、知りたくもない。けれど、無理に聞かないほうがいいこともある。

 早矢はもう一度ビールのグラスを傾けた。


「陽菜のモデル姿すごい綺麗なのにね、なんで大きな仕事来なかったんだろう」


 陽菜ならどこにいても分かる。

 モデルになっても、それは変わらない。だから一時期、興味のないファッション誌を立ち読みしていた。

 立ち読みでも見つけるには十分。いたら電子ね買う。

 陽菜は早矢の言葉におかしそうに小さく笑った。


「あたしくらいはゴロゴロしてるのが芸能界ですよ」

「ふーん……変なの」


 早矢にとっては陽菜が一番可愛い。

 それは間違いなく、昔から変わらない事実だった。


「早矢ちゃんにはそうだろうね」


 陽菜は苦笑しながら、自分のココアに口をつける。

 その笑顔の奥に、何か隠してある気がして、もしくは自分が何かを見落としている気がして、早矢はどこか背中がソワソワするような落ち着かない気分を味わった。

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