三月三日の七夕伝説

島津 周平

安の川い向かひ立ちて年の恋日長き子らが妻問の夜そ

 夜が深まり、周囲に静寂が訪れると、不思議な気配が漂い始める。

 月光が窓を通り抜け、薄明かりを落とす。

 風に揺れる桜の木々から花びらが、ひらり、ひらりと舞う。


 ふわりと桜の花びらが一枚、空間を切り裂くようにして部屋に現れた。

 すると、ぼんぼりの灯りが揺れ動く。

 と、

 次々に花びらが、部屋を埋め尽くしていく。

 いくつもの花びらが交錯し、絡み合い、命を吹き込む。

 部屋そのものが息を吹き返し、生き物として目を覚ましたかのように、静かな空間に力強いエネルギーが満ちていく。


「今年も逢えたね」

 向かって左に座る男が、そっと手を伸ばし、向かって右に座る女の指先に触れる。

 女は少し驚いた。が、微笑んだ。


「ええ。こうしてまた、あなたに逢えるなんて。夢のよう」

「夢なんかじゃない。ほら、こうして触れ合っている」


 それは本当に夢のようなひとときだった。

 男として、女として、二人は一年のある一日にしか――逢えない。

 長い年月を共にしてきた、男と女。

 しかし、

 それはほんの一瞬の輝きの連続に過ぎなかった。

 初めて互いを認識したのは、もう百年も昔のこと。毎年、少しずつ言葉を交わし、想いを育んできた。


「あとどれほど、こうしてあなたと逢えるのかしら?」


 女の瞳が揺れる。

 時が経つにつれ、いずれ手が離れてしまう。そうなれば、二度と巡り会うことは叶わない運命。


「そんなこと言わないで。今年もこうしていられる。それだけで十分じゃないか」

「そうね。でも、」


 男は女の手を取り、温もりを感じようとした。

 けれど、どこか儚い。

 背負っていることを知っているから。いつか消え去る、存在なことを。


「でも……もし願いが叶うなら、私は…………」


 女の言葉を紡ぐ前に、遠くから朝を告げる気配が忍び寄ってきた。ぼんぼりの灯が小さく揺らぎ、ふっと消えかける。


「とき、が、キタネ」


 男が名残惜しそうに呟く。女もその手をぎゅっと握り返し、涙を堪え。


「ぇえ。また来年の“ひなまつり”に……あなた、に、逢え、る、の、を、タノシミニシテイル、ワ」


 最後に、二人の唇が触れるか触れないかの距離まで近づいた。

 しかし、

 二人の意識が薄れていく。

 そして、

 朝日が差し込む。

 そこには、ただ向かい合った“ひな人形”が。

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三月三日の七夕伝説 島津 周平 @futatsume358

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