3-6.二人きりの屋上
昼休みのチャイムが鳴って、教室が一斉にざわつき出す。
俺は弁当を片手に、誰に声をかけられることもなく、静かに教室を出た。向かう先は、屋上。鍵はかかっていないことを以前確認済みだ。今のこの空気を誰にも邪魔されたくなかった。
金属の扉を押し開けた瞬間、思いがけない声が風に乗って届いた。
「……悠斗?」
ドキリとする。
そこにいたのは、美羽だった。制服のスカートが風に揺れて、長い黒髪が陽光をはらんできらめく。
目が合う。
一瞬、何も言えなくなった。
俺が何か言うより早く、美羽は視線をそらして、小さく笑った。
「……逃げ場、同じだったんだね」
「……別に逃げてるわけじゃない」
俺は嘘をついた。美羽もそれを分かってる顔をしていた。だから、追及もしない。
無言のまま、少し離れた場所に腰を下ろす。柵の向こうには校舎の屋根と遠くの街並み。春の風が、少し肌寒い。
「……今日、寒いね」
「そうか?」
「風が冷たい。髪、持ってかれそう」
そう言って、美羽は結んでいない長い髪を指で押さえた。その仕草が妙に女の子らしくて、目をそらしたくなった。
何が変わったんだろう、あの頃と。
同じ景色を見ていても、言葉を交わすたびに、どこかで自分が変わってしまったことを思い知らされる。
「……どうして、あの日、黙ってたの?」
突然、美羽がつぶやくように言った。
「え?」
「……気づいてたでしょう、私が怒ってた理由。なのに、悠斗、何も言わなかった」
答えを探す言葉が見つからず、俺は空を見上げた。
「……なんか、間違えそうだったんだ」
「……間違える?」
「言葉にすればするほど、取り返しのつかない方向に行きそうでさ。……昔みたいには戻れないって、気づいてたから」
美羽の表情が、風に隠れて読めなかった。
だけど、しばらくして、ぽつりと彼女が呟いた。
「……でも、言ってほしかったな。たとえ間違っても、何か」
沈黙が、重たく降りてくる。
俺たちはたぶん、お互いの言葉をずっと待ってた。でも、言わなかった。言えなかった。
「ごめん」
口から出たのは、情けないほど短い言葉だった。でもそれしか、出てこなかった。
美羽は驚いたようにこっちを見て、それから少しだけ笑った。
「……今さら謝るなんて、悠斗らしくない」
「らしくないって、どんなだよ」
「不器用で、言葉にしないくせに、人の気持ちばっかり先に察しようとするところ。ずるい」
「それは……お互いさまだろ」
「……うん」
どこか遠くで、チャイムの音が鳴った。休み時間が終わる。
美羽が立ち上がり、制服のスカートの埃をはたく。
「ねえ、悠斗」
「ん?」
「……また、ここに来てもいい?」
俺は少しだけ驚いて、それでもすぐに頷いた。
「……好きにすれば」
「ありがと」
それだけ言って、美羽は扉の方へ向かった。その背中を、俺は少しだけ見つめていた。
ふと、想像する。
──もし、あの時、「待てよ」と言って引き留めたら。
──もし、「俺はまだ、お前と話したい」と言えたら。
でも、それは今の俺じゃなかった。
代わりに、ひとり屋上に残った俺は、空に向かって小さくつぶやいた。
「……言えたら、どれだけ楽なんだろうな」
風が、何も答えずに吹き抜けた。
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