3-4.涼の忠告



「……お前、気づいてないふりすんの、うまいよな。」


昼休み。人気のない図書室の窓際に座る俺に、佐伯涼がそんなことを言った。


「何の話だよ、いきなり」


俺は教科書を閉じ、静かに涼の方へ目をやる。陽の光に照らされているくせに、涼の表情は妙に影が差していた。


「美羽のことだよ。お前、見ないようにしてんだろ。……あいつの気持ち。」


言葉に詰まった。図星だったから。


「気にしてないって言えば嘘になるけど、でも、何かしてやれるわけでもないし」


「逃げてんじゃん、それ。」


涼の声には責めるような調子はなかった。ただ静かに、事実だけを突きつけるようだった。


「お前さ、自分が彼女のこと好きって気づいてる? それとも、それすらも気づいてないふりか?」


「涼、なにが言いたいんだ」


「――あいつ、ずっとお前を見てた。今も。目をそらしてるのは、お前の方だよ」


本を閉じる音が、やけに響いた。


「そんな簡単な話じゃないだろ。俺たちは幼なじみで、こじれてて……そもそも、あいつは俺のこと――」


「嫌ってるって思いたいんだろ? その方が楽だから」


涼の言葉は、ナイフみたいに鋭くて、それでいて痛みを与えるよりも、ただ真っ直ぐだった。


「お前、気づいてるよな。文化祭の日、あいつがどんな顔してたか」


一瞬、視界に浮かんだ。沈んだ瞳。すれ違い。あの時、何かを伝えようとしていた美羽の唇が震えていた。


「……俺はどうすればよかった?」


思わず、声が漏れた。まるで自分に問いかけているような、掠れた音で。


「どうもしなかったのが、お前の答えだったんだよ」


涼は言い残すと、立ち上がった。


「でもな、悠斗。そうやってずっと見ないふりしてたら、あいつは……たぶん、お前のそばから本当にいなくなる」


足音だけが図書室に残る。俺はただ、窓の外の春霞を見つめた。


見ないふり。聞こえないふり。気づかないふり。


本当に、それでよかったのか?


胸の奥に、言葉にできない熱がじわじわと広がっていく。


あいつの隣にいるはずの俺は、いつから、こんなにも遠回りばかりしているんだろう。



「だったら……どうすれば、よかったんだよ」


口にした言葉が、自分でも思いのほか重く響いた。


「じゃあ、ちゃんと向き合えばよかったのに」


ふいに返ってきたその声は――佐伯涼のものではなかった。


驚いて顔を上げると、目の前に立っていたのは、美羽だった。


制服の袖を握りしめ、揺れるまつ毛の奥で、瞳が俺をまっすぐに捉えている。


「どうして逃げたの……?」


その言葉に息が詰まった。返せる言葉が見つからず、ただ唇を噛む。


「なんで、私のこと、ちゃんと見てくれないの?」


……違う。そんなはずない。ここは図書室で、美羽は教室に――


気づいたときには、そこには誰もいなかった。


椅子の背にもたれて、俺は顔を覆った。


「……なんだよ、今の」


幻想。幻聴。いや、きっと、俺の中にある『後悔』の声だったんだろう。


「ちゃんと見てくれないの?」


あの言葉だけが、まだ耳の奥に残っている。


美羽は――ずっと、俺を見てくれていたんだ。


そして俺は、気づかないふりをしていた。


「……もう、遅いのかな」


自分でも、誰に問いかけたのかわからない。けれど、心のどこかで、それでも遅くないと言ってほしかった。

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