歴史酒場謎語り――「ひなまつり」を肴に今宵も呑む。

藍染 迅@「🍚🥢飯屋」コミック化

きょうはたのしいひなまつり

「雪になるとは思わなかったな。寒いわけだ」


 シャッターの下りた店構えが多いすすけた商店街を歩きながら、私は襟もとをかき寄せた。

 何とかいうしゃれたダウンコートなどとは縁がない。化繊の綿入りジャンパーは今日の寒さにはすこぶる心もとなかった。


 破れかけた赤ちょうちんが揺れる軒をくぐり、私は通いなれた居酒屋に足を踏み入れた。


「ふうー。暖房がありがたい」


「よう、先生。こっちだぜ」


 カウンターの奥からがさつな声が上がった。旧知の仲間である須佐という男だ。冬だというのに日に焼けた顔は、既に赤く染まり始めている。


「早いな。もう始まってるのか」

「おめでたい日だからね。善は急げっていうぜ」

「うん? 何かいいことでもあったか」


 大の大人が祝うような吉事があったろうか? 私は記憶をまさぐったが、心当たりがなかった。


「いやだな、先生。今日が何日か、忘れちまったのかよ?」

「何日って三日だろう? ああ、三月三日か」

「そういうこと。やだやだ。年は取りたくないね。ひな祭りも忘れちゃったのかよ?」


 先生、先生と呼ばれているが、私は教師でも医者でもない。

 体裁よく言えばフリーのライターをやって生活している物書きのはしくれだ。


 バイトに毛の生えたような短期雇いの仕事で生計を立てている須佐とは、どっこいどっこいの根無し草だった。


「お互いに雛祭りって年でもないだろう。そうか、もう三月だったな」

「そうそう。女の子のお祭りって言われてるから、男には縁遠いんだよね」


 雛祭りは「桃の節句」とも言われるが、女子の幸福を祈る行事とされている。男の子なら「たんの節句」で、五月五日が本番だ。


「外は寒かったろう? 最初から熱燗でいいかい?」

「そうだな。おやじ、熱燗を一本」


「はいよー!」


 魚も適当に頼み、熱燗がつくまでの間、私の頭は店内の温度になじみながらぼんやりと宙をさまよう。


「男の節句は『端午の節句』で女の節句は『桃の節句』って、ちぐはぐだな」


 三月三日に桃の花を飾るってのはわかる。ならば、五月五日は「しょう」だろう。


「『菖蒲の節句』って言葉はあるけど、あんまりそう言わないからね」

「菖蒲湯なんてものに入る人もいないだろう」


 菖蒲は薬草として使われており、厄除け、魔除けの意味があったらしい。長寿や子孫繁栄の象徴とされる桃に比べると、だいぶ世知辛い気がする。


 一方、「端午」の方はもっと直接的だ。「五月初め・・の日」だったものが、五月五日に固定された。


「五月五日が端午なら、三月三日は『上巳じょうしの節句』だね」

「ああ、そうだったか」


「上巳」とは「三月初め・・の日」を指す。これもいつからか三月三日に定められたわけだ。


「まあ、五節句の一つだからね。ゾロ目が気持ちよかったんだろう」


 五節句とは、一月七日の「人日じんじつ」、三月三日の「上巳」、五月五日の「端午」、七月七日の「七夕しちせき」、そして九月九日の「長陽」を言う。

 人日を除けば、ゾロ目の月日が並んでいる。


七夕たなばたが『笹の節句』。九月九日が『菊の節句』だったか」

「人日は正月七日で『七草の節句』なんて言われるね」

「そうやってみると桃以外は草ばっかりだな」


 菊は花なんだろうが、どうも陰気なイメージがある。あの香りがきついせいだろうか。


「菖蒲に笹、それに菊なんて言うと、抗菌作用とか除虫作用がありそうだね。実のなる桃とは毛色が違うか」

「桃の節句だけがほんわかしている気がするな」


 性差別にうるさい世の中だが、女子のお祝いに桃の花というのは似合っている気がする。


「『きょうはたのしいひなまつり』か。うん。酒の肴は『雛祭り』にしようか」


 須佐はそう言うと、熱燗の入ったコップをあおった。


 ◇


 古代中国の上巳ってのは川の流れで身を清めるという行事だったらしい。ガンジス川での沐浴みたいなもんかね? まあ、体が清潔になるから健康にもよさそうだ。


 それが平安時代に日本に伝わったというんだがね。


 日本に入ったら「人形ひとがた流し」という風習に変わっちまった。

 そう。街ぶらロケなんかでもやってるよね? 流れる水に人の形をした紙を流すってやつ。


 自分の名前を書いて身代わりにするわけだ。「形代かたしろ」あって言うやつだよね。


 あんなのモロに陰陽道じゃない? 言い方によったら「呪い」と変わらないからね。「のろい」でも「まじない」でもいいけどさ。


 水に入るのが冷たくて嫌だったのかって? いやあ、そんなにものぐさな人ばっかりじゃないだろう。嫌なら行事自体をやめればいいんだし。


 始まりは本当に呪術だったんじゃなかろうか。「流してしまいたい罪穢れ」があったのさ。


 何の穢れかって? またまたー。わかってる癖に。


 やっぱり天満天神、菅原道真公だと思うね。

 根拠? 状況証拠だけどねぇ。いろいろあるよ。


 雛人形を壇に飾るだろう? 最上段はだい雛だ。雛と雛ね。


 童謡の「うれしいひなまつり」だと「おだいりさまとおひなさま」なんだがね。学者に言わせると男雛をお内裏様、女雛をお雛様と呼ぶのは間違いなんだそうだ。

 二人合わせてお内裏様だと言うんだけどね。


 うん。異説もあって、内裏の主である天皇陛下が「お内裏様」で、皇后陛下は「お雛様」で正しいという意見もあるね。

 俺はそっち派かな。


 雛は古代には「ひいな」と呼ばれていたらしい。「ひい」は「おひい様」で、「な」は「女」の「な」だと思えばしっくりくるんだよね。


 二段目は三人官女だ。内裏で働く女官ってわけだね。


 三段目が五人囃子。お祝いらしく笛太鼓を奏でるわけだ。


 でもって、四段目が「随身ずいしん」っていうんだけどね。随身と言ったら身の回りの世話をする家来のことだけど、普通そうは思ってないよね。


 二人左右にいるのは右大臣と左大臣って呼ばれている。

 衣装も世話役にしちゃあ立派すぎるのよ。いくら庶民だって、家来と大臣を間違えたりはしないだろう。


 でも、そうすると位置・・がおかしい。右大臣、左大臣が女官や雅楽師の「下」にいるわけがない。お内裏様のすぐ下にいなきゃ変なんだ。


 これがさあ。「まじない」だと思うわけさ。


 お内裏様のそばには置けない。そういう意味が込められてるんだよ。


「うれしいひなまつり」、サトウハチロー作詞の歌によればだよ。

「すこししろざけめされたか あかいおかおのうだいじん」

 そう歌われているんだよ。


 これもおかしくてさ。向かって右に置かれる左大臣の方が右大臣より位が上で、年寄りとして作られている。こっちの顔が「赤い」のさ。

 向かって左は右大臣。こっちは若くて白面の貴公子なの。


 なのに「あかいおかおのうだいじん」だぜ?


 サトウハチローが左右を間違えた? 日本を代表する詩人だぜ?

 雛飾りなんて日本中にあったんだぜ?


 間違うはずがないだろう。


 わざと・・・そう歌ったのさ。


 右大臣が顔を赤くしているとね。顔を赤くすると言ったら、そりゃ「怒ってる」ってことだろう。はっきりそうとは言えないから、「すこししろざけめされたか」ってごまかしているのさ。


 お内裏様がいる前で酔っぱらう大臣なんかいるわけないじゃない。


 怒っている右大臣と言えばさ、それはもう菅原道真公さ。

 いわれなき罪を問われて大宰府に左遷され、最後は非業の死を遂げた。


 怨霊となったその恨みは左遷を命じた醍醐天皇と藤原時平に向けられていたと、日本中に信じられていたわけだから。


「|人形<ひとがた>流し」ってのは、道真の祟りを祓い清めるという意味で始まったことじゃないかねぇ。陰陽寮に命じてそういう儀式をやらせたんだろう。


 それが証拠にさあ。お雛様と言えば「桜餅」を上げるもんでしょ?


 関東じゃ墨田区の長命寺名物として有名だけど、関西は違う。むしろそっちが本場なんだよね。


 関西じゃ桜餅のことを「道明寺」と言う。


 そう菅原家の祖先土師氏の氏寺として建てられ、道真の法名である「道明」を寺の名前に頂いた、あの「道明寺」だ。


 それはもう「天神様、ゆかりの道明寺を捧げますので、どうぞお怒りをお鎮めください」って言ってるのと同じじゃない?


 雛祭りは天神のたま鎮めの意味を込められたお祭りになったって言うわけさ。


 ◇


 熱燗が回って、須佐の顔も「あかいおかお」になっていた。こっちは怒っているわけじゃなかろう。


「雛飾りってさ、時期にうるさいことを言うんだよね。二月の初め立春の頃から中旬までに出せって」

「すぐに片づけないと婚期が遅れるって話はよく聞くが」

「二月の前半に飾れってのは道真の命日に間に合うようにだと思うよ」


 菅原道真は赴任先の大宰府で非業の死を遂げた。二月二十五日のことであった。


「節句が終わったらすぐ片付けろって言うのは、祟りを恐れたからだろうね」


 鎮魂した後はすぐにお帰りいただかなければ。黄泉の国に。


「だから人形を流すのか」

「そう。水の流れは異界に通じていると信じられていたからね」


 サトウハチローは霊鎮めの儀式だと知った上で、「うれしいひなまつり」の詩を書いたのだろうか。


 歌はこう終わる。


『きものをきかえて おびしめて

 きょうはわたしも はれすがた

 はるのやよいの このよきひ

 なによりうれしい ひなまつり』


 献杯。


(了)

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