三段飾りは崩れない

諏訪野 滋

第一話 さらわれた女雛

 ミズキ国の国司である男雛おびな少弐しょうに是棟これむねは、全幅の信頼を置いている三人官女筆頭で長女の鷲希じゅきからの報告に耳を疑った。まだ年若い是棟は右手に持っていたしゃくを取り落とすと、秀麗な顔を青くしながら唇を震わせる。


「キクチ国の松姫まつひめが誘拐されたとの話、本当か!?」

「殿、間違いはございませぬ。我々三典侍てんじの次女、氷鮫ひさめからの情報なれば」


 是棟はくっと唇をかんだ。


「そうか、諜報部の頭でもある氷鮫の調べならば間違いはないか…だが何という事だ、三月三日の松姫の輿入れまでほんの数日だというのに。そんなことをする男といえばもはや…」

「お察しの通りです。サイトバル国の、日下部くさかべ貞兼さだかね

「ばかな。私が中央へ訴状を送れば、奴の一族は取り潰しになるぞ」


 鷲希は眉をひそめると、ゆっくりとかぶりを振った。


「恐らくはそうはなりますまい。日下部一族は、かつて別当まで輩出した家柄。殿もご存じの通り、今の朝廷は完全に腐っております。おとがめなしも十分にあり得る」


 ひな壇から立ち上がった是棟は、腕を組んでいらいらと歩き回った。かんむりを心持ち深くかぶったその横顔は、苦渋に満ちている。


「……私の落ち度だ。貞兼が以前から松姫に懸想けそうしていたのは、わかっていたのだ。だがよもや、私との婚礼が決まったこの期に及んで実力行使に出ようとは」

「サイトバル国の軍備増強は、目に余るものがありました。つい先年までは我が国と同じ三段のひな飾りであったのに、民に重税を課すことで今では七段飾りの軍事大国と化しております。恐らくは、かねてより周囲に対する野心があったのでしょう」

「奴のひな飾りには、ただ一人女雛めびなだけが欠けていた。しかしその空虚を埋めるために、なぜ松姫なのだ。そこまで彼女のことが好きであったのか、貞兼は?」

「キクチ国には、肥沃な平野と豊富な温泉資源がございます。松姫さまの美貌に目がくらんだことはもちろんでしょうが、領土拡大の目論見もくろみも当然そこには含まれているはず」


 是棟は拳を額に当てて瞑目した。


「専守防衛を唱えてきた我が国是は、間違っていたのだろうか。笑ってくれ鷲希、大切な女一人すら守れなかった私を……」


 鷲希は目を大きく見開くと、紅潮させた顔を上げた。


「殿、何を弱気なことを。我々はすでに攻撃され、誇りを踏みにじられました。この危急の時こそ、我ら三姉妹にご命令を」

「……いや、兵は送らん。こちらからの攻撃を口実に、奴はキクチ国のみならず、このミズキにまで宣戦布告を行うやもしれぬ。国民を戦渦に巻き込むわけにはいかぬ」

「何と! この鷲希は情けのうございます。特務戦隊である我々三展侍、己を磨いてきたのは今この時のため。殿のお力になれるのであれば、私の命など」

僭越せんえつであろう、ひかえよ!」


 思わず首をすくめた鷲希に、是棟はうなだれながら謝罪の言葉を口にした。


「すまぬ、大声をあげたりなどして。だがわかってくれ鷲希、私がいう国民にはもちろんお前たち三人も含まれているのだ。私は松姫に加え、お前たちをも失うわけにはいかぬ。女雛が欠けていても、私と三人官女のそなたたちの四人がいれば、三段飾りの我が国は何とか国の体裁を保てる。聡明な松姫のことだ、彼女もきっとわかってくれるはず……」


 それきり是棟は黙り込むと、天守閣の最上階、三階の窓から遠くサイトバル国の方角を悲し気に眺める。鷲希は床についた手のひらをぐっと握ると、頭を下げたまま是棟の前を辞去した。




「それで結局は命令違反ですか。鷲希姉さまは相変わらず、後先というものを考えない」


 丘の上を吹き渡る風に、腰まである青い髪を遊ばせながら、次女の氷鮫が馬鹿でかいため息をついた。眼下にはサイトバル国の軍事力の象徴、七段飾りの天守閣がそびえている。


「結納の時に一度お会いしただけなのだけれど、松姫様はとても良いお方だった。それはもう、私たちが女雛様と仰ぐにふさわしい程にね。そのようなお方をあきらめるなどと殿はおっしゃったが、そんなの私は絶対に認めない。必ずや松姫様を取り戻して、日の本にまたとない素晴らしい三段びなを完成させて見せる」


 ショートカットの赤い髪を炎のようになびかせながら敵の城をにらみつける鷲希に、横合いからのんびりとした声がかかった。


「でもさ。鷲希ねえってたしか、是棟様の事が好きなんじゃなかったっけ? 女雛様がご不在ならば、それはそれでいいんじゃない? これまでもずっとそうやってきたんだし」


 ボブカットの黄色いロールヘアを揺らしながら、三女の豹華ひょうかが屈託なく笑う。


「ちょ、豹華ったら変なこと言わないで! ひな壇飾りは、男雛様と女雛様がそろって初めて意味があるのよ。それに私は一介の官女に過ぎないのだし、なにより殿は私のことなどただの部下としか思っていないし、私は松姫様だってとても好きなのだし……」


 顔を赤らめながらぶつぶつとつぶやき続ける鷲希の堂々巡りを妨げるように、氷鮫がぱんぱんと手を叩いた。


「はいはい姉さま、悩むのは仕事をきちんとこなしてからにしましょうね。豹華、あんたはまだ子供のくせに、わかったような口を利かない」

「ちぇっ、氷鮫ねえはいつもわたしを子ども扱いして……」


 そう言いながら戦の前に菱餅をかじる豹華を見て、氷鮫は再びため息をついた。まったく、世話の焼ける姉と妹だ……


「それでは気を取り直して。我らがミズキ国の奥の手、特務戦隊三典侍の実力を見せてやりますか」


 不敵に笑う氷鮫の言葉に、鷲希と豹華はぎりりと手袋をはめ直した。

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