【ひなまつり】ひいなあそび
ながる
ひいなあそび
ゆぅらり。
水に浮かぶのは気持ちがいい。
水に潜るのだって、ママのお腹に還るよう。
膝を抱えてまるくなって……あら。もう手はちぎれてしまったみたい。
すっかり水の浸み込んだ体は端からぼろぼろと崩れていく。
『やくをうつすのよ』なんて彼女は得意げに言ったけれど、その意味をきちんと理解していたのかしら。
彼女は『厄』をわたしに全部押し付けたのではないかしら。
それとも、こんなちっぽけな体には収まりきらなかったのかも。
まあいいわ。
いつか機会は訪れるもの。
この体が無くなれば、きっと自由になれるもの。
だから、今はゆぅらり、流れに身を任せましょう……
🌸
思えば、彼女はいつも不機嫌そうだった。
桃色の花びらが散る中をはしゃいで駆けているわたしを指差して、「あっちがよかった」とごねている。
砂遊びセットに入っていた小さなひしゃくはカラフルで、黄色い持ち手に水を掬う部分が水色だった。同じセットを買ったはずなのに、ひしゃくの色だけが違って、わたしが初め手にしたのはピンク色のものだった。それを「あっちがいい」とごねて取り換えたのは彼女なのに。
降ってくる花びらを受け止めれば、水色のひしゃくにとても映えて嬉しくなった。走ってママに見せに行けば、覗き込んで「よかったわね」と笑ってくれる。それから隣で不機嫌な顔をしている彼女の頭をなでながら「少しの間貸してあげて?」と申し訳なさそうに言うのだ。
そんなことをさんざん繰り返してきたわたしは、もう物にこだわりを持たなくなっていた。またか。と無感動に応じれば、一時は嬉しそうにするのだが、結局降ってくる花びらを上手く受け取れなくて癇癪をおこし、ひしゃくを投げ捨てて大泣きする。
すべての思い出が、そんな調子だった。
同じものを買ってもらっても、一度は必ず取り換えた。私の持っているものは何でも素晴らしく見えたらしい。
同じ日に生まれ、同じ容姿を持ち、同じように育てられたのに。
彼女は常にわたしの上に、わたしの前に、立ちたがった。
同じことを強要され、劣ることは許されても抜きんでることは許されなかった。
「おねえちゃんの言うことを聞きなさい」
それも彼女の口癖だった。
彼女が病院でほんのわずか先に取り上げられたことを知ってから、わたしは妹であり続けなければならなかった。
つい、この間まで。
おばあちゃんの家でひなまつりのごちそうを食べた後、彼女はおばあちゃんから聞いた話を得意げに語った。私も聞いていたのに。
ふたりで折り紙でやっこさんを折って、家の前の道路の端を流れている小さな水路に流す。
「やくをうつすのよ」
そう言って、彼女はぺしぺしと叩くように私に紙人形を押し付けた。
流れていく紙人形を少しの間追いかける。やがて、それらは暗く深いところへと落ちて行った。
「これで大丈夫!」
満足げな彼女だったけれど、わたしは何が大丈夫なのかよくわからなかった。
もちろんわたしたちの何が変わることもなく、小学校への入学が近づいてきた。
わたしは世界が変わるのではと少し高揚していた。
だから、おばあちゃんがくれた色違いの小鳥の形をした水笛をいつものように彼女が取り換えたいと言った時も素直に応じた。わがままを言う方が子供っぽいのだと自分に言い聞かせていた。
歩きながら吹いていて、長くきれいにピュロロロロと鳴らせて気分が少し良くなった。
前を歩く彼女が上手く吹けずに振り返る。
「やっぱりそっちがいい」
手の中にいた水色の小鳥は奪われ、ピンクの小鳥を押し付けられる。
わたしはうんざりして、ピンクの小鳥も彼女へと押しやった。
「どっちもあげる。わたし、小学生になるんだもん。もう、そんなおもちゃで遊ばない」
夕焼けが綺麗だった。
逆光で彼女の顔はよく見えなかった。
ピタリと動きを止めた彼女は、絵の一部のようだった。
次の瞬間、胸に強い衝撃を受けた。
よろめいて尻もちをついた。
そこへ、路地からトラックが曲がってきた。
……誰も、見ていなかった――
🌸
それだけなら、わたしは温かな場所へ昇って行ったかもしれない。
その日から彼女は唯一になった。わたしのことはきれいさっぱり忘れて、のうのうと生きている。
進学し就職し、結婚し、ついには母となった。
娘も生まれた。
「厄を移すのよ」
まだ言葉を解さない娘に得意げに語っている。
ふと、その目が宙をさまよった。
心の奥底にしまい込んで鍵をかけた、その場所を思い出したかのように。
彼女は時々わたしの名で娘を呼ぶ。
待っててね。もう少し。
もう少ししたら、この体、溶けて自由になるから。
そうしたら迎えに行くね。
おねえちゃん。
おわり
【ひなまつり】ひいなあそび ながる @nagal
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