終わらないひなまつり【KAC20251】

冬野ゆな

第1話 片付けられないひな人形

「それでは、はじめさせていただきます」

 野田が両手を合わせ、ドアに向かって軽く頭を下げた。

 石川もそれに倣った。今日の人員はこの二名のみだ。二階建ての古いアパートの一番奥。一階というのもあり、隣の家と、小さな庭に生えた木々に囲まれて周囲は薄暗かった。くすんだえんじ色のドアを開けると、むっとした匂いが漂ってきた。家の中は外にもまして薄暗い。

 野田が慣れたようにちょいちょいと奥に入っていって、明かりをつけた。

「まだ電気が通ってて良かったねぇ。ちょっとは見えやすくていいかもね」

 マスク越しでもわかる、穏やかな声。明るくなると、作業着に目立たないように作られた「ゴミ屋敷・特殊清掃 まごころクリーン」のロゴがよく見えた。

 その間に石川も中に入ると、玄関のすぐ横にあるキッチンを見回した。シンクの中には黒く染まった調理器具がそのまま放置され、中身はからからに乾いている。後ろから野田が窓を開けている音がした。ようやく風が通り抜ける。

「えー、もう一度確認ね。お金や通帳のみ依頼人さんに渡すために回収です。あと指輪があるらしいからそれも回収。あとはみんな処分の方向で。一応、他に貴金属や貴重品があったらとっておいて」

「了解っす」

 玄関の右手側には古いトイレと風呂があった。トイレは和式で、便器も黒く染まっている。流し損ねた紙やティッシュが隅に詰まれていた。隣の風呂も長いこと使っていないように黒ずんでいて、使いかけのシャンプーやリンスがそのままいくつも置かれている。

 一通り確認し終えると、部屋の方に視線を向けた。横並びになっている。野田が右側の部屋の障子を開け放つと、石川は目を見開いた。

「……こいつも処分するんですか?」

 七段のひな人形が置かれていた。

 かなりの大きさで、部屋のひとつをほとんど埋め尽くしていた。そびえ立つひな人形を、まじまじと見つめる。これでは、部屋としてまったく機能していない。

「うん。もったいないけどね。全部処分だって」

 野田が頷いた。

「……了解です」

 石川のわざとらしい舌打ちが響いた。

 もうひとつの部屋には、逆に物に溢れていた。生活の中心だったであろう部屋は、中心にはぺたんこになった白い敷き布団と、その上に変色した毛布がいくつもくしゃくしゃになって置かれていた。発見された老婆はここで死んでいた。暖房の効いた部屋だったせいで、冬なのに腐敗が進んで臭いが漏れていたらしい。周りには大きな古いタンスが三つも置かれ、四方のうちの三つを囲っている。残る壁にもコタツがあり、その上には埃のかぶったテレビと、湯飲みやリモコンが置かれていた。空になった両手鍋もある。これでは動ける場所は布団の上くらいしか無い。おそらく、ずっと布団の上で生活していたのだろう。床にはペットボトルや缶ビール、それから菓子の袋も積まれて散乱している。

「石川君、この雛段、先に片付けちゃって。そしたら、袋詰めしたゴミをみんなこっちの部屋に入れちゃおう」

「了解」

「終わったら、押し入れも確認しといて」

「ウッス」

 石川はゴミ袋をひとつ広げて、さっそく掃除に取りかかった。下の段に並んだ小道具を無造作につかみ、ゴミ袋の中に入れていく。御所車や重箱、箪笥、長持ち。更にその上、三人並んだ仕丁を次々にゴミに放り込む。

 野田は後ろで足場を確保するために、まず変色した毛布を引きずりだしていた。絡まったペットボトルや不燃ゴミを払い落として、ゴミ袋の中にそのまま突っ込む。

 石川は次の随臣を入れていっぱいになったゴミ袋を縛り上げてから、口を開いた。

「ここで死んだのって、確か婆さんでしたよね。一人暮らしの」

 次のゴミ袋を開く。

「なんでこんなもん、飾ってあるんすかね」

 抑揚の無い声で言う。

「これね。ここで死んだお婆さん、若い頃に小さな娘さんを亡くしてるんだって。それからずっと出したままだったらしいよ」

「……へえ。部屋にも、だいぶ不釣り合いじゃないですか。こんなの」

 埃にまみれた毛氈をめくりあげ、板を取り払う。ずっと置かれていたせいか、外すとパキリと音がした。

「誰も何も言えなかったんじゃないかなぁ。依頼人のあの人、お婆さんの妹の家族って人には、ちょっと不評だったみたいだけど」

「ふうん」

 石川は野田を見ないまま、乱雑に五人囃子の一人を掴んだ。

 次々にゴミ袋に入れていく。その上の三人官女も丸餅と含めてゴミになった。

「死んだ子供に執着して、バカみたいっすね」

「そんなこと言わないの。いろんなお客さんがいるからね」

 一番上の姫雛を掴み、その顔を見た。表情のあるんだか無いんだかわからない顔。

「こういう所に残されたものは、嫌がる人もいるからね」

 野田は二つ目の毛布を引っ張り出しながら言う。

「それに、普通のゴミ屋敷に比べて、全部処分してくれって人の方が多いんだよ」

「そういうもんですか」

 石川は殿の方も無造作に掴むと、ゴミ袋に入れて袋の口を縛り上げる。

「結局、全部ゴミになるなら無駄じゃないですか。もういない子供のために、こんなの金出して買ったんですかね。頭おかしいですよ」

「まあ、言いたい事はわかるけどねえ」

 ぼんぼりも、くすんだ金色の屏風も、毛氈も、みんなゴミになった。

「それとね、石川君」

 野田は声を潜めた。

「シー、だよ。あんまりそういう事を言うと、聞かれたらお客さんの心象も悪くなるからね。仕事が来なくなっちゃうから」

「そうっすか」

「きみはまだ若いし、この仕事も入って浅いけど、寄り添いを売りにしてるような所は、下手なことは言わないほうがいいよ。何を思っていてもね」

「……わかりました」

 板を片付けると、あっという間に部屋が空いた。そこに野田が出したゴミを放り込みながら、石川も部屋の清掃に入った。

 二人は黙々と作業を続けた。ペットボトルを袋に詰め、散らばった衣服をゴミ袋に突っ込み、ゴミを片付けるだけでも一苦労だった。

 昼食休憩を終えた頃には、見えなかった床が見えるようになっていた。箪笥の中までひっくり返し、見つけた財布を保管する。

 積み上げたゴミ袋をトラックに載せ、空の箪笥と一緒に運び出した頃には、部屋の中はすっかり綺麗になっていた。少なくとも、物だけは。

 それから、野田が電話を終えて戻ってきた。

「あと十分くらいでクリーニングの人達が来てくれるって。石川君、先に会社に戻ったら、もうあがっていいから」

「いいんすか?」

「うん。僕はクリーニングの人達と一緒にトラックで帰るから」

「わかりました。それじゃあお疲れ様でした」

「お疲れー」

 野田は軽く手を振って、部屋に残った。

 石川は部屋を出ると、ずいぶんと冷たい風が吹いていると思った。


 会社に報告を終えた後、今日の現場の事を思い返しながら家へ帰る。

 思い出されるのはあの大きなひな人形のことだ。

 本当にバカみたいだ。いつまでも死んだ子供に縋り付いて。

 それで子供が返ってくるわけでもない。寂しさを紛らわせるように、あのひな人形を置いていたのだろう。バカバカしい。毎日がひな祭りというわけか。頭の方も祭りだったんだ。

 終わらないひな祭り。

 結局、過去に縋って生きているだけのクソみたいな人生。なんて虚しい人生だ。反吐が出る。それこそ頭がおかしいに決まっている。異常者め。

「くそっ」

 石川は毒付いた。

 自分のマンションに向かうと、既に夕暮れが近づいてきていた。

「ただいま」

 部屋に帰っても、返る声は何もない。

 石川は部屋の明かりをつけた。

 隅においやられたゴミ袋はずいぶんと溜まってしまった。ゴミや埃、飲み干した缶ビールの転がる廊下を歩いていく。自分の足音以外何もしない。

 かつて子供部屋にしていた和室の明かりをつけた。真新しい仏壇だけが置いてある。写真立ての中では、あの日と変わらない妻と小さな娘がこっちに笑顔を向けていた。妻は二十六歳、娘は三歳になったばかりだった。ちょうどひなまつりの直前で、妻と一緒に、奮発したひな人形を飾り付けた後のこと。三人で、ひなまつりを楽しみにしていたときだった。

「本当に、バカみたいだよな……」

 隣に置かれた五段のひな人形に縋り付くように、膝をついた。

 石川のひなまつりは、まだ終わらずにいた。

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