第6話 忘れかけた頃が一番怖い
ホンゴウビルの裏口。
本郷ホカゼは、出かけるというイヒトを見送りに来ていた。
いや、正確には「来ていた」というより、「流れでついてきてしまった」だけだ。
イヒトに強引に部屋を追い出されたあと、そのまま足が向いてしまったのだ。
「なんか、買ってくるものあるか?」
大荷物を抱えたまま、イヒトが問いかける。
ホカゼは素っ気なく首を振った。
「ないって」
「ほんとか?」
「ほんとだってば。大体、そんなの持ってる人に頼まないよ」
「こいつは返すだけだからいいんだよ。それよりホカゼ、最近買い忘れ多いだろ」
その一言に、ホカゼはムッとする。まったく、余計なお世話だった。
確かに、ホカゼは忘れてしまうことがちょくちょくあった。
でも、それは「無いなら無いで、どうにかできるから」こそ気を抜いてしまうだけで、本当に困るものを忘れることはない。
だいたい、イヒトのほうこそ買い物を頼んでもアテにならないくせに――とホカゼは思う。
安売りだからって、消費期限ギリギリの食パンを二斤も三斤も買ってこられても困るのだ。
冷凍庫にだって限界があるんだから。
とはいえ、そんなことを言い始めたらまたややこしいことになるのは目に見えている。
ホカゼはぐっとこらえ、ため息をついた。
「もしあっても、自分で買いに行くからいいよ」
それで終わるかと思いきや、イヒトはさらに余計な一言を継ぎ足す。
「お前、こんな時間に一人で出歩くつもりか? あのな、ホカゼは覚えてないかもしれないが――」
ホカゼの顔が険しくなった。
「……人さらいが出るぞ、でしょ? 覚えてるって」
うんざりした様子で、ホカゼは言葉を遮る。
確かに、ホカゼが幼いころの小秋市は、今より治安が悪かったらしい。
色あせた「人さらい注意」の看板が、今もあちこちに残っている。
幼い頃、絶対に一人になっちゃいけないと何度も言われ、お母さんの手をずっと握っていた記憶も、うっすらと残っていた。
でも。
「そんなの、もうずいぶん前のことじゃない」
ホカゼはぞんざいに返すが、イヒトの表情は納得していなかった。
「そうやって油断してる時が一番危ないんだ。とにかく、そう言うのは俺に任せとけって。ちゃんと買って帰るから」
イヒトは力を込めて言い切る。ホカゼは肩をすくめ、仕方なく折れた。
「……必要になったらアプリで連絡する」
その言葉に、イヒトはようやく満足げにうなずいた。
「戸締りもちゃんとしとけよ」
「わかったってば」
もはや隠そうともせず、ホカゼは邪険な態度でイヒトを見送る。
イヒトが裏口のドアを開け、外へと消えていくのを見届けると、ホカゼは深々とため息をついた。
「まったく……」
心配してくれるのはありがたい。
でも、人にあれこれ口を出す前に、まずは自分のことをしっかりしてほしい――ホカゼは、そう思わずにはいられなかった。
ホカゼはイヒトを見送ったその足で、三階にあるイヒトの倉庫部屋へと舞い戻った。
「約束は約束、だからね」
小さく呟きながら、ドアを開ける。
部屋の中は、さきほどと変わらず雑然としていた。
積み上げられた収納ケース、半端なガラクタ、散乱した荷物の山。人がまともに歩けるスペースなど、ほとんどない。
ホカゼは眉間に皺を寄せながら、一歩を踏み出した。
どれだけイヒトが「片付いてる」と言い張ろうとも、これで整理されているとは到底思えない。
「やっぱり、また増えてる……」
イラ立ちながら、目についた収納ケースのひとつを開けた。
蓋にはマジックで「キャンプ」と書かれている。
中には、持ちづらそうな取っ手のついた器、焚火を使うらしいコンロ、古びたナイフ――そんなものが無造作に詰め込まれていた。
ホカゼはため息をつく。
「料理なんか、家でしたらいいのに」
わざわざ不便で危険な野外を好む神経が、ホカゼには理解しがたかった。
まあ、崩壊前の外はそんなに危険じゃなかったんだろうけれど。
それにしたって面倒なだけだよね、とホカゼは思う。
もちろん、ホカゼだって腐ってもリサイクルショップの娘だ。
自分視点でどれだけ役立たずに見えようが、売り物だ、って割り切るべきなのはわかる。
それ以前に、人として勝手に他人の物を処分してはいけないと、それくらいわかってはいる。
――でも。
「……自分が使いたかっただけでしょ」
イヒトがキャンプについて熱く語っていた姿を思い出し、胸がムカムカしだす。
箱ごと廃材に出してしまおうか――なんて考えが一ミリくらいは浮かんでしまうのも、許されてもいいだろうなんて考えてしまう。
とはいえ、今日の目的はこれではない。大きくため息をつき、箱のフタを閉める。
ホカゼは、部屋の隅に目を向けた。
さっき、イヒトが露骨にチラチラと目を向けていた場所だ。きっと、また何か見られたくないものを持ち帰ってきたに決まっていた。
ホカゼは眉をひそめ、クローゼットの前に立った。
今度は一体、今度はどんなばかげたものを拾ってきたんだろう。
ため息を一つつき、ホカゼはゆっくりと手を伸ばして扉を開けた。
中に人形が立っていた。
ホカゼは息をのんだ。
クローゼットの隙間にぴったりと収まっているのは、まるで生きているかのように美しい人形だった。
不自然なほど整った顔立ちに、無機質な瞳。
それは見つめる者を吸い寄せるようでも、突き放すようでもあった。
ホカゼは背筋が冷たくなるのを感じ――それでも目が離せなかった。
長いようで、一瞬にも思える時間が過ぎる。
ふいに、人形がにっこりと微笑みかけてきた。
ホカゼの心臓が跳ね上がる。
――ちがう。
人形じゃない。
なんてことだろう。
人さらいは、イヒトだったのだ。
◇
「イヒト、お前人さらいになったんだって?」
「あぁ?」
ぶしつけな言葉に眉をひそめ、イヒトは舌打ちする。
――出会い頭から気分の悪い話をしやがって。
クサカベスタンプは、小秋市に数えるほどしかない
店の中は閑散としていた。
十人も入ればひしめき合うような狭さなのに、平日の夕方とはいえ客は一人もいない。
だというのに、店主のクトリはカウンターの中で古臭いパズルゲームに熱中していた。
「噂になってるよ。イヒトが女の子を連れ回してたって」
モニターから視線を上げず、クトリは言った。
「なんで知ってんだよ。ついさっきの話だぞ」
イヒトは眉をひそめる。
「そこはそれ、イヒトと違って色々とツテがあるからね。で、どうなの?」
クトリははぐらかすように言う。
イヒトは相変わらず耳の早い奴だと、呆れたように感心するしかなかった。
「さらってなんかねーよ。行き倒れを拾ったようなもんだ」
そう答えながら、イヒトはカウンターの上にビールケースほどのサイズのバッテリーをドンッと置いた。
その衝撃でゲーム機の電源がプツンと落ち、画面が真っ暗になる。
「ああっ……!」
「確かに返したぞ」
クトリが悲鳴を上げるが、イヒトは知ったこっちゃないとばかりに鼻を鳴らした。
「ったく……」
クトリはバッテリーの状態をチェックし、カウンター下へしまい込んだ。
文句の一つも言いたげだったが、すぐあきらめたようにゲーム機の電源を入れ直した。
「で、いくらになりそうなわけ?」
唐突な問いかけに、イヒトは訝し気に返す。
「なにがだよ」
「とぼけんなよ。拾ったんだろ、人形」
イヒトは顔をしかめた。
「……なんで、そう思ったんだ?」
「こんなでかいバッテリーを急いで調達させた挙句、そのまま遺跡にとんぼ返りだろ? その上、万年ソロのイヒトが他人を引き連れて帰ってきた、って話が聞こえてくるわけだ」
「……で?」
クトリは推理を披露しながら、さらに言葉を続ける。
「遺跡で冷凍睡眠装置を見つけた、ってとこじゃないの?」
クトリの得意げな顔に、イヒトはため息をついた。相変わらず無駄に頭をこねくり回す奴だと思う。
ただ――
「ま、正解っちゃ正解だよ。ただ一つを除いてな」
「てことは、氷解者の方だったか」
クトリのつぶやきにイヒトは否定も肯定もしない。
だが、それは答えを言っているようなものだった。
「よかったじゃん、お仲間が増えて」
「仲間なんかじゃねーよ」
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