緋色の世界に降る星

夏乃あめ

第1話

 見渡す限り真っ白い雪の世界には、オレの足跡しかなかった。



「さっぶっ。」



 何度息をかけても、赤くなった手は暖かくなることはなかった。


 誰もいない世界。ウサギでも捕れたらと思って『家』を出たのに、どうやら迷ったようだ。



 ついていない。



 オレは生まれた時からついていない。



 生まれてすぐに籠に入れられ、枢機卿の家の前に捨てられていたオレがわかっているのは、不倫の果てに生まれた子どもであること、アレクサンドルという大層な名前と誕生日。何も持たないオレは孤児院で育ち、そこが家だった。

 その家があまり豊かでないことは次第にわかっていった。硬いパン、薄いスープ、穴の開いた服。それがあたりまえだったし、毎日が楽しかった。



「アレックス、ピアノは練習していますか。」



 オレにピアノを教えてくれたのは、拾ってくれたマクスウェル枢機卿。穏やかで物静かな人で、オレの本当の『父』になって欲しかった。


 国教のシュテルンでは聖職者は家族を持つ事は禁じられている。



「うるせーな。」



 家に置いてある古いアップライトピアノはオレのお気に入りのおもちゃで、『父』に憧れて我流で弾けるようになっていた。



 ある日、オレは院長と『父』が話しているのを聞いてしまった。



 こんなオレを『父』は音楽学校に入れたいと。



 嬉しかった。

 本当に嬉しかった。




「お兄ちゃん、どうしたの。」



 オレの足に小さいガキどもがしがみついてきた。



 売れ残りのオレだけが幸せになることが嫌だった。



『火のような赤い髪、見たことがないわ。』

『不吉な色。』




 オレはオレ以外、同じ髪の人間を見たことがなかった。



 緋色の髪と、緋色の瞳。



 それだけで疎まれ、オレは誰にも引き取られる事なく、家で暮らしていた。



 肉なんて、ペラペラの切り落とししか食べた事のないオレはある日、森でウサギを捕まえた。



 ガキどもは喜んでくれた。




 オレはそれが嬉しくて、雪が降っているというのに、狩りに出て、迷子になってしまったと言うわけだ。





 アイツらに肉食わせてやりたかったな…。



 そんな気持ちと



 今、オレが死んだら、一人分の食料が浮くな…。



 何もかも諦めた惨めな気持ちと




 もっとピアノが弾きたい。



 

 人は最後に何を思うのだろう。こんな事なら、『父』の説法を真面目に聞いておけばよかったと後悔しながら、オレは白の世界に溶け込んでいった。






「あっつ、あっつい。」


 身体が燃えるような熱さで目が覚めた。



「子犬が目を覚ましたな。」


 見たことのない白髪のジジイがオレの事を助けて、暖炉の前に転がしていたらしい。




 やっぱり、オレはついていない。



 あのまま雪に溶け込んでいた方が幸せだったのに、気がついたらいつもの痩せっぽちのオレの身体だった。




「なんで…。」




「助けなかった方がよかったか。マクスウェルのせがれ。」




 オレは耳を疑った。



「マクスウェルが気にしていた倅を見て見たいと思っていたが、こんな雪山で見つけるとは。お前はついているな、その緋色の髪に感謝するんだな。」



 なぜこのジジイが『父』の事、オレの事を知っていたのか、後で分かった。




 ジジイは普通のジジイではなかった。



 ジジイはシュテルンの最高位の教皇というとんでもないジジイだった。




 やっぱりオレはついていない。




 

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