星降るひなまつり【KAC2025】
凍龍(とうりゅう)
明日はたのしいひなまつり
「
「もうすぐ満開になるね」
彼女は囁くように言いながら、手のひらに乗せた小さな虫型メンテナンスドローンに指示を与えた。地球から持ち込まれたこの桃の木は、宇宙船「桃花」の中でも特別な存在だった。毎年三月三日のひな祭りに合わせて咲くように調整されているのだ。言うまでもなく、船の名前「桃花」も、この美しい花に由来している。
西暦二千百八十七年、全長三キロメートルの大規模コロニー船「桃花」は、地球と火星の間を定期運行する巨大な移動型居住区として、両惑星間の重要な交易インフラを担っていた。
その名は桃花の船内中央エントランスで大切に育てられているシンボルツリーの桃の花に由来し、平和と繁栄の象徴とされていた。一万人近い乗員とその家族たちは、このコロニー船を故郷として暮らしている。地球、火星に次ぐ人類の第三の
今年で十五歳になる雪乃は、桃花で生まれ育った四代目の船員だ。彼女の役目は生態系維持区画で様々な地球の植物の世話をすること。特に日本から持ち込まれた植物の管理は、彼女の一族に代々託されてきた。
「雪乃、もう時間よ」
通信パッドから流れる母の声に、彼女は慌てて最後の確認を終えた。
「分かってる。すぐ行くから」
雪乃は軽やかな足取りで自分の居住区へと向かった。桃花の廊下は緩やかにカーブし、人工重力によって「下」が感じられるように設計されていた。時々窓からは漆黒の宇宙と、遠くにきらめく星々が見える。地球は既に小さな青い点になっていて、火星が次第に大きく迫りつつあった。
「ただいま」
居住区に戻ると、母の朋美が小さなひな壇を設置していた。それは本物の木と布で作られた、地球の日本から持ち込まれた古いものだ。スペースの限られた船内のため、本来の七段飾りではなく、簡素な三段のひな壇に、小さなお内裏様とおひな様が静かに鎮座していた。
「おばあちゃんの形見だもんね」
雪乃は言いながら、大切そうにひな人形に触れた。
「そうよ。でもあなたのひいおばあちゃんからの贈り物でもあるわ」
朋美は懐かしむようにひな人形を見つめた。雪乃の曾祖母・柚子は、かつて地球で最先端のAI研究者だった。しかし火星との紛争が激化する中、彼女は家族と共に桃花の前身であるコロニーに移り住み、その後は二度と地球には戻らなかった。
「ねえ、お母さん。どうして明日のひな祭りイベントはどうして本物のひな人形を飾らないの? 本船の中央区画ならそのくらいのスペースはあるよね」
朋美は少し考えてから答えた。
「そうね。でも、本物のひな人形を作れる職人さんはとうに途絶えているし、もう何十年も前から桃花の伝統になってるのよ。大きなホログラフィックひな壇は地球からも、火星からも見えるから、地球と火星の交流の象徴になっているの。それぞれの文化を尊重しながら、新しい伝統を作っていくことも大切よ」
雪乃は黙って頷いた。確かに明日のひな祭りは桃花にとって年間最大のイベントだ。船体外壁に設置された3Dホロプロジェクターから宇宙空間に投影される超巨大なひな壇は、色とりどりの光となって星々の間で踊るように漂う。その幻想的な光景を一目見ようと、多くの旅行者が桃花を訪れるほどだった。
「でも、こっちが本物のひな人形なんだもんね」
雪乃は目の前の小さな人形に目を向けながら尋ねる。
「ねえ、この人形にはひいおばあちゃんが祈りを込めたって本当?」
朋美は微笑んだ。
「柚子おばあちゃんはかなり不思議な人だったからね。最先端AIの研究者だったけど、日本の古い伝統もとても大切にしていた。このひな人形はおばあちゃんが本当に大切にしていたから、何か特別な思いが込められていても驚かないわ」
雪乃はおひな様を手に取り、じっと見つめた。滑らかなハイセラミックでできた小さな顔は、何百年もの時を経ているはずなのに、驚くほど美しく保たれていた。
「明日が楽しみ」
彼女はそうつぶやきながら、ひな人形を元の位置に戻した。
◆◆
翌日、桃花の船内はひな祭りの前夜祭で大賑わいだった。中央ホールでは地球と火星の流行を融合させた特別なメニューが振る舞われ、子どもたちは両星の最新モードを取り入れた色とりどりの衣装を身にまとい、妖精のように飛び回っている。
雪乃は生態系維持区画で最後の点検を終え、急いで自分の居住区に戻った。今夜のひな祭りイベントの前に、家族だけの小さなお祝いをするつもりだった。
しかし、居住区の入り口で彼女を迎えたのは緊急アラートの赤いランプだった。
『全乗員にお知らせします。小惑星帯通過中に予期せぬ隕石群を検知しました。本船は船体防護システムを起動し、障害物迎撃モードに移行します。非オペレーターは至急安全区画への避難を開始してください』
船内アナウンスが流れる中、雪乃は慌てて居住区に飛び込んだ。母と父はすでに避難の準備を始めていた。
「雪乃!急いで!」
父の剛が叫んだ。
その時、桃花全体が大きく揺れた。隕石の一部が防御シールドを突破したのだ。雪乃は体勢を崩し、床に倒れ込んだ。同時に一層激しい警報音が鳴り響いた。
『船内第三居住区に急激な減圧が発生しました。住民は至急シェルターに避難してください!』
自動音声が激しく鳴り響く。
「ひな人形!」
雪乃は叫びながら、急速に減圧する部屋の中でひな壇に手を伸ばした。しかし次の衝撃で彼女は倒れ、目の前でひな人形が宙に浮かび、壁に生じた亀裂からどこかへ吸い出されていくのを見た。
「ダメ!危険よ!」
朋美が雪乃の腕を掴み、彼女を安全区画へと引っ張った。その直後、緊急シャッターが閉まり、第三居住区は密閉された。
シェルターでご近所さんが無事を確認し合う中、雪乃の心は失われたひな人形のことで一杯だった。それは単なる人形ではなく、彼女の家族の歴史そのものだったから。
「戻らなきゃ」
混乱が少し収まった頃、雪乃は決意を固めていた。
「何を言ってるの?」
朋美は驚いて娘を見た。
「ひな人形を取り戻すの。あれはひいおばあちゃんからの大切な形見だよ」
「でも宇宙空間に吸い出されたのよ? もう見つからないわ」
「見つけられる」
雪乃は静かに反論した。なぜか不思議な確信があった。あのひな人形は見かけによらず持ち重りがした。多分、ただの人形じゃない。地球と火星を向こうに回して数々の伝説を打ち立てたというひいばあちゃんなら、こんな状況を予想しないはずがない、と。
「何かが教えてくれるの」
彼女は両親の制止を振り切り、混乱の続く船内をエマージェンシーシステムの保管区画に向かった。若さと小柄な体格を活かして巧みに人混みをすり抜け、ついに修理用ポッドの格納庫にたどり着いた。
船内の混乱にまぎれて格納庫を監視する人もなく、緊急事態で自動化されたシステムは彼女の船員IDをただ機械的に認証した。雪乃は小型の修理用ポッドを起動し、特殊宇宙服を着込んだ。
「雪乃!何をしてる!」
通信機から父の怒鳴り声が聞こえたが、彼女はもう決意していた。
「すぐ戻るから。約束する」
そう言って彼女はポッドを発進させた。
宇宙空間に出た瞬間、雪乃は息を呑んだ。漆黒の闇と無数の星、そして遠くに浮かぶ赤い火星。その美しさに一瞬見とれたが、すぐに我に返ってひな人形を探し始めた。
「でも……こんな広い宇宙で、どうやって探せばいいのか……」
当初の根拠のない確信が薄れ、不安がちらりと頭をよぎったころ、ポッドのセンサーが微弱な反応を検知した。
「これは……トランスポンダ
雪乃はポッドの計器を確認した。確かに何かが電波を発していた。それは彼女の一族に伝わる固有IDを発していた。彼女はそのビーコンを追跡してポッドを進めた。
信号源に近づくと、不思議なことに淡く点滅するピンク色の光が見えてきた。それは宇宙空間を漂いながら、まるで雪乃を導くかのようにチラチラと瞬いていた。
「まるで風に舞う桃の花びらみたい……」
彼女は思わずつぶやいた。光の源に近づくと、そこには予想通りひな人形の姿があった。お内裏様とおひな様は繋がれてもいないのに不思議に間隔を保ったまま、宇宙空間で静かに漂っている。そして信じられないことに、二つの人形から淡いピンク色のレーザー
「どうして……?」
雪乃が不思議に思っていると、二本のレーサー光はついと方向を変え、さらに遠くを示した。彼女はポッドを操作して慎重にひな人形を回収したが、レーザー光は消えず、宇宙空間のある一点で交差するように放たれ続ける。
「あそこに行くの?」
もちろんひな人形は答えない。でも雪乃には、そう問いかけた時に人形がかすかに微笑んだような気がした。
◆◆
光が導く先には、古びた人工衛星のような残骸が漂っていた。その中央部には、鈍い銀色に輝くカプセルが覗いていた。球形の金属シールドから数本の太いケーブルが伸びており、表面には「HINA-3」という文字が見える。それは明らかに地球製の古い衛星の中枢を守るコアモジュールだった。
「HINA……ひな?」
その瞬間、雪乃の記憶の中で何かが繋がった。
AIを駆使して両星政府を翻弄したというひいおばあちゃんの伝説……AIの研究……そして、いまだ詳しく語られることのない火星との紛争の歴史。
雪乃は慎重にポッドを衛星に接近させた。ひな人形から放たれるレーザー光は、衛星に向かってさらに強く輝いている。彼女は迷わずポッドのドッキングシステムを起動し、コアモジュールに接続した。
宇宙服を着たまま、雪乃はコアモジュールの内部へと入る。機能を失った古い機械と配線がびっしりと詰め込まれたコアモジュールの内部には、驚くほど現代的なインターフェースコンソールが一つだけあった。
「これは……ひいおばあちゃんが?」
彼女が回収したひな人形を持ったままコンソールに近づくと、突然、部屋全体が明るく輝き、眼前にホログラムが現れた。
それは若い女性の姿だった。和服を着て、髪を美しく結い上げている。まるで生きたおひな様のような佇まいだ。
『初めまして、マスター柚子の後継者』
ホログラムの女性が涼やかな声で雪乃に呼びかけた。
『私のコールサインはHINA-3、略して『ひな』と呼ばれているAIです』
雪乃は驚きのあまり言葉を失った。
「どうして……ひいばあちゃんの名前?」
『あなたの曾祖母・柚子が私をプログラムして、こう言ってくれました。『いつか、ひな人形を携えた私の子孫があなたを見つけてくれるはずよ』と』
ホログラムの女性—ひな—はにっこりと微笑んだ。
『私が作られたそもそもの目的は火星気象の超高度予測と、気象を人為的に操作する気象兵器の制御でした』
「え!?」
思いがけない告白に雪乃は言葉を失った。
『しかし、両星から集められた大量のデータを飲み込んだ私は、すぐに両惑星間の軋轢が危険水域にあることを察知することとなりました。以来、柚子と共に平和的共存の道を模索していましたが、戦争を望む勢力によって柚子と隔てられ、私の姿勢制御システムは破壊され、地球と火星の緊張が最高潮に達した時点で軌道を外されました。小惑星帯の中で迷子になってしまったのです』
ひなは悲しげに続けた。
『柚子はもともと私の開発チームの一員でした。彼女は私が単なる兵器になることを望まず、平和のための働きを密かに支援してくれました。特別な回路を組みこんだそのひな人形は、私と彼女との友好の印。彼女は私がクラッキングされる可能性を予測して、常に私の位置を示し、有事にそなえバックアップと再起動キーを組み込んだ特別な人形を作ってくれたのです』
雪乃は静かに聞き入った。
歴史の教科書にもわずかしか触れられていない話だった。
地球と火星の間には過去「惑星間紛争」と呼ばれる冷戦状態があり、一時は小規模な武力衝突にまで発展したと聞く。資源配分と自治権を巡る対立が高まる中、両惑星は互いに高度な監視衛星を配備し、相手の動向を探り、相手の胸元に致命的な武器を突きつけていた。
その中で、地球側の強力な
「ひいおばあちゃんは、いつかこの話を聞かせたかったんだね……」
雪乃はつぶやいた。
ひいばあちゃんの柚子はひなと引き離された後、惑星間コロニー桃花開発のチーフエンジニアに就き、両星をつなぐ平和的交易と相互繁栄の道筋を切り開いた伝説級の人物だ。
『その通りです。彼女は、桃花という船が、まさに私達が望んでいた地球と火星の協力の象徴になると信じていました』
ひなは答えた。
「でも、どうしてあなたはずっとひとりで……?」
「私のシステムはダメージを受けており、パッシブモードに入るしかありませんでした。定期的に目覚めて柚子の状況は確認していましたが、通信システムに割くほどの大電力は得られず、こちらから呼びかけることはできませんでした。そして最終的に、システム維持のため、そのひな人形の信号だけを待ち続けるスタンバイスリープに移行したのです」
雪乃は、宇宙の孤独の中で何十年も過ごしてきたAIに深い同情を覚えた。
「桃花に戻りましょう。みんなにあなたのことを知ってもらいたい」
彼女はそう提案した。
「本当に……私を受け入れてくれるでしょうか?」
ひなは不安そうに尋ねた。
ひなは両星の金融、経済、流通を司るAIたちを次々とハッキングし、困り果てた両星政府が停戦を受け入れざるを得なくなるきっかけを作ったほどの要注意AIでもある。
「もちろん!あなたは平和のために戦った英雄だよ。今の桃花は、あなたが望んだ通りの場所になっている。地球と火星の人々が共に暮らし、協力し合っているんだ」
雪乃の言葉にひなのホログラムは明るく輝いた。
「では、お供します。私のコアシステムをあなたのひな人形に転送します」
◆◆
桃花に戻った雪乃を待っていたのは、心配と怒りが入り混じった両親の顔だった。しかし、彼女が持ち帰ったものの重要性が明らかになり、その表情は驚きと畏敬に変わっていった。
「ひな……私の祖母が開発に関わったAIだったなんて……」
朋美は震える手でひな人形を抱きしめた。
船長を含む桃花の上層部は緊急会議を開き、失われたAIの発見について話し合った。
「これは単なる偶然ではない」
と年老いた船長は言った。
「雪乃さんの曾祖母は、いつか私たちがひなを見つけることを確信していたんだ。そして今日、奇しくもひな祭りの日に、それが実現した」
雪乃の勇気ある行動は称えられ、ひなは桃花のシステムに収容され統合された。古いAIは現代の技術と融合し、すぐに驚くべき能力を発揮し始める。
その日の夜、予定通りひな祭りの光のショーが行われた。しかし今回の演出は特別だった。船体外壁のホロプロジェクターからは、ひなが創り出す美しい光のひな壇が宇宙空間に投影された。七段飾りのひな人形たちは、ひな壇を離れ、まるで生きているかのように宇宙空間で舞い、桃花の周りを星々の間で踊るように漂った。
「見て!」
人々は歓声を上げた。
光のひな人形たちは、地球と火星の流行りを巧みに取り入れた舞を舞い、宇宙空間で輝きを放った。それは単なる伝統の再現ではなく、平和と希望の象徴となった。
雪乃は船倉から外を眺めながら、静かに微笑んだ。手の中には修復されたひな人形があった。
「ありがとう、ひいおばあちゃん」
彼女はつぶやいた。
「あなたの思いは、ちゃんと届いたよ」
宇宙の深淵に沈んでいた「ひな」と、彼女の祈りが込められたひな人形が奇跡的に出会うことで、過去と未来、地球と火星、そして人間とAIをつなぐ新たな物語が紡がれ始めたのだった。
桃花の航行はこれからも続く。地球と火星の間を行き来しながら、人類の新しい伝統を創りだし、守り続けていく。そして毎年、ひな祭りの日には、星々の間でひな人形の光が踊り、宇宙に希望の光を灯すのだ。
(了)
星降るひなまつり【KAC2025】 凍龍(とうりゅう) @freezing-dragon
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