東雲遥香は想像力が豊かすぎる
山野エル
東雲遥香は想像力が豊かすぎる
初めに言っておくが、
だから、雨の日には外出できない口実ができて窓際に立って景色を眺めることができるみたいだ。
雨なのにうちに来る気力だけはあるのか?
長い髪をアップにしてまとめ、オーバーサイズのパーカーの下にショートパンツを履いているせいでパーカー一丁に見える。
「窓が汚損している」
「外見てたんじゃないの?」
一人暮らしの大学生である僕の部屋に彼女がやってくるようになってからずいぶん経つ。彼女は高校に通う僕の
遥香は窓掃除をするわけでもなく、じっと外を見つめている。このマンションの裏手には小さな公園しかないはずだ。
「あれを見ろ、ワトソンくん」
「僕はいつからお前の助手になったんだ」
遥香の隣に立つと、彼女の頭は僕の肩までしかない。
「あれを見ろ──!!」
窓ガラスに顔を近づけすぎた遥香がおでこを盛大にぶつける。心配ない、よくあることだ。
「大丈夫か?」
「フ、フン! 天啓に等しい私の推理を神が嫉妬しているのだ」
「……ああそう」
いつからかおかしな口調になった彼女のことは優しく見守ることにしている。若気の至りというやつに違いないからだ。
「推理って?」
「あそこに何が見える?」
眼下で雨に打たれる小さな公園……その入口、車止めの銀色のポールの上に明るい黄緑色の何かがちょこんと乗っている。
「河童のおもちゃだ」
「え……、よく見えるね」
「私は夜目が効くのだ」
「日中なんだけど」
遥香は難しい言葉なんかを使いたがるが、たいていは間違って覚えている。背伸びをしたいのかもしれない。
「あれは、ダイイングメッセージだ」
東雲遥香は探偵に憧れている。しかも、堅苦しい訳文の昔懐かしい海外翻訳ものの作品にほだされて。
「誰も死んでないように見えるけど」
「ダイイングメッセージが事件現場にあるとは限らないだろう。初歩的なことだ」
そう言って指輪をはめた人差し指を左右に振って胸を張る。何を言っているのか意味が分からない。
「それで、どんな意味が込められてるんだ?」
遥香は冷たい窓ガラスに温かい息を吹きかけて曇らせると、細い指先で文字を書き始めた。
「人の家の窓を勝手に黒板にしないでくれ」
「黒板ではない。結露板だ」
「いや、そういうことじゃなくて……」
窓ガラスに『rein』と書かれている。
「これは?」
「レイン──つまり、雨だ」
「雨は『rain』だけど」
遥香が慌てて手のひらで“板書”を掻き消して、新しく「rain」と書きつける。耳まで真っ赤になっている。
「遥香はね──、あっ、私はだな、君を試したのだよ」
昔は「遥香は~、遥香は~」と言ってよくおしゃべりしていたものだ。時の流れは残酷である。ここは試されたことにしておこう。
「英語勉強しといてよかったよ。で、なんで『rain』? 雨が降ってるから?」
遥香が目を丸くして僕の眼前に人差し指を突きつける。指先に窓ガラスの汚れがついている。後で掃除しよう。
「ご明察だよ、ワトソンくん。この環境がダイイングメッセージには内包されていたのだよ。さらに……」
遥香はまた窓ガラスに指を這わせる。今度は「rain」の右側に「hits」の文字が現れた。よかった、今度は文法はちゃんとしている。
別に遥香も頭が悪いわけじゃない。さっきのは、ただ天然が出ただけ……。あまりにも日常茶飯事なのだが、彼女はかっちりとした自分の理想像を持っているようで、何かやらかすといつも恥ずかしそうにする。
「『rain hits』……雨が何かを打っているってことか」
「うむ、その“何か”が最後の鍵なのだよ」
そう言って、遥香は窓の外に見える河童のおもちゃをビシッと指さした。
大きな音を立てて人差し指が窓ガラスに直撃。遥香が苦悶の声を漏らしてうずくまる。ガラスが認識できない犬みたいだ……。
「何やってんだよ……」
「な、な……、なんでもないもん……!」
指先をもう片方の手で握り込んで立ち上がる遥香は、顎で河童を指し示す。
「あれはなんだ?」
「河童だね」
「河童とはなんだ?」
「……哲学の話?」
「そうじゃなくって──! ゴ、ゴホン……、そうではない。私の問いの真意は、河童などを総称したものは何かということだ」
よく分からず首を傾げていると、遥香が窓ガラスにさっきとは反対の指で『UMA』と書き加えた。
「ウーマだ」
「
「え、そうやって読む……──だよ。そう、
「『rain hits UMA』──雨がUMAを打つ……?」
遥香が得意げな顔をする。
こういう時の彼女には要注意だ。とんでもない推理を披露する合図と言ってもいい。以前、隣室の話し声から突拍子もない事件を嗅ぎつけた彼女に僕はえらく振り回されたのだ。
「アナグラムだよ」
遥香は文章の下に並べ替えた文字を書き連ねた。
『hinamatsuri』──ひなまつりだ。
「つまり、あれは『ひなまつり』というメッセージなのだよ」
「ええと、だからなに?」
遥香は眉間に皺を寄せて僕に詰め寄ってきた。
「ひなまつりだぞ! きっと犯人はひなまつりに乗じて……つまり、今日、なんらかの姦計を巡らせて──」
「ダイイングメッセージの話はどこに行ったんだよ?」
「う、うるさいな! 遥香が──、私が真相に到達したのだ! 称賛しろ!」
なんという暴論。だが、僕には真実が初めから分かっていた。そしてなぜ遥香が思い違いをしているのかも……。
「そうか、お前は背が低いから角度的に見えなかったのか」
「え?」
公園の入口に注目するように促す。
すぐに傘を差した二人組の女子がスマホを片手に河童のおもちゃに近づいて手に取ると、満足そうに笑いながら立ち去って行った。
「河童のおもちゃを置いて遠めから写真撮ってたんだよ、あの二人組」
遥香を見ると、顔を赤くしてワナワナと震えている。
「アンフェアだ! 万死に値するぞ!」
ひとしきり暴れ回った遥香の腹からグルグルと音が聞こえる。遥香が物欲しそうに上目遣いで見つめてきた。
「おなかすいた」
「昼御飯にするか」
「事件解決後の脳に栄養を行き渡らせねば」
遥香が勝手に僕のスマホで出前アプリを立ち上げる。こいつはこう見えて大飯食らいなのだ。慌ててスマホを奪い返す。
「なにも起こってないし、なにも解決してないでしょ。冷蔵庫にあるもので済ますから」
遥香が地団太を踏んでいる。
「アンフェアな奴め! 血祭りにあげてやる!」
東雲遥香は想像力が豊かすぎる 山野エル @shunt13
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