第2話 お雛さまとお供えもの
「単刀直入に聞くけど、大学でなんかあった?」
「……は?」
修は手袋とマフラーを外し、ネイビーブルーのカーディガンの上に着ていたダウンのジャケットを脱ぎながら、
「大学じゃなかったら進路? いや、どっちだっていいんだけど、うちに来たいなんて、もう大学とか進路で何かあったから相談しに来たしか思えないんだけど……」
すると修はすぐにいつもの顔に戻って、姉の考えたことを予想し冷静な判断をする。
「ああ、そういうこと。姉ちゃんの言いたいことは分からないでもない。確かに急な連絡だったし、俺からアパートに行きたいって言ったことなんてないもんね」
「うん」
「でも、何もないよ。大学だって単位を一度だって落としたこともないしね。進路は、まあまだだけど考えていないわけでもないし。すべてが順調。……と、少なくとも俺は思っています」
修はそう言って、頭を軽く下げる。「心配してくれてありがとう」という意味なのかもしれない。
「あ、そうなのね……」
「はい」
「じゃあ、何でうちに来たいって言ったのさ」
尋ねると、彼は傍に置いていた白い箱の持ち手を掴んで持ち上げ、そっとテーブルの上に載せた。どうみてもケーキなどのお菓子が入っているような箱である。
「明日、ひなまつりだから。十三年前のお
私は意味が分からず、「……へ?」と呟いた。
「うちって、毎年ひなまつりのときにばあちゃんが買った本物の雛人形を飾って、お供えものとして母さんがケーキを買っていたでしょ? だけど俺が小学一年生のときに事件が起きて、大変なことになったじゃない」
ひなまつり?
ケーキ?
事件?
私は腕組みをし、記憶を
唯一あったとすれば、クラスの男子が童謡の『うれしいひなまつり』の歌詞を「明かりをつけましょ爆弾に、お花をあげましょ菊の花」と酷い替え歌にして歌っていたのを遠目に見て、「うちのクラスの男子って本当に馬鹿だな」と思っていたことくらいである。
またひなまつりのときにお供えものはしていたが、雛人形にお供えしていたのはケーキではなく、確か生クリームたっぷりのロールケーキではなかったか、と首を
「……そうだったっけ? というか、ケーキ? ロールケーキじゃなくて?」
「ロールケーキになったのは、ケーキをお供えしていたときに、さっき言った事件があったからだよ」
今度は反対側に首を捻る。
「そうだっけ……?」
姉の反応の悪さに修は呆れているようだが、それでも話を続けてくれた。
「とにかく、そうなんだよ。——一つ確認したいんだけど、雛人形の隣に
尋ねられ、私は雛人形が飾られていたときのことを思い出す。
我が家の雛人形は、
その雛人形は全部飾ると大きいため、仏壇と並ぶと八畳の畳部屋の半分を占めていた。
「うん。分かる」
「仏壇にもお菓子がお供えしてあっただろ」
仏壇と雛人形と何が関係するんだろうと思いながら、私は「うん」とうなずいた。
「そのお菓子はさ、仏さまに『いただきます』ってちゃんと挨拶したら、食べていいって言われていたよね」
「……そう、だったかもね」
歯切れの悪い返答に、修は少し
「覚えていないの?」
尋ねられ、私は腕組みをして考える。確かにそのようなルールみたいなものもあったかもしれないが、特に気にしていなかったので覚えていないのだ。
だが、修が覚えているのだから、きっとあったのだろう。
「うーん、あんまり?」
私が困ったように笑うと、修は呆れたようにため息をついた。
「まあ、いいんだけどさ」
「ごめん」
「別に謝ることじゃないよ。でもその習慣があったから、俺は雛人形のお供え物も同じだと思っていて。『いただきます』って言えば、お供えしてあるものは食べていいって考えていたんだよね。だから、お供えしてあったケーキを食べちゃったんだ」
そのときになって、ようやく
十三年前というと、私が小学六年生のときである。
我が家では毎年ひなまつりの日に近づくと、母がお雛さまにお供えするためにケーキを買っていた。いつもは、母が家族それぞれの好きなケーキを買ってくるのだが、この年だけ少し違っていたのである。
ひなまつりの一週間ほど前。
買い物に行った母が、いつも行くケーキ屋さんから小さなパンフレットを貰って来ていて、そこに「ひなまつり限定ケーキ」というのが載っていたのである。春に咲く桜をイメージして、薄い緑色のスポンジと淡いピンクのスポンジが重なった、色合いのきれいな苺のケーキで、私はそれが食べたいと駄々を
少し値段が高かったのだろう。母は
しかし部屋に入ると驚くような光景が目に入ったのである。修がケーキの箱を開け、口の周りをクリームまみれにしながら、私が頼んだケーキを食べてしまっていたのだ。
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