キミからの私信を勘違いしそうなボク

そこらへんのおじさん

初めてにして始まり

彼女を初めて見たのは、本当に偶然だった。


高校3年1学期期末テストを終えたボクは、池袋駅で降りて夏に向けた洋服を今さら見に来ていた。


自動改札から吐き出される人の波に逆らうこともできずにされるがまま。


何とか自分の行きたい方向を確保しながら、歩いていた。



「あついなぁ…」



自己主張が強すぎる太陽がアスファルトを焼く真夏な日差しに、ボクはさっそく音を上げる。


怒涛のような人の流れから少し外れてから、道端に立つ自動販売機でペットボトルのお茶を買う。


ぴ…がちゃん


落ちてきたペットボトルを自動販売機に手を突っ込んで拾い立ち上がる。地面からの照り返しに辟易したそのとき、ふと視界の端で『白色』がひっかかった。


その白色の方に、目を向けるとそれは1人の少女の形をしていた。


年の頃はボクと変わらないくらいだろう。


白いワンピースに、白い靴、頭には大きな白いリボンをつけた女の子だった。


彼女は道の隅で歌を歌っていた。しかし流れに乗る多くの人は見向きもしない。


ボクはそんな彼女のことが妙に気になった。


まるで街灯につられる虫のように、ボクの足は無意識に彼女の方へ向かっている。


大きくて黒い目、すーっと通った鼻筋、桜色の可愛らしい唇が、小さな卵型の輪郭に収まっていた。



「〜〜〜♪♪♪」



彼女から生み出されるアップテンポで明るい歌声が不思議とボクの心を沸き立てる。


アップテンポな曲はバラードへ。


バラードから再び、明るい曲。


最後は片想いを歌う切ないラブソング。


気づけば道端で行われた彼女のコンサートを最後まで聞いていた。


拍手をしたボクは、それが自分1人だったことに妙な気恥ずかしさを覚える。


しかし彼女のライブでテンションがおかしくなっていたのだろう。ボクはそれにも怯まず、気づけば声を掛けていた。



「素敵な歌でした」

「あ、ありがとうございます!」



お礼を言いながら頭を下げる彼女の白い肌を、光るような汗が伝った。


艶めかしさすら感じたボクは、思わずそれを誤魔化すように、手に持つペットボトルを差し出す。



「これ…さっきそこで買って、ま、まだ開けてないから飲んでください…暑いでしょうから」

「え?あの…」

「あ、えーと…」



彼女の困惑した顔を見て、我に返った。


ボクは一体、何をやっているんだ。知らないやつから突然、ペットボトルを渡されても困るだけだろうに…。


焦ったボクは、彼女が側に置いていた裏返しの帽子に、服を買う予算だった1万円札を突っ込むと、その場から走って逃げ出した。



「あのっ…」



ボクの背に彼女からの声がかかる。その声に足を止めるが…恥ずかしさで振り返ることはできない。



「ありがとうございます!ここで毎日ライブやってるのでまた、来てください!10回聴いてもらってもまだ足りないのでっ!」



※※※※※※※※※※



恥ずかしさを押して、翌日も彼女のストリートライブに足を運んだ。


彼女は、ボクを見ても特に何も言及せずに昨日と同じように歌を歌ってくれた。


美しい歌声に惚れたボクは翌日、また翌日と足を運ぶことにした。


ほかのファンは居ない。



「こんなに素敵な歌声なのに…」



彼女の良さが広まらないもどかしさと同時に、2人だけの時間が続くことに心地よさを感じる日々が1週間ほど過ぎた。


今日もと思っていつもの場所にいく。しかし、いつもいるはずの彼女の姿が見えない。


心配になってあたりを見回すと…少し離れたところに彼女の姿があった。


今日の彼女は様子が違う。


いつもの明るい笑顔ではなく、道の端でガードレールに腰を掛けて…涙を流している。


果たして、声をかけていいものかどうか5分ほど悩んだ挙げ句、勇気を振り絞ることにした。



「あの…!」

「あ…いつもの人…」

「ええと、そのっ…大丈夫ですか?」

「すみません…今日はもう…ライブは…その…」



ライブが出来ないことを謝罪しようする彼女に、ボクは思い切ってハンカチを差し出した。



「良かったら、使ってください」

「ありがとうございます…」

「じゃ、じゃあ…ボクはこれで…」

「あの…」



ボクの背に彼女が声をかけるのは2回目。


でもその声は、あのときに聞いた元気な明るい声よではなくひどく弱々しいものだった。



「話、聞いてもらっていいですか?」

「ええと…大丈夫ですよ」

「良かった」



ボクは彼女の横にそっと腰かけると、ふわり、と石鹸のような香りがしてきた。


ボクは余計なことを考える頭を呪って首を振る。今は彼女の話を真剣に聞かなくては行けないのに…。


彼女はボクの1つ上の19歳。地元で就職させようとする親と喧嘩してアイドル目指して上京をしてきたとか。


今はアルバイトをしながら、ストリートでライブをやる日々らしい。



「なかなか歌を聴いてもらえなくて、ファンも増えなくて…悩んでいたんです。オーディションとか応募しても上手くいかないし」

「そう…なんだ…」



ボクは言い淀んだ。まさか2人の時間を心地よく感じていたなんて…。ファンが増えないことを悩んでいた彼女に対して恥ずかしくなった。



「いつも聞きに来てくれてますよね?どうして来てくれるんですか?」

「えと…だって好きですから…」

「えっ…!?」



顔を赤くする彼女を見て、自分の言葉の足りなさを自覚した。まるで告白のような言葉を使ったことにボクも顔が熱くなってくる。



「あっ、いやっ、そのっ、キ、キミの歌声が好きなんですよ。いつもさ、キミが楽しそうに歌う姿が本当にいいなぁと思って…」

「そっ、そうなんですねっ」

「だから諦めないでなんて気軽には言えないですけど…でも、ボクの気持ちだけの話をすれば続けて欲しいと思っています」



にへらと彼女が笑った。



「えへへ…ありがとうございます…また相談に乗ってもらってもいいですか?」

「あ、うん。もちろん」



その日、彼女と連絡先を交換した。


なかなか進めないと悩む彼女から請われるままに、感想や意見なども言ってみることにした。



「曲順を変えてみたらどうかな?」

「あの曲すごく盛り上がるけど、目を引くから最初でもいいかも」



ライブに通い、帰ったらメッセージでのやり取り。


ボクの意見が工夫が功を奏したのかわからない、単にタイミングの問題かもしれない。


夏の初めにボク1人しかいなかった見物客は、夏休みが終わりに近づくころには、100人近くになっていた。


ファンが増えるのは良いことだ。


そのはずなのに。


気付けば、毎日来ていた彼女からのメッセージが届かなくなっていた。届かなが増えるのに比例して、ボクの中に何か言いようのない凝りのようなものが溜まっていく。


良くない感情だ。


ボクは単なるファンだ。


彼女の歌声が好きなんだ。


夏休み最後になるライブの終わり。そんな気持ちを吹き飛ばすため、思い切ってライブの後に話しかけてみようと思った。


撤収準備をする彼女に近づいて声をかけようと踏み出した…そのときだ。



「キミィ!いいね!私はこういう者なんだけど」



ボクが話しかけるよりも少し早く、いかにも業界人っぽいおじさんが彼女に話しかけていた。


立派なスーツを着たおじさんは、名刺を彼女に渡して何やら仕事の話をしている。



「あ、えー…」



話しかけるタイミングを失ったボクは行き先のなくなった言葉を宙に捨てるしかなく…。


彼女が急速に遠くなっていく予感がした。


そして夏休みが終わる。



※※※※※※※※※※※



外の空気に寒さを感じる季節になるころ。志望していた大学からの合格をもらい、進路も決まって自分のこともようやく区切りがついていた。


あとは消化試合と化した高校からの帰り道。


今日も池袋を通過して、最寄り駅で降りる。



「2学期は推薦に論文に面接に怒涛だったよなぁ…すっかりライブにも足を運んでなかったな」



彼女は有名プロデューサーの作った曲を引っさげて華麗なデビューを果たしていた。まもなくリリースされる彼女のデビュー曲のポスターが、街中には貼られている。



「あっという間に、手の届かないところへ行っちゃったんだなぁ…」



勝手にさみしさを感じてしまうボクは、彼女をアイドルとしてではなく1人の女の子として見ていたんだなと改めて自覚する。


仕方ないさ。あんな風に近い距離で話していたら誰でも勘違いしちゃうって…。



『推しは推しであって恋人ではない。推しが売れるならば遠くなることを悲しむのではなく、多くの人に見られるようになることを喜ぶべきだ』



ネットではそういう意見がたくさん見られる。


たしかにそれはそうだ。ぐうの音も出ない正論だ。


彼女はパフォーマンスを披露していて、ボクはそれを見に行くだけ。それだけの関係。


それ以上でもそれ以下でもない。


男女のあれこれはなんかはない。あってはいけないに決まっている。


そのはずなのに…だ。



「あー…頭の中がぐちゃぐちゃだ」



頭をわしゃわしゃと掻きむしる。忙しいと自分に言い訳をしていたが、本音を言うと勝手に彼女に距離を感じてしまっていただけだ。


ファン失格だなぁ。


今はたくさんのファンもいるから、別にボクがいるとかいないとかは些細な問題だろう。


家にたどり着くとただいまとだけ言ってから、自分の部屋に戻る。カバンをベッドの上に放ると机の上に一通の封筒が置いてあるのに気がついた。


手に取ってみると差出人が書かれていない封筒。


親が置いたのだろうか?



「うーん。誰からだろう?」



ペーパーナイフで封筒を開くと、中には便箋が入っていた。便箋を開くと、ずいぶんと綺麗な文字で簡単な文章が綴られている。



『最近、キミがライブに顔を出してくれなくてさみしいです。メッセージを送ると来るように強制するみたいになるから何となく言えませんでした。でも今度、大きなホールでライブをやることが決まったから思い切ってお手紙出しました。キミが来てくれたら心強いです』



躊躇うような勢いのない文字から書かれ始めた手紙は、後半にはやや力強い筆跡に変わっている。相当に迷った揚げ句に出してきたことがよく分かる。


封筒には恐らくそのライブのものだろうチケットも入っていた。日付を見ると…



「明日か…」



明日は土曜日。高校も午前中で終わるために夕方から始まるこのライブには、制服を家に帰って着換えてからでも十分に間に合いはする。



「行くべきか…いや…」



数多いるファンのうちの1人。行っても行かなくても彼女の未来の道が変わるわけでもない。そんな奢りは持っていない。


ただ、初期を知っているボクへのファンサービスの一環だろう。少しシニカルな気持ちになってチケットを捨てようとして…。


躊躇ってから…


カバンに突っ込んだ。



※※※※※※※※※※



スポットライトに照らされる煌びやかなステージ


その上で見目麗しい彼女が踊ると観客たちは沸き、歌えば熱狂する。


まさに熱狂。


その表現が似つかわしい、美しさとは裏腹の、高密度の熱量がまるで暴風のように渦巻く。


彼女は、そんなステージの真ん中に立っていた。


それは台風の目。彼女を中心に会場は荒れ狂う。


結局、チケットに書かれた時間、会場に足を運んだボクは、今、ステージの上にいる彼女から目が離せなくなっていた。


遠いところに行ったのは間違いない。


でもそれは彼女にとって正しい選択だった。それを強く実感させるには十分過ぎる、素晴らしい出来栄えのステージだ。


荒れ狂う熱狂の中、ステージの上で歌い踊る彼女をことをジッと見つめていると、不意に彼女と目が合った。


いや、合ったような気がしただけかもそれない。


その瞬間、彼女は嬉しそうに笑みを浮かべる。



「…今のって…」



自分に向かって笑っていた?そもそも本当に目が合っていたのだろうか?


きっと自意識過剰だ。特定の誰にとかではなく、ファンサービスとして会場に向けてやったのだろう。


やはり、これから売れていくだろう彼女との距離が決定的に遠くなっていくのを理解した。


でも、それでいいのかもししれない。


こんなに素敵な形で彼女が描いた夢が叶えられるならば、距離か遠くなるのも悪くない。


変な気持ちは全て捨てて、たくさんいるファンの1人してこれかも彼女を応援していくべきだ…。


やや強引に、自分に言い聞かせるように強く思う。


それでいい…ボクはライブを楽しもう。


熱狂に身を委ねると、時間はあっという間に過ぎていった。


ライブが終わり、会場から吐き出されていくほかの客の流れに乗って外に出ると、夏の暑い空気が、熱狂が冷め、ボクは現実に引き戻される。



「終わったんだなぁ…」



人の波から外れて1人歩く。


諦めるんだ。こんな気持ち捨てるべきなんだ。


最初のファンだったボクが彼女の足かせになるになんてあってはいけない。


そう決意して顔を上げた直後…



「あのっ…」



ボクの背中に少し遠慮がちな声がかかった。


こうして声を掛けられるのは3回目なのだからこの声、間違える訳もない。


振り向くと…少し顔を赤らめた彼女が人混みに紛れるように立っていた。



「これ…読んでください…」

 


彼女はそれだけ言ってボクの手に1通の手紙を握らせると、そそくさと雑踏に消えていった。


消えていく背中に呆然としながら、数分してようやく我に返って、手紙を開く。



『今日は来てくれてありがとう。ステージからキミだけはよく見えました。私の笑顔、届きましたか?キミが応援してくれたのを見つけて私も思わず笑顔になっちゃいました。これからも応援してください。あと…また前みたいに相談に乗ってください』



これは初期からいるボクへのファンサービス。


もう一度、自分に言い聞かせた。さっきの決意が揺らがないように…。それなのに…ボクの顔はいつのまにか気持ち悪いくらいニヤけていた。


それを自覚すると、自分の頬や耳が熱を帯びてきたのを感じる。



「ああああああああッッッ!!」



思わず、声が漏れた。



「くそっ!可愛いなぁっ!もうっっッ!」



周りの人が何事かとボクをチラリと見る。


が、それも一瞬のこと。1000万もの人が集まる東京では、単なる喧騒の1つとしてすぐに人は流れていく。


ボクはモブだ。たくさんいるモブファンの1人だから、余計なことを考えてはいけない。


今、そう心に決めたばかりなのに…。



「…ボク、諦められるかな?」



早速、揺らいでしまった決意に対しての独り言を噛み締めながら、ボクは手紙をカバンに丁寧にしまって1人帰途につくことにした。

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キミからの私信を勘違いしそうなボク そこらへんのおじさん @ukimegane

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