偶像不適合者

御角

偶像不適合者

 時々、自分が何者なのかわからなくなる。


「タイガー! ファイヤー! サイバー! ファイバー!」


 ステージの上で踊る私。マイクに向かって歌う私。客席に笑顔を振りまく私。


「アーイ! アイ! ウリャオイッ、ウリャオイッ!」


 差し出された無数の手を、何度も何度も握っては離して、健気にファンの理想像を演じる私。


「ウツツちゃーん! バキューンしてー!」


 左手で作った銃口を振り下ろしながら、思う。

 私って、何なんだろう。




 ライブ終わりの楽屋は、いつもより窮屈に見えてあまり好きではない。


「ウツツさぁ、まーた表情死んでたよ。やめな、歌ってる時に考え事すんの」


 ペットボトルを手渡しながら、センターのピンク担当であるモモハは大げさにため息を吐く。


「……ごめん」

「そういうモモハちゃんだって、地味にフリ間違えてたじゃーん。センターのくせに」

「は? 元はと言えばクロムが先に位置どりミスったせいでしょ。テメェこそレッスンが足りねーんじゃねえの?」


 クロムは舌打ちしながら赤い衣装を乱暴に脱ぎ捨てて、着慣れたジャージに袖を通した。


 ひりついている。喉が渇いた。常温の水で胃を満たす。まだ渇いている。心がザワザワする。ずっと空中にいて、今も落ち続けているみたいに。


「先輩、楽屋禁煙ですよ」


 後輩のリンネが言ったその言葉で、いつの間にか自分が百円ライターを握りしめていたことに気がついた。


「……ごめん、ありがとう」


 お疲れ様と声をかけて、コートを羽織り外に出た。イヤホンのノイズキャンセリングは優秀なので、もう楽屋の中の音は何も聞こえなかった。


 タバコは、今は吸っていない。アイドルオーディションに受かったのをきっかけに辞めた。なんとなくライターを捨てられずにいるのは、ただ、思い出を捨てたくないからに過ぎない。

 ポケットから滑り落ちたそれを拾い上げ、笑ってくれた伝説の元センター、ヒナミ。一年前までは斜め前のポジションにいた、私の憧れ。


「実はね……私も時々吸ってるんだ。あ、これ二人だけの秘密、ね?」


 彼女は一年前、スキャンダルで大いに世間を騒がせて、表舞台からその姿を消した。

 ヒナミ——川原緋波、事件当時十八歳。

 彼女には、人殺しの前科があった。


 最初にアイドルの輝きを教えてくれたのは、テレビに映ったヒナミだった。そこからは、同じグループに入りたくて、隣に立ちたくて、とにかく必死に努力した。出来ることは何でもやろうと思った。彼女の笑顔に、ずっと網膜を焼かれていた。

 グループに入ってすぐ、アイドルの厳しさを教えてくれたのもまた、彼女だった。


「まず、人権を捨てること。生活の全てを、人生を、一瞬のパフォーマンスのために。ファンのために捧げること。尽くすこと。そうやって、女の子の魅力的な部分だけを集めて、抽出し続けて、純度百パーセントの神様を作り上げるの」

「神、様……ですか」

「そ。……アイドルはね、人間のままじゃダメなんだよ」


 まあ、多少の人間臭さは必要だけど。そう付け足して、ヒナミは懐からタバコを一本取り出す。


「ヒナミさん、ここ禁煙……」

「あー、いいのいいの! ウツツちゃんしか見てないから」


 ポケットを探り首を捻る彼女にライターを差し出すと、「つけて」と一言呟いた。


「……これで共犯だね?」


 白い煙が私たち二人を包む。ほんの数秒間。愉快そうに笑いながら、さっきまでアイドルだった女の子は、ただの人に戻っていた。


 一度思い返してしまうと、せきを切ったように思い出が溢れ出してくる。コンビニで割引されたおにぎりを手に取った瞬間、そのあまりの人間らしさに失笑した。


「何やってんだろ、私」


 カロリー表示をチラ見して、そっと棚に戻す。

 私はヒナミじゃない。私はきっと、一生本物のアイドルにはなれない。


「七八番、二つ。いや違っ……七、八番じゃなくて七十八!」


 ふとレジの方から揉めているような声がして、何気なく振り向いた。


「だから、七番と八番じゃなくて七十八番のやつ……あの緑と紫の、そうそれ! それ二つね」


 外国人店員と相対する、パーカー姿の女性客。


「ヒナミ、さん……?」


 帽子を深く被っていて顔は見えなかったが、声や体格、話し方、それら全てが記憶の中と合致した。

 彼女も視線に気がついて、ゆっくりとこちらに顔を向けた。


「げ」


 貰ったばかりのレジ袋が手からすり抜けて落ちた。久しぶりに会ったというのに、第一声がそれはないだろう、と思った。




「ヒナミさん……なんというか、変わりましたね。丸くなった、というか」

「そう? 元々こんな感じだったと思うけど……あ、でも確かにアイドル辞めて自堕落になっちゃったからなぁ。丸くはなったかもね、この辺とか」


 自身の頬をむにむにとつまみながら、ヒナミはおどけたような笑みを浮かべていた。


「てか、ウツツちゃんは大丈夫なの? 私と一緒にいたら撮られちゃうかもよ」

「……まだ、週刊誌とかに撮られることあるんですか?」

「たまにだけどね……ほら、あの人は今、的な感じで。これでも結構人気だったんだから」

「知ってますよ。これ以上ないってくらい」


 そっか、とヒナミは呟いて、買ったばかりのタバコの箱を開ける。


「……なんで辞めちゃったんですか、アイドル」


 箱にかけた手が止まった。一瞬目を見開いて、ヒナミは諦めたようにヘラヘラと笑う。


「ウツツちゃんも知ってるでしょー? こう見えて私、人一人ヤッちゃってんだよ?」

「正当防衛、ですよね」


 仮面のように固まった笑顔は、だんだん粘土のように崩れていって、もう愛想笑いも出来ないみたいだった。


「……違うよ」

「でも」

「判決は違う。過剰防衛で執行猶予三年。これでも情状酌量なんだから」


 誰を殺したのか、なぜ殺したのか。その詳細を私はよく知らない。くだらない記事だと思ったし、ムカついた。読みたくもなかった。ただ、マネージャーや周囲の人からそういったような話を聞いて、私はますます納得がいかなくなった。


「冷たいよね、世間は。今まで散々夢見せてあげてたのに、ちょっとボロが出るとこれだもん。本当やってらんない。バカバカしい」

「……そうですね。だから私、世間とか嫌いです」

「いいの? その中にはきっとウツツちゃんのファンもいると思うよ」

「嫌いなものは嫌いです。ミーハーも、すぐ手のひら返すやつも、アンチも、盲目信者も、偉そうなやつも、練習サボるやつも、頭固いやつも、もう全部全部いなくなっちゃえばいい。そしたら……」

「そしたら?」


 吐き出して気がついた。そっか、私、羨ましかったんだ。自分が人間であることを、心の底から受け入れられる人間が。

 認めたくなかったんだ。手の届かない存在を目指して死に物狂いで追いかけたところで、幸せになんてなれないって。


「そしたらきっと、私はあなたを諦められる。あなたはただのアイドルで、私はそのファンになれる。ただの、一般人になれる」


 肌を刺すような風が吹いた。公園のベンチは硬くて冷たくて、自分の体重を嫌でも思い知らされる。


「……一本吸う?」


 思わず口がポカンと開いた。その隙間に新品のタバコを刺して、ヒナミは勝手に火をつける。


「あ、ちょ、禁煙が」

「大丈夫大丈夫! ちゃんと灰皿持ってるから!」

「いや、そういうことではなく……」


 懐かしい匂いがした。深呼吸するみたいに、冬の冷たい空気と主流煙を吸い込んで、一瞬目がチカチカして、思いっきりむせた。


「あはは、ごめんごめん。ブランクある人が吸うにはちょっと重すぎたか」


 隣で余裕そうにふかすヒナミに負けじと、また深く吸い込んで、吐く。

 久しぶりに吐いた煙は、何者にもなれない醜い自分を覆い隠してくれているようで心地よかった。


「私がアイドル辞めたのはさ、別に世間が嫌いだったからじゃないよ」


 時折咳込む私を尻目に、ヒナミは二本目のタバコに火をつける。


「私も一緒なんだよ、ウツツちゃんと。諦めるとかなんとか、そんな高尚な存在じゃない。足掻いて、もがいて、自分の虚像にすがりついて、それでも足りなくて、体力が先になくなった。潮時だった」


 でも、と続けて、彼女はベンチから立ち上がった。


「一般人になってみてわかったんだけど、やっぱりファンがいなくなるって辛いね。……勝手に好きになって、夢見ちゃうほうがバカなんだよ。わかってる。それでも夢を見せてあげてる間、私が理想の女の子でいられた間、確かに救われてた。私の方が、救われたくてアイドルやってたんだって気づいた。バカだね、お互い」


 それならまた、アイドルとして活動すればいい。そう言ったけど、ヒナミは首を横に振る。


「やなこった。言ったでしょ、体力ゼロだって。それに今は、夢を見る側でいたいんだ」


 タバコの灰が地面に落ちた。魔法が解けて、駄々をこねられるのも、あとわずか。


「私だって、体力ないです。自信もないし、人気だって。ヒナミさんがいなくなっちゃったら……続ける理由すら、見つけられない」

「いるじゃん、私」

「でも、同じ世界にはいないでしょう」

「……たとえ同じ世界じゃなくても、私がウツツちゃんのファンってだけでもう、いいじゃん。充分な理由じゃん」


 火を消した。最後の煙を吐いた。

 ヒナミの背中は近くて遠い。手は届かないが、確かに自分のそばにいる。

 ——もうちょっと、苦しんでから人間に戻るのもいいかもしれない。


「続けてよ。私のために」


 気がつけば彼女は、横断歩道を渡って大通りの向こうへと消えていた。




「アイ! アイ! アイ! アイ!」


 軽いステップと、明るい歌声と、とびきりの笑顔。やっぱりステージの上が、一番愛されていることを実感できるような気がする。


「モモハ! リンネ! クロム! ウツツ!」


 コールに合わせてポーズを決める。今日のライブはなかなか上手く行った方じゃないだろうか。


「なーんで私がセンターなのにクロムの方が列長いんだよー。マジムカつく」

「むふ、モモハ氏ー、嫉妬ですかな?」

「ああ? 上等だよ。表ェ出なクソガキ」


 ……なんて思っていたのだが、相変わらずこの二人は仲が悪い。悪すぎる。


「バカ二人はほっときましょう先輩。それよりご飯行きません? 暇ですよね?」


 後輩は後輩で最近入ったばかりだというのに態度がでかい。多分ナメられている、と思う。


「そういえば、最後のアレ、良かったですよ」

「アレって?」

「バキューン、ってやつ」


 リンネは指鉄砲を自身の頭に押し当てて、勢いよく弾いてみせた。


「カッコよかった、です」


 つくづく思う。世の中はいつでも冷たくて、嫌いな人種はずっと消えないままで。なんて理不尽で生きにくい世界だろう。


「……ありがとう」


 同時に思う。救われるたびにひしひしと思う。

 ——ああ、ここは、なんて生きがいのある世界なんだろう。

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偶像不適合者 御角 @3kad0

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