【KAC20251 ひなまつり】おお娘よ、存在しない我が娘よ

日崎アユム(丹羽夏子)

はいはい、同じ話を百万回聞きましたよ

 葦津あしづの国に、春が来た。


 今日は春雨がやんで空はぼんやりかすみながらも確かに晴れていた。咲き誇る花々の間をめじろが飛び交う。気温もずいぶんと上昇して、女中たちの着物が少し薄く明るくなった。


 そんな中、縁側に座って大きな溜息をついている女がある。ひときわ豪奢な縫い取りのある錦の着物の女である。


 年は不惑を超えてだいぶ経ったが、それでも長い髪はまだまだ黒く、化粧で白く塗った頬は滑らかに見えて、まだ三十代前半に見えなくもない女だ。


 彼女は名を千賀ちかという。


 現在、この獅子浜ししはま城の実質的なあるじである。


 本物の獅子浜城の主であるところの夜隆よるたかは、彼女の気鬱を感じて、またか、と思っていた。


 夜隆の兄である雲隆くもたかが死んでからというもの、この母は気分の上がり下がりが激しい。もともと喜怒哀楽がはっきりしている性格で、かかあ天下で尻に敷かれていた夜隆の父である冬隆ふゆたかはおそるおそる「情緒が豊かでよろしい」と評価していたものだが、この頃はさらに些細なことで発憤はっぷんするようになってしまった。


 面倒臭い、とは思うものの、彼女をなだめすかすのは末っ子の夜隆の役目である。彼女の顔色を窺ってひそひそ話をしている女中たちのことを思うと、夜隆がご機嫌伺いをして城に平和をもたらすべきなのである。


「母上」

「はあ……」

「なにゆえ溜息をついておられますか。春ですよ。花を見にまいりましょう。くりやに団子を作らせますよ」

「そなたは相変わらずわかっておらぬなあ」

「何をですか」

「世間はもうすぐ桃の節句……」


 また、「はあ……」と溜息をつく。


「この季節になると毎年思う……。なぜ我が家にはおなごがおらぬのかと……」


 そう、夜隆はこれを毎年聞いている。


 この家の息子は、雲隆、月隆つきたか、夜隆の三兄弟であり、冬隆は娘をもうけることなく病死したのだ。


 それを、千賀は無限に嘆いているのであった。


「雛人形を飾りたかったのう……。おなごを育てて、嫁に行くか行かぬか、可愛い娘を生半可な男にはやれぬ、やれ着物を仕立て、やれかんざしを買い、ということをやりたかった……」

「はいはい。落ち着いたらどこかから養女を迎えましょうね」

「わかっておらぬな。わたくしはこの腹を痛めておなごを産みたかったのだ。それが冬隆様は我が家は男児に恵まれて将来安泰などと。男ばかり三人もいらぬの!」

「はいはい、はいはい」

「せめてそなたがおなごであったら」


 またもや、深い溜息をついた。


「そなたはおなごの予定だったのだ。名前も考えておったのに。余計なものをつけて出てきおって。せっかくわたくしに似て可愛い顔に生まれたのに、周りの娘たちにちやほやされていい気になっておるところが獣の雄と一緒じゃ」

「いい気になどなっておりません」

「はあ、おなご、おなご……。まだ月のものは上がっておらぬから、一人ぐらいなんとかならぬか……」


 夜隆は、父上が亡くなってからだいぶ経つのだからもういい加減出家しろ、という言葉を飲み込んだ。そんなことを言ったら百倍になって返ってくる。しかも当人は夜隆の嫁を狩野家の嫁として立派に育て上げると息巻いている。夜隆は嫁と姑の間に挟まれる宿命なのだ。


「まあ、そんなに気落ちしなくても」


 得意の笑顔でへらりと励ます。


「城の奥向きには母上の侍女をしている若い娘がたくさんいるのですから。あの子たちのために雛人形を買って飾ってあげましょう」


 千賀が涙を浮かべて「よろしい」と言う。


「そなたはそういう気配りがよいので、やはりおなごに生まれるべきだったのだ」

「もう同じことを百万回おっしゃっていますね」

「まあ、もうよい。そなたの言うとおり、わたくしの可愛い娘たちはたくさんおる。今年は雛人形を買おうぞ」


 獅子浜城の立派な城主になった夜隆は、その予算、どこから出るんですか? と言いたいのをぐっとこらえ、夜隆は「はいはい、発注しますね」と流した。


「あーあ、そなたがおなごであったらな……」

「とかなんとかおっしゃっていますけれど、俺がおなごだったら今頃狩野家は滅んでおります」

「あーあ。あーあーあ……」


 付き合い切れないので、夜隆はそこで切り上げて立ち上がった。



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