第6話 中間報告

 日が昇り切る前にわたしは研究所から出発した。

 依頼の締切は今日3月3日。

 わたしは急いで山を降り列車の駅へと向かった。

 昨夜は結局、徹夜だったがレポートはまとまっている。

 車内と社内で仮眠を取れば十分と、足早に山を降りる。

 途中、桃の花の香りが風に乗って鼻孔をくすぐる。

 甘い匂いはわたしから眠気を剥ぎ取り、清々しさを感じさせた。


 ***


 列車駅へとたどり着いたわたしは切符を購入したと同時に、携帯端末の電源を入れる。

 起動した端末はオンライン。

 やはり駅の中なら電波を受信できたのだ。

 それを確認したわたしは端末を操作し、一つのアドレスを呼び出す。

 時間はまだ5時を回ったところだが、気にする必要はない。

 どうせ、どこかのバーで呑んでいるか部屋で読書でもしていることは分かっているから。

 わたしは少しだけ強く通話ボタンをタップする。

 端末の中から呼び出し音が聞こえる。


 きっちり3コール目に相手がオンライン状態になる。


「はい?」


 早朝だと言うのにいつもと変わらない課長の声が応答してきた。


「わたしだけど、鳥乃研究所での調査終わったよ」


 単刀直入に敬語などもなしで伝える。

 一応業務時間外だし、このくらいは会長ばあちゃんだって許してくれるだろう。


「お疲れ様、一度部屋に戻って寝てから出社しなさい」


 労いの言葉を課長は口にする。

 無茶ぶりはするけど、決してブラック体質の権化という訳ではない。

 この様に仕事をちゃんとこなしていれば気遣ってもくれる。

 だけど……。


「そうしたいのは山々だけど、会社の仮眠室で休んだらすぐに依頼主クライアントのところに直行する」


 わたしがそう言うと、端末の向こうで息を呑む音が聞こえる。

 普段仕事を嫌がるわたしがこんなこと言ったから驚いてるな。


「……あんた、何言ってるの?」


 ……?

 想定していない反応にわたしは戸惑う。

 どういうこと??


「え、だって締切って今日でしょ?」


 困惑しつつも確認する。


「そんな訳、無いじゃない」


 しかし返ってきたのは冷静で冷ややかな回答。


 アレ?


 確か3日前に3月3日までって言われていたはず。

 なのになんでこんな反応?

 わたしはこの疑問をそのまま課長にぶつけてみる。

 すると「はぁーー」と大きなため息が返ってくる。


「3月3日って期限は鳥之研のリミットよ。大体、そこのレポートだけで依頼完了できると思っていたの?」


 課長の厳しい言葉にわたしはあわててカバンから資料を取り出し再確認してみる。


 ……ほんとーだー、3月3日は鳥之研のリミットだ、実際の期限は3月いっぱい。

 我ながら自分の慌てぶりに呆れ返る。

 依頼主クライアントへの資料引き渡し期限は今月3月いっぱい。

 もっとも、他の施設なども回らないと確認出来ないことも多いので、時間的余裕があまりないのは変わらない。


「分かったわ……、一旦家帰ってシャワーと仮眠とってから株式会社回天堂かいしゃへ行くわ……」


 わたしは精根尽き果てたような声で伝える。

 実際に何もやる気が起きない程度には疲労感に襲われていた。


「いいわよ、徹夜対応扱いにするから15時までに出社しなさい」


 課長が気を回してくれる。

 それに対してわたしは「ありがと」というのが精一杯だった。

 そのまま、ズルズルと近くにあったベンチへとへたり込んでしまう。


「しかし、本当に慌てものね、そんなことじゃ社員登用は難しいわよ?」


 そんなわたしの姿が見えているかのように言う課長。

 ……ってオイ。

 オイオイオイオイ!

 それまでの疲労感が吹っ飛んだかのように勢いよく立ち上がる。


「オレをその名前で呼ぶなって言ってあるでしょ!」


 思わず自分のことを『オレ』と言ってしまう。

 昔、まだわたしは、ばあちゃん以外に身内がいないと思っていた頃、なぜか男の子としてばあちゃんに育てられていた。

 理由は色々あったんだけど、その時の影響でわたしは自分を『オレ』と言ってしまうことがあった。

 特に今みたいな時は間違いなくオレと言ってしまうが、クセみたいなものだ。

 それより!


「なんで、あんたに呼び捨てにされなきゃならないのよ!」


 無人の駅でわたしの声が大きく響く。

 それに対して特に返答が無いのでわたしは更にまくし立てる。


「大体、生産ロットのIDではわたしの方が若い数字なのよ、なのになんであんたに呼び捨てにされないといけないのよ!」

「あら、IDが古い番号ならってことよね!」


 端末越しにクスクスと笑い声が聞こえる。

 課長が完全に誂っているのが分かる。


「肉体年齢は私より若いのに、結構残念なところあるわよね?」


 その言葉に対してわたしの怒りが爆発した。


「とりあえず返って寝た後、出社するから首洗って待ってろ!」


 誰もいない駅でわたしの声だけが響いていた。



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