エリートS系弁護士の不器用な恋愛事情

山崎つかさ@SFB小説大賞金賞書籍化決定

エリートS系弁護士の不器用な恋愛事情

(※脚本形式)



〇東京・大手町(朝)


 多くのサラリーマンが行き交う大手町のビル群の一角。

 ベージュ色の真新しいスーツを着て、ぶ厚い本を何冊も小脇に抱え、人ごみをかき分けて歩いている片桐渚(25)。

 片桐、ひとつの大きなビルの前で立ち止まる。

 仁王立ちでビルを見上げながら、


片桐「やっと着いた……。ここかあ……」


 と、ひとりつぶやき、


片桐「……よし!」


 と、両手の拳を握って気合いを入れ、カッカッとヒールを鳴らしてビルに入っていく片桐。




〇法律事務所内(朝)


 眺めの良い小奇麗なオフィス。

 灰色の絨毯に質の良い木製のオフィス家具が整然と並ぶ室内。

 事務所員二十人の前に立って入所の挨拶をする片桐。


片桐「初めまして! 本日からこちらの事務所でお世話になります、弁護士の片桐渚と申します」


 事務所の弁護士や法律事務が席を立って拍手をする。


片桐M「今日が勤務初日! 気合い入れていくぞー!」

片桐N「私の挨拶が終わると、事務所の所長が私のことを事務所員の皆に紹介してくれて――その最後に、私の兄弁になる男性の先輩弁護士を紹介してくれた。兄弁というのは男性の先輩弁護士の呼称で、女性の先輩弁護士の場合は姉弁と呼ぶ。これから私は、兄弁と一緒にひと通りの事件を担当して、経験を積ませてもらうことになる」


 朝礼が終わり、自分の兄弁を担当する時井一輝弁護士(29)の元に歩み寄る片桐。

 時井は年のころは二十代半ばで、黒髪に切れ長の黒目をした美男子。

 高身長で、細身の濃紺のスーツがよく似合っている。

 片桐、時井のイケメン具合に見惚れつつ、いそいそと頭を下げる。


片桐「時井先生、本日からよろしくお願いします。いろいろとご教授ください」

時井「こちらこそ」


 時井、口元をわずかにほほ笑ませ、ふと思いだしたように片桐を見る。


時井「片桐先生、仕事を始める前にひとつうかがっておきたいのですが」

片桐「なんでしょう?」

時井「先生は、なぜ弁護士になろうと思ったのですか?」

片桐「え……?」


 突然の質問に、目を丸くする片桐。

 時井、表情ひとつ変えずに言葉を続ける。


時井「いえ、深い意味はないのですが、片桐先生の弁護士としての理念をお聞きしておいたほうが、今後どういった方針で一緒に事件を担当していくか足並みがそろえやすいかと思いまして」

片桐「そう、ですね……」


 自分が弁護士をめざすことになったきっかけを思いだす片桐。


片桐「私、祖父が地元で弁護士をやっていまして、困っている町の人たちを法律で助ける姿を見て育ったんです。それで、私も祖父のように人の気持ちに寄り添って、人の役に立つ仕事がしたいと思って弁護士になりました」


 片桐、自分の胸に片手を当てる。


片桐「だから私は、法律で人を助け、全力で守る弁護士になりたい。正義のもとに事件の真実を暴き、法律で弱者を守れる弁護士になりたいんです!」


 熱い志を披露する片桐。

 対して時井、冷たく見えるほど冷静に目を細める。


時井「そうですか。片桐先生の理念は理解しました。けれど、弁護士に正義も真実の追及も不要です」

片桐「は……?」

時井「弁護士が守るべきものは依頼者の利益です。依頼者のために勝つこと。正義や真実など弁護士には関係のないことです」


 はっきりと言いきる時井。

 片桐、片眉を跳ね上げる。


片桐「お、お言葉ですが、それでは時井先生は、弁護士は勝つことがすべてで、正義や真実などどうでもいいとおっしゃるんですか?」

時井「どうでもいいとは言いませんが、弁護士だって人間です、正義も真実も確かなことはわかりませんよ。それよりも、弁護士は自分が受任している依頼者のために戦い、依頼者の利益のために全力を尽くして勝つべきです」

片桐「それは、私だって依頼者のために勝つべきとは思います。でも、依頼者のために、法のもとに正義と真実に基づいて権利を主張するのは弁護士の役目でしょう!」


 つい熱くなって声を荒げる片桐。

 時井、あくまで冷静に腕を組む。


時井「片桐先生、弁護士だからといってすべての物事を正当にさばけるわけじゃない。極端に言えば、弁護士は、証拠をそろえて事実を作り上げ、それを真実として相手と戦って勝つのが仕事です。そうして依頼者の利益を守る」

片桐「正義や真実など二の次で、あくまで利益の追求ということですか……?」

時井「その通りです。勝たなければ意味がない。依頼者と弁護士双方の利益のためです」

片桐「では時井先生は、勝つためなら、たとえ嘘の事実でもでっちあげるということですか?」

時井「嘘かどうかなど弁護士にはわかりません、というか関係ありません。証拠があればそれは事実、弁護士はその事実に基づいて法律で戦うだけです」

片桐「……っ」


 冷たく言い放つ時井。

 片桐、唇を噛む。


片桐M「時井先生の弁護士像は、私と全然違う……。私は、真実と正義のもとに、法律を使って公正に戦いたいのに……」

時井「片桐先生、まずはその融通の利かない正義感をやめてください。理想ばかり追いかけていては、実際に事件を担当したときに精神が持ちませんよ」

片桐「…………」


 まだ事件の経験のない片桐、時井に言い返せなくて口をつぐむ。


時井「それから――」


 ついでとばかりに、時井が付け加える。


時井「さきほど片桐先生は、『人の気持ちに寄り添って、人の役に立つ仕事がしたいと思って弁護士になった』とおっしゃいましたが、人の気持ちに寄り添う必要もありません」

片桐「え……?」

時井「いちいち依頼者の気持ちになって、自分のことのように同情していては身が持ちませんよ。もし事件に負けて依頼者に牙を向けられたときに、立ち直れませんから」

片桐「時井先生……?」


 妙に寂しげに言う時井を、うかがうように見つめる片桐。


片桐M「……時井先生、過去になにかあったのかな……?」

時井「……余計なことかもしれませんが、私は、そうやって精神的に潰れてしまった人の良い弁護士を何人も見てきました。だから、弁護士は依頼者に情を持つべきではないと思っています」

片桐「依頼者からは一歩引いて、あくまで他人事と思って仕事を担うべきとおっしゃるんですか?」

時井「そうです。第三者的な立場で事件に当たったほうが、なにがあろうとも、依頼者や相手方になにを言われようとも冷静に対処できるでしょう。弁護士はあくまで依頼者の代理人ですから」

片桐「はい……」


 すっかり意気消沈している片桐に、時井、短く息をはいて言う。


時井「ともかく片桐先生、弁護士として依頼者のために何事も完璧にやろうと肩肘を張りすぎないことです」


 手に持っていた青い事件ファイルをデスクの上に置く時井。

 片桐、それを見やる。


片桐「時井先生、これは……?」

時井「ああ、昨日成立した離婚調停のファイルです。調停で済ませましたので、裁判まではいかなかったんですよ」

片桐「そう、なんですか……。後学までにお聞きしたいんですが、どういった事案だったんですか?」


 遠慮がちに聞く片桐。

 時井、なんということもないというふうに答える。


時井「私が妻側の代理人で、相手方が夫の案件で、夫の不貞行為による離婚申立てでした。夫が子どもの親権を欲しがっていて、相応の慰謝料と婚姻費用の提示があったので、その金額を示談金として受け取る代わりに親権を夫に譲りました。妻側も親権を欲しがってはいたんですが、親権は諦めるように私が依頼人を説得しました」

片桐「え……?」


 片桐、驚いて目を見開く。


片桐「どうしてですか? 依頼人が子どもの親権を欲しがっていて、しかも夫の浮気や不倫が原因での離婚なのに、どうしてこちら側が親権を諦めないといけないんですか?」

時井「どうしてって、依頼人が結婚してから正社員での仕事の経験がなく、ずっと専業主婦だったからです。これからも就業が決まる見込みは厳しい。だから生活保護の申請を提案しました。そして、生活保護を受給しながらシングルマザーで子育てをするのは、いくら扶助があるとはいえ大変でしょう。ですから親権は、継続して一定の収入のある夫に渡しただけです。当然の判断でしょう」

片桐「当、然っ……? わ、私は賛成できません! 依頼人の希望を叶えてこその弁護士なんじゃないですか? それを、依頼人に資力がないからって、やってみなければわからないのに子どもを育てていくのは無理だと決めつけて、親権を諦めさせるなんて……っ、いくら示談金をもらったって納得できることではないと思います!」


 必死になりすぎて、いつのまにかうっすらと涙ぐんでいる片桐。

 時井、そんな片桐を一瞥して短く息を吐く。


時井「……ですから片桐先生、さきほども言ったでしょう。依頼人の気持ちに同調しすぎてはいけない。依頼人はかわいそうだとは思いますが、子どもを育てていく資力がないのは本人の責任です。そこを無責任に裁判に持ち込んで、夫から親権をとったとして、途中で依頼人が子育てを放棄しないとどうして言いきれるんです。子どもにとってどちらが幸せか、もう一度考えてみてください」


 時井、それだけ言うと、


時井「それでは次の打合せがありますので」


 と、その場を離れてしまう。

 残された片桐、悔しさとやるせなさでその場にたたずむ。


片桐M「……この場合、弁護士として正しい判断は時井先生と私、どっちなんだろう。私が間違っているのかな、時井先生の意見が正しいのかな……」

片桐「わからない……」


 ぐっと歯を食いしばる片桐。




〇居酒屋(夜)


 出勤初日を終えた片桐、一人暮らしをしているマンションの近くにある、行きつけの居酒屋に立ち寄る。


片桐「はあ、初日からハードだったなあ」

片桐M「兄弁の時井先生とは上手くいきそうもないし……」


 ビールを片手に、お一人様用のカウンターテーブルに突っ伏す片桐。


片桐「……これから大変そうだけど、頑張るしかないよなあ。やっと念願の弁護士になれたんだし」


 片桐、くぐもった声で言ってから、体を起こす。

 ビールのグラスを片手で持ち上げる片桐。


片桐「まあいいや、今日はとことん飲もう! ――乾杯!」


 片桐が誰も相手のいないカウンター越しにひとりで乾杯していると、がらりと店の引き戸が空いて、時井が店に入ってくる。


時井「……あ」

片桐「げ!」


 顔を引きつらせる片桐。


片桐「なななななんで時井先生がここに!?」

時井「人の顔見て一番に『げ!』とはひどい反応だな。だったらおまえこそなんでここにいるんだ」

片桐「口、悪っ!?」


 昼間の紳士的な時井とは違い、俺様口調の時井のギャップに驚く片桐。

 時井、片桐に断りもなく、片桐の隣の空いているカウンター席に座る。


片桐「なんで隣に座るんですか! そもそも、このお店は私の行きつけなんですっ。ここのえいひれ焼きが絶品で」

時井「ああそう。それでその『えいひれ焼き』がそこにあるやつか。ひとつもらおうか」

片桐「ちょちょちょちょちょっと!」


 時井、箸を伸ばして片桐の目の前にあるお皿からえいひれ焼きを一つ拝借する。


片桐M「昼間とは別人みたい……。これが本来の時井先生なのかな」


 はあ、諦める片桐。日本酒を注文する時井の横顔を見ながら、自分も手もとのビールを飲む。

 ふたりで会話もなくちびちび飲んでいると、時井がふと口を開く。


時井「……昼間は、悪かったな」

片桐「はあ? なんのことです?」


 すっかりお酒のまわった片桐、無礼講で時井の言葉に答える。


時井「なんのことって、おまえ忘れたのかよ……。俺、おまえに『弁護士は依頼人のために勝つことが第一で、正義や真実の追求なんか二の次だ』って言っただろ。おまえは理想を求めすぎてるって」

片桐「ああ……」


 思いだしたように片桐は言い、ビールを一口あおる。


片桐「その話はもう、いいんですよ。時井先生がおっしゃってることが正しいのかもしれないし、そうじゃなくて、私の意見のほうが正しいのかもしれない。それは、私が自分自身の力で時井先生に証明するしかないんです。証拠があってこその事実ですから」


 そうでしょう、と時井ににやりと笑いかける片桐。

 時井、ぷ、と吹き出す。


時井「そうだな。じつに弁護士らしい主義主張だ」

片桐「これでも胸にバッジつけてますから」


 スーツの襟に裏表逆向きにつけている弁護士バッジをひらひらと時井に見せる片桐。

 時井、そんな片桐をふと優しげな眼差しで見つめる。


時井「……本当に、おまえ、弁護士になったんだな」

片桐「……へ?」

時井「いや……、言おうか迷っていたんだが、俺は、ずっとまえからおまえのことを知っているんだ。おまえの、弁護士だったおじいさんのこともな」

片桐「え? 時井先生、祖父のこと知っているんですか?」


 まさかと驚いて、時井の顔を見やる片桐。

 時井もだいぶ酔っているのか、目がとろんとしたままグラスを見つめて言う。


時井「……そうだ。俺が小さいころ、おまえのおじいさんの片桐先生に、とても世話になった。俺が、弁護士を目指そうと思ったのも、片桐先生がいてくださったからだ」


 ろれつの回っていない口調で、途切れ途切れに言う時井。


時井「俺の両親の相続事件を担当してくださって、とても親身で、正義感も強く、すばらしい先生だった……。俺は、片桐先生のような弁護士になりたくて、ずっと、努力してきたんだ……」

片桐「時井先生……」


 片桐、とつとつと話していく時井の言葉を遮らないように、時井の話に耳を傾ける。

 時井、片桐を横目に見る。


時井「そのとき、おまえが――……まだ小さかったと思うが、おまえがおじいさんの事務所に遊びにきていたんだ。ちょうどそのとき両親と共に相談に来ていた俺は、おまえと会っているんだ」

片桐「え。全然覚えてない」

時井「そうだろうな。俺もおまえもまだ子どもだったからな。初めて弁護士を前にして緊張している俺に、おまえは明るく話しかけてくれたんだ。おまえは、将来はおじいちゃんみたいな弁護士なるのだと言っていた」


 そんなことあったかな、と頭をめぐらせる片桐。


片桐M「おじいちゃんの事務所にはいつも暇さえあれば遊びに行ってて、いろいろな依頼者さんがいたから、そのときに時井先生にも会ってたのかな……」

時井「……おまえはとても明るくて、将来を見据えていてな。俺にはおまえがキラキラして見えたんだ。それで俺は、子ども心に、その、おまえに憧れて……。いや、もっとはっきり言えばおまえのことがあのときから忘れられなくて、おそらく俺はおまえに片想いしたのだと思う。それで、俺も弁護士になろうと思ったんだ。そうしたら、同じく弁護士になったおまえに会えるかと、思って」

片桐「え、ええっ!?」


 さすがにびっくりして声をあげる片桐。

 片桐、真っ赤になって時井を見返す。

 時井も、お酒に酔っただけではない、耳もとまで赤くして視線をそらしている。


片桐「と、と、時井先生が、私のことを、ずっと……?」

時井「悪いか! そのときからおまえにずっと片思いで、俺はろくに恋愛もできなかったんだ! ったく、なにもかもおまえのせいだからな!」

片桐「は、はあ? なんで逆ギレされなくちゃいけないんですか! じゃあ言わせてもらいますけど、私はそのこと忘れてましたけど、今回大人になった時井先生に会って、かっこいいなって、素敵だなって、時井先生みたいなみんなに頼りにされる弁護士になりたいって、思ったんですからね――っ」


 片桐、皆まで言えない。

 ふと片桐の頬に手を伸ばした時井が、顔を寄せて、片桐の唇を塞ぐ。


片桐「――――っ!?」

片桐M「な、なにが、起こって――」


 目を白黒させる片桐。

 ゆっくりと唇を離す時井と目があった瞬間、片桐、時井を突き飛ばす。


片桐「な、な、な、なにするんですか変態――っ! 初めてだったのにっ、ファーストキスだったのにっ」

時井「そうか。それは光栄だな。なんの因果かこうして再会できたんだ、俺はおまえを諦めないからな」

片桐「な、に言って――……っ」

時井「というか、おまえまだ経験なかっ――」


 言いかけた時井の頬を、赤くなった顔と涙目で思いっきり平手打ちする片桐。

 居酒屋に響き渡る小気味いい音。


片桐「そんな、どうせモテまくりの時井先生と一緒にしないでくださいっ! もうやだ、帰る! ――マスター、お勘定はこの人が払いますから!」

時井「は、はあ!?」

片桐「それでは、失礼いたします!」


 カバンを乱暴に取って、居酒屋を飛び出す片桐。


片桐M「どうしよう、どきどきが止まんないっ……!」

片桐M「明日からどんな顔で時井先生に会えばいいのっ……」


 と、帰り道を少し走ったあと立ち止まる片桐。

 赤くなった顔を覆ってその場にうずくまる。


片桐「時井先生のばかっ……!」


 小さく掠れた声で叫んだ片桐、真っ赤な顔で家に向かって全速力で走り出す。



おわり

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エリートS系弁護士の不器用な恋愛事情 山崎つかさ@SFB小説大賞金賞書籍化決定 @yamazakitsukasa

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