その10

 向かったのは島唯一の病院だった。

 老人だらけの待合室を抜けた先、入院病棟にある数少ない病室のひとつに礼麗がいた。

 四人部屋の奥でベッドに横たわる礼麗の表情は、包帯で包まれた全身とアンバランスなくらい明るかった。

「見舞いに来てくれたのか。ありがとう」

「どうですか、具合は」

 ベッド脇に立って声を掛ける鵬市に笑って見せる。

「うん。全然、大丈夫。鵬市はケガなかった?」

「僕は問題ありません。その……ひとつ報告というか相談がありまして」

 鵬市は怨霊のことを話した。あまり話すことは得意ではないけれど、それでもこの件だけは伝えねばならない。

 神妙な顔で聞いていた礼麗の表情が崩れ“よっしゃあああ”とガッツポーズ。同室で入院しているばあさん連中が顔を覗かせるが礼麗は気にしない。

「そうかあ。怨霊召喚に成功していたのかあ」

 満足げに頷いて鵬市を見る。

「で? 今もいるんだろ?」

「はい。ここに」

 鵬市が礼麗を見下ろしている頭上の怨霊を指さす。

 その指先を追って目を凝らす礼麗の様子に、怨霊が鵬市へささやく。

 *見えてない*

 礼麗が目線を鵬市に降ろす。

「ううう、見えないなあ。鈴佳は知ってる?」

「言ったんですけど……」

 言葉を濁す。

 鈴佳は見えない風を装っていた。その真意が読めない鵬市は礼麗にどう告げていいのかわからない。

 しかし、礼麗は気にしない。

「とにかく鈴佳と協力してあいつらの支配を終わらせてくれたまえっ」

 自分に見えてないことから、言葉を濁らせる鵬市の様子を“鈴佳にも見えてなかった”と解釈したのだろう。

 鵬市は重責を担わされたような感覚に恐縮する。

「が、頑張ります」

 そんな鵬市からベッドに目を落とした礼麗がぶつぶつとひとりごちる。

「ふふっ、成功したか二年越しで。長かったなあ」

 ようやく宿題を終えた、あるいは重荷を下ろしたと言わんばかりに大きなため息をつく。

 あまりにもうれしそうなその様子に、鵬市の口もいつになく軽くなる。

「そんな前からやってたんだ……」

 聞くともなしに思わずつぶやいた一言に礼麗が笑顔を向ける。

「うん。私が高一で鈴佳が中三の時から」

 そして語りだす。

「こう見えても私は文学少女だったんだぜ。今もだけど」

 確かにベッドのかたわらに設けられたサイドテーブルには、家族が持ってきたらしい数冊の文庫本が置かれていた。

「入学して絶望したよ。図書室が図書室じゃなくなってたんだ」

 鵬市は図書室の場所を思い浮かべる。それは最上階である二階の奥――読書環境を考慮したらしい“最も静かな場所”にあった。

 しかし、実際に行ってみるとそこは図書室ではなく野球部の部室になっていた。

 図書室は野球部の侵略によって追い出され、使われていない狭小な倉庫に移らざるを得なかったのだ。“最も静かな場所”ということは教職員の来訪が最も少ない場所という意味でもある。そんなロケーションが野球部のお気に召したであろうことは容易に想像できた。

 書店もなければ図書館もない世界でレクレーションといえば山野を駆け回り海川を泳ぎ、そして、草野球に興じる以外の選択肢を持たないまま育ってきた多くの生徒たちに読書習慣が根付くわけもなく、なによりも大人たちが“陽光を受けてはつらつと汗を流す姿こそ本来あるべき健全なこどもの理想形”という昭和の価値観に基づいてこどもたちから本を取り上げてきたのだ。そんな世界ゆえに、元から図書室の利用自体が少なかったことで異議を唱える者はいなかった。文学少女である礼麗以外には。

 職員室に抗議に行った礼麗だったが、その抗議はあっさり苦笑いでかわされた。失望した礼麗は反抗的になり不良化した。そして、たまたま下校中に出会った、神社の境内で古い書物を読み漁っていた中学時代の下級生に一部始終を愚痴った。

 それが鈴佳だった。

 鈴佳の家は旧家で蔵には様々な日用品だけでなく怪しげな古文書も多く収蔵されていた。その中にはオカルト的なものも多かった。幼少期からそれらの書物を耽読することでオカルト少女として誰からも相手にされることがなかった鈴佳は礼麗に協力を申し出た。

 こうしてふたりだけの反乱軍として野球部の支配を終わらせるべく活動を開始したのだ。その活動が“怨霊の召喚”というのは適切どうなのかというのはさておき。

「――ということだよ。でも、よかった。マジで。あはは」

 語り終えたところで面会時間の終了を告げる院内放送が流れた。


 病院を出たところで、不意に怨霊が鵬市の髪を引っ張った。

 *ちょっと待て*

「いててて……。はい?」

 *あれ、鈴佳だろ?*

 鵬市が見上げる怨霊が指さす先に、自転車で病院から遠ざかっていく鈴佳の姿があった。

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