その4

 一週間前、鵬市が朝のショートホームルームで転入の挨拶を済ませて着席したのと当時に“一時間目を歓迎会にしよう”という声が上がった。

 担任はそれを認めた。

「ところで歓迎会ってなにをやるんだ」

「もちろん“歓迎野球大会”に決まってるだろ。おら、早くグランドに出ろ」

 声を上げているのは教室における多数派の野球部員であることは言うまでもない。

 歓迎会ならば主役的立ち位置になるはずの鵬市は野球についてはまったく未経験、無関心であり、見たこともなかった。それ以前にスポーツや運動といった体育全般が好きではなかった。しかし、鵬市には強く言われたら逆らえないところがある、服従してしまうところがある。

 これは母親を亡くして数年間を母方の祖父母に育てられたことに起因する。

 祖父母は“孫をかわいがるタイプ”ではなく“孫を支配するタイプ”だった。特に祖父は口が重く、あれをやれ、これをやれと言うがその意図までは伝えない。幼い鵬市が意図を問い返しただけで逆らうな、口答えするな、嫌なら出ていけと怒鳴り殴った。

 さらに泣くしかできない幼い鵬市に祖母が追い打ちをかける。鵬市が悪い、黙って言うことをきけ、問われた時以外は口を開くな――と。

 そんな環境で暮らした鵬市は、あまり話さなくなった一方でとにかく人の話に耳を傾けるようになった。

 だからグランドに出ろと言われて釈然としないものはあったが、無意識に立ち上がっていた。

 そこへ担任が声を掛ける。

「羽黒はそれでいいのか?」

 問われた鵬市が口を開く。

「野球はやったことないし、興味もないので別のことがいいです。例えば図書室で本を――」

 言い終えないうちに罵声が飛ぶ。

「くだらねえこと言ってんなよ、転校生」

「なにが面白いんだ、そんなもん。バカじゃねえの」

 一瞬にして殺伐とした教室で担任が苦笑する。

「じゃあ決を採ろう。図書室がいい人」

 手を挙げたのは鵬市と初馬、そして、雪恵の三人だけだった。

「決まりだ、決まり」

「おらおら、時間がもったいねえ。ぐずぐずすんな」

 口々に急かされながらグランドへ出ることになったのだが、その一時間は鵬市にとって罵声と嘲笑を浴びるだけの時間でしかなかった。元より身体を動かすこと自体があまり好きではないうえに、野球のルールを知らないのだから無理もない。

 ワンアウト、ランナーなしで打順は鵬市。しかし、フォアボール。野球を知らない鵬市でもストライクゾーンを外れたボールが四つで一塁へ進めるということくらいは知っている。

 確か次の打者が打ったら二塁へ走るんだ、よな?――一塁上でそんなことを思ったのと同時に打者が打った。足が速い方ではないことを自覚している鵬市が全力で走る。しかし、打球はピッチャーフライ。捕球した投手が一塁へ送球して鵬市は自分でも知らないうちにアウトになった。

 ぽかんと突っ立っている鵬市に味方チームからは罵声、敵チームからは嘲笑が浴びせられる。

「なに走ってんだよ」

「ルールも知らねえのかよ」

 攻守交替して、備品のグローブを手に守備にまわる。守備位置はライト。しかし、未体験の鵬市ゆえに打球が来ても捕球できるわけがない。そんな鵬市を狙って打球が飛んでくる、罵声と嘲笑も飛んでくる。それが鵬市への歓迎セレモニーだった。

 そして、そんな鵬市と同様に罵声と嘲笑を浴びているのがエラーを連発している初馬だったのだ。

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