14.資質
手提げのバッグには昨日仕上げた魔石をきちんと入れた。
いつもの作業用エプロンもちゃんと脱いで、あまりよれていない服に着替えた。
普段はそのままにしている寝癖も直して、私はダンベルの鍛冶店前に立っていた。
しばらく研磨にかかりっきりだったので、ここに足を運ぶのは随分と久しぶりだ。
工房を覗けば、以前と変わらず、作業を見学しているミラージュを視界にとらえる。魔石のことを嫌いになっていたらどうしようかと不安だったので、その姿を確認できて力が抜ける。
「ミラージュ、久しぶり……えーと、二人で話したいのだけど」
目の前の少女は声をかけられ、そこではじめてわたしが工房に来ていることに気づいたようだ。わたしの姿を確認すると、二回ほどゆっくりとした瞬きをした。まるで、わたしがここにいることが信じられないかのような反応だ。
「……ごきげんよう、……こちらにいらして」
いつもの丁寧な挨拶もなく、すっと中庭の方に向かって歩き始めるミラージュとそれを追いかけるわたし。
今までとはとあまりにも違う様子に、工房にいた職人たちが、手を止めてこちらの様子を伺っているのがわかった。見られているのは落ち着かなくてつい駆け足気味になってしまう。
以前お茶会をした中庭の木陰にある、黄色の薔薇が咲く場所にミラージュは腰を下ろした。ここからだと、部屋からの死角になるようだ。
黄色の薔薇を背景に、スカートの裾を芝の上に広げて座る少女はやはり可愛らしい。
必死に隠していた、手の力のことを己の無配慮により、本人の望まぬ形で明かさせてしまったこと、それを思い出してわたしは目を伏せる。
「ミラージュ、ずいぶん時間が経ってしまったけど、店に来てくれた日のこと……ごめんなさい」
「いいえ、私の方こそ驚かせてごめんなさい。それに、せっかくの魔石も……無駄にしてしまって」
「ううん。あれはもともと売り物にもならないものだし、気にしないでほしい」
テンポよく進むようにみえた会話は急に止む。
気まずさなんて感じていなかったのだが、会話が返ってこなくなった途端、先日の自分の行動の愚かさに再び焦点が行く。どう考えても暴走したわたしがこの少女を傷つけたのだ。会話を続けようにも、出てくるのは謝罪の言葉ばかりで、魔石をプレゼントする方向に持っていけない。どうしようかと、目が泳ぎ始めたところで、ミラージュが口を開いた。
「ツィエンも、私のことを気味が悪いと思った……?」
不安げに震える声はか細い。
ミラージュのことを気味が悪いなんて、僅かにも思わなかった。すぐさま否定しようとしたところで、ミラージュが言葉を続けた。
「男より力が強い私のことを女友達として認めてはいただけないの……?」
ミラージュは自身の震える拳に視線を落としており、わたしとではない、別の誰かとの出来事を思い起こしているのがわかった。
どこぞの誰かはそんな心のないことを言ったのかもしれない。けれど、わたしは出会ってからも、魔石が割れた後も彼女に対してそんなことを思わなかった。彼女に対しては、なんて可愛らしいのだろうかと真逆の感情で満たされたことしかないというのに。
依然としてわたしを見ないまま身体を震わせるミラージュの肩を掴んで、わたしは強引に彼女を自分の方に振り向かせた。
「わたしを見て。ミラージュが言うようなこと、一度も思ったことはない。出会ってから今も変わらず、わたしはミラージュのことを世界一可愛い女の子だと思っている!」
振り向きざまに零れる涙さえ、どうしてこんなにも映えてしまうのだろうか。
わたしは、見とれて身動きできなくなりそうな自分を律し、手提げバッグを引き寄せて、布切れに包まれた瓶を取り出す。
「ミラージュのことだけを考えて作ったんだ。可愛い女の子には美しいアクセサリーが似合うから。わたしがつくれるのは魔石を加工するまでだったけど……」
ひとことも発さず、ミラージュは揺れる瞳で、わたしと瓶を交互に見る。
恐る恐る差し出された両手の指をわたしはそっと開かせて、その上に瓶を置く。
その状態のままミラージュは固まってしまったので、わたしはミラージュの手ごと瓶の底側を押さえて、蓋を捻る。蓋を持ち上げれば、まるで仕組んだかのように、絹の布地がふわりと瓶の口に広がり、緑の魔石が咲いたように姿を現す。
ミラージュは、ポカリと小さな口を開けて、その魔石を取り出した。
ああ、指に持っただけで、ピンクの爪と優しい緑がマッチするのがわかる。この愛らしい少女のピンクローズの瞳と魔石が近づいた光景を想像して、無意識のうちに身体が震えた。
「きれ、い……」
ミラージュは口元に優しい笑みを浮かべながら、魔石を陽の光にあて、それを覗き込む。
魔石の薄緑は春の雪解け水の色で、ミラージュのピンクローズの瞳は春に顔を出す花のつぼみのようだ。横顔ではなくて正面からこの美しさを目に焼き付けたい。
そう願ったわたしはほぼ無意識にミラージュの右肩を引き寄せて、頬に自分の右手を添えて、ゆっくりと少女の顔をこちらに向けた。
「ああ……思ったとおりだ。緑の魔石にして良かった。……とても綺麗だ」
しばらくぽかんとした表情をしたまま動かなくなったミラージュだったが、彼女の左手から瓶が転がり落ちる。中のキャンディが芝生の上にこぼれたのをきっかけに、やっとミラージュは意識を取り戻す。
慌ててキャンディを拾い上げるミラージュの顔はほのかなピンク色だ。
ひとつひとつ瓶にキャンディをいれているミラージュは、ふと手を止めて、今日一番のキラキラとした笑顔でわたしを見た。
「また、お茶会をしましょうね」
瓶詰のキャンディの意味も彼女に伝わったらしかった。言葉にしなくても伝わったことが嬉しくて、口元が緩む。
自分自身では見えないけれど、わたしは、今まででにないような優しい笑みを浮かべている気がした。
まるで春の暖かみを抱きしめたかのように。
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