沈む
夏宮 蛍
第1話
さっきまであった思考が記憶のかなたにかすめ取られて、意識がもうろうとする。
『何故?』や『どうして?』にあまり意味は無いようにすら思える。
体は重く、言えば、生気を失った人間の束に押しつぶされた人のようだ。そんな経験があるのかと言えば無い。今は戦後の苦しい時代でも大正や昭和初期でもない。間違いなく令和の今を生きているはず。自身の感覚を疑いたくもなるのは、肝っ玉が小さいからかもしれない。
街を見渡せばハイテクAIだの、どこかの国の言い合いや、人生を楽にする方法なんて広告を嫌って程目にするのに、女子高生の時代最先端な平成のルーズソックスが目に入る。当時の彼女たちが夢中になる手狭に済んでいた世界が広いようで、令和の今はやっぱり狭い。カーストの中に入り上には進めず落ちぶれたものは、自身のゴーストを使って天辺を覆す下剋上を虎視眈々と狙っていたりする。笑う門には裏の顔が潜んでいる昨今だ。
毎日何のために呼吸をしているのか意味も掴めず、ただただ心が思うままに、周りが気にしない程度に時間を消費している。
今もそうだ。
無駄な駄弁を貪るより、社会に適合しうるスキルなりハウトゥー本なりを読む尊い時間にすればいいものの、やんややんや言われるベランダで煙草をくゆらせ、そう高くもない世界から下界を見て夜明けを待っていた。
いや、待ってもいないのか。奴らは勝手に来る。止める方が難しい。なにせ、彼らは宇宙。スーパーマンでもない自分に太陽を止める力はない。
あっても困る。
スーパーマン級の力があればSNSにバズる動画でもあげようか?どこがいい?どこかの首相でもつるし上げてピースサインで世界にケンカを売るのもありか。自分のあっぱれな考えに両手を叩いて『馬鹿野郎』と称賛してやりたい。
深夜におっさんの乾いた笑いが吸いこまれた。そのまま沈んで沈んで世界の中心にでも行けば何か変われるだろうか?毎日の通勤ラッシュ、ギャーギャー煩いガキンチョ共のさえずり、上司部下の小さなスキャンダル、どーにもならない理不尽なお客様のご要望に一同申し訳ございませんの大合唱。心の栄養補給に開いた、便利で手狭な箱は不平不満で塗りつぶされ、栄養補助食品ぐらいの補給しかさせてくれやしない。物理的に補充すれば、周りに迷惑なのでベランダではご遠慮くださいたぁどーゆう事だ。
俺の、俺はどこで休んだらいい?
ご立派なお偉いさん方には忘れ去られた悩みか、それとも、同じように休める場所を探していたりするのだろうか?都会の隅にいるごみ屑と同じお考えなら親近感も増して投票しやすいが、現時点ではなかなか難しいだろう。
あぁ、もう、煙草が無い。
紫煙は灰色から透明に変わり街に溶けていってしまった。
もう一本と取り出した煙草の箱は手元が狂って空しく地面へダイブした。これは天がもう十分生きただろう?の問いかけかもしれない。小さな世界を抱いたまま終わりへ誘う合図。俺と神だけの交信。
いや、そんなわけあるか。深夜妄想がひど過ぎる。
きっと、最近見たドラマのせいだ。そう。そう思う事にする。神はこんなひねくれ野郎にわざわざ天啓を与えるほど暇じゃない。神様なめんな俺。
毎日が忙しい程、他人のどーでもいい感覚に支配され過ぎて頭のネジが外れかかっていただけだ。そちらに足を突っ込むのはまだ早すぎる。もう少し納得がいくまで日々を浪費したってかまわないさ。人間という毎日は孤独でうるさくて頭が破裂しそうだが、面白くバカで愛おしい。
遠くから早朝バイクの慎ましい音が聞こえる。
もう夜明けだ。
太陽とは逆に、俺は月と共に沈んでしまおう。たとえ次に起き上がった時の速さに時計を二度見して驚いてもかまわない。たまにはそんなに日があったって良い。
青い光を狭い箱に閉じ込めて柔らかい眠りに身を任せよう。
遠ざかるバイクのエンジン音と共に瞳を閉じた。
沈む 夏宮 蛍 @natumihotaru
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