みにくいアヒルの子は白鳥の歌を歌う

朝永 優

ぼくは誰?

 むかしむかしあるところに、卵を温めているお母さんアヒルがいました。卵は次々に孵って可愛い赤ちゃんアヒルたちが顔をだしました。けれど一つだけとびきり大きな卵だけはなぜかなかなか孵りませんでした。お母さんアヒルがもうあきらめそうになったころ、卵が割れて灰色のびっくりするほど醜い赤ちゃんが顔をだしました。


 お母さんはことあるごとに「お兄ちゃんお姉ちゃんはちゃんとしているのに、お前だけはなんでそうなんだろうね。」といいました。兄弟アヒルたちもこの子をつついたり、ごはんを取り上げたりしていじめました。


 いたたまれなくなった醜いアヒルの子は家を出て、仲間になってくれる者を探しましたが、どこへいっても石を投げつけられたり、つばを吐きかけられたりしておいはらわれるのでした。投げつけられた石があたり、醜いアヒルの子の目はすこし見えにくくなりました。


 お腹をすかせてあてどなく裏町の路地を歩いていた時のことです。急に右手から何か黒い塊が飛び出してきたかと思うと、アヒルの子を突き飛ばして反対側の別の路地に走り込んで行きました。そのあとからおまわりさんの帽子をかぶった大きなブルドッグとマスチーフ犬が息せききってかけて来ました。


「おい、今ここに茶トラの猫が来なかったか?」と犬たちが聞きました。

「何かが走っていったけど、何だかはわからなかったよ。」とアヒルの子が答えました。

「そいつはどっちへ行った?」

「多分、あっちの方だけどよくわからない。」

「ふん、使えない奴だな。まあこんな何だかよくわからないような奴に聞いたおれが馬鹿だった。おい、行くぞ。」とブルドッグが言い、彼らは足早に離れて行きました。


 その後ろ姿を見送っていると、不意にアヒルの子の後ろに誰かがあらわれました。茶トラの縞模様をした猫でした。猫は小狡そうな目をきらっと光らせながら言いました。


「あいつらに俺のことを言ったか?」

「よくわからないと言った。どっちへ行ったのかもよくわからないと言ったよ。」

「そうか。」と猫は言いました。

「お前、腹が減ってるか?」

 猫がアヒルの子の様子をじっと見て言いました。

「うん。もう二日食べてない。」

「そうか、こっちへ来い。なにか食べさせてやる。」


 アヒルの子は猫の様子がずいぶん怪しいなと思いましたが、なにしろお腹がすいているのでついていくことにしました。いくつもの細い路地を抜け、建物の間の暗い曲がり角を曲がったところに小さな目立たないドアがありました。それが猫の家らしいのです。


「ここが、俺のアジトだ。まあ食え。」出されたものは粗末なものでしたが、アヒルの子には大変なご馳走のように思えました。アヒルの子は夢中になって食べました。


「お前は一体、何だ?」と猫が聞きますので、「ぼくにもよくわからないんだ。それで、家を追い出されちゃったの。」とアヒルの子は答えました。

「行くあては、ないんだな?」

「うん。」

「お前、俺の仕事を手伝う気はないか?」

「お仕事って?」

「俺の仕事はな、まあたくさんあるところから頂いて、あまり無いところに流すことさ。だからたくさん持っている奴にはちょっと嫌われている。」

「それって、泥棒さん?」

「しっ。まあそんなもんだ。それでお前に手伝って欲しいのはだな……」


 アヒルの子は、猫が「仕事」をしている間に見張りをすることになりました。灰色で目立たないし、長い首を突き出せば、ある程度遠くまで見渡せるだろうと猫は思ったのです。それにご飯さえ食べさせておけば、何でもいうことを聞くだろうとも猫は思っていたのです。


 最初のうち、この「仕事」はまあまあ上手く行っていました。猫が家の中にいる間に誰かがやってくると、アヒルの子が低く鳴いて合図をするのです。

 アヒルの子にはやっと落ち着いてご飯を食べたり、眠ったりする場所ができました。ある晩アヒルの子が猫にうながされて身の上話をした時など、アヒルの子は黙って聞いていた猫の目がずいぶんとうるんでいるように思いました。猫は急いで向こうを向いてしまったので、それは確かではありません。猫はすぐにまたアヒルの子の方を向くと、顔中にしわを寄せるようにしてにやっと笑いました。

「お前も苦労したんだなぁ。相棒!」

 アヒルの子は猫が自分のことを「相棒」と呼んでくれたことで、ちょっと嬉しくなりました。


 猫が「仕事」をしない日には、アヒルの子も家の中でのんびりと過ごすことができました。秋になって肌寒い日もありましたが、そんな日には猫と二人で暖炉のそばで温かい飲み物を飲むことだってできました。猫は自分の飲んでいるお酒をちょっぴりアヒルの子の飲み物にも入れてくれたのですが、アヒルの子がむせてしまったのでちょっとあわてて、そのあと大笑いしていました。


 でもある日のこと、二人はとうとうおまわりさんに追われました。走るのがたいへん苦手なアヒルの子は猫に置いてきぼりにされましたが、何とか川に飛び込んで泳いでその場を逃れることができました。しばらくしてアジトにも行ってみましたが、鍵がかかっていて誰もいませんでした。小さな窓からそっと中をのぞいてみましたが、中は真っ暗でした。裏通りに強い風が吹いて、落ちていた新聞紙を飛ばしていきました。アヒルの子も風に背中を押されるようにしてそこを離れました。

 茶トラの猫とはそれっきりでした。


 アヒルの子は、またあてどなく旅に出ました。冷たくなってきた風が、アヒルの子の羽毛を突き通してちくちくと肌を刺しました。

 

 ある日、アヒルの子は静かな湖のほとりにやってきました。そこには見たこともない美しい鳥たちが泳いでいました。真っ白な羽と長い美しい首をして、優雅に湖面を渡っていく姿はほんとうにきれいで、アヒルの子はしばらく見とれていました。「あんなきれいな鳥に生まれることができたら、どんなに良かったろう。」とアヒルの子は思いました。

 それが何という鳥たちなのかアヒルの子はとても知りたくなりました。でもその鳥たちに話しかけてみるような勇気はありませんでした。


 厳しい冬が近づいていました。ある日アヒルの子はもう一度あの鳥たちを見たくなって、同じ湖のほとりにやってきました。今日こそは、勇気を出してあの鳥たちに話しかけてみようと思ったのです。立派な真っ白な羽をした一羽が、アヒルの子のそばに泳ぎ寄ってきました。アヒルの子はその鳥の目を見ようと頑張りながら、なんとか声を絞り出しました。


「あの、あなたたちは何という鳥なんですか?」


 でも、美しい鳥からは何の返事もありません。まるでアヒルの子などいないかのようにそこを泳ぎ過ぎて行きました。また別の一羽がやってきました。アヒルの子はさっきよりもっと勇気を出して、大きな声で言いかけました。


「あの……」


 けれど、その鳥もアヒルの子の方をちっとも見ようともしませんでした。まるでその美しい黒い丸い目には、湖と仲間たちの他には何も映ってはいないかのようでした。美しい鳥たちが、高貴な自分たちとこんなに醜いアヒルの子とでは身分が全然違うのだと思っていることをアヒルの子は思い知りました。


 その時湖の真ん中あたりで、凛とした声が言いました。


「冬の家へ。」


 そこにはみんなの中でも一際美しい白い鳥がいて、片方の翼を伸ばして空の彼方の一点を指し示していました。そうすると、ほかの白い鳥たちも口々に叫びました。


「冬の家へ。」


 鳥たちは一斉に羽ばたいて、飛び去って行きました。その姿はまるで神さまのみ使いたちが、天国へ帰る道を急いでいるかのようでした。アヒルの子は、しばらく呆然とその神々しい姿を見送っていました。

 

 我に返った醜いアヒルの子が冷たい湖の水面をふと見おろすと、水面に映った自分の姿が目に入ってきました。灰色の羽毛は抜け落ちて白っぽい色になってきたようですが、やっぱりなんだかうすぎたない色です。大きくなったので首は少し長くなったようですが、あの鳥たちの優雅な長い首にはぜんぜん及びません。アヒルの子は自分のことを、美しい湖のほとりをけがしている一つの汚点みたいだと思いました。


「やっぱり、お母さんや兄弟たち、みんながそういっていたとおり、ぼくは不格好で醜いんだ。」とアヒルの子は思いました。「ぼくは結局泥棒の手伝いもできないようなうすぎたない半端者で、みんなの嫌われ者なんだ。あの白い鳥たちとは同じ鳥なのに、どうしてこんなに違ってしまったんだろう。」


 日が陰って湖には薄く氷が張りました。醜いアヒルの子は手ごろな石を一つ拾うと、それを使って氷の上の平らな場所に小さな穴をあけました。白い氷の下から底知れない黒い水がのぞきました。醜いアヒルの子は水面をしばらく魅入られたように眺めていましたが、やがて穴の中に深く深く首を差し入れました。しばらくゴボゴボと水のはじける音がしていましたが、すぐに静かになりました。すっかり静まり返った湖面の氷の上にはいつのまにか初雪が降り始めました。アヒルの子の動かない姿は真っ白な新雪につつまれて、まるであの美しい鳥たちのようにも見えました。


 ふと気が付くとアヒルの子はいつのまにかさっきの白い鳥たちと一緒に飛んでいました。自分はこんなに高い空をこんなに早く飛べたんだろうかとびっくりして自分の翼を見ると、それはあの鳥たちと同じ強くて美しい純白の翼になっていました。鳥たちが組んだⅤの字形の編隊の先頭を飛んでいる、さっきの一番美しい鳥がまた「冬の家へ!」と叫びました。アヒルの子もみんなと声を合わせて「冬の家へ!」と叫び返すと、すばらしいスピードで目の下を流れていく地上の景色をうっとりと眺めるのでした。そしてアヒルの子は白い鳥たちに混ざってどこまでもどこまでも遠くへ飛んでいくのでした。

 

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