第15話 森と狩人

 門番のダールに見送られてロンブリエールの町を出たクロエは、朝日を背にしてずんずんと森へ近付いていく。その足取りに迷いはない。腰に下げた矢筒を揺らしながら進むこと十分。


「フーーー……よしっ!」


 森の手前で立ち止まったクロエは、知らず知らずのうちに上がっていた息を整えるため、目を閉じ深く息を吸ってドクドクと脈打つ心臓を落ち着けていく。


 傍目から見て、一か月の間にクロエは大きく変化した。

 体力技術ともに成長したが、何より成長したのはクロエの心だ。終わりの見えないランニングから始まり、剣から弓への武器変更、狩人としての心得などクロエは多くを吸収した。


 クロエがスッと目を開くと、愛嬌たっぷりな薬屋の看板娘の雰囲気は一変。

 目つきは鋭く、気の緩みも油断も見られない。試験に集中できているようで、まずは一安心。


「では――」

「いつでも良いぞ」


 クロエが最終確認のために、俺に話しかけてきた。

 俺の返事に頷いた後、クロエはいつも修行で使っていた獣道へと足を踏み入れる。二週間前は木の根につまずいていたクロエだが、足取りに迷いはない。


 この二週間、まずは反撃してこない小動物を狩って、森という特殊な環境に慣れたクロエ。狩人としての動き方に慣れ始めたところで、猪や鹿などの大きな獲物を狩り、最後の数日は森で孤立したゴブリンを仕留めるところまでたどり着いた。


 ロンブリエールを出る前、シャルリーヌに大丈夫だと告げたのは嘘でも虚勢を張った訳でもなく、クロエの実力を偏見なしに見積もった場合の話。

 クロエが冷静に、今までの修行の成果を発揮すればこの試験は合格確実だ。


 が、森は何が起こるか分からない。

 どれだけ森に慣れていても、うっかり強力な魔物の縄張りに入ればそこで試験は終わる。そうなれば、クロエは両親との約束で冒険者を辞めなければならない。


「ブォッ、ブォッ」


 そうこうしているうちに、森の奥から獣の鼻息が聞こえて来た。

 息遣いからして、正体はいのししだろう。ゴブリンを狩る前に、余計な体力の消耗は避けるべきだ。


 予定にない狩りはしない。

 俺の教え通り、クロエは気配を殺してゆっくりと茂みの中に身を潜めて猪の群れをやり過ごした。

 その後、匂い消しの野草をバックパックにくくり付けたクロエは、いよいよ見えない境界線を越えて魔物が生息するへと足を踏み入れる。


 ある地点から小動物の気配が消え、森の気配が急変した。

 クロエは奇襲を警戒して、矢筒とともに腰に下げたダガーへ手をかけて進んでいく。


 慎重に、決して大きな音を立てないように神経をとがらせながら、足を動かすクロエ。ここ数日、浅瀬に入って狩りを行っていたとはいえ、まだまだ動きが荒い……が、Dランクの冒険者としては申し分ない。


 するとここで、クロエがある一点を見つめて立ち止まった。

 俺たちの目の前に現れたのは、野生動物か何かの骨。一つだけではなく、山のように積まれている。


 これは、ゴブリンが縄張りを主張するための痕跡。

 貝塚ならぬ骨塚が大きければ大きいほど、群れの規模と力を表す。縄張りを主張できることに加えて、ゴブリンは自身の巣を清潔に保つことができるのだ。


 クロエは周囲に残された足跡や折れた枝などを観察した後、周囲の茂みを探り始めた。どうやら、ここを狩場にするようだ。というのも、ゴブリンは一日に何度もこの骨塚へ骨を捨てにくる。


 待ち伏せのセオリー通り、自身に有利な狩場を構築したクロエは風下にあるしげみへと身を隠す。これがパーティーのランク昇格試験の場合、試験突破に必要な討伐体数が多いため、みずから動いて魔物を倒さねばならない。


「……」


 ソロ冒険者と冒険者パーディーでは、明確に求められる素質が異なる。これはクロエにとってメリットでもありデメリットでもある。

 俺はいつでもクロエを助けに行けるよう、少し離れた位置へと身を潜めた。


「――ギィ」


 ゴブリンを待つこと三時間。

 木々の間を吹く風に乗って、俺の耳がかすかなゴブリンの鳴き声を聞き取った。だが、クロエに動きはない。茂みの中に隠れているクロエには、葉擦はずれの音によって届いていないのだろう。


 もしくは、目の前の森を監視することに集中しているのか。

 ジリジリとした時間が続く。やがて、視界の端に子供と似た背丈の魔物が現れた。緑色の肌に小さな角が一本、獣の皮をいだだけの粗末な腰蓑こしみのを巻いたゴブリンだ。


 クロエの狙い通り、ゴブリンが骨塚に動物の骨を捨てにきた。

 この距離まで近付いていくると、クロエもゴブリンの存在に気づいたのだろう。ゆっくり、音を立てないように地面に置いていた弓と矢をつかみ取る。


 木の陰から、ゆっくりとゴブリンが出てきた。

 クロエの呼吸が知らず知らずのうちに荒くなる。一か月前、ゴブリンに攫われた時のことがフラッシュバックしたのだろうか。このままでは、さすがのゴブリンにもクロエの存在がバレてしまう。


 大丈夫、クロエは強い子だ。

 だが念のため、少し腰を浮かせていつでもゴブリンを仕留められるように構えた時、クロエが震えながら弓を構えた。


「ギィ、ギィっ」

「っ!?」


 ゴブリンの鳴き声を聞いて身を硬くするクロエだが、ここで仕留めなければ試験合格が遠のいてしまう。俺の手助けもない中、自らのトラウマを克服しなければならない。


(――頑張れ、クロエ!)


 その時、絶好の好機が訪れた。眠そうに目を擦りながら骨塚へと骨を捨てるためにクロエが隠れている茂みに背を向けたのだ。クロエは二週間の訓練通り、反射的に弓に矢をつがえると十分に狙いを定めて矢を放った。放たれた矢は音もなくゴブリンの頭に突き刺さった。


(ふぅ。よくやった、クロエ……)


 クロエは自身の恐怖に打ち勝ち、見事にゴブリンを仕留めてみせた。茂みの中でクロエが喜ぶ気配が伝わってくるが喜ぶにはいささか早い。

 ゴブリンの角を採取して、ロンブリーエルへ帰って始めて試験は終わる。


 クロエは一つ致命的なミスをおかした。それがゴブリンを仕留めた場所。直後、森にガラガラと大きな音が響き渡る。


 ゴブリンに矢が当たればどうなるか。

 当たり前の話だが、矢が頭に当たればゴブリンは死ぬ。死んだらどうなるか――地面に倒れる。

 クロエが矢を放った時、ゴブリンは骨を捨てるために骨塚に近付いていた。つまり、倒れるゴブリンを受け止めたのは骨塚。俺の腰まで積み上がっていた骨塚は、外から力が加わった結果、派手な音を立てて崩れてしまった。


 物音で周囲の魔物に俺たちの存在を勘付かれただろう。

 加えて、ゴブリンの血の匂いも風に乗って広がっていく。


 クロエは今から、魔物がやってくる前にゴブリンの角を採取して、急いで森を抜けなければならない。

 俺としては倒した後のことも考えて欲しかったが、ここは要改善だな。


 さて、目の前ではクロエが焦ったようにゴブリンを仰向けにひっくり返して、採取用ナイフでおでこに生えた小さな角のはぎ取りを始めた。

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