ヒヤマタイム

あまるん

第1話

 8月4日金曜日午後3時、青い車体の電車が駅に到着した。

 夏の日差しが白い駅舎に当たっている。革のボストンバッグを持った女性が一人電車のボタンを押して降りてきた。

 小さな紙の切符を慎重に摘み駅員が出してくれた小箱に入れる。それが終わると息を抜いた。

 歳の頃は三十代後半とみえた。女性が歩くとスパイスの効いた香水が空気に混ざり込む。

「あの……、タクシー乗り場はどこですか?」

 工藤 くどう しずかはスマートフォンのナビを起動させて駅員に問いかけた。肩の空いた黒のカットソーにジーンズと白いスニーカーを身につけた静に年配の駅員は目を丸くした。

「駅の前にいるよ」

 駅の入り口を指さす。

 静がタクシーに近付こうとすると一人の背の高い女性が脇をすり抜けて駅舎の中に飛び込んでくる。

 静が驚いて振り向くと女性も振り向いた。キャップを被り肩までの茶髪の内側を青く染めている。くすんだ水色のポロシャツに黒のパンツというラフな格好で眉間を寄せて静を見つめる。

戸惑って一歩後ろに引く静。

「もしかして、工藤さん?」

「はぁ」

 相手は満面の笑みを浮かべた。目元に少し皺が出る。同い年位かな、と静は思った。

「記者の工藤さんですよね。Kに頼まれて迎えにきたんです」

「Kさん?」

「総合事務所のKです」

「ああ、取材の許可を手伝ってくれた……」

 静がこの地域のことを色々問い合わせしていた役場の担当者の名前だ。メールで到着時間は告げていたが迎えまでよこすとは。

私宮田佳子みやたよしこです。よしこでも、ヨッシーでも好きな呼び方でどうぞ」

「じゃあ私のことも静でもしずぴでも好きなように呼んでね」

 佳子の気安い話し方につられて静が告げると、佳子ははっと目を開いてから口元に微笑みを浮かべた。

「しずかって綺麗な名前ですよね。静御前しずかごぜんと同じ」

「芸能人のならよく言われるけど『静御前』は中学生ぶりに言われたな」

「本人も美人だからぴったりです」

「敬語はやめよ?静御前のしずかなんだ。佳子も綺麗だよ」

「――ありがとう。じゃあ、静ね。車乗って。最初の取材はJ寺だったよね」

 佳子はまた静の脇をすり抜け先導して駅舎の外へと歩き出した。

タクシーの運転手が残念そうに見送る中、佳子と静は共にハザードが点っている茶色の軽自動車に向かう。

後部座席にボストンバッグを置いて助手席に乗り込む。車内は微かにオレンジの香りがした。

運転席に佳子が乗り込むとBluetoothが接続されたという表示が出る。

「せっかく来てもらったし外山節そとやまぶし聞いてもらおうと思って」

 佳子がナビの液晶画面を操作すると男とも女ともつかない柔らかい声が車内に響いた。

「これは誰が歌ってるの?」

静の問いかけに佳子は車を発進させながら視線だけ一瞬合わせる。

「F!知ってる?」

「紅白出てたよね」

 この街出身の有名な演歌歌手だ。静もスマホで検索した。

「民謡いいね」

 静は外山節の歌詞を検索し、佳子を横目に見る。佳子は眩しいのか大きなサングラスを掛けていた。駅を出ると急な下り坂に出る。

「Fさん、民謡大会ですごかったらしいよ」

佳子と共通の知人のことを言っているようで静は少し笑った。

「本当だ。F田さん、外山節で優勝してる」

 歌詞の内容を読む間に車は小さな工業団地に入る。そこを抜けると道は高台に入り、三角形の綺麗な山が見えた。

姫神山ひめかみさん 、岩手山の奥さんの山。民話もあるんだ」

「その話は見たかも。確か岩手山が浮気するんでしよ?」

 佳子の言葉に静が返すと佳子はまた大きな口を開けて笑う。

「ゴシップ誌みたいな言い方だね。そう岩手山が浮気して奥さんの姫神山を追いだすの。最悪」

「最悪すぎ。確か部下に連れていけって言って結局奥さん出ていかなくて……」

そこまで静が言うと佳子が唐突に「あ、支所前食堂だ」と呟いた。

「支所前食堂。確かSNSでバズってた」

 ホルモン鍋が有名な店の名前に静は目を輝かす。佳子は車を信号で停めて左折する。車はゆっくりと姫神山の方向へと走り出す。

「もうすぐ閉まる時間だけど行ってみる?連絡あれば閉めるの少し延ばしてくれるよ」

 佳子の言葉に静はスマホを下唇を噛みながら見た。

「旦那と行こうかなーって言ってたんだよね。子供たちは苦手だから」

 旦那こととおるとのやりとりは昼から止まっている。

 静の言葉を聞くと、佳子はそっかぁと言った。軽自動車は山道沿いの花壇がある狭い道を猛烈な勢いで駆け上っていく。神社の鳥居の前を通り過ぎた。

太い杉が並ぶ一角のとりわけ大きな杉の中程にコブがある。その傍に数団の石段があり、その奥にある大きな寺の前で止まる。茅葺かやぶき屋根をそのままトタン屋根にしていると静は驚いた。

「佳子本当に助かったよ。後で奢らせて?」

 静の言葉に佳子は目を見張るもすぐにピースする。

「ラッキー。じゃあ連絡先教えて。」

 佳子はポケットから大きめのスマートフォンを取り出した。

「QRコード読み込めばいい?」

 静は佳子のスマートフォンの待ち受けを見る。クリムトの水蛇Ⅱだ。女性二人が官能的な表情で水の中に横たわる絵。静は少しの間見つめてしまった。

IDを交換し合って忍び見るとキャップのツバ越しに佳子の端が引き上がった口元が見える。静は車を降りて後部座席からボストンバッグを持ち上げた。

「静、連絡してね」

 運転席の窓が開き佳子は女性にしては大きな骨ばった手を振る。

静は手を振りかえすと啄木生誕の地という案内板の脇を抜けてJ寺に向かった。

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