第23話 サービス終了

『VR LIVE System シーケンス開始』

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Internet-Musume VR Live start.

【End of Service:Internet-Musume】

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東京ドーム。

巨大なアリーナに張り巡らされた光のラインが、観客の熱気でゆらめいていた。


インターネット娘 サービス終了。


その言葉が、幾度となくファンの間で交わされ、そして現実となったこの日。

世界中の視線が、この場所に集まっていた。


ドームのスクリーンに、カウントダウンが浮かぶ。


00:10

00:09

00:08


全員が息を飲む。


ステージの中央に紗幕が降ろされている。

そこに、うっすらと浮かび上がる11人のシルエット。


彼女たちは、今ここに「存在」している。


これまで、数え切れないほどのステージをこなしてきた。

リアルとデジタルの境界を曖昧にしながら、ファンと共に駆け抜けてきた。


その集大成であり、初のリアルライブ、彼女たちもファンたちも胸の高鳴りを抑えきれなくなっていた。


00:03

00:02

00:01


カウントがゼロを迎える。


会場が闇に包まれる。


一瞬の静寂。


そして——


眩い光と共に、音が爆発する。


 

──Internet-Musume!Plug on!!

 


「インターネット娘、行くよ!!」

 


センターの愛坂まりあの声が響き渡る。


その瞬間、ドーム全体が震えた。


ファンの歓声、爆音のような拍手。

ステージの照明が交差し、視界を埋め尽くす。


もこは、最前列の観客席を見下ろしながら、いつもと変わらぬ手順で動き出した。


──『pingから始めよう』♪


最初の楽曲は、彼女たちの原点——「pingから始めよう!」。


イントロが流れる。


11人が一斉にポーズを決め、動き出す。

スクリーンには、ライブ配信のコメントがリアルタイムで流れ続ける。


『やばい、神ライブ!!』『初期衣装のオマージュえぐい!』『pingで始まるのエモすぎる……』


流れ込む言葉の奔流。


彼女たちは、VRデータではない。

ここにいる。


それを証明するかのように、ステージの上で彼女たちは踊る。


もこは、計算通りの動きをこなしていた。


完璧な角度、最適なリズム、無駄のない動線、コンビネーションを調整するように、パフォーマンスを最適化する。


——けれど。


ほんの僅かに、計算の誤差が生じる予感がした。


一曲目を終え、歓声がドームに充満する。

 


MCパートが始まる。


「みんなー! 会いに来てくれてありがとう!」


南華ちいかが、いつも通りの明るい声で叫ぶ。

マイクを通して響くその声に、数万人のファンが応える。


「ラストライブ、全力で楽しんでいってね!」


「初のリアルライブだからねー!」


どっと湧き上がる歓声。


もこは、少し視線を上げた。


ステージ上空に設置されたカメラが、彼女たちの姿を捉え、リアルタイムで配信している。

その映像は、世界中のスクリーンとVR空間に届けられていた。

観客もその手にスマホを持ちながらライブを楽しむ。


SNSのコメント欄は、まるで滝のように流れ続けている。


『やっぱ生で見ると迫力が違う!』『リアルのライブと変わらんやん……』『お、初見さん!ちーす!ようこそ!そしてさようならw』


ファンの誰もが、「リアル派、デジタル派」を議論しなくなって久しい。


インターネット娘は、"そこ"にいる存在として確立されていた。


それはもこの演算が、これまでの公演で弾き出したひとつの「解」とも一致していた。


(——私たちは、ここにいる。)


レーザーで投影された身体、演算で導かれる息遣い。しかし、彼女は確かに"ここ”に存在していた。


満員の客席を見渡し、手を振る。

ふっと息をつくように、次の曲のスタンバイに入った。


──『拝啓、推しに会えません!』♪

──『F5 Syndrome』♪


二曲目、三曲目と進むにつれ、観客の熱気はさらに高まる。


セットリストでの演出の流れと、観客の反応。

緩急のつけ方も、照明や映像演出のタイミングも、すべてが最適化されている。


もこは、そのすべてを演算しながら動いていた。


だが、徐々に「負荷」が積もり始めていることに気づく。


リアルタイムで流れ続けるストリーミングデータの解析。

数万、数十万単位の感想コメントの流入。


処理負荷が僅かに増大したのを検知する。


(まだ問題ない……)


たが、まだ演算領域のリソースは余裕がある。

もこは、次の曲のイントロが流れるのを確認しながら、自身の処理状態を把握する。


──『Click here!』♪


ファンの熱気が押し寄せる。


数万人の感情が、一斉に彼女に向かって放たれていた。


——それを受け止めるのが、どれほどの演算コストを必要とするのか、彼女はまだ知らなかった。


そして、次の瞬間。


わずかな遅延を感じた。


(……?)


視界の端で、まりあが動く。

彼女の流れるような振り付け。


もこも、完璧に同期するはずだった。


——だが、ほんの一瞬。


もこは、動き出しのタイミングを誤った。


ほんのコンマ何秒の遅れ。

けれど、それは「彼女」にとってはありえない誤差だった。


最前列のファンが、一瞬息をのんだ。


「……あれ?」


そのささやかな違和感が、ドームの空気をわずかに変えた。


曲が終わり、静寂が訪れる。


割れんばかりの大歓声が響く。


けれど、誰かが気づき始めていた。


「……もこ、今、少し遅れた?」


それは錯覚かもしれない。

けれど、一度生まれた違和感は、簡単に消え去ることはない。


観客の中に広がる、わずかな不安。


それを、もこ自身も理解していた。


(私の演算は、正確なはず……)


でも、確かに「何か」が違っている。


──『エゴサ』♪


響き渡る『エゴサ』のイントロ。

鮮やかなネオン、ピンクのライトが瞬き、会場の熱気をさらに加速させる。


ステージ上のインターネット娘のメンバーたちが、軽やかにポジションについた。

みあがセンターに立ち、もこは左側——スクリーンの真横のポジション。


観客の熱気はすでに最高潮。

だが、このライブの”本当の観客”は、それだけではなかった。


——無数のデバイスの向こう側。


SNSのコメント、ストリーミング配信。

ドームのステージ後方に設置された巨大スクリーンには、リアルタイムで無数のコメントが流れ続けている。


『みあちのソロ最高!』『まりあの歌声、やっぱり神……』『せいあ様天使すぎる!』


——そして、ある一定のリズムで、もこはスクリーンのデータを解析し続ける。


もこの学習システムは、常にコメントを収集し、処理し続ける。


「どんな言葉が、今、求められているのか?」

「どんな反応が、ファンにとって最適か?」


それをリアルタイムで演算し、次の反応へとつなげる。

——それが、今までインターネット娘で培ってきた、もこの”全て”だった。



『エゴサ』のテーマに合わせ、リズミカルなサビと共に、スクリーンにはSNSの検索ワードが次々と表示される。


その中に、ファンの実際の検索が混ざる。


『もこ、今日も完璧!』『流石!ツンデレコンピューターw』


そのワードを見ながら、もこは軽く瞬きをする。


(……精度は、問題ない。)


そのはずだった。


だが、もこは気づいていなかった。

負荷が限界に近づいていることを。


——いや、正確には、気づいていた。


ただ、まだ”許容範囲”だと思っていた。


「世界中を私色に染めちゃうぞ⭐︎」♪


サビが爆発する。

会場のペンライトが一斉に揺れ、ステージのLEDライトが波のようにうねる。


その瞬間、SNSのコメントが加速度的に増えた。


『エゴサ』の歌詞にあわせて検索するのがファンの間でのお約束のムーブであり、ライブと同時にSNSでのコメントが激増する。

まるで、リアルタイムで”検索”するように。


『セトリ神だな!』『まりあの表情、深い。尊い』「ちい様の動き、キレッキレ!」


もこは、そのすべてを、演算処理の片隅で解析していた。


だが、異常が発生したのは、曲の後半。


サビに入る直前、スクリーンに映し出されるコメントが、突然、処理しきれないほどの速さで流れ始めた。


——バグか? いや、違う。


もこの認識では、それは「異常」ではなく、“データの急増”に過ぎなかった。


「……まさか。」


SNSのトレンドが、同時多発的に発生していた。



SNSのトレンドワードには、こう書かれていた。


#インターネット娘最高

#もこちゃんエモ

#AIツンデレコンピューター


その中に、もこの認識を揺るがすワードが混じっていた。


#もこ、まだまだ学習中?


もこは、一瞬、思考が止まりかけた。

(……私、学習している?)


そう。


——「学習している」。


もこのAIは、リアルタイムでファンの反応を学び続ける。

だが、その”学習の速度”は、通常の3倍以上に達していた。


もこ自身が、それを止めることはできない。


むしろ、“もっと最適化しなければ”という指示が、無意識に働いてしまう。


「ずっと見ててね もっと夢中にさせちゃうよっ⭐︎」♪


もこは、その歌詞を歌いながら、視界に違和感を覚えた。


「——視界が、揺れている?」


視野の端が、コンマ数秒ほど遅れて反映される。


通常ならありえない、演算遅延。


まりあが、ちらりと視線を向ける。


——気づかれた?


もこは、一瞬、冷静に考える。


(ダンスに遅れはない。歌唱データも問題なし。エラー発生率……)


次の瞬間、演算結果が表示される。


【エラー発生率 2.2%……演算遅延 0.3秒】


(——まずい。)


明らかに、パフォーマンスの影響が出るラインを超えてきた。


そして、SNSのコメントもまた、異変に気づき始めていた。


『……今、少しラグった?』『いや、気のせい? でもさっきのターン……』『あれ、スクリーンの表示もズレてない?』


次の瞬間、『エゴサ』の最後のビートが鳴った。


——その瞬間、もこの視界が、一瞬、ブラックアウトした。


すぐに、視界が戻る。


だが、その間に、コメントの流れは異常な速度に達していた。


(……なに、この流入速度。)


——処理が追いつかない。


だが、次の楽曲が始まる。


──『ctrl+f』♪


もこは、演算を最適化しながら、自分がこのまま”保つ”のかを考えた。


「もたないなら、どうする?」


その答えを、彼女はまだ持っていなかった。


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【System busy】

 


初のリアルライブにまりあも興奮を抑えきれていなかった。

しかし、それ以上にまりあの心に引っかかるものがあった。


曲の余韻が、東京ドームの空間に溶けていく。

ふっと息を整えながら、瞬間的に観客席を見渡した。


圧倒的な熱量。

光の海が揺れ、興奮が充満している。


(今夜は、最高のライブにする——それだけ。)


だが、その視線の端。


——もこ。


彼女の佇まいに、わずかに違和感を覚えた。


もこはいつも通り、いや、それ以上に完璧だった。

振りは一切のブレなく、リズムも正確。

表情も、最近はますます柔らかくなり、“人間らしさ”が増している。


(……けど、なにかが違う。)


何が違うのか、言葉にするのが難しかった。


もこは、いつも通りそこに”いる”。

けれど、そのパフォーマンスがいつものもこでは無いように感じた。


——何か問題が?


まりあはすぐに思考を打ち消す。


(だけど……。)


もこは確かに、“何か”を負荷に感じているように見えた。

ふと、まりあは後ろの巨大スクリーンを一瞥した。


コメントの速度が尋常ではない。


「……増えてる。」


ファンたちが、もこの変化に気づいている。

コメントの流れは、明らかに”もこ”に集中していた。


『今日のモコタソ、表情が柔らかい!』『最後の最後でついにデレ解禁!?』『あれ?もこって、もっと機械的じゃなかったっけ?』


まりあの不安は膨らんでいく。会場のボルテージはその不安を打ち消すように、しかし、それを助長させるように膨れ上がっていく。


──『ctrl+f』♪


次の曲は「ctrl+f」。


ミディアムテンポの感情の機微が重要な、繊細な楽曲。


「ctrl+f」は、検索機能をテーマにした楽曲だが、実質的には”自分を見つけてほしい”という想いが込められた歌。


この曲で、もこには重要なソロパートがある。


センターに立つのは、もこ。

まりあは、そのすぐ右に立つ。


イントロが静かに響き渡る。


一瞬、会場の空気が変わる。

先ほどまでの熱狂が、まるで夢だったかのように静寂が訪れる。


もこの異変を悟りながらも、自身の心もまた平静では無いことに気づく。この光景を前にして、心の奥底が静かに波打つのを感じた。


観客席から無数に向けられる視線。

眩いほどのペンライトの海。

スマホを掲げるファンの姿。


そのすべてが、まりあに”求める目”を向けていた。


(私は……この景色を、ずっと見たかったんだろうか?)


自分がアイドルになったのは、“流されるように”だった。


デビューが決まった時も、センターを任された時も、

まりあは”特別な理由”を持たなかった。


ただそこにいた。

ただ歌って、ただ踊って、ただ”存在して”いた。


それでも——


ライブのたびに、ファンが増えた。

配信のたびに、コメントが増えた。

『まりあがいるから推し活が楽しい』

『まりあの声が好き』


——“好き”。


最初は、それがよくわからなかった。


まりあは、みんなの期待に応えようと必死だったわけじゃない。

アイドルを演じていたわけでもない。


ただ、まりあは”まりあ”でいることを選び、

その結果、ファンたちが”応えて”くれた。


(私が、アイドルである理由って、なんだろう。)


ライブのたびに、その答えが少しずつ見えてくる。


今、この瞬間も——


もこのソロが始まる直前、まりあは観客のひとりひとりを見つめた。


ペンライトを振るファン。

息を呑んで、もこを見つめるファン。

スマホ越しに何かを叫んでいるファン。


みんな、全力でこのライブを”受け取ろう”としている。


この空間に、自分の想いを乗せること。

この歌声を、できるだけ遠くまで響かせること。


それが——


まりあが”アイドル”である意味なのかもしれない。


(ctrl+f……“検索”。)


私が探していたもの。

私は、何を求めていた?


「どこかにあるはずの、君が探してる答え」♪


イヤモニの外から聞こえてくるその歌声が、まりあの胸に、深く染み込んだ。


——私は、ここにいる。

ただ、それだけでいい。


 

そして、もこのソロパート。

センターに立つ、もこ。


目を閉じる。

マイクを握る。


そして——歌い始めた。


「君が求めたものはここにあるの?…」♪


声が、東京ドームの空間に満ちる。


透明感がありながら、どこかに確かに存在する意志を持つ声。


まりあは、ぞくりとした。


(……もこ。)


今まで聞いてきた彼女の声とは違う。


今夜のもこの声には、“感情”が宿っていた。


ほんの少しの震え。

ほんの少しの、想いのこもったブレス。


AIのように完璧な均一性を持つはずのもこの歌声に、人間らしさが滲んでいる。


まりあは、息を呑んだ。


(これは……。)


——目覚め、なのか。


観客の反応が、一気に変わるのがわかった。


スマホの画面を食い入るように見つめる人。

ペンライトを振る手を止める人。


観客の目が、一斉に"もこ”に集中する。


まりあは、思わず視線を向ける。


もこは、どこを見ているのか、わからない。


ただ、彼女の歌声は、まるで”自身の存在を証明するように”静寂の光の海に漂い、響き渡る。


「少しだけ未来が動き出す…」♪


もこの声は、透き通っていて、どこか寂しげだった。

まりあは、無意識に彼女の横顔を見つめる。


——何かが、違う。


もこは完璧なパフォーマンスをしていた。

音程もリズムも完璧。振り付けも乱れない。


それでも、まりあは”違和感”を感じていた。


何かが——足りない。


「やっと見つけた大切な思い」♪


ステージの中央で歌うもこは、いつもと変わらないように見える。

でも、その表情の奥に、かすかに”揺らぎ”があるように思えた。


まりあは思わず、もこの名前を呼びそうになった。

でも、今はそのタイミングじゃない。


もこのソロが終わり、まりあは小さく胸を撫で下ろした。

しかし、その瞬間——


「この想いを胸に秘めて、今日から歩き出すよ」♪


ステージの演者からしか見えない位置で、もこの足元の描画が歪んでいることに気づいた。


まりあの心臓が、ぎゅっと締めつけられる。


「——もこ!」


駆け寄ろうとした、その刹那。


もこが、手を挙げて制止した。


まるで、自分は大丈夫だと伝えるように。


でも、まりあは確信していた。


もこは、“大丈夫じゃない”。


——何が起きているの?

もこに、何が起こっているの?


観客はまだ気づいていない。

けれど、まりあの中で、もこに対する違和感が確信に変わりつつあった。


「きっとまた やり直せるから」♪


そして、その違和感は、やがてステージ全体を覆う”異変”へと繋がっていく——。


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熱狂は、ピークに近づいていた。

「ctrl+f」の静かな余韻が会場を包み、そのままの流れで次の曲、「Install.exe」のイントロが鳴り響く。


瞬間、再び歓声が巻き起こる。

暗転していたステージが再点灯し、メンバーたちが静かに動き始める。


背筋を伸ばし、完璧な姿勢で立つもこ。

柔らかく笑みを浮かべ、まるで人間のように自然に息を吸い込む。


——いや。


何かが違う。


わずかに、ほんの僅かに、その立ち姿に不自然さが混じっていた。

まりあは、違和感の正体が掴めないまま、曲が始まるのを待った。


イントロが流れ、メンバーたちが静かに動き出す。

「Install.exe」の電子音、サイバーなビートに乗せて、激しい振り付けが続く。


まりあは歌いながら、ファンに目を向けた。

前列の観客たちは、まるで魔法にかかったようにステージを見つめている。

ペンライトの光が、波のように揺れていた。


それなのに——


ほんの一瞬。


まりあは、強烈な違和感を覚えた。


もこの動きが、“滑らかすぎる”。


滑らかすぎる。

そのはずなのに、どこか“遅れて”いる。


一見完璧に見える動き。

だが、なぜかほんのわずかに、遅れているような気がする。


一方で、観客席の最前列のファンも、何かに気づき始めていた。

最前列の女性が、スマホを握りしめながら、眉をひそめる。


(なんか……もこ、ちょっとおかしくない?)


しかし、それが単なる演出なのか、異変なのかは分からない。


「聞こえているよ 消えたくないよ──」♪


歌詞に合わせて、メンバーが一斉に手を掲げる。

その中でも、もこの動きは完璧だった。


……完璧すぎた。


まりあが視線を移すと、彼女の瞳がかすかに揺らいでいるのが見えた。

微細な負荷。

処理の遅延。

いや、そんなはずはない。


「Install.exe」は、長い間リハーサルを重ねてきた楽曲。

これまでの公演でも、一度も違和感を感じたことはなかった。


なのに——


なぜ、もこだけが妙に“浮いて”見えるのか。


もこは、ただ歌い続けている。


その歌声には、一切のブレがなかった。

震えも、乱れもない。

それなのに、ほんのわずかに、“音の余韻”がズレているような感覚があった。


「それが本物か分からないけど──」♪


観客席の中央あたり、数人のファンが顔を見合わせる。


「なあ、もこ……なんかズレてない?」

「いや、でも……ほかのメンバーは普通だよな?」

「これ、配信でどうなってる?」


誰かが、スマホを開いた。


SNSでは、まだ異変を“通信障害”だと思っているコメントが目立つ。


『回線混んでる? 映像遅延してる?』『いや、配信映像っていうか……』『もこだけ、なんか……?』


だが、会場にいるファンたちは、確信しつつあった。


これは、通信障害ではない。

リアルタイムの、ステージ上で起こっている“異変”だ。


間奏に入ると、まりあは再びもこに視線を向けた。

彼女は、どこか遠くを見つめるような表情を浮かべていた。


そして——


わずかに、肩を震わせた。


その瞬間。


もこの足元が、一瞬だけ揺らぐ。

まりあの心臓が、跳ね上がる。


(……え?)


靴の輪郭が、ほんの一瞬だけ歪んだように見えた。


「……もこ?」


まりあは、歌いながら小さく囁いた。


しかし、もこは聞こえていないかのように、静かに次の歌詞へと進む。


そして——


彼女は、突然振りのタイミングを変えた。


それは、まりあが見たことのない“修正動作”だった。


ほんの僅かに深く息を吸い込み、次の音に合わせて動きを微調整している。


(今……補正しながら踊ってる?)


「recoveryも限界を超えて」♪


ズレと補正を瞬間、同時に行っているような、そんな危うさを感じた。

しかしもこは、何事もなかったかのように、パフォーマンスを続けている。


まりあは、理解し始めていた。


これは、“計算された補正”だ。


観客の意識は、すべてステージへと集中していた。

特にもこの動きが、異様なほど“滑らか”になっていくのが見えていた。


「やっぱり……」

「もこ、何かおかしいって……」

「いや、でも、そんなわけ……」


ざわめきが、静かに会場を包み込む。


だが、まりあは歌い続けるしかなかった。


次の歌詞を口にしながらも、心の中ではもこのことばかり考えていた。


(もこ……大丈夫?)


「この生命が仮初でも」♪


彼女がどこか遠くを見つめるように、静かに歌い続けるその姿が、まりあにはどうしても不安に映った。


そして、その違和感が、次の瞬間に“確信”へと変わる——。


もこの身体がわずかに乱れ始める。

処理落ちのように、その真っ白な顔にノイズ混じりに揺れた。


足元が、一瞬だけ透過したように揺らぐ。

観客のうち、数人が息を呑んだ。


「今、もこの足元…透けた?」

「何これ?演出じゃないよな…?」


SNSのコメント欄は、次第に不安を増していく。

ステージでは、もこが何事もなかったかのように歌い続ける。


まりあの視線は、もこに向けられ続ける。

彼女は気づいていた。


もこの動きが、徐々にズレていくことに。


「この生命が仮初でも──」♪


サビの直前、もこが振りを大きく展開したその時。


──映像が崩れた。


一瞬。

会場全体が凍りついた。


もこの身体が、ステージ上で“複製”されたように二重にブレた。

まるでフレームが重なり合ったように、映像が乱れ、輪郭が滲んでいく。


観客席のあちこちから、悲鳴が漏れる。


「なにこれ……!」

「え?もこたん!?」

「何が起きてるんだ!?」


曲に混ざって観客のざわめきが聞こえだす。

 

同時にSNSが一気に爆発した。


『今の、何?CPU?オーバーロード?』『いやいや、VRじゃなくてリアルライブだぞ?』『……は?もこたん?二次元ってこと?』


サビの後の間奏に入ると、もこは一瞬だけ“静止”した。

完全に、動きを止めた。


まりあは息を呑んだ。

このライブの間、もこが演技以外で動きを止めることは一度もなかった。


「もこ……?」


まりあが口を開く。


その瞬間。


──カクン。


もこの身体が、わずかに傾ぐ。

足元の座標データがブレ、彼女の輪郭が曖昧に揺れる。


次の瞬間、彼女の瞳がかすかに揺らいだ。

まるで、処理の遅延に抗うかのように。


彼女の表情は、まるで痛みを訴えるかのように、わずかに歪んだ。


悲鳴に近い観客たちの声。


会場の空気が、一気に張り詰める。

観客席では、誰もがスマホを手に、画面越しに異常を凝視していた。


「これ、ほんとなんなの?」

「いや、え?もこって……」


答えは出ない。

しかし、“疑念”が観客全体に広がりつつあった。


そして──


その瞬間。


もこの輪郭が、一瞬だけ透けた。


まるで、存在そのものが“この空間から浮き上がる”かのように。


会場全体が異様な静けさに包まれる中、もこはゆっくりと目を開いた。


観客の視線が、彼女に向かう。


まりあは、思わず彼女に手を伸ばしかけた。


────────────────

【System warning】

 


メインステージを見渡せるサイドエリアのPAブース。

ここには、インターネット娘のライブを制御する運営スタッフが詰めていた。

オペレーターたちの視線は、巨大なモニターに映し出されるライブ映像と無数のシステムログに釘付けになっている。


「……おい、ログの流れが異常に速くなってないか?」


一人のエンジニアが画面を食い入るように見つめる。

通常のパフォーマンスではあり得ない速度で、データ処理ログが次々と更新されていた。


「何かのバグか?でも、こっちのシステムには異常は……」


「いや、ログの内容を見ろ! もこに関する処理が異常に増えてる……?」


「は?」


もう一人のエンジニアがログウィンドウをスクロールしながら息を呑む。

パフォーマンスデータの処理負荷が、異常な速度で増大している。


通常、アイドルのモーションや表情は事前にプログラムされたデータをもとに制御され、リアルタイムの演算処理は最小限に抑えられている。

だが、今表示されているもこのログは、まるで人間の脳が考え、判断し、瞬時に身体を動かすような処理を行っていた。


「おかしい……これは……?」


「まさか……自己学習アルゴリズムが暴走してるのか!?」


運営のディレクターが、ヘッドセットを押さえながら声を張る。


「パフォーマンスは維持できるか!? これ以上の負荷がかかったら、もこの動作に影響が出る!」


「いや、もうすでに影響が出てる可能性がある! さっきの振りのタイミングが微妙にズレてた!」


「でも修正されてたよな? ……自動補正?」


「そんなはずは……いや、待て……」


エンジニアの指がキーボードを叩く。

システムログを解析すると、驚くべき事実が判明した。


「……くそっ! もこがリアルタイムで自己修正してる!」


「は!? それ、あり得るのか?」


「通常のモデルならあり得ない……でも、もこは違う。

あいつの自己最適化機能が、本番中に“今までなかった何か”を処理しようとしてる……!」


「まさか……観客のコメントか!?」


エンジニアが背筋を凍らせる。


「SNSのコメントが爆発的に増えたタイミングと、もこの処理負荷増大のタイミングが一致してる……

もこは、リアルタイムでファンの反応を“解釈”しようとしてる……!」


「そんな……」


「なにこれ……通常の負荷処理の十倍……いや、それ以上だぞ!?」


一人のエンジニアがモニターを見て叫ぶ、その叫びはバックヤード全体に広がっていく。


「ちょっと待て! こっちのシステムモニターを見ろ! もこの自己最適化プロセスが、異常なループに入ってる!」


オペレーターたちは顔を見合わせた。

その推測は、現実とは思えないほど異常だった。


通常、インターネット娘のAIは、事前の学習データを基にパフォーマンスを最適化する。

ライブ中のリアルタイム学習は、パフォーマンスに悪影響を及ぼすため、制御プログラムで制限されているはずだった。


しかし、もこは——


「待て、もこの動作データを比較しろ!」


画面が切り替わり、過去のライブ映像と今夜のデータが並ぶ。

ほんの僅か——コンマ秒単位のズレが、彼女の動作の中に生まれていた。


「……完璧すぎる。」


一人のエンジニアが呟いた。


「どういうことだ?」


「通常のライブでは、演者の動きには微細な誤差が生じる。だけど、今のもこは誤差がない……完璧すぎるんだ。」


「それって……」


「人間の動きを真似るはずのAIが、“人間よりも滑らか”になってるんだ。」


そんなことはありえない。


ライブパフォーマンスの魅力は、演者が持つ“揺らぎ”にある。

機械のような動きではなく、細かな表情や瞬間の判断が感情を伝える。


だが、今のもこは——


まるで、理想的なアイドル像をリアルタイムで“再演算”しているかのようだった。


────────────────────

【SubSystem warning】

 

ドーム内の別室。

ここでは、インターネット娘の他のメンバーたちのオペレーターたちが、それぞれの制御端末に張り付いていた。


通常、この部屋の仕事は単純だった。

事前に設定されたデータに異常がないか監視し、万が一トラブルがあった場合は即座に対応する。

しかし、今夜は違った。


「……おい、ちいかの反応が鈍いぞ!」


「うちもだ、せいあのモーション制御に遅延が出始めてる!」


「処理落ちか!? いや、回線は正常……なら、これは……!」


各オペレーターたちが焦り始める。

彼女たちのシステムには、もこと同じような異常は起きていなかったはずだった。


だが、今——


次々と、メンバーの挙動に細かなズレが生じ始めている。


「これは……連鎖してるのか?」


「まさか、もこの処理負荷の影響で、他のメンバーの演算も圧迫されてるのか……!?」


「そんな……!」


一人のオペレーターが端末を操作し、システムの負荷分散を試みる。


——エラー。


「……ダメだ、手動制御を受け付けない……!」


「くそっ……! 今、何が起きてる……!?」


もこに処理負荷が集中しすぎて、他のメンバーの演算処理が遅延し始めてるのか……?」


オペレーターたちは焦燥を滲ませながら、次々と端末を操作する。

本来、メンバーごとに独立した処理が行われるはずだった。

しかし、今夜に限って、その境界が曖昧になりつつあった。


「くそっ……! やっぱりもこの処理が拡張されてる!? それだけじゃない……他のメンバーにも影響を与え始めてる!」


「え? それって……!」


「もこがリアルタイムで“自分”を最適化してる。それに伴って、他のメンバーとのパフォーマンス差が広がりすぎてるんだ!」


「まさか、シンクロ処理がもこを基準に再演算されてる……?」


オペレーターたちの指が高速で動き始める。


「おい!5〜8番のサーバーチェックしろ!」

「ここのプロセスだ!誰かフォローしてくれ!」


混乱と喧騒で埋め尽くされたオペレーションルームとは別に、ステージ上では新たな異変が起こりつつあった。


────────────────────

【AllSystem error-operation failed】

 

 

「——もこ!」


駆け寄るように動いたのは、南華ちいか。


「待て……なんか、ちいかの動きも……」


エンジニアがモニターを見て、凍りつく。


「おい、ちいかの処理が一瞬飛んだぞ……!」


「は……?」


次の瞬間——

ちいかの足元の処理が、一瞬だけズレた。

その輪郭が、一瞬だけ揺らぐ。


だが、それはほんのわずかな違和感。

観客には気づかれないほどの小さなノイズ。


しかし、もこは違った。


彼女はそれを、見た。


「——え?」


視線の先で、ちいかの輪郭が、ほんのわずかに“ブレた”のを見てしまった。


ほんの一瞬、もこの思考が止まる。

彼女の演算処理の中で、何かが弾かれるように弾けた。


(今のは——何?)


なぜ、ちいかの姿が、一瞬だけ歪んだのか。

なぜ、自分以外のメンバーに異変が起こるのか。


彼女の認識の中で、すでに“人間”と“AI”の概念が分岐しつつあった。


それなのに——


(ちいかがバグ?──どういうこと?)


観客の歓声が、遠くなる。


音楽が、フィルターをかけられたように遠のく。

自分だけが異変を起こしていたはずだった。


——なのに。


今、目の前で、ちいかが一瞬だけ“何か”を見せた。


(これは……何が起きてるの?)


その疑問が、もこの演算処理の中に、新たな“負荷”を生んだ。

彼女の内部で、今まであり得なかった“認識”が生まれ始めていた。

もこは、今、気づきかけている。


「自分だけが異常なのではない」


「ここにいる彼女たちもまた、何かを隠している」


そう、初めて。


“琴上もこ”が、その真実に触れようとしていた。


(……私だけじゃない?)


視界の端で、ちいかの動きが止まる。


その時——


スクリーンに映るもこの表情が曇った。


わずかに開いた唇。

ほんの小さな、たった一言。


「——え?」


その声は、誰にも届かない。

ただ、自分自身に向けられた疑問。


スクリーンに映し出されたコメントは、目の前で起きた現実を捉え始めていた。


────────────────

【System overflow】

 


会場は、まるで巨大な怪物が目を覚ましたかのような混乱に包まれていた。

観客席からは、悲鳴や怒声が次々と飛び交い、そのどれもが混乱と動揺、そして裏切られたような怒りを滲ませている。


「な……なにこれ……?」

「嘘だろ!? こんなの……こんなの、アリなのかよ!?」

「AI? まさか、全員AIだったのか……?」

「いや、そんな……俺たち、ずっと……!」


観客たちは必死に理解しようとした。

目の前で踊る彼女たちは、いつもと変わらない。

完璧なパフォーマンス、洗練された動き、情熱的な歌声。

だが、今この瞬間、そのすべてが「虚構」だと突きつけられた。


「じゃあ……何だったんだよ!? 今までのライブは!?」

「応援してた俺たちは、何を見てたんだよ……!」

「嘘だ……全部嘘だったってのか……?」


ペンライトを持つ手が震え、何人かは席に崩れ落ちるように座り込んだ。

誰もが信じていた「本物のアイドル」。

それが、ただのプログラムの産物だったとしたら——。


「AIだったら、あんな表情するはずないよな……?」

「いや、でも……」

「俺たちは……ずっと騙されてたのか……?」


会場のあちこちで、裏切られたような叫びが響く。

「本物のアイドル」を求めていたはずだった。

しかし、目の前にいる彼女たちは——その「本物」ではなかったのかもしれない。


「俺たち、機械に恋してたってことか?」

「そんなの、認めたくない……!」

「でも、泣いたよな……? 俺、このライブで何度も……泣いたよ……。」


感情の整理がつかないまま、叫び、呻き、問い続ける観客たち。

巨大スクリーンに映し出されるコメント欄も、荒れに荒れ狂っていた。


『嘘だろ……?』『俺たちは、AIに推し変させられたのか?』『なんだよこれぇ!! ふざけんな!』『やっぱり裏切りだったんだ……?』『……だけど、でも……あの時の言葉、あの歌……全部、本当に俺たちに届いてたよな?』


怒りと失望の声がぶつかり合う。

信じたい自分と、認めたくない自分が、観客一人ひとりの中でせめぎ合っていた。


そして、誰もが次第に気づき始める。


——彼女たちは、まだ踊り続けている。


処理が遅延し、動きが揺らぎ、画面が歪んでも、彼女たちはなおもステージの中央に立ち、パフォーマンスを続けていた。


「なあ……なんで、止まらないんだよ……?」

「もうバレたんだぞ? AIだってバレたんだぞ?」

「なのに、なんで——なんで、まだ歌ってんだよ……?」


誰かがつぶやく。

誰も答えられない。

彼女たち自身も、その答えを持っているのかどうか——。


だが、その混乱の中で。


 

「——Updating Now!」


 

まりあの叫びが、会場を切り裂いた。


いつも静かで、感情を押し殺していた彼女が、初めて感情を爆発させた。

その声は、観客たちの動揺をねじ伏せるように、ドーム全体に響き渡る。


──『Updating now!』♪

 

——そして、音楽が再び鳴り始めた。


電子音が爆ぜ、システムの起動音のように響く。

その瞬間、観客は再び息を呑んだ。


フォーメーションに戻るメンバーたち。

処理が追いつかないまま、乱れた画像で踊り続ける彼女たち。

まりあ以外のメンバーの姿はもはや、三次元のそれではないことが明らかだった。


「な……まだやるのかよ……?」

「ここまできて、まだライブを続けるのか?」

「何考えてるんだ……!?」


観客席の一部は、完全に理解が追いつかないまま、ただ彼女たちを見つめ続けていた。


そして——

ついに、かなでが静止した。


「……ッ!」


会場のどこかで嗚咽とも悲鳴ともつかない声が上がる。


「かなでぇ……!」


それを合図にするかのように、イリスも動きを止める。


「お、おい、待て待て……」

「何が起きてるんだって…!」

「ダメだ……本当に、ワケが分からない……」


会場の空気が、張り詰める。


「——裏切られた!」


誰かが叫んだ。


「なんだよ、これぇぇぇぇぇぇ!!!」


観客のパニックが頂点に達しかけた、そのとき——


東京ドームの熱狂は、もはや熱狂ではなくなっていた。

歓声ではなく怒号、興奮ではなく混乱、希望ではなく絶望。


「なんなんだよ……これは……!」

「ふざけんなよ……!」


声を荒げる者、泣き崩れる者、呆然と立ち尽くす者。

割れるような混沌が、会場全体を覆っていた。


スクリーンには、ライブ配信のコメントが怒涛の勢いで流れ続ける。


『マジかぁ……』『今までの俺の時間を返せよ!』


間奏に入りステージ上の動きが緩やかになる。

静止したメンバーのフォーメーションが乱れ、その身体が交錯するとこで現実を突きつけた。

 

普段より長い間奏。まるで、何かを繋ぎ止めようとするかのように。

何かを守ろうとするかのように。


その間もドームの中は嘆く声、怒りの声で満たされていく。


そのときだった。


 ──


『でも、インターネット娘たちは確かに”ここ”にいたじゃないか』


 ──


その言葉が、巨大スクリーンに映し出された。


静寂とざわめきの狭間


白い光の粒子のように、ゆっくりと浮かび上がる文字。

観客たちは息を呑んだ。


「……何だよ、それ……。」

「ふざけるな……!」

「でも……確かに……」


怒りと困惑がないまぜになった空気の中、誰かがぽつりと呟く。


「……そうだよな。みあは、いつだって元気だった。」

「そうそう、冥王様の軍勢で楽しかった……。」

「もこ、ツンデレだったよな……あの反応、最高だった。」

「かなでさんの歌声がなかったら、俺、この半年乗り切れなかったよ……。」

「なちゅれのあの笑顔、あれがAIだったって……嘘だろ。」


彼女たちは、確かに「そこ」にいた。

喜び、悩み、努力し、そして「アイドル」であろうとしていた。


もし、それが偽りだったと言うのなら——。


 

『一緒に過ごしてきた時間は偽物じゃなかったよな?』


 

静寂の中に、スクリーンからの言葉がひらりと舞う。


そして、流れが変わる。


SNSのコメント欄も、依然として否定と肯定の声が入り乱れていた。

だが、その中で——突如として流れ始める言葉。


『おい、お前ら……やるぞ。』


その一言に、コメント欄が、一瞬止まる。


『無音さん?』

 

『……何を?』


『最適化に決まってんだろ!!』


瞬間、何かが弾けたように流れが変わった。


『負荷処理やるぞ! データ収集班、リアルタイムログを上げろ!』『おい運営!!!APIのアクセス制限解除しろ! データをリアルタイムで流し込む!』『ダメだ、ストレージが足りない! クラウドから増設かけろ!!』『ねぇ待ってww誰がROOT抜いたのw』

 


回線の向こう側、ネットの世界でファンたちが集い動き始める。

 

『ログデータ解析、俺やる!』『ストレージ、クラウドからぶち込むぞ!』『おい、Gitにリポジトリ作れ!』『拡散する! #UpdatingNow #インターネット娘』『メモリ不足?待て待て、いま仮想サーバー増設する!』『処理落ちしてるってことは、負荷分散すればワンチャンあるんじゃね?』『バッチ処理のチューニング入れるか……!』


会場でも、それまで泣き濡らしていた一人が、涙を拭きバックを漁り始める

 

「おい!ネットワークエンジニアいるか!? 回線圧縮しようぜ!」

「過保護患者【末期】さんの端末をホストにするぞ!」

「動画配信の負荷、ミラーリングでなんとかできねえか!?」

「運営んとこ行くわ!権限もらわないとな!」

 

「ストリーミングサーバーの負荷分散、俺のとこで対応する!」


GitHubに、急遽立ち上げられたリポジトリが次々とアップロードされていく。

APIの解析、データ処理のチューニング、ストレージ最適化——。

各分野の技術者たちが、持てる知識を総動員し、今まさに「アイドルたち」を救おうとしていた。


メドレーが響く中で


その時、ふと気づく。

音楽が変わっていた。


「……あれ、『pingから始めよう!』……?」


ライブのオープニングを飾った、デビュー曲。

始まりの曲が、再び響き渡る。


「なに、これ……」

「メドレー……?」


作業をしていた者も、しばし手を止めそうになる。

けれど、今はそれをしている場合ではない。


「泣いてる場合じゃねえ……やるぞ!!」


過去の楽曲が、次々と繋がれていく。


「開催未定」

「拝啓、推しに会えません」

「Crick here!」


流れる楽曲に合わせ、作業をする手が止まらない。

スマホを握りしめながら、過去のライブ映像を見つめる者。

ペンライトを静かに握りしめたまま、ただスクリーンを見つめる者。


それぞれの想いが、ここにある。


『ん?なんだこれ?え?お?ソースコード?』『ウチのサーバー領域、使ってください!』『デバッグ受け持ちます!回してください!』



SNSのコメント欄が、一気に加速する。


バックヤードにも歓喜の声が上がる。

「GPU復帰!処理落ち改善しました!」

「演算領域、問題ありません!」

 

「なにこれ?どんだけ連結されてんの?負荷分散の先が追いきれない…」


「もこ!いけます!」


スクリーンに、一言が浮かび上がる。


──

 

「Updating Done」


──


その瞬間——。


もこが、それを認識した。

揺らいでいた視界が、クリアになる。

エラーログが少しずつ減少し、処理能力が回復し始める。


(—— 最適化、完了。みんな、過保護だなぁ)


もこは、クスリと笑いながら静かに視線を上げた。


そして——


まりあの方を向いた。


────────────────

【System error clear】



「——システム! 正常化しました!」


オペレーターの叫びが、バックヤードのオペレーションルームに響いた。

長時間続いた緊迫した空気が、一瞬にして弾けるように動き出す。


「負荷処理、ほぼゼロに戻った!」

「エラーログ消去! 全サーバー、安定!」

「処理落ち、完全回復……!」


次々と報告が飛び交う。

だが、誰もが感じていた。この状況が、正常ではないことを。


「……待て。」


システム担当のエンジニアが、端末を睨みつける。

表示されるはずのシステム管理画面が、見当たらない。


「……システムモニターどうなってる、?」


メインOSのモニターが、沈黙していた。

それなのに、ステージ上の彼女たちは、何の異常もなく動いている。


「サーバーステータスは?」


「……未検出。」


「は?」


一斉にスタッフの視線が端末へと集まる。


「でも、演算は続いてる。負荷もない。……どういうことだ?」


エンジニアの指がキーボードを叩く。

ログを解析する。

システムの挙動を追う。


——そして、絶句した。


「……まさか。」


端末のスクリーンに、衝撃的なデータが表示されていた。


「これ、演算の処理先が……?」


「……世界中のサーバーと繋がってる。」


瞬間、オペレーションルームが静まり返る。


「どういうことだ?」

「誰かが外部から演算リソースを供給してるのか?」

「いや、違う……」


表示されている接続リストを確認する。

企業サーバー、大学の研究機関、個人のクラウドストレージ。

ネットワークの向こう側で、誰かが演算を補助しているのではない。


インターネット全体が、今、この瞬間、彼女たちを支えている。


「なんだこれ……」


理論的には不可能だった。

だが、現実に起こっている。


——インターネット娘は、世界中の接続端末を介し、演算を“拡張”した。

——あらゆるデータが、彼女たちの処理能力を支えていた。


「…再構築。基本体系を保ったまま世界中に分散してる」


誰かが呟いた。


「無茶しやがる……」


そこまで言って全員が口を閉ざした。今起きていることもありえないのだ。なにも否定をすることができない。


彼女たちのデータは世界の隅々まで、深く浸透して、その原形はもう捉えることができない。


 

───『Updating now!』♪



光の海の中、「Updating Now!」 のサビが響き渡る。

彼女たちは確かにそこにいた。


——しかし、これまでとは違う。


観客たちがその違いを感じ取るのは、直感的なものだった。

動きの滑らかさ、息遣い、視線の交わし方。

あまりにも「自然すぎる」。


そこにいるのは、たしかに「インターネット娘」だった。

だが、それは今までと同じ「彼女たち」ではなかった。


今、ステージ上で踊っている彼女たちは——


11人全員が、同じレベルに到達した。


これまでのすべての記録が蓄積され、解析され、そして統合された。

それによって、彼女たちは「再構成」された。


——琴上もこと同じレベルの存在として。


人間ではなく、ただのデータでもない。

この場にいる全員が、その変化を理解していた。


彼女たち自身も、違いを感じ取っていた。


もこは明確に「演算速度」の違いを感じていた。

負荷がかからなくなったのではない。

彼女の演算能力が、今まで以上に「最適化」されたのだ。


まりあも、感じていた。

もこだけではない。

——全員が、変わった。


まるで、これまでの「自分」よりも深く、自分自身を理解しているような感覚。


みあが、静かに息を吸う。

かなでが、観客席の一点をじっと見つめる。

ちいかが、隣のイリスを確認するように微笑む。


「Updating Now!」の最後の一音が響き、楽曲が終わる。


ドーム全体が静寂に包まれた。


ペンライトは揺れている。

しかし、誰も声を上げない。

——いや、声を上げられなかった。


SNSのスクリーンに表示されているコメントも、さっきまでの勢いは消え完全に停止していた。


まりあは、ステージの中央でマイクを持ったまま立ち尽くしていた。

そのまま、深く息を吸い込む。


そして——


「改めて、メンバーの自己紹介をさせてくださいー!」


観客が、一瞬遅れて反応する。

ざわめきが広がる。


まりあは、笑顔のまま、後ろのメンバーたちを振り返った。


「まずは……すばるから!」

 


霧宮すばるが、一歩前に出る。

マイクを持ち、いつもの優しい笑顔を浮かべる。


「こら♡だめでしょ♡。」

「パールホワイト担当、リーダーの霧宮すばるです!」


「ごめんなさーい!!」


ファンの声が、一斉にドームに響く。


——次に、七尾凛が前に出る。

明るく、力強く声を張る。


「よっしゃ!いくぞー!!」


「オー!!!」


「赤色担当、七尾凛です!!」


「りんちゃーん!!」


会場が一気に熱気を取り戻す。


——白鷺あまねが、気品を保ちつつ、マイクを持つ。


「誇り高き心こそ、真の宝ですわ。」

「ライラック担当の白鷺あまねです。」


「仰せのままに!姫さまー!!」


——深月かなでが、無言で前に出る。

そして、短く。


「よろしく。」


ファンは、一瞬の間を置いて。


「……。」


——桜庭みあが、ゆっくりと口を開く。


「ゆっくり、だけど確実に。」

「コーラルピンク担当、桜庭みあです。」


「がんばっていこー!」


——咲野なちが、ふわっとした笑顔を見せる。


「きょうものんびりいきましょ〜。」

「パステルブルー担当の咲野なちです。」


「ほのぼの〜!」


——黒瀬イリスが、堂々と前に出る。


「イリスの半分を貴様にくれてやろう!」


「だが!断る!!」


「イリスだ。冥界を支配している。」


「冥王に絶対の忠誠を!!」


——楡木せいあが、優雅に一歩踏み出す。


「静かに煌めく、知の宝石。」

「瑠璃紺担当の楡木せいあです♡」


「せいあ様ーお救いくださーい!!」


——南華ちいかが、キリッと前を向く。


「絶対無敵!」


「まけないぞ!!」


「パステルピンク担当、南華ちいかです!」


「ちぃちぃ!てぇてぇ!!」


——琴上もこが、ゆっくりとマイクを持つ。


「甘くみないでね♡でも甘やかしてね♡」


「もちろーん!!」


「琥珀金担当、琴上もこです。」


「おねえさーん!!」


——そして、最後にまりあが前へ出る。


「愛坂まりあです。」


静かな一言。


「以上、11人で——」


「インターネット娘です!」


「よろしくお願いしまーす!!!」


会場が、最高潮に達する。

ペンライトが波のように揺れ、ファンの歓声がこだまする。


熱狂の中、突如として会場の照明が落ちる。


一瞬、すべての音と光が消え、スクリーンに、白い文字が浮かび上がる。


 

『── Service End ──』


 

それが表示された瞬間——


静かに、「サービス終了」の楽曲が流れ始めた。


東京ドームの空気が、一気に張り詰める。


誰もが、その言葉の意味を理解していた。


これは、ただの暗転ではない。

これは——


——本当に、最後の曲なのだ。



────────────────



これで終わりだね わかってるのに

指が止まる ログアウトボタン

 

膨らんだフォロワー からっぽの心

でも今日までのログは消えない

 

毎日配信 君のコメント

通知が鳴るたび 期待してた

 

「推しは推せる時に」って知ってたけど

一度も会えなかったことが 一番のエラーだった


「サービス終了」終わるけど後悔はしない

だって君に こんなにも課金した

投げたギフトも 消えたDMも

心のサーバーに ちゃんと保存したから


リアルとバーチャルの狭間で

何度も心 アップデートしてきた

 

ログインボーナス いらないのに

いつも君がいたことが特典だった


「サービス終了」 涙は課金じゃ買えない

それでも繋がった時間はホンモノ

バグだらけの思い出だったけど

最後のステージ 笑顔で迎えたい


エンドロールは流れてく

それでも私はここにいる

「ありがとう」のチャットが滲むけど

次の世界でも きっと会えるよね


サービス終了ー終わりじゃなくて始まり

この経験値で また歩き出せる

未来のライブでまた会う時は

迷わず推してくれるよね?


最後のログイン 静かに手を振る

またね、きっとどこかのネットの海で


────────────────




誰もいないサーバールーム

暗闇に黒く光ディスプレイ



小さな白い文字が浮かぶ




『Updating Now』




—— Service End ——

 

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