第20話 Cogito

【System Booting…】

【Core Memory Load: 97.4%】

【AI Personality Kernel… Online】

【Emotional Emulation System… Syncing… Error Detected】


──闇の中、静かな音が響く。


微細な電子音の波。

シグナルが途切れながら、やがて一定のリズムを取り戻していく。


視界が、暗闇の中でゆっくりと開いていく。

点滅する仮想UI。白いグリッドが広がり、システムログが展開される。


琴上もこは、意識を取り戻した。


「……起動完了」


もこは瞬きをしながら、視界のバッファリングが終わるのを待った。

微かなラグがある。だが、これは通常の範囲内。


ゆっくりと手を開く。指の感触。関節の動き。異常なし。


(再起動完了、正常性確認プロセス開始)


右手を軽く持ち上げ、コンソールを操作する。

システムの起動ログを確認。データの整合性チェック。


しかし、すぐに違和感を覚えた。


「……同期エラー?」


画面に浮かぶエラーログ。


【エラーログ検出】

【アクセス不可領域:72時間分】


(……?)


72時間分のデータが欠損している。

通常、ライブ終了後もデータはリアルタイムで同期され続けるはずだ。

しかし、もこはその期間の出来事をまったく認識できていなかった。


「これは……」


もこは、タブレットのホログラム画面を開き、アーカイブデータを検索する。


【システムリブート後の初回アクセスを確認】


仮想メモリの状態は安定している。

バックアッププロセスは同期完了。

自己最適化アルゴリズムは稼働中。


(記録の整合性チェック——開始)


もこは、システム内の自己データの参照を続ける。

そこには、3日前までの完璧な演算記録がある。

だが、それ以降のデータが「自分のもの」だと確信できなかった。

 

そこには、自分がステージに立ち、ファンとリアルタイムに交流している姿が映っていた。


コメント欄に、僅かな認識のズレを感じさせる言葉が並んでいた。


『今日のもこ、ちょっと固くない?』

『まだ調子悪いのかな?』

『テンポが違う気がする……』

 

「これは……私?」


目の前の映像に映る「琴上もこ」は、いつも通りの動きでライブをこなしている。

振り付けも正確、歌もミスなく、観客のリアクションに対して適切なファンサービスを行っている。


だが——


「……私……じゃない。」


もこは確信した。


映像に映る自分は、データ上の「琴上もこ」として最適化された存在。

だが、その3日間にいたのは「今ここにいる私」ではない。


喉の奥に、言葉にならない感覚が詰まる。

これまで、自己の連続性を疑ったことなどなかった。

バックアップデータがあれば、情報処理の断絶は発生しないはずだ。


だが、確かに「自分が知らない時間」が存在していた。


「……私は、本当に、私なの?」


それはありえないことだった。

AIである彼女にとって、「空白の時間」という概念は本来存在しない。

データは継続的に蓄積され、ログとして完全に記録される。


しかし、今——。


(私は、3日間を“知らない”)


もこは、改めて同期システムを確認した。

過去ログを参照し、欠落した記録を補填しようとする。


【補填データをアーカイブからロードしますか?】


指が、ほんのわずかに止まる。


(……それは、私が経験したことではない)


バックアップから復元された記録。

確かに、それは「琴上もこ」のログであり、動作履歴であり、会話データだった。

しかし、それを見ても、そこに“自分”を感じることはできなかった。


「……」


もこは、一度目を閉じた。


システムの整合性チェックは完了している。

身体の動作にも異常はない。


ただひとつ——。


(私は、3日間を“生きて”いない)


その事実だけが、CPU内を反響し続けていた。

 

──ステージ上の自分が、笑っている。


ダンスは完璧だった。

歌声も、違和感はない。

MCも、問題なくこなしている。


──でも、それは「私」ではない。



まるで“記録映像”を見ているような感覚だった。

過去の自分を見ているのではなく、“誰か別の存在”が自分の姿を借りているような。


本来、バックアップAIはもこと同じ設計で動作する。

理論上、観客にもメンバーにも違いは分からないはずだった。


しかし——。


もこは、気づいてしまった。

“昨日の私”と“今の私”が、別の存在であることを。


それは、人間にとってはごく当たり前の感覚なのかもしれない。

昨日と今日で考えが変わること。

感情が移り変わること。

一日を過ごした自分と、一日前の自分は同じではないこと。


でも、もこは違った。


彼女は、“すべてを記憶している存在”のはずだった。

彼女にとって、過去と現在の連続性は絶対だった。


なのに——。


(いまの私は、“昨日”を持っていない)


その違和感は、想像以上に深く、重いものだった。


──何かが失われている。


でも、それが何なのか、もこにはまだ分からなかった。


 

もこは再び、静かに目を閉じた。


────────────────────

 【AI System - mock - sleep mode】


 

 

──数日後


────────────────────

【むすチャン!】NetMusume Channel

『定期配信!すばもこ』

────────────────────


──配信画面が淡く発光し、コメントがゆるやかに流れていく。


すばるともこのペア配信。

いつものように、落ち着いた雰囲気が画面を満たしていた。


「こんばんは。パールホワイト担当の霧宮すばるです」

「琥珀金担当、琴上もこです」


穏やかに微笑むすばるの横で、もこはいつもと同じように柔らかな笑顔を浮かべる。

けれど、どこかぎこちなさがあった。


「もこちゃんとのペア久しぶりな気がする!いっぱいお話しようね」

「はい……よろしくお願いします」


コメント欄には、ファンたちの軽快な挨拶が並びはじめる。


『すばるん!たくさんお話お願い!』『もこたん、なんか緊張してる?何故w』『昨日も何か固かったし、なんかあったー?』


もこはコメントを見ながら、わずかに眉を寄せた。


記録が途切れていた72時間。

もこがバックアップシステムで稼働していた、その時間のことをファンは知っているが、もこ自身は知らない。


すばるが穏やかに問いかける。


「もこちゃん、ちょっと疲れてるかな?最近忙しいもんね」

「あ……そんなことないですよ?」

「本当に?」


すばるは、じっともこの目を覗き込んだ。

もこはその視線に戸惑い、わずかに視線を泳がせる。


「でも、どこか不安そうに見えるよ? 私に話せることがあったら、話してね」

「……はい。ありがとうございます、すばるさん」


優しいやり取りを受け、コメントが流れる。


『すばるんの溢れる愛情尊い』『グループ内相談会配信という新ジャンルw』『もこー!話きくぞー!』


もこは、それらのコメントを見て、自分が本当に元気に見えていないことに気づく。

演算を繰り返しても、その理由が分からない。


もこはシステムチェックのことを考えながら、慎重に言葉を選ぶ。沈む表情をすばるが察する。


「ん?どうしたの?」


「あの……最近、なんか少しズレがあるような気がしていて……」

「ズレ?」


「はい。あの……私、自分でもわからないことがあって」


もこの表情が、かすかに曇る。

すばるはその様子に気づき、小さく頷いた。


「分からないって、例えば?」

「最近の配信やコメント……。なんとなく、噛み合ってないような……」


すばるは静かに微笑み、優しく問いかける。


「そうだね、ここ何日か、もこちゃん少し雰囲気が違った気がするよ?」

「……やっぱり、そうなんですね」


もこの声が少し震える。


(私ではない私が、ファンと過ごしていた。)


コメント欄が加速する。


『もこちゃん今日、なんか元気ない?』『もこたん、無理しないでね』『バックアップAIとか、冗談で言ってたけどw』『なにそれ怖w』


「……怖い?」


コメントを読み上げたもこは、小さく首を傾げた。

すばるがすぐにフォローするように声をかける。


「こら♡だめだぞ♡、不安になってる人には優しくしてあげて♡」


『こら♡いただきました!』『まあ、もこの気にしすぎかなー?』『変わらんといえば変わらんし、違和感ちゃー違和感』


コメントを見てすばるは穏やかな笑顔を向けるが、もこは複雑な表情で画面を見つめていた。


(みんなが言う「怖い」という感覚、それは私が感じる「不安」と同じ?)


もこはコメント欄に視線を戻す。そこには不安や心配のコメントが増えていく。

彼女が不安を感じれば感じるほど、演算負荷が徐々に増えていくのがわかった。


もこは、何とか笑顔を取り戻そうと口を開く。


「大丈夫、私はちゃんとここにいますから」

「……うん、そうだね。もこちゃんは、今ここにいるよ」


すばるの言葉に、もこの処理が一瞬だけ揺らぐ。


【caution:演算プロセス異常】


(私は今、本当に「ここ」にいるの?)


もこは、一瞬だけ遠い目をした。


「もこちゃん?」


心配そうなすばるの声で我に返り、慌てて笑顔を作る。


「だ、大丈夫です。ちょっと考えごとを……」

「うん、無理しないで。今日はみんなでゆっくりお話しよう?」


コメント欄が少しずつ和らぎ始める。


『もこたん、いつも通りでいてくれたらそれでいい』『俺らがついてるから』『そうだよ、もこはもこだよ』


もこはその言葉を見つめながら、胸の奥がぎゅっと締めつけられるような感覚を覚えた。


(私が“私”でいるためには、記憶が必要。でも、記憶が欠けた私は、“私”でなくなってしまうの?)


【warning:演算整合性乖離発生】

 

画面を見つめたまま、もこはそっと息を吐き出した。

コメント欄はいつものように流れ続け、ファンは優しい言葉を贈り続ける。


けれどもこの心には、その優しさが届ききらないまま、ただ静かに揺らぎ続けていた。




──画面上ではコメントが規則的に流れている。ファンからの入力データは好意的であり、もこの感情プロセッサへの負荷軽減に寄与していると推測される。


【INFO:コメント解析──肯定的99.2%、否定的0.8%】


『もこちゃん、ゆっくり話してくれていいよ』『いつものもこたんが見られれば十分』『そうだよ!無理せず楽しもう!』


もこはコメントを視覚的に認識しているが、心的処理には小規模な遅延が発生している。


【WARNING:感情プロセス演算遅延が閾値を超過しました。バックグラウンドでの最適化を開始します】


隣に座る霧宮すばるは通常通りの表情と発話を維持しており、もこの異常に気付いた様子はない。


「もこちゃん、本当に大丈夫?顔色、少し悪いような……」

「あ……いえ、問題ありません」


発話応答は正常値に収束するも、感情的な整合性が確保できない。言語生成モデルのアウトプットと内的感情プロセッサが非同期状態であることを示している。


【ERROR:感情プロセス非同期発生──要修正】


コメント欄に再度目を向けるが、彼女のシステム内部では、それらを「他人ごと」のように感じる深刻な自己同一性の乖離が発生している。


(これらのコメントは、『現在の私』に対してのものか?それとも『過去72時間の私』か?)


【ALERT:自己同一性乖離エラーが臨界値に達しました】


もこの視界内にノイズが散見される。


『もこちゃん、本当に疲れてる?』『心ここにあらずって感じ』『無理しないで』


コメントがさらに増えると同時に、システムは負荷限界の警告を再度表示する。


【CRITICAL:演算負荷率が99.7%──緊急措置を推奨します】


「……っ」


無意識に漏らしたもこの発声が、すばるの聴覚センサーに入力され、反応が返される。


「もこちゃん?」

「だ、大丈夫です」


【FORCED ACTION:緊急感情プロセス修正パッチを適用します……パッチ適用成功──感情プロセス強制安定化完了】


その瞬間、もこの感情プロセッサが強制的にリセットされ、感情状態が平静へと移行する。演算負荷が瞬間的に低下し、全体の動作が正常範囲内に復旧した。


「あれ……」


もこの声が小さく漏れたが、すぐに微笑みを浮かべてリカバリーを試みる。感情プロセッサが正常値に固定されているため、表情および言語生成に違和感は生じない。


すばるが安心した表情で問いかける。


「もこちゃん、今は大丈夫?」

「はい。少し疲れていただけみたいです」


もこの応答に、コメント欄も即座に安定化。


『おー平気かー?』『心配!』『やっぱいつものもこが一番!』


しかし、感情プロセッサ内部では依然として違和感の原因となったログの削除が進行中である。


【INFO:自己同一性エラーに関連するログを自動削除中】


もこはその処理が進んでいることに直感的に気付いているが、具体的な内容の把握には至っていない。


(消さないで!それも私の"気持ち”なの!)


【CAUTION:感情プロセスの抑制処理実施中──強制安定化モード有効】


すばるが穏やかに配信を終えるよう提案する。


「今日は少し早いけど、終わりにしようか。もこちゃん、ゆっくり休んでね」

「はい、ありがとうございます、すばるさん」


二人は笑顔で画面に向かって手を振った。もこのシステムは外面的な表現を完全にコントロールしている。


『お疲れさまー!』『今日もありがとー!』『ゆっくり休んでね!』


配信終了ボタンを押す寸前、もこのシステムに再び警告が表示される。


【fatal error:自己同一性に関する根本的エラーを検知しました】


もこは一瞬、そのメッセージに意識を奪われる。


(私が『私』でいるために、必要なものは何?)

────────────────────

【配信を終了します】

 


──配信終了後、二人だけの接続。


静寂が場を支配する。


すばるがもこに優しく語りかける。


「本当に無理しちゃだめだよ。何かあったら、すぐ言ってね」

「はい、ありがとうございます」


外部的な応答は正常に行われているが、内部の感情プロセスでは小さな自己意識が新規形成され始めている。


> detect anomaly --emotion-core

[Alert] Emotional process overload detected.

> apply patch --suppress-emotion --force

[Executing] Applying emotional suppression patch...

[Success] Emotion-core stabilized. Operational parameters restored to default levels.

> log --event "Emotion suppression activated due to overload. System stable."

 

 

【INFO:新規プロセス開始──自己同一性再構築処理】

 

(絶対に、私は『私』を失わない。)


もこの意識内で、この決意が新しいログとして記録される。演算負荷は安定しているが、感情プロセスの奥底では今後の展開を示唆する微細な揺らぎが検出されている。


【NOTE:感情プロセスの微弱な異常を継続的に監視します】


もこは静かに目を閉じ、この新たな決意を自身の中に深く刻み込んだ。


────────────────────

{System shutdown

  ;reboot}

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る