十二番目の魔法使い

青居緑

十二番目の魔法使い





 城壁を覆いつくしていた茨が、時間が撒き戻るように地中に消えて行く。開けたところから光が差し込み、街に熱が戻って行く。空気がゆらめく、水が流れる。百年の呪いが、今解き放たれたのだ。若き王子の口づけによって、姫の宝石の瞳は再び光を見て、そして国もまた目を覚ました。人も犬も猫も、虫も。時を数えることを忘れていた時計がカチカチと動きだし、腹をすかせた子どものためにパンを焼いていた釜に火がついた。生きる者、動くもの。何もかも百年前そのままに、ただ百年もの間忘れられた国の周囲を覆い尽くした緑だけが、百年の月日が経ったことを知らせていた。


 彼が目覚めたのは、国のどこも見渡せる塔の上だった。そこには誰も百年が経ったことを彼に伝える者はなかったが、彼は窓からのぞく深緑の国の姿を見て、すべてを悟った。これは百十五年前のあの呪いと祝福なのだ。

 目覚めた彼の傍らにはひとつの骸があった。すでに肉を失って白い骨ばかりのそれは過去に誰であったのかを印すものはないように思われたが、左手の薬指に輝く指輪に、彼はその骸が誰であったのかを悟った。青くきらめく光には見覚えがある。いつか彼が贈った指輪だった。彼は棒切れのような指から指輪をそっとはずした。恐ろしいとも不気味とも思わなかった。指輪を掲げると、陽の光が反射して青い宝石がきらきらと輝いた。外ではひばりが鳴いている。鳥も緑も日の光も、百年前と同じ。誰かが塔を昇ってくる音を聞きながら、彼は胸に押し当てるようにして指輪を握りしめた。祈りを捧げるために。


 



 緑の国と呼ばれる国があった。その名の通り、国土の大部分を豊かな森におおわれた、美しい国だった。

国を治めるのは、光り輝く金の髪と淡い薄紫の瞳をもった王。まだ王を継いだばかりの美しく若き王の名は、ウェルと言った。

王は昨年、隣国の姫と結婚をし、そして姫が生まれたばかり。王の血を受け継いだその赤子は、玉のように輝く愛らしい姫であった。

「姫に多くの幸があるように、この国の魔法使いに祝福をさせましょう」

 それはこの国の古くからの習わしだった。この国には不思議な力をもつ魔法使いがあって、王家の子息誕生にはその幸福と栄光を授けることになっていた。ウェルもまた魔法使いの祝福を受けたのだ。だから、魔法使いを呼ぶことにもちろん迷いはなかった。しかし、この国の魔法使いは十三人。客人のための金の皿は、十二枚しかなかった。十三人の魔法使いの中から一人だけ、招かない魔法使いを選ばねばならない。

 ウェルは考えた。つまり十三人目の魔法使いをどうするべきか。たったひとりの呼ばない魔法使いは誰か。実のところ十一人はもう決まっていた。すべての魔法使いを呼ぶという選択はない。皿が十二枚であることのみならず、黄道に並ぶ星座が十二であるように、姫の祝福は十二が望ましかったからだ。

 残る魔法使いはふたり。白髪のおどろおどろしい仮面をつけた魔法使いと、そしてもうひとり。ウェルはふたりの顔を思い浮かべる。ランプの油があと少しになっていた。窓の外に見えていた月は、いつの間にか姿を消している。この油が切れる前に決めてしまわなければならない、そうウェルは考える。幾度となくペンを握っては下ろす。窓の外の月のない空を見上げる。すべての魔法使いを呼ぶことはできない。そうであるならば、どうするべきか。油はもうなくなりそうだ。もう決断のときが、迫っている。



 宴の夜は満月だった。東の空から月が昇るのを待ち、ラッパの響きと共に祝杯が上げられ、この国の選りすぐりの食材を、そして隣国から取り寄せた珍しい食材も使った色とりどりの料理が次々と運ばれる。魔法使いたちは姫の誕生を喜び、その愛らしさを口々に称えた。

 そしていよいよ、姫に魔法使いの祝福を贈る段となった。ゆりかごに寝せられた姫へひとりひとり祝福を贈る。愛らしさを、優しさを、強さを、ひたむきさを。だが、十一の祝福が贈られた直後のことだった。大石が割れるような轟く音をたてて広間の扉が開いた。その時まで姫を見つめていた誰もが、驚いて扉に注目する。はたして大きく開かれた扉の真ん中には、呼ばれなかった十三番目の魔法使いが仁王立ちしており、その背後からは禍々しい気が広間に入り込むようであった。

 誰もが石になったように動けなかった。大臣も女官たち、そして魔法使いたちや妃、ウェルもまた。恐ろしい仮面をかぶった十三番目の魔法使いは無言のまま大股で広間を歩き、姫のゆりかごの前に立った。恐ろしいことが起こると誰もがわかっていたが、動くことはおろか声を出すこともできなかった。十三番目の魔法使いは右手を振り上げた。その手にナイフでもあるのかと思わせるような、殺気と鋭い動きではあったがそこには何もない。十三番目の魔法使いはナイフを突き立てるごとく鋭く割れるような声で、呪いの言葉を発した。

「姫は十五になったとき、つむに刺されて死ぬであろう」

 十三番目の魔法使いは何事もなかったように振り返ると、来たときのように物も言わず広間を出て行った。乱暴に扉が閉められ、そして幾許かの時間が経ったとき、ようやく広間に時間が流れた。だが、それは先ほどまでの幸福なものではなく、突然の脅威におびえたものだった。

「なんという恐ろしいこと」

 妃は力を失ったように倒れ、魔法使いの幾人かも恐怖に座り込んだ。ウェルは呆然と立ち尽くしていた。ゆりかごの姫は赤子ながらに周囲の異常な空気を察したのだろうか。両手を握り、空気を割らんがごとく泣きはじめたが、誰もどうしていいのかわからない。大臣も女官もおろおろするばかり。誰にも抱いてもらえない赤子はさらにつんざくような声で守るものを求めて泣き叫び、広間の空気はますます凍りつく。だが、誰もかれも息さえ止めたように動かない。そのとき、恐怖に止まってしまった時の流れを動かして、姫に歩み寄り抱き上げた者があった。

「姫はつむに刺されても天に召されるようなことはありません。ただ、百年の眠りにつきます。百年の後、姫は再びそのお姿のまま目を覚ますでしょう」

 それは十二番目の魔法使いだった。深い青のローブ、飾りのついた額飾りには、ローブのように青の石がはめられている。こうして姫は死の呪を免れ、しかし代わりに百年の眠りを予言されることになった。




 その夜。城の東側の塔に向かう人影があった。西側の塔は夜を通して見張りがあるが、東側の塔は西側の塔よりも低いこともあって、見張りには使われていない。日が落ちた闇の中を、さまようように塔に向かったカンテラの火が、東側の塔に向かっている。そして、塔の前で吸い込まれるように消えた。内部に入ったのだろう。そしてそれを見届けた梟が、秘密を隠すように舞い上がった。


 西側の塔は細い尖塔だが、東の塔は西の塔よりも低い代わりにもっとどっしりとした作りをしていて、それは城の別邸に近いものだった。部屋はふたつ。一番上の領土を臨む大きな窓のある部屋と、その下の小さな窓のわずかな調度品があるだけの部屋。今、階下の部屋に灯りがともり、人の声がかすかに漏れている。梟だけが、その声に耳を澄ませている。


「お妃様にはどう話したんだ?ずいぶん戦もなく平和が続いているとは言え、王様が真夜中にひとりで出歩くなんて」

 後ろ手にドアを閉め、ローブの帽子を脱ぎながら男は言った。深い青のローブ。それは今日、姫に最後の祝福を与えた十二番目の魔法使いのものだった。額飾りははずされていて、緑がかった青の瞳がふたつ覗いている。目は垂れているがきりりとした眉が引き締めた面立ちにしていた。

「そのままだ。塔でお前と話をしてくる、とな」

 そっけないウェルの返事に、魔法使いは笑った。からかうような、だがどこか憐みももったような笑いだった。

「何も知らないのか。お妃様は」

「何もとは?」

 ウェルは瞳だけを動かして魔法使いを見た。魔法使いはおどけるように両手を広げる。

「そのまま、さ」

「そうだな。あれは何も知らない」

 扉の前で立ったままの魔法使いに、ウェルは歩み寄った。触れるような距離まで近づいて、魔法使いの瞳に視線を合わせる。魔法使いは目を逸らさない。ウェルはためらうように決意するように息を短くつくと、伸ばした腕を魔法使いの背に回し抱きとめた。そして魔法使いを掻き抱きながら、苦しく言った。

「ずっと、こうしたかった」

「待望の姫が生まれたばかりなのに、とんだ王様だ」

 その声は淡々としていて、何の感情もない。魔法使いの腕は王を抱き返すことはなく、だが振りほどくこともなく、だらりと垂れ下がってただされるに任せるばかりだった。

「今日はすまなかった。お前がいなければ、娘は死の呪いをかけられるところだった」

「いや、呪いを打ち消すことはできなかったからな。力不足で悪かったよ」

「そんなことはない」

 強く抱きしめられたまま、魔法使いは拳を握った。この夜、呼ばれるままここに来たのは久しぶりに二人で会いたかったからではない。ひとつのことを言いたかった。それだけ投げつけて帰るはずだった。どうして抵抗することもなく、こうして抱きしめられているのだろう。そう思いながら、魔法使いは吐き出すように言った。

「どうして、俺を呼んだ?どうして俺を十三番目にしなかったんだ。俺は呼ばれなくたって気にしなかったのに」

 その声は怒っているようで泣いているようで、喜んでいるようでもあった。ないまぜになった感情に魔法使いは翻弄されているようであった。

「……わからない。だが、シリルを呼ばずにはおれなかった」

 魔法使いーーシリルとウェルは、二度と会わないと約束をしたはずだった。ウェルが王位を継ぐときに交わした約束だった。

だがあの日、宴に呼ぶ魔法使いを選んだあの時、ウェルは招待する魔法使いのリストにシリルの名前を書きつけた。それは約束を違える行為になると、そうすべきではないと知りながら、シリルの名を綴る手を止めることはできなかった。

 まだふたりが若く今よりも自由だったころ、二人は密かな恋人同士だった。誰も知らない、ふたりだけの関係。だが、それはウェルの王位継承と結婚で終わった。ウェルはシリルをあきらめ、シリルもウェルを忘れた。シリルは国のはずれで穏やかに暮らし、ウェルのことを思い出すこともなく年を重ねていくはずだった。それなのに、姫の誕生の宴の席に、あろうことかウェルはシリルを招いたのだ。それは、シリルにとってあまりにひどい裏切りだった。

「ウェル」

 シリルは王を彼の名前で呼んだ。その名前を音にするのは久しぶりだと、シリルは呼びかけて初めて気づいた。

「わからないなんて、お前らしくないな。お前はいつだって強引で人のことはおかまいなし、自信にあふれ、迷うことなんかなかった。俺のときのように」

「ああ、確かにそうだったな」

 ウェルはシリルを抱きしめたまま目蓋を伏せた。その表情は、娘を得たばかりの幸せな王のものではなかった。苦しげにうつむいて、ウェルは言った。

「……娘に恵まれ、だが勝手なことを言う私を許して欲しい。私は今でもお前を……」

「それ以上は言うなよ、ウェル。終わらせた過去に執着するな。俺はもうお前に興味はない」

「だが、私の招待に応じた」

「ああ、後悔しているよ」

 ウェルは呻き、そしてシリルの唇を塞いだ。角度を変えて唇を吸って、噛んで、抱きしめたときのように、シリルは拒むことはなかったが、応えることもなかった。

「仕方がなかったのだ。シリルに会いたかった」

「お前は今は国の王なんだ。もっと自覚してくれ」

 その言葉は感情を伴わず、真冬の夜気よりもずっと冷たく響く。それは怒りで拒絶されるよりもずっと、ウェルを傷つけた。だが、それでもウェルはシリルを求めずにはいられなかった。

「それでも私はシリルを愛している」

 一度は捨てた、捨てようとした想いは、悲痛な叫びとなる。

「お妃さまが悲しむ」

 ウェルの愛の言葉が、ずっと無表情だったシリルの顔をわずかに歪めさせた。まだ若かったあのころ、こうしてこっそりと逢瀬を重ねた。数えきれないほど愛をささやきあい、誰にも認められない恋だと知っていても期限付きの恋だと知っていても、燃える熱情は止まらなかった。ウェルが王位を継承する日が決まったそのときまでは。

「私たちの間には、そういう愛はないのだ」

「でも抱いたんだろう。俺にそうしたように。女だからもっとよかっただろう?可愛い娘もできた。なぜ、俺を呼ぶ。放っておくべきだった」

「お前以上の人間などいるものか」

 ウェルは頭を振って、痛いほどにシリルを抱きしめる。

「国を見捨てるわけにはいかない。だが、私はシリルを手放すこともできない。娘の顔を見てわかった。娘や娘を産んでくれた妃は愛しいと思うが、お前に抱く愛とはまるで違うのだ」

「お前は勝手だ。俺まで巻き込まないでくれ。俺はもうお前に関わりたくないんだ。わかってくれ」

「だが、お前は招きに応じたのだ。娘の祝いも、そして今夜のことも」


 かすかに聞こえていた話声が途切れた。それを確認したかのように、梟がふたつ鳴く。

獲物を探しに行くのだろうか、葉をざわめかせながら梟が飛び立ち、闇の中に消えた。

橙色の火は、まだ隠れない。




 姫の誕生日を祝う宴の日から、十五年の月日が流れようとしていた。

姫が十五になる年は、呪いの年。姫がつむに刺されて百年の眠りについてしまう呪い。

 ウェルはその年が近づくと、国中の糸車を焼き払うよう命令をした。糸をつむぐことを生業としていた民は国を追われ、織物を手に入れることは難しくなり、王の蛮行を恨む声は募っていった。民の愛を失っていくことはウェルのこころを痛めたが、だが娘を守るためにすべてのつむを焼き払うことを止めることはできなかった。命を失われるわけではないにしても、百年の眠りはあまりに長い。

「もうすぐ娘は十五になる」

 東の塔から国を臨みながら、ウェルは言った。この国にはもう糸車はない。当然つむもない。もちろん隣国にはあるが、この年ばかりは姫に国から出ることのないようにすればいいだろう。姫が十五になることを、もうウェルはかつてのようには恐れていなかった。

「つむに刺されなければいいな」

 隣でそう言ったシリルは、今、裸の肩にローブをかけたところだった。シリルはあの十五年前の夜から、幾度も、もう数えきれないほどこの東の塔に通っていた。東の塔の姿を臨むたびにため息をつき、扉の前で唇を噛み、それでも階段を上る。ウェルに会うために。

「国中の糸車は焼き払った。つむがなければ、刺されることはない。刺されなければ、呪いは成り立たん」

「幸運を祈るよ」

「何事も起きようがない。娘を脅かすものは、この国にはないのだから」

 自信に満ちた顔をさせて、ウェルは微笑む。窓から差す陽光が、ウェルの金の髪をきらきらと輝かせている。

「それは幸いだったが、お前がこの塔でやたら魔法使いと会うから、噂がたっているようだ」

「私が誰かを呪っているとでも?」

 どうやら噂は当の本人の耳には入っていないらしい。ウェルはなんのことかという顔をして、シリルを苦笑させた。

「それならまだよかったかもな。糸車のこともあって、正直この国では王様への不満が溜まってる。気をつけないと、大事な姫を悲しませることになるぞ」

 王が幾度も特定の魔法使いと東の塔で会っているようだ。護衛もつけず忍ぶのは何故?祈りや呪いのためならば、闇夜に何度も王がひとりで通うのはおかしくないか?

 民はさまざまに噂している。最初は誰かのつぶやきにすぎなかったような噂が、壁を這い上りいつか覆い尽くす蔦のように国中に広がっていく。

「……考えておこう」

どんな噂が立っているのかシリルは言わなかったが、十分だった。

王様の、よからぬ噂。聞かなくともウェルには、わかるからだ。

「明日から何日か隣国に行かねばならん。娘の誕生日に国にいられないのは残念だが、いたしかたないのだ。つむがないので大丈夫と思うが、もしも娘に危険が及ぶようなことがあれば、守ってくれないか」

「俺に頼まなくても、強い兵士がいるだろう?」

「力では呪いには打ち勝てん。シリル……十二番目の魔法使い。お前にしか娘は頼めない」

「信頼されて嬉しいよ、王様」

 シリルは笑って、そして窓の外を見た。緑に覆われた国が目に入る。青い空の下、のびのびと広がる緑。美しい国。

「だけど、王様」

 その呼びかけは、独り言のようでもあった。ふたりのときにシリルがウェルのことを「王様」などと呼ぶことはないが、ウェルはそのことを特に気に留めなかった。ただ、戯れて言ってみたいだけなのだろうと、せいぜいそう思っただけだった。

「なんだ」

「百年眠るのも悪くはないかもしれないぞ。年をとることもなく、ただ眠るだけなんだから。何もかも忘れて、夢の中で」

「馬鹿なことを。では頼んだぞ、シリル」

 シリルの顎をとり、ウェルはその唇にキスをする。幾度も重ねられた行為に、シリルは抵抗などしない。ただ、何かを憂うようにさせながら、まぶたを伏せた。



 姫は塔を登っていた。父である王から立ち入りを禁じられていた塔だった。

『お父様の大事なものがある塔だ。お前は入ってはいけない』

幼いころ、姫はそれをきらめく宝石かそれとも可憐な花か、あるいは男性である父ならば勇ましい甲冑や武器かもしれないと夢想した。父の宝物を見てみたいとねだっても、父は微笑むだけで頷くことはなかった。

 石の階段を音をたてぬようゆっくりと歩みを進める。小さな窓からようやく内部が見える程度の光が差し込むらせん階段は薄暗く冷たく、姫は登っているのに転落して行くような錯覚があった。階段の途中、ネズミが姫を止めるように鳴いたが、姫の父の秘密を知りたい姫の決意が変わることはなかった。

 一番上の部屋には国を眺望する大きな窓と椅子があるだけだった。その下の部屋に降り、こっそりと手に入れた鍵を差し込む。期待していた通り、その鍵はぴったりと鍵穴に収まる。かちりと鍵があき、姫は音をたてぬようそろりそろりと扉を押した。父の秘密を知ろうとする背徳感に、心臓はもはや飛び出そうだ。

 はたして誰もいないと思っていた部屋には、青のローブを着た者があって、姫は思わず声を上げる。ちょうど逆光になってよく顔は見えない。室内にはベッドと文机、それにローブの人物が坐る椅子。それからその人物の前には車輪のついた見慣れない道具があって、傍らの籠には白い綿のようなものが積んである。

「あなたは誰?」

 ローブの人物は姫に驚いた様子はなく、むしろ姫が来るのを待っていたかのようだった。ゆっくりと立ち上がり、姫の前に立つ。

「魔法使いです。姫。この国は十三人の魔法使いがいる。あなたが生まれたとき、私も祝福に行きました」

「お母様から聞いたことがあるわ」

 妃である母は、姫の優しさや愛らしさが魔法使いの祝福の賜物であると言って、だがその話を聞くたびにさめざめと泣くのであった。父はそのことを聞けば話をそらす。大臣や女官も一切話そうとはしない。姫の誕生の話題は、城の幸福を陰らせるのだと、いつしか姫は知った。

「魔法使いなら、お母様が泣く理由を知っているのではなくて?」

「王様もお妃さまも姫を愛しておいでです。姫様は何も心配することはありません」

 姫は首を振った。聞きたいのはそのような答えではない。こぼれるほどの愛を受け慈しまれた姫は、薔薇のように美しく育った。だが、薔薇には棘がある。棘は真実を求め身体を、心を震わせる。

「私は、ここにお父様の宝物を探しに来たの。きっと、お父様の宝物は物ではないのだわ。私にはわかるわ。私はもう十五ですもの」

「何をおっしゃっているのですか、姫」

 淡々とした魔法使いに対して、姫は自身がますます昂ぶって行くのを感じた。

「お父様はお母様以外の誰かをここに隠しているのでしょう。この部屋に」

「ここにですか?他には誰もいませんよ」

姫は頭を振った。そして、先ほどまで魔法使いが使っていた道具に目をやった。

「ねえ、これは何?」

「姫には関係ないものですよ。糸をつむぐ道具です」

 姫は幼いころにこの道具を見たことがあると思った。気づいたときには国のどこにもなくなっていたのだ。車をもった不思議な道具が、姫には急にひどく魅惑的に見えた。

「触ってみたいわ」

「針がありますから、姫を傷つけてしまいます」

「気をつければどうってことないわ」

「いけません、姫さ……」

 魔法使いが止めるのも聞かず、姫は糸車に手を伸ばした。いったいどうしたことか、姫の手は誘われるようにつむに伸び、針が姫の柔らかな人差し指を刺した。姫の人差し指の先に血の玉が浮かんだ。ぷくりと浮かぶ血の珠をみつめ、それから姫はシリルを見た。

「あなたなんだわ。お父様が隠していたのはあなたなんだわ。だからお母様は…だから私は……」

 だが、最後まで言い終えることは叶わず、姫はまぶたを閉じ、床にごとりと転がった。薄く開いた唇からは規則的な呼吸が聞こえる。眠っているのだ。

 魔法使いは、シリルは両手で顔を覆った。こうなることはわかっていた。ウェルには絶対に知られないようにして隠していた糸車だった。十五年前のあの日、ウェルを拒みきれなかったあの日から、シリルはこうすることを決めていたのだ。ウェルに知られぬよう糸車を隠し、ウェルの不在にこの塔に運び入れた。まさかシリルが糸車を持っているとウェルは考えもしなかったのだろう。隠し持つのは難しいことではなかった。あとは姫がやってくることを待つばかりだった。

「若い姫よ。百年の眠りが覚めたときには、きっと何もかもがよくなる。何もかもが」

 ざわざわと、時間を早回ししているように茨が伸び始めている。やがて茨は城を覆い森に隠してしまうだろう。これから永い眠りにつくこの国を守るために。

 窓の外を見ると、瀟洒な馬車が城に入ってくるのが目に入った。ウェルの乗る馬車だ。遅かれ早かれウェルも姫のように眠るだろう。誰もベッドに入るような時間もなく、急に時間が止まったようにそのまま眠るのだ。臣民もウェルも誰もかれも、例外なく、魔法使いであるシリルを残して長い長い眠りにつく。この国は魔法の茨に守られて、時の流れから取り残されるのだ。



 国の様子がおかしいと気づいたウェルは、シリルがいるのではないかと東の塔にやってきたのだろう。だが上まで登ることは叶わず、階段の中途で眠っていた。シリルはその姿を認め、傍らに腰を下ろした。

「やあ、ウェル。とんでもないところで眠ってしまったようだな。お前は気が付かなかったか?これは俺の呪いでもあったんだ。姫は死なず百年の眠りにつく。ただし城もろとも。十三番目の魔法使いの呪いを完全に解けなかったのは嘘じゃないが、あれは俺にとって好機でもあったんだ」

 シリルは顔を持ち上げた。ネズミがようやく通れるような小さな窓から、青い空が見える。すべてのものが眠りについた今、物音ひとつ聞こえはしない。

「どうして俺を祝いの席に呼んだ?どうして王の道に進んだのに俺を欲しがった?忘れてくれればお前もお前の娘もこんなことにはならなかった。俺はお前の娘の顔を見ることもなく、この国を去ることができただろうに。そしてあの宴からお前はまた俺を欲しがった。それがお前のもう一つの間違いだ。そして俺の間違いだ。あんな愛らしい姫を悲しませるなんて、俺たちは最悪だ」

 眠るウェルの髪に指を入れ、そしてシリルは子をあやすように優しく語りかける。

「一人寝が寂しくないように、ずっとそばにいてやるよ。ただし、お前の目覚めるころに俺はいないだろう。あと百年なんて生きられないからな。悪いけれど、骨の始末は頼む」

 シリルはふところに手を入れ、ひとつの指輪を取り出した。ずっと以前、ウェルが王になるより前に、シリルに贈られた指輪だった。ロイヤルブルーの、深い輝き。シリルには青がよく似合う、深い夜から掬い取ったような青。私はこの青を見るととても安らぐのだ。その言葉と共に贈られた指輪だった。ウェルとは秘密の関係だった。だから、今までこの指輪を身に着けたことは一度もなかった。少し思案して、シリルは指輪を左の薬指に収めた。そしてウェルの髪をなでながら、うっとりシリルぶたを閉じる。

 茨が塔の窓も塞いでしまったのだろうか。差しこむ光が弱くなった。もうこの国で起きているのはきっとシリルだけだろう。人だけではなく、動物も植物も、火や風でさえも眠ってしまった。すべてが眠りについた今、ウェルはシリルのものだった。この国でたったひとり目覚めているシリルは、きっとこの国で一番の幸福な夢を見ていた。


おわり



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