暗室の安藤さん
枯木人丸
暗室へ行こう!
安藤光さんは、濃いスクールブレザーと、長い黒髪が印象的な女の子だ。というより、ぼくには他の印象が無い。こめかみに沿って、これまた地味な黒いカチューシャを着けているぐらい。クラスの隅の方に座っていて、頭の高さが自分の目線より下にあって、さらに内気で下を向いている。
まあ、大人しい子なんだな、三年間交流も無く過ぎてゆく、そういう背景の一人だな……ぐらいの認識でいた、ある日のことだ。
袖を引っ張られた。
下を向いたまま、安藤さんは「来て」と言った。
教室内で丸めた教科書を振り回す野球部に、クラスの皆が気を取られている。その間に、安藤さんはぼくを連れだし、廊下で告白しようとした。
「あの……その、ね?」
顔を赤らめる安藤さん。髪の間から覗く目に動揺が写る。
参ったなあ。急に春が来てしまった。
「写真部に、入ってみない?」
はい?
レンズみたいな丸い瞳で、ぼくをはっきり見て、彼女は言った。
ちゃんと顔を見たことが無かったけれど、思ってたより美人だった。
……それで、唐突に体験入部を薦められたにも関わらず、ぼくは応じている。まあ、前から写真には興味があったんだ。祖父から譲り受けのカメラも持っているし。まあ、現像という行為を試すいいチャンスだとも思ったし。安藤さん、思ってたより綺麗だし。暗室でしょ。二人きりで居られるかもしれないわけでしょ。これってもう、結婚じゃんか。
「このネガを見て」
はい!
暗い中で振り向いた暗室内の安藤さんは、申し訳なさそうにしている教室の時とは違って、妙に凜として、真剣だったため、ぼくは勢いよく返事してしまった。で、何だコレは。
「集合写真。顧問の先生と違って老眼じゃないから見えるよね。右の方、分かるでしょ?」
吊したネガフィルムの、ピンセットで示した一枚。体操着の男女が並んで写っている。その二列目、前から三番目。なにか……大きな手のようなものが、写っている人の頭を押さえつけているような……。
なにしろネガだし、小さすぎて、色も反転しているから、ちょっと見づらいな。現像してみたら?
「だめっ」
迫真の様子で、彼女は拒否した。黒髪が揺れる。
「あいつらが、また出てきちゃう」
あいつら?
そう頭の中で反復した瞬間、暗室の隅の方に人影が見えて、うわっとぼくは飛び上がった。息を飲んだ安藤さんも、人の背中に隠れようとする。
二人で反対側の端に、勢いよく下がっていった。備品の袖机にぶつかる。何かに捕まろうと探り、部のカメラを掴んでしまった。固くて重くて、冷たい感触。
「で、出たわ!」
指ささなくてもわかるわかる。無理。
ひえっ……昔の軍服を着てるぞ。
「だから、私、怖くて……」
そうか、部室に来れなくて、ぼくを体験入部させたのか。人選を間違えていないか。陽の気がある奴を呼んだ方がいいと思うぞ。例えば、野球部とか。軍服の幽霊が一歩踏み出した。まずい!
そうだ。光だ、光を、ダメだ。この暗室、初めて来たからスイッチの場所なんて覚えてない。そうでなくても、後ろを向いたらダメだ。目を離せない。光、光、光!
安藤さんは腰を抜かすぼくの背中から手を伸ばして、両手でカメラを持つ僕の手をふわっと掴んだ。手の甲を包む柔らかい感触。そして、カチカチと操作して……内蔵のストロボを展開させる。カメラを掲げさせ、シャッターにかけていたぼくの人差し指を、上から圧した。意外に冷静で、正確な操作だった。
チャッと眩い光が辺りを満たし、軍服は姿を消した。
ああ、ああ、危なかった……。
「――よかった。来てくれてありがとうね」
先程の危機から、すっかり切り替わった安藤さんは、カメラの端に付いたハンドルを回してフィルムを巻き取っていた。
これ、どういうことなの?
「部室にある、このカメラで撮ったネガには、幽霊が混じるのよ」
聞いてみれば、ネガになった幽霊はポジ変換、つまり現像することで再び動き出すのだという。先日、彼女はそういう仕組みとは知らずに、うっかり古いネガを現像してしまったのだ。それで部室に軍服姿の幽霊が出るようになって、彼女はしばらく近づけなかったのだという。ここ数日、ずっと眠れないほど悩んで、思い詰めていたのだそうで。
友達も居なさそうな安藤さんは、それで一緒に行ってくれる人を探していたというわけだ。なんで自分なのだろう。
「毎日、近くの神社に参拝してるでしょ。だから、この人なら、と思ったの。フィルム、巻き終わったわ」
そう言って、安藤さんはカメラの底部の蓋を開き、フィルムの筒を転がす。まあ確かに参拝はしていますが。通学ルートですから。一日いいことがあるように、ぐらいの気持ちで小銭を投げてたりはするけど。
暗室のロッカーを開けてフィルムを収納する様を見ていて、嫌なことを考えてしまった。じゃあ、歴代の部員が撮ったネガがそこに収まっているわけで……そこは幽霊だらけじゃないか。
それに、ネガを現像したら幽霊が動き出す、動き出した幽霊はストロボを焚いて撮影したら消える。ということは、幽霊は増殖させられるってことじゃないか!
帰らせて頂きます。もうここには来ない。
逃げようとしたぼくの袖を、安藤さんは掴んで引いた。
「こんな大変なこと、誰にも言えない」
お願い。なんとかするのを手伝って。
レンズみたいな大きな瞳を潤ませて、そう言うのだ。
繰り返すが、安藤さんは美人である。
その小さな力を振りほどいて、逃げきるのは難しい……。
暗室の安藤さん 枯木人丸 @Kareki_Hitomaru
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます