どうせ最後ならsideB

りお しおり

sideB

 やってしまった、と隣で呟く声がした。


 夢との狭間でまどろんでいた意識が隣で身じろぎする気配に浮上し、その言葉に一気に覚醒した。

 昨夜の彼女はとにかく酔っていた。俺の制止も聞かずに飲み続け、潰れた。


 から元気なのはわかっていた。昨日に限ったことじゃない。彼女はずっと、無理をしていた。

 女だからという理由で弾かれること以上に、女だからという理由で優遇されることに傷ついていた。時代錯誤な男社会の会社で踏んばっていたのは、意地もあっただろう。

 それでもどんなにつらくても、理不尽なことがあっても弱音は吐かなかった。愚痴は湿っぽさを吹き飛ばすようにしか言わなかった。


 頼ってほしい、弱音をぶちまけてほしいと思っていた。何度も言おうと思った。でも、言えなかった。きっと彼女は、一度弱音を吐いたら立ち上がれなくなると思っていたような気がしたから。

 昨日だってそうだ。俺の転職を祝ってくれたけど、俺がいなくなったらしんどいと言ってほしかった。自分勝手なのはわかっているけれど、寂しいと言ってもらいたかった。


 負けん気が強くて、感情は豊かなのに強がりで、本当は脆い。頼ってほしかった。力になりたかった。でも、彼女が対等でありたいという気持ちを守りたかった。

 その気持ちはずっと、友情だと思っていた。当時の恋人に指摘されるまでは。好きな人ができたから別れよう、と言ったその元恋人は、「あなたはわたしを好いてくれてたし大切にもしてくれてたけど、心の内には別の誰かがいたでしょう。自覚もしてなかったかもしれないけど。わたしは時々、一緒にいても寂しかった」とも告げた。


 彼女への想いを自覚したからといって、何かが変わるようなことはなかった。彼女は恋愛関係にならない友情を信じていて、その変わらないものに安心感を持っているようだった。そもそも彼女には恋人がいた。

 彼女が恋人と別れた後も、俺たちは何も変わらなかった。好きだと伝えて何かが変わるより、彼女の望む関係でいたかった。いや、本当は臆病だっただけだ。このままなら、彼女の傍にいられるから。


 友人の起業の話をうけることは随分悩んだ。それでも、今の会社には未来が見えなかったし、新しいことをしてみたかった。彼女のことは気がかりだったが、それで何かを諦めるのも違うと思った。

 友人が人手がほしいと言っていたのも大きかった。彼女の話をしてみると好感触で、そのことも昨夜話してみようと思っていた。だけど、彼女はそれ以上の話を聞くのを拒むように飲み続け、潰れた。


 彼女を家に送りながら、理性とたたかっていた。無防備な彼女はそんなことお構いなしでもたれかかってくる。

 やっと理性とのたたかいを終えられると思ったのに、あろうかとか彼女は誘ってきた。それは不慣れさが伝わってくる、あまりにもぎこちないものだった。それがかえって愛おしく、煽られた。


 それでも。

 それでも抗ったのだ、欲情に。彼女の切迫した不安定さのせいであって、俺は誘いにのってはいけない。理性を働かせる俺の想いを無視するように、彼女はやめなかった。

 俺は止めることができなくて、彼女を抱いた。


 彼女は必死に俺を求め、名前を呼んだ。何度も好きだと繰り返した。求めてすがりついてくる様子はあまりに扇情的だった。

 果てた後、疲れて眠った彼女の涙を指で拭ってやった。少し前までの乱れた姿が夢だったのではないかと思うくらい、彼女の寝顔はあどけなかった。それでいて、かすかに眉間が寄っていて苦しそうにも見えた。俺はそんな彼女を抱き寄せて、眠りについた。



 やってしまった、と呟いた彼女は、すべてを吐ききるようなため息をついてからベッドをおりた。音を立てないように歩いていき、やがてかすかな物音と給湯器の動いている音がしてきた。シャワーを浴びているらしい。


 彼女はきっと、自棄やけになっていた。何もかも、終わってしまうような心地だったのかもしれない。

 俺たちの関係は、これからどうなるだろう。離れていく俺のことなどもう、どうでもいいと思ったのだろうか。裏切られたような気持ちだったのだろうか。友情が終わるなら、壊してしまいたい衝動に駆られたのだろうか。

 でも、俺を求めてきた彼女の様子はそれだけなのだろうか。俺は、少しだけ自惚うぬぼれたい。


 いずれにせよ、もうこれまでのような関係には戻れない。どうせ最後なら、伝えてみよう。好きなのだ、と。一夜の過ちで終わりにしたくないから。

 彼女のいなくなったベッドの上で、彼女が戻ってくるのを待っている。



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