第6話(裏)
暦では八月は終わろうとしているのに、うだるような暑さは全く衰える気配を見せない。その上、芸能人という肩書きがあれば、売れていなくてもそこそこに忙しく動き回らなければならない。
そのため、帰宅した時、双子は暑さと疲労でうんざりしていた。
「疲れたー! 水ー!」
「怜、その前に手洗いとうがい!」
「バイキンに負ける僕じゃないもん!」
「油断大敵!」
「台所の流しでやるから、それで許して!」
言葉通り、乾いたシンクで十秒ほど手をすすいだ怜は、拭くこともせずに冷蔵庫から天然水のペットボトルを取り出す。二リットルの大きなものだが、中身はもう少ないから、とラッパ飲みで一気に飲み切った。
「あー、生き返る……あ、静の分はコップに入れとくねー」
「どーも」
洗面所の方から聞こえた返事に、律儀だなぁと怜は思う。手洗いうがいなど、大人になってからも守っている人間はどれほどいるものか。感染症が流行れば別だが、逆に言えば、そうでもなければ面倒なだけなのだ。
空になったペットボトルを片付けて、新しく開けたボトルから静のマグカップになみなみ注ぐ。水が満ちたマグカップを残して、怜は対面キッチンを出た。
リビングのソファーに腰を下ろし、天井を見上げて大きなあくびをする。汗もかいたし、本来なら風呂に入ってさっさと寝るのが筋なのだが、まだ空腹を満たしていなかった。
ちょうどキッチンにやってきた片割れの姿を見とめ、声を上げる。
「ねー、冷蔵庫になんかある?」
「あーっと、ちょっと待って。……インスタント麺でいーい?」
「お腹膨れればなんでもいいやぁ。頼んでいいの?」
「今キッチンいるの僕だし、ついでだよ。ちょっと待っててー」
「サンキュー」
投げキッスを送れば、見事に避けられた。片割れの迷いない動きにケラケラと笑いながら、怜は暇つぶしにスマホを手に取る。
SNSの更新は、帰りの電車の中で済ませてあるから、もうやることは特にない。遊ぶだけだ。ただ、メッセージがいくつかきていたから、それに返答はした。
返信を終えると、動画サイトを立ち上げる。仕事用ではない、個人用のアカウントだ。音楽でも聴こうと思ったのだが、新着の生配信を通知する欄に、『奇跡の体現。今宵、降霊は成功します』というタイトルの動画があった。スピリチュアル系の動画をよく見るせいで、時々こういったイロモノ系の動画も流れてくるのだ。
いつもならば無視するのだが、今日はもうすぐ夕飯が出来上がる。あまり夢中になってしまうものだと、空腹と好奇心の不要な葛藤が生まれてしまうだろうと怜は考えた。
たまにはイロモノ系もいいか。
そう思って、怜はその動画をタップした。
『本日は、こちらをご覧いただき、誠にありがとうございます』
ちょうど生配信が始まる時間だったようだ。画面上には、二人の人間が映っている。一人は老婆で、紫のフェイスベールをつけている。もう一人はエメラルドグリーンのベールを頭からかぶっていて、顔が見えない。ただ、背格好から、女性であることはわかった。
二人とも、それぞれのベールと同じ色のローブに身を包んでいた。
「……ん?」
首を傾げる怜の前で、老婆の語りが流れていく。
『この世には、我々のように物質で構成された存在だけでなく、純粋なエネルギーのみを糧とする非物質の存在がおります。そのエネルギーの呼び名は何でもよいのです。エーテル体、霊力、魔力、波動、気功……人によって、さまざまな意見があるでしょう』
チャットの方では、ネットらしい無遠慮なコメントが流れている。
『本日は、そのエネルギーの実在を、皆様にご覧いただきたく、この場をご用意いたしました。それが彼女です』
「……静」
「なーに? もうあと一分半待って」
「これ、渡貫さんじゃない?」
「え?」
対面キッチンから出てきた静に、スマホの画面を見せる。すると、片割れも目を見開いた。
『これから、霊媒たる彼女に、とある御方を降ろします。その様子を見て、皆様にも、非物質的なエネルギーの存在を実感していただければと思います』
「渡貫さんだ」
「だよね? 何してんだろ」
「……何してんだろ」
空腹も忘れて、双子は食い入るようにスマホを見た。
『今日、こちらにお呼びするのは——Ron Tita様です』
老婆の方が告げた名前に、双子はにわかに驚いた。チャットでは[いや誰]と率直なコメントがある。さもありなん、と双子は顔を見合わせ苦笑した。
[ロン・ティータのことでは。明治くらいにイギリスと日本を行き来してた薬の商人。有名じゃないけど、哲学者としては一応名前が残ってる]
[サンクス]
[薬? 医者だったん? で、商人で哲学者? キャラ盛ってるな]
[詳しくは知らない。無名だからネットでもヒットしないし。ただ、日本のどこかに、ロンがイギリスから持ってきた木が生えてるはず]
[外来種輸入じゃん]
[で、なんでそのロンさんが呼ばれてんの?]
[わかりません]
[草]
老婆からの反応は無い。チャット上でのやり取りなど気にしていないか、そもそも見てもいないのだろう。
『それでは、降霊を始めます』
老婆の両手が祈りの形に組まれ、その口が聖書の一節を唱えている。
『産めよ、増えよ、地に満ちよ。地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべてのうおと共に、あなたたちの前におそれおのにき、あなたたちの手にゆだねられる』
ただ、なぜその部分なのかは、双子にもわからなかった。
『あ、ぁ、あああぁ、ああああぁああぁああああ』
画面の中で、アリアと思われる人物がうめき出す。
『ううぉあああぉあああああおあああああああああああ』
その声は苦しそうで、獣の咆哮にも、断末魔の悲鳴にすら似ている。双子は目を細め、確信した。
きている。
『あ、ぁああぁぁあ————fa ll oak 』
呻き声のようなその声は、女性のものというより、男性のダミ声に近い。
『f a ll oak fal l o ak』
声は同じ単語を繰り返している。
『fa l l oak f al l oa k ea rl y e a r ly』
よほど、それが強い願いなのだろう。
チャットでも、流石に異様な気配を察知したらしいコメントが増えてきた。巻き込まれるかもな、と思った怜は、老婆心から忠告の言葉を打ち込んだ。
[本物きてるよ]
ちょうどその時、ずっと黙っていた老婆が、口を開いた。
『ロン先生。どうか、奇跡を』
暗転。真っ暗になった画面を見つめたまま、双子はじっと待つ。これで終わりではないことを知っているからだ。
やがて、画面いっぱいに、明らかに西洋人である老人の顔が映った。
『I want to fall oak someone early.』
ダミ声でそう告げたかと思うと、老人の姿は消え、画面は元の動画サイトに戻る。そこには配信終了を示す文言が表示されており、これで終わりだ、と嫌でもわかった。
意味がわからないながらに、ひとつだけ理解した双子は目を見合わせ、無言のうちに互いの確認をとり、同時にため息をつく。
「何してんの、じいちゃん」
呆れたように首を傾げ、祖母に連絡をとるため、怜はスマホの通話アプリを立ち上げた。
*
件の配信動画は、一晩のうちにネットの一部界隈で大いに騒がれた。いくつかのSNSで動画の切り取りが出回り、拡散された。いわゆる「バズり」というものだ。
そのため、チャンネル主である占い師のチャンネルは“本物”のチャンネルとしてさまざまな人間に認知された。当然、その占い師・トリニタスの名前も界隈で知られることになった。
そのSNSは賑わっていて、元は数十人だったフォロワーも一気に四桁まで膨らんだ。プロフィールには、トリニタス本人と思われる老婆の顔写真が載っている。フェイスベールで下半分は隠れているが、目元だけでも老婆だとわかる写真だ。
それをスマホ上で眺めながら、怜は「うーん……」とこぼした。
「……で、怜。ばあちゃんはなんて?」
「やっぱり、この人に心当たりはないってさ。念の為アルバムとかも漁ってくれたそうだけど、収穫はなし」
「うーん……先生、って呼んでたから、知り合いかもって思ったんだけどねぇ」
「うん。でもまあ、なんでロン爺さんを呼んだ降霊で、じいちゃんが出てきたんだろうっていう疑問は残るけどね」
「本人じゃなくて息子だからねぇ。間違えたとか?」
「どっちが? 呼んだ方が? 呼ばれた方が? ま、どっちにしても間抜けだけれども」
「間抜けなバカな話、で終わればいいけどねぇ」
うんうん、と頷き合いながら、双子はリビングのソファーに並んで、腕を組んでいた。
ほんの時間潰しのつもりで見た動画でとんでもない爆弾をもらったせいで、夜もろくに眠れなかった。疲れている上、今日も仕事だというのに、だ。いい迷惑だ、と怜は誰にともなく毒づいた。
時計を見れば、もう朝の六時になろうとしている。今日は七時に出発の予定だった。ここまでくれば起きていた方がいいと判断した双子は、あくびを押し殺しながら会話を続けた。
「渡貫さんと連絡とった方がいいかなぁ。あ、でも家も電話番号もわかんないか」
「うーん。こんなことならうまいこと言って連絡先交換しとくんだったなぁ」
「……ちなみに、静は、あの占い師、どう思う?」
「完全に偽物ってわけじゃないと思うよ。じいちゃんが引き寄せられてたみたいだし、力があるのは本当だろう。でも、たぶん本人が思ってるほどじゃない」
「その心は?」
「ちょっと技術かじった初心者が、ベテランぶってるような印象」
「なるほどね」
「怜はどう思った?」
「僕も静に賛成。下手に自惚れてそうで、厄介なタイプだと思う」
「その心は?」
「できるできると嘯いて、結局トラブルばかり起こす迷惑な人って感じ」
「なるほど。……まー、でも、いま一番心配なのは、そこじゃないよね」
「うん。渡貫さんがどういうつもりなのか分かんないから何とも言えないけど……」
双子は目を見合わせた。
「司くん、大丈夫かなぁ」
カーテン越しに朝日が差し込む。それがやけに眩しかった。
*
その日の仕事は移動が多く、幸いにも道中で多少の仮眠をとることができた。ローカルな店をまわり、町のマル秘スポットを見つける、という趣旨の番組だ。もっとも、主にしゃべるのはメインキャストの女優で、双子は賑やかしに近い。
ロケバスとして使われているハイエースに乗り、うつらうつらと船をこいでいると、怜の耳に女優の声が届いた。
「そうだ、皆さん、この動画見ました? 本物だー、ってバズってるんですけど。最後のおじいさんがすっごい不気味なんですよ」
スタッフの一人が「あー知ってます」と気の無い返事をした時、怜は目を開いた。
座っているのは最後尾の席だ。そのすぐ前の席に、女優が座っている。彼女は嬉しそうにスマホの画面を隣に座るスタッフに見せていた。
やがて、怜の視線に気づいたらしい。女優が振り向いた。
「あ、お二人もご覧になりました? これすごいですよね。やらせだとしても、すごい臨場感」
「あー……それ、今どれくらい拡散されてます?」
「え? えーっと……万バズってます。でも、本物かやらせかで大論争が起きてますから、半分炎上みたいなもんでしょうけど……いいなぁ。皆に見てもらえて」
その全部が悪口でも、だろうか。思った疑問を飲み込んで、怜は隣に座る片割れの方を見た。
静もまた、居眠りの姿勢のまま、しっかりと開いた目が女優の持つスマホに向けられていた。
「では、これで収録は終わりでーす。お疲れ様でしたー」
「お疲れ様でーす」
さまざまな声が重なって、テレビ局に帰るキャラバンを見送った。寝不足と仕事の疲労で、双子はすでに眠気を通り越して頭痛を覚え始めている。
「ねえ静。そのあたりの公園で一回休もうか? 倒れそう」
「それならせめてファミレスにしない? クーラー効いてるし」
「あー……賛成」
おぼつかない足取りで道を歩く双子は、自然と無言になった。
ファミレスに入り、適当な軽食を注文した双子は、料理がくるまでの間、二人とも目を閉じていた。疲れた頭では思考も決断もできない。少しでも回復したかった。
「お待たせしましたー。オムライスと、ハンバーグプレートでーす」
店員の声で、双子は目を開ける。店員にお礼を言って、それぞれスプーンと箸を手に取った。
「ん、おいしい。静、ハンバーグの方はどう?」
「おいしいよ。それより怜。こぼすなよ」
「僕がいくつだか知らないと見える」
「何言ってんの。地球上の誰よりも知ってるよ。僕の保険証みる?」
「自分ので済むからいいよ」
そんな軽口を叩きながら、腹ごしらえを終える。あとはお会計だけ、となり、怜が伝票を持って立ち上がった。
「どうする?」
「まあ、しょうがないよね」
「しょうがないね」
「使えるものは、使おうか」
双子の声が重なった。
レジを済ませて店を出る。静がスマホを取り出した。
「……あ、どうもお疲れ様です。いま電話大丈夫ですか? よかった、実はちょっとお話があるんですが」
マネージャーは忙しい。暇だったわけはないだろうが、それでも用件不明の電話の相手をしてくれるあたり、本当に人がいいと怜は思う。
静は日常と同じトーンで話を続けた。
「今、ネットの一部でバズってる動画、ご存じですか? そう、あの占い師の降霊のやつ。あれにロン・ティータって出てくるでしょう。そう、ネットでも情報がほとんど残ってない謎の人物」
静は、名前の通り静かな声で告げた。
「ロンは、僕らの曽祖父です」
さあ、もう戻れない。怜は夕焼け空を見上げ「明日は晴れるなぁ」と呟いた。
*
ロン・ティータは、哲学者として四冊の著作を残しているが、逆に言えばそれ以外の軌跡は何も残っていない。ただし、双子は曾孫だから、明治時代、薬を売る行商人として英国と日本を行き来していたという事実は知っている。しかし、身内といえども、自分達が生まれる前に亡くなっている人物だ。ロンの息子である祖父が話した内容しか、双子は知らない。その祖父も、双子が成人する前に鬼籍に入った。祖母は存命だが、曽祖父は祖父が十代の頃に早逝しており、祖母自身は面識がないと聞いている。祖母もまた、祖父からの伝聞でしか、ロンを知らない。
だから、今やロン・ティータという人物のことは、祖父母の話と、数冊の著作から窺い知ることしかできないのだ。
その少ない情報から推し量るに、ロンは温厚な人柄で、誠実な人物だったと思われる。ロンを語る双子の祖父の表情は穏やかだったし、話の内容も人助けをしたとか誰かから感謝されたとか、そんなものばかりだった。
一方、彼が残した著作の中では、まるで世界を人生を悲観しているかのような文章が綴られている。四冊ある著作は連続しており、それぞれ四大元素の「地水火風」がテーマとして当てられている。祖父の話では、ロンは五つ目の著作を書いている途中で病に倒れ、そのまま亡くなったそうだ。
絶筆となった五冊目の原稿は祖父が保管しており、今は祖母が管理しているはずである。
優しく、博愛的で、しかしだからこそ悲劇ばかりの現実を嘆いていた男性。
それがロン・ティータという人物だったのだと、双子は理解している。
*
ロン・ティータのことと、その曾孫である双子の名前を綴った記事を公開した。すると、アクセス数が一気に伸びた。半日足らずでページビューが四桁に達したのを見て、双子は感嘆の声をこぼした。件の動画が拡散されてから、まだ一日半しか経っていない。トレンドに乗ることができた、ということだ。
「いやぁ、すごい反響ですね。仕事の依頼も増えましたし」
事務所のパソコンの前に座り、嬉しそうにそうこぼすマネージャーに、双子は何も言えなかった。身内をネタにして名を売ったことへの罪悪感——ではない。ロンもその息子である祖父も故人であるし、祖母もそういったことを気にするタイプではない。両親はそもそも問題にならない。だから、焦点はそこではないのだ。
ロンの名前を出した占い師。彼女の正体、アリアの意図を、双子は知りたかった。自分達がロンの曾孫だと世間に知られれば、仕事で接触できるかもしれないと考えたのだ。
何より、幼い子どもの安否がかかっている、という点が、焦燥を抱かせる。
あの占い師は、きな臭い。
双子は、その直感が当たっていないことを祈った。
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