第3話(裏)
スマホをスクロールしながら、萩野怜は大きなあくびをした。
それを隣で見ていた静が、ため息まじりに言う。
「怜、これから取材だよ? 大丈夫?」
「へーきへーき。仕事モード入ったらあくびなんか出ないから」
「頼むよ。貴重なアピール機会なんだから」
「はーい」
そんな会話をしながら、双子はレストランのソファー席に座っている。並んで座る二人の前は空席だ。これからやってくる雑誌記者のために空けているのである。
「ファッション誌の人だっけ?」
「くくりとしてはそうだったはず。普段はガーリーアイテムとかのトピックを扱ってるけど、僕らが売りにしてるジェンダーフリーについて特集したいらしいって、マネージャーは言ってたね」
「嬉しいねぇ」
「本当にねぇ」
レモンソーダをすすりながらくすくす笑い合っていると、やがて「お待たせしました」と声がした。
双子が顔を上げると、若い男性が立っている。
「萩野さんですよね?」
「そうです」
双子が同時に答えると、雑誌記者はホッとした顔で、空いている席についた。
「改めまして、雑誌MXの者です。ご存じかもわかりませんが、女性向けの雑誌ではありますが、今後の方針として、ファッションアイテムだけでなく、社会派のトピックも扱おう、ということになりまして、今回の取材をお願いいたしました。」
雑誌記者から差し出された名刺を怜が受け取る。
「萩野怜です」
「萩野静です」
双子が名乗り、記者もウエイトレスにウーロン茶を注文した。双子の正面に着座した記者は、視線を頼りなさげに左右へ回らせている。
「双子とはお聞きしていましたが、本当にそっくりですねぇ。ええと、あなたが静さん、ですか?」
「はい。ベストを着てるのが僕です」
「金色のペンダントをつけてるのが怜でーす」
なるほど、と頷く記者に、まず静が問いかけた。
「最初に確認したいのですが、記者さんはジェンダーについてどの程度ご存じですか?」
「いやぁ、それがお恥ずかしい、全くの素人です。ただ、編集長的には、ずっと扱いたかった話題のようでしてね。今回の企画にはずいぶん気合いが入っているんですよ。雑誌名からして、英語圏の性別を問わない、ムクスという敬称からとったものだそうですから」
「ああ、ミスでもミスターでもない、三番目の敬称ですね」
「向こうはジェンダーフリーの動きが日本より活発ですからねぇ」
「ええ。ただ、私も今回の取材にあたって、編集長から最低限これだけは読んでおけって渡された冊子がありますから。それは熟読してきましたよ」
「へえ、見せてもらってもいいですか?」
「はい、これです」
記者はくたびれたカバンから、一冊の文庫本サイズの平べったい本を取り出した。表紙には「性的多様性について」 とある、一般向けというより、医療従事者が見る類の冊子に、怜には見えた。
「……編集長さんは、この冊子をどこで?」
「さあ、そこまでは。ただ、専門家からもらったものだから間違いない、とはおっしゃってました」
おそらく、病院で配布されているパンフレットをもらったのだろう。そうあたりをつけた怜は、こっそりと笑った。
専門家だから正しいという盲目的な感覚も、時には危うい偏見となることを知っているからだ。
やがて、ウエイトレスがウーロン茶を持ってきた。それを一口飲み、記者はズボンのポケットから黒い表紙の手帳を取り出した。
「では、そろそろ取材を始めたいと思います。早速ですが、いくつかご質問させていただいてもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「ご随意に」
記者が礼を言う声に、ボールペンの芯を出す音が混ざる。
「まず、萩野怜さんがXジェンダー、萩野静さんがトランスジェンダーということで活動されているとお聞きしました。ただ、恥ずかしながら、トランスジェンダーについては耳にしたことがあるのですが、Xジェンダーの方は、怜さんのプロフィールで初めて知ったんです」
「でしょうね」
「最近出て来た概念ですからね」
「はい。そこで、まずはそのあたりからインタビューできましたら、と」
「Xジェンダーはアイデンティティの問題なので、一口に説明するのは難しいです。ただ、それを無理やり簡単に言うなら……そうですね。男性でもない、女性でもない性別、という自己認識、ですね」
記者は額をぽりぽりとかいている。簡単じゃない、という言葉が、その苦笑から読み取れた。
「ええっと、つまり……両性具有のような?」
「それはインターセクシュアルと言って、また別ですね。それに、Xジェンダーは無性、両性、中性の三タイプがいると言われてます。僕はその中性タイプに近いです」
「はあ……なるほど」
わかってないな、と、双子は目配せだけで笑い合う。
次に口を開いたのは静だった。
「まず、性別をアイテムだと考えてみてください。男性アイテムと女性アイテム両方を持っているのが両性タイプ、どちらも持っていないのが無性タイプ、二つを半分ずつ持っているのが中性タイプ、というイメージです」
「ほう……アイテム、ですか」
「ええ。この話をするとややこしくなるのは承知の上ですが、性別をアイデンティティとして捉えるか、単なるファッションとして捉えるか、社会的役割として捉えるかは人それぞれで、怜は性別イコールファッションという感覚が強い人種です」
「性別が、ファッション……ですか?」
不思議そうに首を傾げる記者に、怜はくすりと笑った。
「ファッションでしょう? 僕らは皆、服装で人を見分けてるじゃありませんか。学生服を着ているから学生だ、警察の制服を着ているから警官だ、スカートを履いているから女性だ……こんな具合に。そして、学生じゃないのに学生服を着ていたら? 警官じゃないのに制服を着ていたら? 男性が明らかな女性物を身につけていたら? なぜ、と首を傾げるでしょう? 性別というのは、見た目なんですよ」
「ま、警官以外が警察の制服を着るのは、身分詐称になりかねないけどね」
静のツッコミじみた補足に、怜は「そうだね」と頷く。記者はまだ怪訝そうな表情をしていた。
「性別はファッション、見た目……たしかに、ジェンダーフリー的に考えれば、そうかもしれませんね。ただ……すいません。私自身はごく一般的な人間なもので。感覚がうまく捉えられないでいます」
「でしょうとも。仰った通り、突き詰めればこれは感覚の問題です。 たとえば、青が好きな人が赤を着ろと言われたとする。そこで、いやいや自分は青が好きなんです、と主張する。僕にとってXジェンダーの自認は、そんな感覚です」
「うーん……色の好みと性別って、同列なんですか?」
「それも感覚の問題ですね。僕にとっては、自分の望むスタイル、という点で同列です」
記者はまだ首を傾げている。もっと具体的な例えが必要か、と怜は思った。
「たとえば、スポーツが好き、と言った人がいたとします。でも、それだけじゃ実は何もわからないじゃないですか。スポーツを、プレイするのが好きなのか、観戦するのが好きなのか、はたまた勝つための作戦を考えるのが好きなのか、終わった試合に対して、よかった点や悪かった点を考察するのが好きなのか、単純に選手個人のファンなのか。全部違うでしょう? ましてや、野球好きとサッカー好きでは話は合いませんし、同じサッカーファンでもライバルチーム同士のサポーターが出会えば一触即発になりますよ。要は、人による。この一言に尽きますよね」
「……その話で言うと、スポーツの部分にあたる主語が、性別になる、ということでしょうか」
「まさにそうです。性別だけ語っても、実はその人のことは何もわからない。一般的に、女性はファッションが好き、男性はスポーツが好き、といったイメージはあるものの、個人レベルになった時、当てはまらないことも多いでしょう。ファッションに無頓着な女性もいますし、スポーツに興味がない男性もいます。そこに“なんで? おかしい”って言われたら、むっとするでしょう? 世間のイメージ合っていようがいまいが、それは、その人が感覚的に“心地いい”と感じている在り方です。それは他者が無闇に踏み込んでいいものではない」
「なるほど……ありがとうございます」
サラサラとメモを取った記者は、続いて静の方へ顔を向けた。
「萩野静さんからも、トランスジェンダーの立場で何かコメントをいただきたいのですが」
「そうですねぇ。何がいいでしょう。炎上覚悟なら、言いたいことは山ほどありますが」
「ああ、いえ、そこは穏便にお願いします。たとえば……先ほど話に出た、性別への考え方について、萩野静さんはどう思ってらっしゃいますか?」
「大衆規範、ですね」
さらりと告げられた言葉に、しかし意味がわからなかったのだろう。記者は何度もまばたきをして「もう一度お願いします」と聞き返して来た。
静はくすりと笑った。
「大衆規範です。今の時代はだいぶ寛容になってきたとはいえ、まだまだあるでしょう? 女らしさ、男らしさ、これは女の仕事、これは男の仕事、そんなものです。なんとか女子ブームとか、男子が音頭をとるべきだとか……そういう、かくあるべし、という規範、ルールですね」
「はあ……性別を、世間のルールの基準として捉えておられる、ということでしょうか」
「まさにそうですね。少し語らせて貰えば、性別が大事だと言われる理由って、わかりやすいからだと思うんです。まず見た目が違う。声も違う。体格も違う。実際、性別が違えば体の作りもホルモンの働きも思考の癖までもが変わってくる。だから、性別で分ければ、ある程度の傾向は固まってくる。わかりやすいんですよ。本当に」
「わかりやすい、というのは、何となく頷けます。たしかに、見た目がまず全然違いますね」
「はい。僕自身はトランスジェンダーで、FtM……体は女性でも心は男性、というタイプなわけですが、まあこれは理解されにくいわけですよ。知識としては知っていても、感覚としては共感できないという方が大半でしょう。女性、男性という従来の区切りがわかりやすい分、そこから外れてしまうと非常にわかりにくくなってしまう。……ここだけは誤解しないでほしいのですが、ジェンダーやセクシュアリティに興味がない人も大勢いるのは百も承知です。それが問題だとは思いません。ただ、中途半端に興味を持って、こちらの話もろくに聞かずに、自分のイメージだけで騒ぎ立てる。それはやはり困ってしまいます。それなら無関心の方がよほどいい。そこですね。悩みは」
「SNSでも、たまに誹謗中傷まがいのコメントがきますからねぇ」
「あまりに度がひどいものは通報してますけどね」
怜の言葉をそう補足して、静の話は終わった。
記者はペンの頭を自身のこめかみに当て、一うなりした。
「……はい、ありがとうございます。なんというか、覚悟はしていましたが、やはり複雑な問題ですね。言葉での表現が難しいというか、なんというか」
「それは仕方がないですよ」
「どこまで行っても、感情や感覚、そういう精神的な問題ですからね」
「はあ……そう言っていただけるとありがたいです……ただ、記事にするには、やはりもうちょっと具体性が、ですね……」
「ファッション誌でしょう? ユニセックスなアイテムの紹介を中心にすればよいのでは?」
「いやー、もちろんそういったアイテムも出しますが、やはりオリジナリティをですね」
「では、こういうのはいかがでしょう」
一瞬、間があった。
「わたしたちは、隣人です」
二つのよく似た声が重なり、その主たちはよく似た顔で、同じ微笑を浮かべる。
「同じじゃないかもしれないけど、近くにいる。知らない、気づかないだけで、そこにいる。そういう意味を込めて……どうでしょう?」
怜がほほえみかけると、記者は納得したという表情になった。
「それ、いいですね。特集のキャッチコピーとして、編集長に提案してみます」
「おや、そうですか。ありがとうございます」
「はい。いい記事にしてみせます」
そうして、両者はにこやかに笑い合った。
取材が終わり、あいさつを交わして、記者は帰っていった。レストランのガラス越しにその背中を見送った怜は、『三森義樹』と書かれた名刺に目を落とす。それをひらひらと弄びながら、隣の片割れに問いかけた。
「どう思う? あの人」
「そうだねぇ。例えて言うなら、文化部の顧問になってしまった熱血教師、かな」
「その心は?」
「空回りしそう」
静の端的なコメントに、思わず吹き出す。笑いを押し殺していると「怜は?」と問い返された。
「うーん、そうだねえ。ちょっと怖いかな」
「その心は?」
怜はグラスの底に残った氷をストローでつつきながら応えた。
「嘘がうまそう」
カラン、と、氷が鳴った。
*
薄い黄色に塗られたマンションは、オートロックがついていない。ロビーは管理人室から見張ることができるものの、誰もいないことが多いから、セキュリティなどないも同然だ。無人の窓を通りすぎれば、薄暗い廊下の先にエレベーターがある。五階までの階数表示がされたそれに乗れば、すぐに住民たちの居住スペースだ。
怜と静が暮らす部屋は、四階にある。エレベーターを降りて三つ目の扉。そこを開ければ、茶色い壁紙と、白木のフローリングが目に飛び込んでくる。玄関を入ってすぐにリビングがあり、左手には対面キッチンが、右手には双子の寝室に続く扉がある。真っ直ぐ視線を向けた先は、ベランダに続く大きな窓だ。
ベランダからの眺めはいいとは言えないが、日当たりだけは抜群だ。その窓の横をテレビスペースにしたせいで、快晴の日はカーテンを閉めなければ画面が見にくい。そのテレビの正面、リビングの真ん中には丸く黒く丸いラグが敷かれており、その上には薄緑色のソファーがある。
中古で買い揃えた家具や家電は、双子のどちらの好みとも違うが、そんなことは使っているうちに気にならなくなるものだ。
双子がこの家に住むようになってから三年が経つが、案外居心地よく暮らしている。
「どんな花が咲くのかなぁ」
窓際に置いたサッカーボール大の鉢植えをつつきながらそう呟けば、後ろから片割れがため息混じりに応えてくれた。
「怜、気が早いよ。昨日植えたばかりじゃない」
「待ちきれないんだよ。しかし、種のお楽しみパックなんて、売ってるもんなんだね。花の福袋じゃん」
「それは確かに、ね。咲く頃が楽しみだよ」
ケラケラと笑い合う双子は、自宅マンションのリビングで羽を伸ばしている。今日は久しぶりのオフだ。売れていないといえども、芸能人はそれなりに忙しいのである。
「あーあ、出かける予定だったのになぁ」
「急な雨じゃしょうがないね。ネットで映画でも見ようか」
「映画もいいけど、本が読みたいな。あれ、どこ置いたっけ」
「ハードカバーの小説なら寝室のデスクチェアの上。この前買った新書なら台所のポットの横だよ」
「さすが静。頼りになるぅ」
「頼ってばかりいないで、いい加減、ぽんっとそこらに置く癖をやめなよ」
「何言ってるのさ。オニイサマに見せ場を作ってあげてるんじゃない」
「いいよ、自分で作るから。お気遣いなく」
「それは失敬」
軽いやりとりをしながら、怜は対面キッチンの中から新書を持って出てくる。会話が止まれば、外の雨音がよく聞こえた。
「止まないねぇ」
「しょうがないねぇ」
「きちゃってるんだからしょうがないよねぇ」
「雨雲が?」
「うん、それも」
クスクスと笑い合いながら、双子は窓の前に並んで立った。
二対の目は窓の外を見て、降り注ぐ雨粒を眺め、同時にまばたきをした。
「いけないね」
「いけないものが来てるねぇ」
「種が、芽吹かないといいけど」
重なった二つの声は、雨音の中に消えていった。
*
『ユニレスの相談室』
皆さんこんにちは。
今日もまた、外国の昔話をしたいと思います。
あるタネを拾った青年の話です。
昔々、とある貧しい青年がいました。青年は妻と二人暮らしで、毎日ひもじい思いをしながら、必死に生きていました。
そんなある日、青年は道端で、己の爪の先ほどもある大きなタネを拾いました。
もし育てて実がつけば、さぞ食べ応えがあるに違いない。そう思った青年はタネを拾って、庭の隅に埋めました。
しかし何しろ青年は貧しく、たくさん働かなければいけないので、忙しない毎日の中で、すぐにタネのことを忘れてしまいました。
それから季節が一巡りした頃、妻が病に倒れました。
薬を買うこともできない青年は、苦しむ妻を見ているのが辛くて、庭をぼんやりと眺めていました。
すると、隅の方で、青年の腕ほどもある太い茎を持った双葉が顔を出していることに気づいたのです。
青年はその時、ようやく大きなタネのことを思い出しました。
近づいてみると、その双葉は青年の腰に届くほど背が高く、将来はさぞ大きな花が咲くに違いないと思えました。
見たことのない大きな双葉に驚いた青年は、閃きました。
こんなに特別な芽なら、きっと素晴らしい栄養があるはずだ。そう思って、青年は葉っぱの一部を切りとり、細かくちぎってお湯に混ぜ、病気の妻に飲ませました。
その日の夜、物音で目を覚ました青年は、家が燃えていることに気づきました。飛び起きた青年は、妻の姿を探しました。
妻は、炎の中で軽やかに踊っていました。
呼びかけても妻は答えず、ただ楽しげに歌を歌い、踊り狂い、炎の中に消えていきました。青年はどうすることもできず、一人、家の外に逃れました。
朝になり、焼き尽くされた家から妻の亡骸は見つかりませんでした。ただ、焼け跡から濡れた足跡が伸びており、それは川のほとりへと繋がっていました。
失意に沈む青年をよく知る村の老婆が言いました。
「アベル。よくお聞き。彼女はもう戻らない。鳥になったと、思うしかないんだよ」と。
母を失った少年が、燃え残った庭の隅を見ると、太い茎の先には、ヴィオラにも似た大輪の花が咲いていたといいます。
ルサールカの種、というお話です。
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