◇ プロデュースと腹痛


「お待たせっす、ユーリ。──と、ユーリの恋人さん」

「恋人じゃねえっ!」


 思わず声を張り上げる俺の横で、アリョーナは頬をわずかに染めながら、くすっと笑った。


 ちなみに、ターニャの前で、アリョーナは顔を隠さないでいる。『訳ありの客は多いっすから。自分も気にしてないっす』初見で何かを察したらしいターニャは、あっけらかんと言ってのけた。



「──この釜で、スロットが8つっスね。容量拡張も済んでて、容積の十倍の量を一度に作れるっス」

「へえ、8つか。いいな」


 両腕で抱えてみると、ズシリとした陶器の重みが伝わる。据え置きタイプだな。

 つたを模した金属の装飾が古めかしく、ところどころに小さな魔法陣が描かれている。そのすべてが、いかにもそれらしい雰囲気を漂わせていた。


「どうだ、アリョーナ。デザインは気に入ったか?」


 買う前に割られると困るので、そっと手前に置いてやる。


「すご……」

 アリョーナはじっとそれを見つめ、指先でそっと縁をなぞり始めた。


「しかしパトロンと言うんスか、ユーリもよっぽど惚れ込んでるっすね。あの釜、”金貨”三枚っすよ」

 ターニャがこっそりと耳打ちしてきた。


 いよいよ金貨か……。

 ダリオ曰く、『金貨十枚で一年は贅沢に暮らせる』──という、そういう次元の硬貨だ。露天通りへ買い物に来るのに持ち歩くような硬貨ではないらしい。だからこそ、この錬金釜も店の奥でひっそりと息を潜めていたのだろう。


「あわわわ……! ユーリっ! き、金貨って書いてあるよっ!? ……私こんなにお金ないよ!?」


 錬金釜に値札がはられていたようだ。その驚きからも、いかに”金貨”が異質な存在かが伝わってくる。


「お金は要らないんだ。この水で買えるから」

「お、お水……?」


「あぁ、ちょっと特殊な水で、商人がこぞって欲しがってるんだ。なぁ、ターニャ」

「え。……あぁ、そうッス。すっげえ欲しいっス」


 ターニャが話に合わせてくれるか、少し不安だったが、どうやらうまく伝わっているようだ。

 実はアカデミーでエカリナと別れたあと、俺は宿屋に戻る前に、ダリオの店に寄った。そこで既に話を付けていたのだ。



「満足のいくフラスコが出来たみたいだな、旅人」

「はい。いいお店を紹介していただいて助かりました」


 ダリオと会うのはその日以来だ。


「気にするな、あいつとは同郷なんだ。紹介料も入ったしな。さて、今日は何をお買い求めかな?」


「いや、買うのはまた今度で……」

「なら、これだな」


 ニヤリと笑いながら、ダリオは例のはかりを取り出した。

 いつもの調子で水嚢すいのうを渡しながら、俺は「錬金釜を買うつもりだ」と告げた。ダリオはくつくつと笑った。


「そうかい。あんた昼にも連れと歩いてたろ。あの子が例の花をプレゼントした女かな」

「分かりますか」


 俺は頬をかいた。


「まぁ、髪が桜色だったからよ。商人の目じゃなくてもピンとくるよ」


 そういえばダリオと初めて会った日、彼にもアリョーナの情報を話したっけな。『桜色の錬金術師を探している』と俺は尋ねたのだ。そりゃピンと来るか。


「それで次は『釜』なんだな。どれくらいの値段で探してる?」

「値段……というより、最高の物を買おうと思ってます」


 アカデミーでの一件が、俺の背中を押した。エカリナやその取り巻きの前では冷静を装っていたが、内心では苛立ちがくすぶっていた。衝動買いとまではいかないが、それに近い感情は確かにあった。


「そうか」


 ダリオは水を掬う手を止め、「まどろっこしいな」と俺に提案した。


「今日のターニャの店での取引は、俺の店で付けといてやる。好きなだけ買って、後で女と別れてから水を売りに来てくれればいい」──と。



 そんなダリオは間近でアリョーナの顔を見たがったが、店を留守にするわけにはいかないということで、今頃は客の前でターバンを叩きつけているだろう。


 ともあれ、ターニャは俺から金を受け取る気はないようだった。


「みず」


 アリョーナは不思議そうに俺の持つ水嚢すいのうを見た。


「水だ。おまけに無限に湧いてくる。だからお前は金の心配はするな」

「そんなことある?」


「大人の世界にはいろんな事情があるんだ」

「ふウん」


 14歳の純真な少女は、素直に頷いた。

 あまり嘘をつきたくはなかったが、今後のことを考え、この点だけは目をつぶらせてもらう。


「あとは珠玉だな。どんな効果を付けたい?」


 俺が聞くなりアリョーナは目を逸らした。苦手な科目か。方向性だけ聞くことにした。


「薬と、家具と、あと料理もしたい」


 兵器が出てこない辺り、彼女らしくていい。


「でも、何より薬! 高純度で、みんなに効くやつ!」

「あぁ、最終的にエリクサーを作りたいよな」


「素材の花が出回ってないっスけどね」


 ターニャがいう。

 彼女も(異国の)錬金術である。専門は造物だが、医療の知識も身につけている。


「無くてもいいんだ。こいつは意外性のある女だから、何かで代用するよ」


 俺がいうと、アリョーナは「ふふんっ」と可愛らしく胸を張った。


「ルーメ・ノクティスの代わりにバニラと水飴を使ったんだよな」

「水飴……は、爆発しなかったっスか? 加熱するとカラメル化して、熱暴走する気が」


「うわ、すげえ。なんて頼り甲斐のある錬金術師だ……それに引き換えうちの錬金じゅフハハっ、やめろ、アリョーナ! 悪かった!」


 脇腹にアリョーナの指が食い込み、揉まれたようなくすぐったさが走る。




 色々と揉めつつ──アリョーナの意見を取り入れながら、以下のように釜をビルドした。


┅┅━━┉┉┉┅┅━━┅┅┉┉┉━━┅┅

・スロット1〜3:[叡智]

・スロット4、5:[凝縮]

・スロット6、7:[定着]

・スロット8:[共鳴]


 [叡智]は以前も使ったが、3つ重ねることで回復量や効果を大幅にUPする。

 [凝縮]は効果を維持しつつ、錬成物のサイズを小さくする。小さくても強力なアイテムが錬成できる。

 [定着]では効果の揮発を防ぎ、アイテムの長期保存が可能になる。

 中でも[共鳴]がもっともレア度が高く、その他の珠玉の効果を増幅させる効果がある。

┅┅━━┉┉┉┅┅━━┅┅┉┉┉━━┅┅


 高品質なアイテムを生成するためのビルドだ。

 素材効果を凝縮・極限まで高め、低級回復薬でさえ並のレベルにまで引き上げる。


 連勤釜は、例によってターニャに【精錬せいれん収束炉しゅうそくろ】と名付けられた。





「──ほんとに使っていいの?」


 宿への道すがら、フードを深く被り直したアリョーナがぼそりと呟く。


「いいって。気になるなら『俺の釜』ってことにしとくか? アトリエに置いとくから、好きに使え」


 そういうことじゃないんだけど、と言いたげな顔をアリョーナはした。


「本当に遠慮するな。どの道、買うつもりだった」

「え、なんで? ユーリ錬金術するの?」


「しないけど……」


 アカデミーであんな光景を見てしまったら、何かしてやりたくもなる。

 同情とは少し違う。アリョーナが馬鹿にされるたびに、俺自身の胸が抉られるようだった。


 プレッシャーになりそうだから言わないが、俺は俺のためにも、アリョーナに負けて欲しくなかった。


「ま、タダ同然なんだ。その辺はあんまり気にするな。ガンガン作って、いつかエリクサーの雨でも降らせてくれよ」




 宿に戻り、アトリエへの帰り支度を始める。


 と──


「いーなぁ、ベッド。やわらかいね」


 アリョーナは靴を脱いでベッドに上ると、ぺたりと座り、次の瞬間にはごろりと寝転がった。


「すっ…………ごく久しぶりっ!」

「……」


 彼女のアトリエにある寝床は、すのこと布だ。


 言葉にはしないが、『泊まりたい』オーラをこれでもかと放ってくる。

 家出した14歳の少女をうちに泊める──いや、家出かどうかはまだ知らないが、これまでアリョーナ宅へのお泊まりを渋っていたのは、俺の中にそういう倫理観があったからだ。


 日本での生活で培われた、ごく普通の倫理観。


 だが。


 ここ、もはや日本じゃないんだよなぁ──異世界だ。


 それに『故郷の村は焼かれた』とも言っていた。家出どころか、帰る場所すら失っている。


 事情を聞く前から変に穿つことはしたくないが、ともあれ、俺はそろそろ自分の価値観を変えていくときなのかもしれない。


 何よりも──


「……泊まってくか?」

「泊まる!」


 ──アリョーナは俺と一緒にいたがってくれている。

 それだけで十分、一緒にいてもいい理由になるのかもしれない。


 彼女の即答に苦笑しつつ、俺はごとりと釜を置き、代わりに懐から小銭を出した。


「ちょっとオーナーに聞いてくるから待ってろ」

「一緒にいくっ♡」


 ──ぎゅっ!


 アリョーナがベッドから跳ね降り、勢いよく俺に飛びついてきた。





 ──そういったわけで、この日から俺とアリョーナの同居生活が始まった。


 レシピは手に入れた。錬具も揃った。あとは手を動かして、ひたすら経験を積むだけだ。

 そんな彼女を、俺はいつまでも傍で見守ってやりたいと思う。





 ふいに、胃のあたりに鈍い違和感が走った。


 少し息を吸い込んだ瞬間、軽く胸の奥がむずむずし、なんとも言えない不快感が広がった。


 深呼吸してみたが、まだ胃のあたりが重い。



「ユーリ、調子悪いの?」

「いや、ちょっと……胃がムカついただけだ」



 軽く言いつつ、胸の奥では嫌な予感がじわりと広がっていった。

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