隠密処刑人ユルナとハント そのとある日の一幕

よし ひろし

そのとある日の一幕

「ねえ、次のポドールハレの名物ってチーズケーキなんでしょ。楽しみよね。美味しいかな?」


 乗合馬車の中、旅装束の少女が隣に座る同じような旅姿の青年に楽しそうに話しかけた。すると、青年は大きくため息をつき、返す。


「はぁ~、ユルナ、きみは本当に空気が読めないね」

「空気? 空気は読むものじゃなくて、吸うものでしょ? 違う、ハント?」

「ああ、そうだね…」


 少女ユルナの答えに諦めたような顔をする青年ハント。ユルナはまだあどけなさの残る顔立ちをしていて、成人前だろう。一方、青年の方はどこか愁い御帯びた空気を纏っており、それなりの人生経験を積んでいる様子だ。


「ユルナ、今どんな状況か分かってる?」

「状況? シャーフリからポドールハレへ向かう街道の途中でしょ」

「まあ、それはそうだが」


 ハントが車内をぐるりと見る。二人以外に四人の乗客が乗っていた。その顔は不安に覆われ、背を丸めるようにして身を縮めている。その時、馬車が急停車した。


「よーし、全員降りろ! 無駄な抵抗をするんじゃないぞ!」


 外から野太い男の声がかけられると共に馬車の扉が開かれ厳つい男の顔が覗き込む。


「おらぁ、さっさと出ろ。殺されたいかぁ!」


 その声に震え上がり若い男女の客が腰を上げる。それに続き、年老いた二人も席を立った。


「ユルナ、我々もここはおとなしく降りましょうか」

「降りるの? めんどくさいなぁ」


 ハントに促され、ユルナも渋々と席を立った。

 馬車の外に出たところでハントは周囲の様子を探る。森の中に小さく開けた空間で、馬車が来たであろう小径が一本だけ出ている。その広場に十人ほどの男達が馬車を取り囲んでいた。半分は馬に乗り、残りは乗客達の前に脅すように立ちはだかっている。


「さあ、金目の物をこの袋に入れろ!」


 取り囲んでいるのは野盗達であった。乗合馬車を襲い、街道からこの森の中まで引き込んできたところだ。


「はぁ、いくら帝都から離れた田舎だからといって、直轄領の乗合馬車が真昼間から襲われるとは……」

 ハントは小さく首を左右に振って嘆く。

「御者の横に用心棒もいたはずだが――ああ、グルか……」

 馬車から離れた先で、御者の男と用心棒として乗っていた男が野盗達と親し気に話していた。

「治安が行き届いていないなぁ。確かここはバンスカジニア代官所の管轄、今の代官は誰だったか……」


「おい、お前、何をぶつくさ言っている。ほれ、金目の物を出せ!」

 袋を持った野盗の一人がハントの前に立ち催促する。

「ああ、分かった。急かさないでくれ。金目の物といわれても」

 ハントが懐に手を入れ、路銀の入った財布に手を伸ばした、その時――


「あたしに触んな、ボケ!」


 ハントの横からユルナの怒声が響いた。どうやら野盗の一人が、うら若いユルナを見つけちょっかいを出したようだ。そこでハントは思い出す。ユルナが男に触られるのを極度に嫌うことを。


「ユルナ、ここは――」

 ハントがユルナを振り向き、何かを言おうとしたが――手遅れだった。


「死ねや!」


 ずごしゅっ!


 ユルナの右ストレートが野盗の顎を砕いていた。殴られた男は脳震盪を起こしたのかその場に膝から崩れ落ちる。場の空気が一瞬固まった。


「はぁ~、きみは本当に空気が読めないね……」


 ハントの嘆きと共に、野盗たちの怒声が上がる。


「このアマぁ、なにさらしとるじゃ!」

「いてまえ!」


 乗客の金品を集めていた残り四人の男達が一斉にユルナへと襲い掛かる。が――


 瞬殺!


 一息の間に四人は地に倒れ伏していた。


「はぁ~、仕方ないね。残りはこちらで引き受けましょう」

 呟いた途端にハントの姿が陽炎の様に揺らめき、そして消えた。

 一拍置き、馬上にいた男の一人から苦鳴が漏れる。見ると、首筋から血を吹き出し、そのまま地面へと落ちていった。続けてもう一人、更に一人。残った五人が同じように血しぶきを上げて倒れ落ちるまで十秒程しかかからなかった。ついでとばかりに御者と用心棒の男も血だまりに浮かぶ。


「ふぅ~、余計な仕事をさせてくれる」

 ユルナのすぐ横に現れたハントがほっと肩をなでおろす。

「全部やっちゃたの? まだ暴れ足りないのに」

「きみに暴れられたくないからね。これ以上の厄介はごめんだ。――皆さん、馬車に戻って。さっさとここを離れますよ!」


 驚き呆然とする乗客達にハントが声をかけるとすぐに我に返り慌てて馬車へと乗り込む。それを見てハントは馬車の御者台へと歩みを向けたが――


「ハント、どうやらまだ終わりじゃないみたいよぉ」


 ユルナが楽しそうな様子で森の奥を見た。大勢の人が近づいてくる気配がした。


「おう、どうだ首尾は」

「お宝はあったか」


 木々の影から声が掛けられる。どうやら野盗の仲間のようだ。ここにいたのは馬車をこの場に引き込む先遣隊で、本隊は今来る者たちなのだろう。ここにいたよりも多くの人の気配が近づいてくる。


「逃げきれないか……」


 乗合馬車の足は遅い。近づく中に馬蹄の音も複数混じっていることから今から走り出しても追いつかれるのは必至だ。

 どうするか――思案するハントの前にユルナが立つ。


「そういえばさっき空気がどうのうこうの言ってたわよね。吸う以外に思い出したわ。空気はね――」

 ユルナが左手を胸の前に掲げ、手のひらを上に向ける。

「燃やすものよ!」


 ぶおっ!」


 ユルナの手のひらの上に炎が上がる。


「もっと燃えろっ!」


 その掛け声と共に炎の色が赤から黄色、白へと変わっていく。それに伴って周囲の温度が上がる。


「ユルナ、ここは森だぞ!」

「分かってるわよ」

 ユルナがすうっと精神を集中すると服の各所に付けられたアミュレットの魔石が輝きだした。

「炎を閉じ込める」

 右手を炎へとかぶせ、そのまま押しつぶす。まるでおにぎりを作るかのように両手で炎を押し丸めた。

「もっと、もっと熱く――!」

 ユルナの手の中で光の玉の輝きが増し、指の間から青白い光が漏れ出る。


「くそ、もう止まらんか――」

 ハントは馬車の御者台に跳び乗った。そして、馬の手綱を操り、馬車を反転させて入ってきた小道へと馬の鼻先を向ける。


「全力だ!」


 叫びと共に鞭を入れると馬車が車輪が軋むほどのスピードで走り出す。その後ろから、ユルナの叫びが響いた。


「全てを吹き飛ばせ――エクスプロージョン!」


 ユルナの手から青白い光の玉が放たれる。森の奥、近づく野盗たちの真ん中でその光が弾け――


 ずおんーーーっ!


 圧縮されていた熱を帯びた空気が解放され爆発、周囲のものを吹き飛ばす。森の木々ごと宙に舞い、地に散らばる野盗達。その多くが内臓を潰され、骨を砕かれていた。

 野盗の一群を屠った爆風はユルナへも迫るが魔法発動の障壁で守られていたので微動だにしない。彼女を避けて更に広がる衝撃は一目散に立ち去る馬車にも襲い掛かった。


「くっ、耐えてくれ……」


 車体が揺れる。だがその重さ故に飛ばされれことなく、横転を避けた。


「ふぅ~、全く場の空気を本当に読まない娘だ……」


 どうにか難を逃れたハントは馬車を止め、こちらへと駆け寄ってくるユルナになんとも複雑な視線を向けた。




 ザルハ帝国歴一七三年、第八代皇帝ヨシーソウが即位した。それに伴い帝国領内の情勢を調査するために巡検使が各地に派遣された。その中に秘密裏に領内の実情を調査する特別巡検使がいた。彼らには、皇帝の名のもとに犯罪者を処断する権利も与えられており世間では彼らのことをこう呼んだ――隠密処刑人と。ユルナとハントはその隠密処刑人であった。



おしまい

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