星になってまで
楽天アイヒマン
星になってまで
とてつもなく広くて、時間が止まりそうなほど寒い宇宙を、一つの彗星が駆け抜けていきました。彗星の名はハリー。ハリーは若く、勇敢でした。彼は勢いに任せて、故郷の銀河を飛び出し、宇宙を旅していました。ただ、何のための旅かはわかっていません。俗にいう自分探しみたいなものです。光を撒き散らかし、輝いている時だけが、生きていると実感できました。
ハリーが故郷を飛び出して、3光年ほど進んだ頃でしょうか。遠くの方に大きな惑星が見えてきました。だんだん近づくにつれて、とても歳をとった惑星だということがわかりました。惑星の周りには氷が輪を作り、地表には大きな竜巻がトグロをまいています。
この寂しい宇宙で初めて出会う惑星に、ハリーの胸はときめきでパチパチと音を立てています。
「やあ、僕はハリー」
「やあ、ハリー、僕はブルーノ。ずいぶん若いね」
「でしょ。若いうちに宇宙を見て回りたいと、銀河を飛び出してきたんだ。ブルーノは今何してるの?」
「僕は自転しているんだ。楽しいよ」そう言ってブルーノは満足げにクルクル回っています。あまりに楽しそうなので、ハリーは尋ねました。
「ねえブルーノ、失礼だったらごめん。なんでそんなに楽しそうなの?自転するだけなんて、変わり映えなくてつまらないじゃないか?」
ブルーノはこともなげに答えました。
「ここで回ることが僕にとっての幸せだからさ」
「いつから回ってるの?」
「そんなの覚えてないけど、そうだなあ…ハリーが生まれるよりずっと前の、この銀河ができた頃からじゃないかな」
その後も会話を続けました。ハリーは、星として大先輩であるブルーノから何か有意義なことが聞けるかもしれないと、話し続けました。
しかし、好奇心はだんだんと失望に変わっていきました。ただひたすら同じ場所で回り続けて、同じような毎日を送る。それに幸せを感じるなんて、哀れだなとすら思いました。
もうそろそろ話を切り上げて旅立とうと支度を始めましたが、ブルーノはまだ話したいようで、ハリーを引き留めて話し続けます。
いい加減鬱陶しくなってきたハリーは、最後の質問だと釘打ってこう聞きました。
「ねえブルーノ、君は何のために回り続けているのか、考えたことあるかい?」
そうすると穏やかだったブルーノの顔が急に真剣になり、澱みなく答えました。
「あるさ。そして答えを見つけたんだ。きっと今の君には理解できないと思う。ただ僕から言えるのはね、なすべきことはそれぞれの生き方によって決まるという単純なものではなかったということさ」
そういうとブルーノは誇らしげにまた回り始めました。その顔を見ていると、ハリーの中で先ほど生まれた失望と哀れみは、尊敬に変わりました。きっとブルーノは自分の中の疑問を考えに考え尽くして辿り着いた結論がここで回り続けることなんだ、そう思うとブルーノの頼りない自転が、何だかとても美しいものに見えました。その美しさを見ていると、自分探しで宇宙を彷徨うことが少し恥ずかしくなってきたので、ハリーはブルーノに背を向けて走り出しました。
ハリーはブルーノと別れて、しばらく気ままに飛んでいました。ブルーノの生き方を見ても、ブルーノはすごいとしか感想が出てこない自分の浅さにがっかりしました。気分が落ち込み、だんだん下に下にと落ちていきます。
いつの間にか、宇宙の底にある沼地をフラフラと飛んでいました。そこは浮かぶことに疲れた小さな星達がゆっくりと落ちてきて休憩する場所でした。あたりには、歳をとったデブリや、老いた小惑星がぽつりぽつりと休んでいました。彼らはみんな同じような顔をして、まどろんでいます。
彼らを見ていると、あてもなく宇宙を飛び出してきた自分の行く末を見ているようで、不安になったハリーは一気に沼地を駆け抜けました。
猛スピードで飛んでいたせいか、遠くにある大きな黒い壁に気がついた時にはもう遅く、ブレーキが間に合わず、頭からぶつかってしまいました。
激しい眩暈がして、頭を振っているハリーに向かって、壁が話しかけてきました。
「大丈夫?ずいぶん急いでいるんだね」
ハリーは驚いて壁を見上げます。黒々とした巨体に、ポツリと小さな優しい目。壁だと思っていたものは、とてつもなく大きな鯨でした。
「ごめんなさい。勢いつきすぎて止まれなかったんだ、あ、自己紹介をしていなかった。僕はハリー、ぶつかったのはわざとじゃないんだ」
「構わないよ、体の端っこはもう感覚がないからね」
そういうと鯨は、大きく息を吸って遠くに流れていた流れ星を吸い込みました。その吸引力は凄まじく、流れ星は鯨に吸い込まれる前に燃え尽きてしまいました。
それを見ても鯨は残念な顔をすることもなく、時折流れてくる星を吸い込もうとしますが、全て途中で燃え尽きてしまいます。それでも飽きることなく、鯨は星を吸い込もうとしています。
暫く呆気に取られて眺めていましたが、くじらは流れ星を吸い込むこと以外何もしません。その様子はあまりに退屈そうでした。ハリーは、耐えきれなくなって聞きました。
「ねえ、流れ星って美味しいの?」
「別に。そもそも僕に食事は必要ないしね」
「じゃあなんでそんな一生懸命に流れ星を吸い込もうとしてるの?」
「う〜ん、難しいこと聞くなあ。そうだなあ…暇だからかな」
そう答える鯨の瞳はドロンとしていて、今にも眠ってしまいそうでした。
「暇なら、どこか別の銀河にでも旅に出ればいいじゃないか」
「そう思った時期も確かにあったさ。でも、体が重くてこの沼から出ようとも思わないんだ。もう僕はどこにも行けないんだよ」
そう言うとくじらはまた星を吸い込み始めました。きっと鯨は、遥か昔にここに落ちてきてそこからずっと同じことの繰り返しなのでしょう。ハリーはこの時ふと、ブルーノを思い出しました。ただひたすら楽しそうに自転するだけのブルーノ、つまらなそうに星を吸い込む鯨。鯨とブルーノ、やっていることは同じはずなのに何が違うのだろう?
ハリーが考え込んでいる様子を見て、鯨は星を吸い込むのをやめて、尋ねてきました
「何か怒らせるようなことを言ってしまったかな?だとしたら申し訳ない」
「いや、怒ってなんかないんだ。ただ、あなたのことを見ていると、不安な気持ちになるんだ。あなたはこのままじゃダメだって思うことはないのかい?」
鯨は極めて遠慮がちに答えた。
「僕はもうダメなんだよ。ただ、君はそうじゃない。ハリー、君はもっと遠くに行けるはずだ」
そう言うと、鯨は眠りにつきました。その寝顔はとても安らかなものでした。全てを諦めてしまった故の安らかな寝顔でした。きっと鯨はこのまま宇宙が終わるまでここにいるのでしょう。穏やかな寝顔のまま。その顔を見ていると、何だか無性に涙が出てきたので、ハリーは涙がこぼれないよう、全速力で上を目指しました。
涙で前が見えないまま走り続けたせいか、ハリーは宇宙のはずれにある花畑に迷い込んでしまいました。そこには色とりどりの花が咲いていました。しかし、何か違和感があります。ハリーはジッと花を見つめて、違和感に気づきました。花は全て同じで、色が違うだけでした。
どこかで見た花だ、何だっけ、そうだ、リンドウの花だ。
ハリーは懐かしい気持ちで、花畑を進みました。花なんて宇宙の端でしか咲いていないから、一年に一回ぐらいしか見れなかった。僕が子供の頃、お父さんとよく見に行ったっけ。
感慨深い思いになった瞬間、ハリーの目から涙が溢れました。涙は止まることを知らず、生き急ぐように溢れ出てきます。まるで心のうちで乾くより前に、蒸発して結晶になろうとするかのように。
涙が溢れて止まらなくて、うずくまったハリーの背中から懐かしい声がしました。
「ハリー、何で泣いてるんだ」
よく知った声でした。子供の頃、聞きたかった声でした。焼けるほど焦がれた声でした。
「久しぶりだね、オリオン」
背後には亡くなったはずの父親、オリオンが寂しげに座っていました。オリオンは遥か昔に燃え尽きたはず、そう思いながらも、懐かしさには勝てず、フラフラと導かれるように彼の隣に腰を落としました。
オリオンは生きていた頃と変わらない、穏やかな顔でハリーを見つめています。右手ではリンドウの花弁をいじくり回しています。ああ、オリオンの手癖の悪さは死んでも治らないんだな、とぼんやり考えていました。
現れては消える恒星を眺めながら、オリオンと昔話をしました。
「なあハリー、母さんは元気か」
「うん元気でやってるよ、最近お喋りになってさ、僕が銀河を出ていくってなったらうるさいのなんの」
「寂しいんだろきっと、あんまり母さんに心配かけさせるなよ」
「そんなこと言ったら父さんだって、死んでからどれだけ心配かけさせたんだと思ってるのさ」
「それは…すまないと思ってる」
「なら母さんのところに行って一言言ってあげてよ、昔は母さんによく言っていたじゃないか、誰に対しても心配かけない立派な大人になれってさ」
「…」
「わかりやすいね、やっぱり」
「なんのことだ?」
「父さん、昔から調子が悪くなるとすぐ黙るじゃないか、知ったかぶりがバレた時とか、あれもそうだ、クイズ番組で外した時とかすぐ黙ってたじゃないか…」
その先は嗚咽のせいでうまく言葉にできませんでした。言葉は感情の翻訳と言われていますが、今回に限っては、ハリーの感情をうまく言葉にできませんでした。
言葉なんて、クソの役にも立ちやしない。ハリーは荒ぶる感情を必死に押さえ込んで、オリオンに対して心の内一つさえこぼすもんかと、必死に頑張りました。
沈黙が時間を押し流していきます。流れ星が目の前を通り過ぎて、遠い宇宙に消えていきます。
「もう行かなくちゃ」そう言ってハリーはゆっくりと立ち上がりました。
「もう行くのか」オリオンは寂しげに笑いました。その笑顔はどこか満足げでした。子供の独り立ちを喜ぶ、寂しい親の顔でした。
「もう振り返るなよ」その声を背中に受けながら、ハリーは飛び出しました。
涙はとっくに枯れていました。
ハリーは飛び続けました。何年も何年も飛び続けました。段々と歳をとり、飛ぶのが辛くなって、ゆっくりと歩くようになっても旅は終わりません。この時になっても、ハリーは何のために宇宙を旅しているのかわかっていませんでした。
ちょっと休もう、そう思って一番近い銀河に立ち寄りました。その銀河にはとても温かい、太陽という星がありました。宇宙で初めて感じた温もりに、ハリーは思わず眠りに落ちてしまいました。
目が覚めた時、ハリーは水で満ちた青い星の引力に引っ張られていました。手足からは今まで見たこともないくらいの火花が散り、体の端からどんどんと崩れていきます。
ここで旅も終わり。しかし痛みや悲しみ、心残りもありません。逆に奇妙な安堵感が心を満たしています。
ハリーが放つ輝きを、青い星の生き物達が眺めています。あるものは祈り、あるものは恋人とキスをし、あるものは涙を流しています。
ハリーが地上に着いた頃、体は削れて、小さな青い石になっていました。周りには深い森が広がっています。遠巻きに森の動物たちがハリーを眺めていましたが、やがて興味をなくして、散り散りになっていきました。きっとハリーを見て祈っていた人達も、今頃は普段の生活に戻っているのでしょう。
長い年月が経ちました。ハリーは岩と木の間に嵌まり込んだおかげで、地中に埋もれることはありませんでした。風雨によって細かい傷が増え、ハリーの体は輝きを増していきます。その輝きは、宇宙を駆け抜けていた時や、青い星に落ちてきた時とも違う、穏やかな美しさでした。
天気のいいある日、ハリーは太陽の光を浴びてうたた寝していました。その時、今まで聞いたことがない足音が聞こえてきました。曖昧な意識のまま顔を上げると、小さな人間の子供がハリーを見つめていました。子供の瞳には鈍く輝く、ハリーの姿が映っています。子供はハリーを上着のポケットに入れ、「僕の宝物だよ」と呟きました。
その瞬間、ハリーは今までの旅路を思い出しました。そして理解しました。ブルーノの言葉、鯨の諦め、オリオンの祈り。これまでの出会いは今のためにあったんだ、ここに辿り着けたなら僕の旅は間違っていなかったと、心からそう思えました。
星になってまで 楽天アイヒマン @rakuten-Eichmann
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