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すべてのエピソードへの応援コメント

  • >人間という存在は過去から未来を眺めて生きている

     高校生の頃、歴史の先生に教わりました。

    「歴史は昔の事柄を覚えるだけの学問ではない。その事柄を応用して未来に役立てるための学問だ」

     残念ながらバカ学校のバカ生徒だったので、その時は先生が何を言っているのか分かりませんでしたけど。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    コメント返信は、未だに楽しく書き込ませてもらっています。

    さて、第三図。

    この話は車窓から見る景色を考えると、わかりやすいかもしれません。

    〝綺麗な景色だな〟

    と思った瞬間には、もはやその景色は流れていて窓から見る様相は変わっている。

    現実の瞬間と意識は乖離している。

    その現象を物語の読解に、当てはめたものです。

    それで。@Teturoの言われた歴史の話は
    歴史の再現性と人の行状の普遍性を述べたものであるかと思います。歴史に学べ、的な?

    本作の理屈を歴史の物語に当てはめると、その例示は────

    〝足利義昭〟と〝新選組〟などが当てはまるかもです。

    当人たちの信条なり思想なりが固まった時期には、すでにそれは現実とは合わなくなっている。
    義昭は形骸化した室町幕府を存続価値のある機関と思い込むこと。

    新選組はすでに時代の趨勢ではなくなっていた佐幕思想を捨てなかったこと。
    それが破滅の原因となった。

    そんな構図が見受けられるのです。
    諸説ありますけど。

    では。
    重ねて、この度もコメントありがとうございました。

  • >ぁレ気づぃたあ?

     怖っ!!!

     どんな中学校に通っていたんですか。しかしあれですねぇ。川上君のカミングアウトが聞けて良かったですねぇ。
     人間、何かしらの癖を抱えているものですから……

    作者からの返信

    おはようございます。
    いつものようにコメントをいただき、ありがとうございます。
    なかなかない事柄なので、感慨ひとしおです。

    さて第二図。

    そうでした。川上君。
    そんな人には見えない真面目な陸上部の長距離走者の印象でした。
    まさに、人は見かけによらない。
    そんな事柄でした。

    あと一人、あの中学校にはド肝を抜かれた性癖の方がいるんですが。
    たぶん、書けないです。
    でも時効だろうから、いつかまた警告覚悟でその方の性癖を書くことがあり、@Teturoさんに読んでもらえたら幸いです。

    私はなんかそういうことを打ち明けられやすいようです。
    @Teturoさんのご指摘の通り、人間は癖を抱えていますね。私もですが。

    重ねて、この度もまたコメントありがとうございました。

    編集済
  • マクルーハンのメディア論を引き合いに出しつつ、物語を「人の記憶・思考・感情の拡張装置」と定義する発想が良い。これは文学作品を単なる娯楽以上の、人間の精神構造に介入するインターフェースとして捉える視点であり、きわめて現代的かつ知的。こうした道具論的視点は、創作・読書・批評のいずれにも応用可能な理論的基盤を与えてくれますね。

    作者からの返信

    こんばんは。
    日々、丁寧なコメントをいただき、ありがとうございます。
    私事ながら。今回は、返答にすぐに対応できて安堵しています。

    さて、第五図

    いみじくも法王院さんの言われた。
    〝道具論的視点は、創作・読書・批評のいずれにも応用可能な理論的基盤〟
    このくだりは、今回のみならず物語分解図と物語配置図を書いた理由のひとつです。
    いつもながらの御賢察です。怖いです。

    〝木山はこの理屈で物語を見ます〟
    という視点の明示と。
    〝見るときの道具はこの二つのエッセイの論説です〟
    という道具(立脚点)の提示でした。

    各々の書き手は、たぶんそれぞれの物語の見方を持っているはずなのです。
    でもそれは、なかなか説明されない。

    代わりにご自分については、プロフィールとかをよく書かれていらっしゃる。
    そんな方が多い印象です。

    性別とか年齢とか職業とか家族構成とか、そんなことは作品には関係がないと思うのです。

    書いた物語と物語の見方。
    この他、書き手の説明に何が必要とも思えない。
    面白い雑文は欲しいですけど。

    そんな、普通は書かない頑迷で友達のできなさそうな悪い衝動から、このエッセイは出来ています。残念ですが。
    ということを思い出しました。

    重ねて。この度もまた素晴らしいコメントをありがとうございました。

    編集済
  • 第四図 物語は消えていくへの応援コメント

    「読むことは、読むうちに物語を変えてしまう行為だ」という主張は、受け身の読者ではなく「物語の共作者」としての立場を自覚させる力を持つ。読解によって記憶が揺らぎ、その記憶によって物語もまた変容するという相互作用は、高次のメタ読解。読了後には、物語との向き合い方そのものを反省・再考させられますね。

    作者からの返信

    こんにちは。
    いつも丁寧なコメント、ありがとうございます。
    やっとコメント返信が追いついて安堵しております。

    さて、第四図。

    物語を読み返すと、覚え違いや記憶と実際の作品記述の違いは割とあります。
    他作品と混同もあるし、完全な創作場面を付加していたりもします。
    ……え、それは私だけ?

    いやそんなことはないよね。
    物語は読むの者の記憶を作っているんだから印象の錯誤もあり得るはず。
    え。まさか、他の人はない?

    そんな危機感から、この回のエピソードはできたように思います。

    読書は個人の体験だから、正確なところはわからないですけれど。
    長い年月の間、キチンと細部まで物語を覚えている人は少ない。
    記憶であるなら、かならず薄れる。
    だから無意識の盗作や、覚え違いが生まれる。
    それをこの回で確認し記載したかったものです。

    そして、全体の内容の理解。今回も何も付け加える事がないのです。感謝及び、戦慄です。

    重ねて。この度も素晴らしいコメントありがとうございました。

  • 人間の意識は現在よりも常にわずかに遅れて存在していて、完全な「現在」は認識できないという視点が独創的。この遅延を、視覚や読書のプロセスに結び付けることで、哲学的概念を日常的実感へと橋渡ししている。抽象的で難解な命題を、身体性や例え話で丁寧に解きほぐしている手腕が素晴らしいですね。

    作者からの返信

    おはようございます。
    いつもコメントありがとうございます。

    法王院さんの理解力の高さは恐ろしいです。
    〝人の意識は現在とはズレている〟の下りです。

    この拙作の小理屈を知人に説明したときの大変さを思うと、驚くばかりです。
    図解で説明しても、相当に手こずったものです。

    意識を〝立ち食いソバ〟に例えて時間を〝お客さん〟として物事を〝注文〟として説明しました。

    お客が来て注文してからソバを作る。
    ソバがお客さんに配膳されるまでは、必ず時間がかかる。
    ソバの配膳は、お客さんの来店より常に遅れる。同時はない。

    という感じで。苦労した記憶があります。
    なのに、法王院さんには、簡単に伝わる。
    慄きます。

    この要素の元ネタは、野球とボクシングです。

    速球投手がボールを投げてから打者がバットスイングを始めたとしたら、理論上その振り始めはボールが捕手のミットに収まってからになる。

    ボクシングの近接距離からのジャブという打ち方では理論上、拳を見てからは避けられない。

    ここから、意識は現在にはないのだと認識したものです。

    本作は、基本的に3つくらいの事柄をぐるぐると見方を変えて言っているだけなのです。

    それでも、わかり難い。
    私の技量の問題で説明が不明瞭である。

    ここを違えないように戒めたいです。
    法王院さんに伝わったとしても、これは例外だと忘れないようにしたいものです。

    さて第三図。
    今回の作意の理解もまったく補足することがないです。感服です。

    重ねて。この度も明確なコメントありがとうございました。

  • 「言葉はいらない」「でも物語は言葉でしか描けない」という矛盾を隠さず認める潔さが、創作の本質を突いている。それゆえに「無理筋の営みであっても、やるしかない」という結論に説得力がありますね。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    タスク消化という感じで、法王院さんが着実に本作を読み進められるのようすに、相変わらずの凄みがあります。

    私なんて最近、眼精疲労をよく感じるために。〝文字はいらない〟というか、読むのが面倒いです。
    脳に直にダウンロードして欲しいなどと楽する夢想ばかりしています。

    さて、第ニ図。

    つらつら考えても。
    文字に依らない記録伝達方法は、思いつきもしません。
    第一図でも書いた〝ドリルと穴の関係〟とかも、結局ドリル要るし。他に穴開ける手段ないし。

    結果だけ欲しいなんて虫のいい話はない。
    そういうことなのですよね。たぶん。

    そして今回も法王院さんのご理解はまったく補足はありません。感服です。

    重ねて、この度もコメントありがとうございました。


    編集済
  • 「読む人は何を欲しているのか?」という問いに対し、単なる娯楽や知識欲ではなく、「心を動かす」という根源的な欲求へと踏み込む視点がある。娯楽の再定義として、読む行為が「日常以上の感情体験」であるという主張は説得力がありますね。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうごさいます。

    ありがたいことですが。
    しかし、法王院さんは恐ろしい速さで拙作を読み進められておりますね。

    法王院さんのレビューはあちこちでよく拝見します。
    なので、法王院さんのカクヨムでの総読書量を思うと戦慄してしまいます。

    そんな中でいただいた前作への法王院さんのレビューはおそらく今までいただいたレビューのなかでも稀に見る理路整然とした作品であり、何度も読んでは唸っております。
    ただお礼しかできませんがありがとうございますという他ないです。

    さて第一図。
    このエッセイは……信じられないかもしれませんが。
    その昔。バームガルテンの〝エステティカ(Aesthetica)〟の講義を受けた時のノートが元になったものです。
    だからなんだというわけでもないのですが
    〝心を動かす〟の部分はそのあたりから持ってきたことです。
    たぶん私が、他人様より感動の感度が鈍いために強く思ったように記憶してます。

    そして、この度の法王院さんの文章内容の把握も完璧です。補足はありません。
    ただ舌を巻くばかりです。

    重ねて。この度もコメントありがとうごさいました。

    編集済
  •  こんばんは。お邪魔しております。
     「その道具の使用目的は読む人の心を揺らすため」……とても分かり易く、良いお言葉だと感じます!
     自分は心を震わせるために文字を読んでいるし、また、いつかそういうものを生み出したくて、文字を使っているのだと思います。
     凄いものを読ませていただき、ありがとうございますー!

    作者からの返信

    こんばんは。
    またもや返信が遅れて失礼しました。

    すべては、夏のせいということで、許していただきたいです。

    では、仕切りなおして────
    この度もまた、真摯で感じの良いコメントをありがとうございました。
    また同時に、レビューまでもいただき、恐縮です。

    さて、物語配置図。
    〝心を揺らすため〟の下りに同意していただいて心強い限りです。

    この考えの大元は〝芸術とは情動を生じせしめること〟(超意訳)と述べたアレキサンダー・バウムガルテンの「エステティカ」本来は〝感性的認識の学〟と訳されるべき学位請求論文であり後に中江兆民よって〝美学〟と呼ばれる論説に拠っています。たぶん。知らんけど。

    そんな次第ですが。
    やはり、ものを書く者なら、いつかは誰かの心を動かしたいですよね。
    その一心だけで、なにかを書けたら、きっと気持ちの良いことでしょう。

    私は雑念しかないのでムリなんですけどね。

    ではまた、いずれ。

    編集済
  • コメント失礼します。

    「物語とは何か」「物語に何ができるのか」――
    本作は、その問いを改めて考える良い機会となりました。

    北村薫氏の『物語は人生が一度しかないことへのプロテスト(抗議)として誕生したんだ』(『PHP2022年9月号』)という言葉を、読んでいてふと思い出しました。
    これはおそらく、木山さんが語られる“文字で書かれた物語”よりももっと広義の「語り」にまで含まれるものだと思いますが、どこか通底する想いを感じました。

    また、京極夏彦氏『魍魎の匣』の一節も思い出します。
    「脳は鏡だ。機械に繋がれた脳が生み出すのは、機械の意識だ」――
    これは「外の世界をすべて電気信号に変換すれば、肉体は要らない」とする意見に対する反論なのですが、実際に脳の神経回路は個人ごとに異なるとも言われ、同じ入力でも異なる解釈が生まれるという点では、物語の“読み”の多様性に通じるようにも感じました。

    こうした視点を踏まえると、改めて「文字で書かれた物語」の強みとは、
    “読者の意味記憶という、形而上の感覚器に対して、直接かつ余白をもって訴えかける”
    そのようなあり方にあるのではないか、とも思いました。

    読む速度を調整でき、遡行もできるという形式的な柔軟性と、意味の“余白”を読者にゆだねる構造――
    それが、感情や思想といった抽象的な営みを、物語として「保存」し、「共有」し、「再生」できる所以なのかもしれません。

    非常に刺激的で、知的な読書体験でした。ありがとうございました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    さすがに橘さんは読解力が高くて恐ろしいです。

    まず橘さんは本作が〝文字で書かれた物語を読む際の事柄〟に限定していることをきちんと理解されておられる。

    そうです。
    本作が語るのは、自分の目で読む時の事柄だけなのです。

    また以下の箇所。

    〝同じ入力でも異なる解釈が生まれるという点では、物語の“読み”の多様性に通じるようにも感じました〟

    これは読書の性質。

    同一の作品を読んだ人が、各々で異なる感想を持つことについての本作、前作で語った〝物語は人の記憶を利用する〟という下りと同じ内容だと思います。

    〝魍魎の匣〟の一節の〝脳は鏡だ〟から始まる内容にも触れられていて上記の考え方を
    補強されています。
    素晴らしい考察です。

    ちなみに。
    かねてより京極夏彦の魍魎の匣にある、この〝脳は鏡だ〟の考察は夢野久作のドグラ・マグラにある〝脳髄は物を考える処に非ず〟を下敷きにしているように思えるのですよね。

    逸れた話をもどしますと。

    〝読者の意味記憶という、形而上の感覚器に対して、直接かつ余白をもって訴えかける”

    ところと、

    〝読む速度を調整でき、遡行もできるという形式的な柔軟性と、意味の“余白”を読者にゆだねる構造〟

    は全く我が意を得たりな記述です。
    ありがとうございます。

    自分以外の方がこんな変な考えを言い換えて述べている文章を読めるなんて。
    とても嬉しいです。感謝に堪えません。

    重ねてこの度はコメントありがとうございました。

  •  難しかったですが、いろいろと考えさせられる、いいエッセイでした。
     言われてみれば、そうだな……という気づきが多かったです。

     あの溝に硬貨を転がしたいと言う川上君。
     変わった人ですが、こういう人の思考を誰かが書いた小説で読んでみたいし、作家としてこういう変わったキャラの心理をできるだけ短い言葉でうまく描写できたらいいなぁと読んでて思いました。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    こんな面倒なエッセイを読んでいただけるだけでも恐縮なのですが、あまつさえコメントまでいただけるとは。
    感謝しかないです。

    ともあれ。桜森よながさんに本作を読むことで何かを思ってもらえたらもう、充分に書いた意味があるというものです。
    あと本作を好意的に受け取って貰えて感謝です。

    重ねて、この度もコメントありがとうございました。

  • 第四図 物語は消えていくへの応援コメント

    この評論自体が美文で、立派な作品になってますね!

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    返信が遅れて失礼しました。

    最近、秋谷さんは、お変わりないでしょうか。
    しばらくカクヨムに来られてないようですね。
    なんとなく寂しい感じです。

    活動の波は多々あることです。
    いつかまた、ここで緩いコメント交換をできる日を楽しみにカクヨムで待っております。

    さて、この度は本作を好意的に捉えていただき、ありがとうございました。
    過分な事とは承知していても嬉しいものです。

    では、今回はこれにて失礼します。
    重ねて、この度はコメントありがとうございました。



  • めっちゃ勉強になる!!すいません、同じことコメントしました!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    すこぶるコメント好きなので助かります。

    ちょうどいま、秋谷さんの御作を読んでいます。
    やたらと好みです。

    出来る限り急いで感想書きますが、いまかなり忙しいので少しお待ちください。

    そうそう。
    拙作を好意的に捉えていただきありがとうございました。
    喜びをかみしめています。

    ともあれ。今回はこれにて。

  • はじめまして!初心者です!とても勉強になりました。じっくり読ませていただきます!いつか自分の拙作もご批評いただきたいです。(汗)

  • 完結、お疲れ様でした。

    物語を読むとは、順に文字を追い、記憶に留め、心を揺らす行為で、「1+1=2 であったとしても、2から1+1を特定はできない」―― 因果の一方通行性に、なるほどと頷きつつ、幼き日の私は「1+1=田」「1-1=日」「-1+1=早」と思い込んでいた記憶が蘇りました。漢字を覚えるのが苦手な私なりの、精一杯の暗記方法だったのです(笑)

    物語を読むとは、人の機能を拡張する道具を使うこと…木山様の発想に心が揺さぶられました。

    作者からの返信

    いつもコメントとレビューをありがとうございます。

    悠鬼さんよりコメントを頂いている個数に比べて、私の方はコメントを返せず恐縮です。
    後々また悠鬼さんの処へ伺います。

    さて今回のお話。
    なにやら幼き頃の悠鬼さんの幼気な感じが微笑ましいです。
    謎々みたいな漢字の覚え方に、感心しきりでした。

    ちなみに幼いころの私は字を覚えるのが遅くて小学校に入学して慌ててひらがなを覚えていたような気がします。

    この回は物語は道具であるという要旨でした。
    人間は自分たちがこしらえた道具で世界と関わります。
    だとしたら物語もそうではないのかな?
    などと空想したものです。

    悠鬼さんから好意的に、受け止めて頂いて助かっております。お陰様で心の平安が保たれております。

    重ねて、この度もコメントとレビューをありがとうございました。


  • 前作の物語分解図では、読み手としての感度を高めることで頭の中に入る物語が豊かになっていく…そんなお話だったと思います。それを私は逆算の創作論でもあると感じていました。
    今作の物語配置図では、なかなか全てを理解することが難しいですが、読んだ人の心を動かすような物語を書いていきたい、そんな気持ちになりました。
    読解力を身に着けて、また読み直そうと思いますが、貴重なお話をありがとうございます!

    作者からの返信

    コメントとレビューありがとうございます。前作とさらに今作も読んでいただき、恐縮です。

    いきなり反省です。
    前作も本作もいろんなことを一話に詰め込み過ぎた気がします。
    一話で一義を述べるくらいにしないとわかりにくいですね。
    元から説明下手なので工夫しないといけないと顧みるばかりです。

    ともあれ、そんな本作が平手さんが気持を新たにする機会となれたのなら幸いでした。

    重ねてこの度はコメントと、レビューをありがとうございました。

    編集済
  • 『物語配置図』は完結という事ですね。
    お疲れさまでした。

    完結という表現が正しいのかどうか分かりませんが、木山さん的には区切りがついたというところでしょうか。


    しかし、敷衍なんて言葉、初めて知りました。
    いつもながら、木山さんの語彙力の高さには脱帽ですね。

    自分は元々ボキャ貧なのですが、それに加齢も加わって、他人との会話の時に上手く言葉が出て来なくて、ついつい『あれ』とか『それ』で済ましてしまうことが多いです。

    まあ、なんとなくニュアンスは伝わっているみたいなので、それで良いかなと済ませてしまっています。

    一番酷かったのは旅行先の四国でテレビ局の取材を受けた時ですね。
    テレビクルーが居るなぁと思っていたら、そのまま自分のところに来て「話を伺っても良いですか?」と声を掛けられて、勢いのままに受け答えをしてしまいました。

    「今回の旅行の目的は何ですか?」と訊かれたんですけど、滝を見に来ていたのでその滝の名前を答えようとしたけど、咄嗟に名前が出て来ずに凄く焦ってしまいました。

    それで、ちょっとしたパニックになってしまって、全ての質問に対して『あれ』や『それ』で答えてしまいました。
    まともに会話にすらなっていなかったと思います。

    自分的には思い出したくもない黒歴史になってしまいました。
    それと、こんなんじゃあテレビで流すことも出来ないだろうなと、スタッフの方には申し訳ないと思いました。

    何が言いたいかというと、言葉による会話だと、その場の雰囲気や前後の話の流れから、『あれ』や『それ』でも会話は一応成立するんですよね。

    でも、書物だとそういう訳にはいきませんよね。
    文字だけで自分の考えや思いを伝えようとすると、より正確な言葉の選択が必要になると思います。

    そういう意味で、より多くの言葉を知って使いこなす語彙力の高さが必要とされますよね。羨ましい限りです。

    そして、文字を道具とするなら、当然道具には使い方が存在します。
    文字の場合は、それが頭から順番に追って行くということなのでしょう。
    当たり前のことではありますけど、その当たり前を文書化して明確にするのが、このエッセイの目的ということでしょうか。
    まさに敷衍ですよね。


    それと、少し天邪鬼な解釈をするなら、一連の書かれた書物の中から暗号を読み取って、本当の伝えたい目的を探り当てるような場合がありますよね。

    聖書の中から暗号文を読み解いたりする真面目な研究者もいるようですし、アイドルへのファンレーターを装って、横書きの文章なのに、本当に言いたい事を縦書きで伝えようとするアンチファンもいるみたいです。

    この場合は、頭から順番に読んでいくという行為を装っていることになる訳ですけど、どうなんでしょうね。

    『限られた文字を決まった順番で読む。

     それだけです。

     だから想像し、知識で補完する。』

    この最後の行の『だから想像し。知識で補完する。』ということに該当するんでしょうかね。

    木山さんのエッセイは、本当にいろいろと考えさせらて面白いです。
    普段自分が意識しないで見落としていることに気付かせてくれることが多くて、勉強になります。

    できれば、今後も気の向いた時に似た様なエッセイを発表して貰えたら嬉しいです。

    ありがとうございました。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。

    時空震さんのコメントからは丁寧に読んでもらっている感じがありありと表れていて嬉しい限りです。
    またコメントの内容や密度もいつも高く、楽しい読み物として拝読しております。

    前作と本作は、ともに文字で書かれた物語をつらつらと〝読む側〟から考えたものです。

    同じ人間の中であっても、この書く側と読む側では本当に考える事が違います。

    書く側だと〝この言葉の言い回しや雰囲気は伝わるかな?〟といった賭事のような期待感や思いを込めた書き方をするときがあります。

    読む側だと〝なんでもこんなわかりにくい表現するのかな。下手か〟と伝わり難い表現を嫌います。

    もちろん、物語を書く際には、わかりやすく書くべきだと思います。
    でも自分が書きたい書き方をしないで、ものを書くことは書く意味がなくなってしまいます。
    ことに趣味の場合はなおさらです。

    時空震さんも執筆をされるので似た感覚はあるのではないかと思います。

    そんな訳で〝既に〟文字で書かれた物語を切り分けて自分のなかに移築するような読書。

    それと、自分のなかの設計図を、元に外に〝これから〟組み立てていくような執筆では見方が変わるのです。

    ということで〝敷衍〟とかの通常は使わない文字。
    基本は使うべきではないです。

    本を読む人のなかには、読めない漢字があると〝不快感〟を感じたり、作者が〝衒学的〟だと思う人もいると見聞きした事があります。

    そもそも伝わりにくい言葉は、伝えるという本来の言葉の機能を果たしていないのです。

    ましてや、その上に読んでいる人に不快感とか与える可能性があるなんて、とんでもないマイナス要素です。

    とはいえ。
    書いてるときは、言葉の音とか調子で熟語を選びがちです。
    熟語を、開いた時の文字数がまた多いし。

    なるべく文字数は少なく説明したい私としては困るところなのです。
    短く済むなら済ませたい。
    そんな怠け心です。


    後、時空震さんの四国でのテレビ局からインタビューを受けたエピソードは(失礼ながら)面白いです。

    指示語や代名詞づくし。
    自分も自覚がないだけで、やっていそうな気がします。

    しかし、そんなやりがちな言動も、カメラ前となると心理的な重圧が大変なことになったでしょうね。

    体験したくはないですが、話のネタとして強いエピソードを持っているという点では羨ましいです。

    このエッセイはアレです(早速……)
    〝書かれた物語について(いまの)自分はこう思っている〟
    という個人の考えを書いて置いて後から見返す備忘録であり、このコメント返しのように他の人はどう考えていますかと問いかける話の機会としたものです。

    そんなわけで話に出ていた。
    〝シフト暗号などの文字暗号〟についてです。

    文字暗号というのは、とりもなおさず、開示された文字の正しい〝順番〟を決定して解きます。

    つまりどんな文字暗号であれ、解読は順番に元の文の通りに、頭から読みます。

    その時、暗号と同時に元の文は読めません。
    元の文は、ただの字の並んだ背景となっているはずです。

    同一の文中にあっても本来の文と暗号文は別の意味をもった文なので〝ふたつの別の文〟と考えます。

    そして、暗号文について考えると、上記の解釈となるのです。

    〝縦読み〟のほうが説明しやすいかもしれません。

    シフト暗号と同様に縦読みしているときは、横書きの文は読めていない。
    ただの文字の羅列。地紋です。
    文字としては無いのと同じです。

    同様に横読みしているときは縦読みは消えているはずです。
    横読みの中に組み込まれたただの文字。
    縦読みの機能は、発揮されていないはずです。

    人は下を見ながら上は見られません。
    一度に一事しかできない。そんな構造なのです。
    〝逐次制御〟しかできないのです。

    暗号が文中に散在していてもそれを日本語に直して読むときは順番通り最初から読みます。

    回文や漢文の書き下しも同様です。
    ただの日本語として扱います。
    なので頭から順番に読みます。

    また地雷震さんが推察されたように、物語は読む人の中の情報を使用します。

    文字暗号を、それと知らなければその文に暗号は無いのと同じです。

    文中の文字暗号は〝読めない文〟として存在するわけでなく、たた無くなるのです。

    これが本作を基にした私の文字暗号に関する考え方です。
    答えになっていたら幸いです。

    さてさて。
    こんな感じのエッセイは実は、書いてる本人もめんどくさいのです。
    できればやりたくないのです。
    本来はバカな話が好きなのです。

    でも、これからももしも頭にめんどくさい文が浮かんでしまったら書くのでしょうね。
    貧乏性なので。
    因果な質なので。
    途方に暮れますね。

    長くなりましたが、重ねてこの度もまたコメントとをありがとうございました。

  •  おー、格調高くまとめたじゃないですか。
     今回も勉強になりました。

    「そう擬えるのなら、書かれた物語とは目の前にいない人の思考と記憶を代替する仕組みです。思い出や空想といった、心を動かして感情を揺らす精神活動を記憶よりも長く留める記録です。」というところ、印象深いですね。

     そう思うと、読書と「朗読を聞く」こととの間には、違いはあるのでしょうか。上記からすると、違いはない、ということになりそうですが、文字を読んで情報をインプットすることの意味というのは、どこにあるのでしょうかね。
     前に、私の小説(テニス編)を、「今風邪ひいてて、本読むの辛いから、音声出力で聞いてます。毎日楽しみにしてます」という感想を頂いたことがあって、「んなもの、AI出力だろうし、面白いんかいな?」と思ったことがあったものですから。
     もしかしたら、木山さんがすでに解説されていたかも知れませんが、そんなことを思い出しました。

     ためになったので、お星さまパラパラしておきますね。
     読み手をすごく選ぶと思うので、レビュコメは失敬。

    作者からの返信

    この度はコメントとレビューを、ありがとうございます。

    コメント返信が後知恵を生んだりするのでとても助かります。

    というわけで今回の小田島さんのご推察。
    この感想は、本作のとても肝心なところでもあります。

    〝読む物語と聞く物語の違いはあるのか?〟

    この問いはあまりに多くの関連する事柄があるので、私が前作と本作で割愛した部分なのです。

    それで
    〝目で見る物語と耳で聞く物語〟の違いについてですが。
    私はまったく別のものだと思っています。

    文字を読む為には読み手が一人必要。
    文字を聞く為には語り手と聞き手の二人が必要。

    文字と向き合い、物語を読み取る、読書。
    語り手と向き合い、語られる物語を聞き取る朗読。
    このように受け取る構造から違うと思っています。

    例えば舞台で聞く朗読。
    語りが始まったら止められない。
    言葉の音程や抑揚、間の取り方に演出が生まれます。
    たとえば落語。
    上記の朗読の要素に加えて、擬態語や擬音語をも芝居の効果音の様に用います。
    そして、どちらのジャンルも背景音を加える場合すらある。

    対して読書は、文字から音は鳴りません。
    読み手の好きなテンポで読めます。
    読まなかったりもできるのです。

    ことほとんど左様に。見ると聞くとは大違いです。
    でも物語の媒体ごとの差異は読書と朗読だけに留まらないのです。

    言わずもがなですが。
    物語は本だけのものではありません。
    歌唱、朗読、演劇、映像作品、ゲーム等々。
    多くの媒体で用いられます。

    でもそんなの全部は考えられません。
    私は〝物語の仕組みを考える屋〟を
    開業しているわけではないのです。

    そもそも、浅学な私などでは各種のジャンルに詳しくもないのですから、ろくに語れもしません。

    なので。
    物語分解図。物語配置図のふたつのエッセイは
    〝文字で書かれた物語〟だけを緩く考えてみただけの作品となっております。
    書かれた物語(だけ)について考えたエッセイなのです。

    ちなみに、物語分解図では最初から〝文字で書かれた物語〟と長い語句を何度もバカみたいに繰り返していたのは、そういう理由なのです。

    さて、返信が長くなりました。
    本日はここまでにいたします。
    重ねて、この度はコメントやレビューをありがとうございました。

    編集済
  •  えー、溝に硬貨転がすっていいじゃないですか。溝に沿ってカッターで切りたい、とか言ってるんじゃないんですから。
     私、ボディビル編で、「優里さんの谷間に水200CCジャーって入れて溜めたい」ってシーン書きましたけど、そんな感じじゃないですかね。
     あまりにくっきりしているので、何か象徴的なことして、くっきり度を再確認したいっていう。
     そんな変な性癖じゃないような気がするのは、私もそっち側だから?

    作者からの返信

    この度は、コメントありがとうございました。
    小田島さんのコメントの視点は独特なものが多くて参考になります。

    さて。
    〝溝に硬貨を転がしたいと思うことは、普通にある〟
    とのご意見。もっともかと思われました。

    人間の嗜好は千差万別。
    誰しも各々の興味性癖を持つものです。
    なにを基準として奇異と言えましょうか。
    いや、言えますまい。

    ではなにが今回、小田島さんの〝あたりまえ〟と私のそれとを分かったのか。

    それは愚考しまするに
    〝人体への興味〟
    ではないでしょうか。

    人体各部位への関心や執着。ある人とそうでもない人では、部位に関する解像度が異なります。

    私などは身体は身体としか認識してません。
    一方で小田島さんはボディメイクを嗜好されていると聞きます。
    したがって人体への興味や知識はおそらく豊富かと思われます。

    筋肉や骨格の構造や種別、その均整。あるいは表皮の状態に関して、おそらく一家言ある方かと思われます。

    人体へ興味と知識と高解像度で接する小田島さんと、ぼーっと身体、としか見てこなかった私とで世界が違う。いや世界観が違うのでしょう。

    きっと小田島さんは硬貨のみならずビー玉やらベアリン球、オイル、ローションを
    人体の溝やら突起やら凹みやらに転がし垂らす愉悦を理解されることでしょう。

    あ。書いていて、少し楽しそうかと思い始めました。私も。

    そんな次第でした。
    では、重ねてこの度もコメントありがとうございました。

    編集済
  • 先生、ご講義ありがとうございました!

    作者からの返信

    コメントやレビューをありがとうございました。
    コメントが好きすぎて、コメントの文字を見ていると視力が向上している気がします。

    さて。
    こちらこそ本作を読んでいただき、ありがとうございました。

    それはそうと。
    先生とか呼称は本当に勘弁してください。
    私は、カクヨムには本物の先生たちがわんさか居るのを知っているのです。
    そんな中で呼ばれて居たら、もうね。哀しいピエロですよ。

    だから冗談でも許してください。お願いします。

    というわけで。
    重ねて、コメントやレビューをありがとうございました。

  • 第四図 物語は消えていくへの応援コメント

    読解力のない人
    耳が痛いです。この言葉が心に突き刺さります。

    ①~⑦まで一通り自分に当てはまりますけど、年を取ったせいか、
    ①目がよく見えてない。
    ⑦読むとすぐ疲れる。
    この二つが特に酷いです。

    社内で様々な伝達事項を書いた回覧板が回ってきますけど、最近は読むのが面倒で、読んだふりをして押印だけして他の者に回してしまいます。
    そして、後からちゃんと理解している若い者に聞いて覚える事にしています。
    本当にしょうもない、働かないオッサンです。

    若い頃はそんなオッサンにだけは絶対になりたくないと思ってたんですけどね。
    年を取るというのは、残酷なものです(笑)

    少し言い訳すると、老眼で小さな文字が本当に見えにくくなるんですよね。焦点が上手く合わずに、いつもチラチラして見えるので、その文字を見る事にやっきになって全体の文章への理解が足りなくなってしまいます。
    なので、疲れて読む行為そのものが嫌になってしまいます。

    PCのモニター画面だと拡大できるので良いんですけどね。
    スマホは画面自体が小さいので嫌です。
    最近は紙に書かれた文章はほとんど読まなくなりました。

    ただ、それでも、やはり好きなものに関わっていたいという気持ちはあるので、ちゃんと理解できないまでも、SF小説やそれに関する書物は読みたいと思っています。

    カクヨムに参加したのも、それ故ですかね。

    昔は宇宙論の本をよく読んでいました。
    といっても、ほとんど理解できなくて雰囲気に浸っていただけですけど。
    でも、たとえ理解できなくても、その世界に関わっているだけで面白いと思えるのは確かです。

    不思議ですけどね。理解できないものを面白いと感じる事が出来る。
    理解できないのであやふやな知識と記憶しか持てないのに、それでも心は踊るんです。

    そういった意味では、木山さんのエッセイをどこまで自分が理解できているのかかなり怪しいですけど、物事の捉え方考え方に刺激を与えてくれるので面白いです。

    年を取って物事への興味が薄れてしまい、まあどうでもいいかと考える事を放棄するようになりがちですけど、カクヨムに参加することで、少しは昔の感覚が取り戻せたような気がします。

    ありがとうございます。
    これからも気の向くままにエッセイを発表されると嬉しいです。

    っと、長くなってしまいました。
    ではこの辺で。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。

    この度のコメントはいつもより長く、そして語りかけるような文章で、すごく良いですね。

    読みながら唸っていました。
    〝盲印〟の下りは失礼ながら笑いました。歳を取るのは面白くなる過程でもありますね。

    この後のエピソードには、強く共感が起きました。
    幸いなことに、私は殆ど老眼はないのですが、いま読むものは基本、電子書籍です。

    現在は、カクヨムでの書く物の資料として民話を多数読んでいるのですが。
    これが難物なのです。

    古書は、たいてい紙の本でフォントも小さく余白も少ないので難儀しております。

    それよりさらに困るのは時空震さんと同じく、若い頃のように物事に没頭できないことです。

    いまでは、若い頃のめり込んだ諸々の楽しさも薄れています。残念です。
    でもやはり私も好きなものに関わっていたいのです。

    恥ずかしいことですが、大人になってもわからないことの方が多いです。

    それでもわかりたいと思う気持ちは消さずにいたい。
    それも時空震さんと同様です。
    そして────

    〝不思議ですけどね。理解できないものを面白いと感じる事が出来る。
    理解できないのであやふやな知識と記憶しか持てないのに、それでも心は踊るんです〟

    時空震さんの書かれた、この箇所は特に素晴らしいです。
    〝数寄者〟の心意気を感じます。
    詰まる所は、面白い。
    その感覚だけですよね。

    誰もが歳をとり、欲も衰えます。
    おそらく、いろいろな娯楽なり、楽しみなりは薄れて行くのでしょう。

    たぶんそのなかの寄す処となるのは、物事を面白いという気持だけですよね。

    この度は良いコメントをいただきました。
    本当にこういう機会を得たくてカクヨムにいるのだと再確認した次第です。

    ではまた何れ。

    編集済
  • 「川上クン、今も昔と変わらぬ川上クンだったら良いですね。地球人って歳を重ねると凡地球人になってしまうから..」

    作者からの返信

    コメントとレビューありがとうございます。
    お久しぶりです。

    言葉しか相手をしてくれる人がいない者です。

    宇宙書店さんが書き置いていただける文章は、群を抜いて特徴的です。
    毎回、意外な驚きを楽しんでおります。

    〝文字〟と結婚。
    常人ではない良い発想ですが、宇宙書店さんは宇宙人なので当然ですね。

    しかし私は本作の中で〝文字いらない〟とか言っているので、スピード離婚まったなしです。

    〝長じると凡人〟まったくです。
    川上君はどうかわかりませんが、面白かった人が普通になる例は私もよく見聞きします。
    時間と世間には抗えないですね。
    宇宙人の方は違う様子ですので安心です。

    重ねて本作へコメントならびにレビューをありがとうございました。

    また、何れ。


  • 編集済

    物語を読むことは、言葉の海を泳ぐこと。でも「本当は言葉なんていらない」と思わせるほど、読む者の情動に直接触れる一文の力を感じました。

    川上君の衝撃的な話から、言葉を尽くさねば伝わらない感情の難しさに改めて唸らされました。「言葉なんてホントはいらない」、なのに言葉を紡ぐ。矛盾と闘いながら物語を描く、その営みの尊さが沁みます。

    作者からの返信

    いつもコメント、ありがとうございます。
    いつも悠鬼さんの物事対する卓見と表現の綺麗さに慄いております。

    悠鬼さんのコメントを拝読すると、本作が途轍もなく素晴らしい作品だと思わされてしまいます。
    作者にとっては、諸刃の剣です。剣呑です。

    むしろ、この美しいコメントを手本として、現実をしっかり認識し精進したいと思うばかりです。休み休みですけど。

    重ねて、この度もまたコメントありがとうございました。

  • 木山さんは変わった切り口の書物をされるので、なるほどと思ったりそんな考えもあるのかと、感心させられたり驚かされたりするばかりです。

    普段はあまり意識しないで漠然と思っていることを明確に文書化してくれるので、凄いなと感心しきりです。
    物事に対する考察が好きなんでしょうね。

    特に、コメントへの返信内容が知識量豊富で、へえと思うばかりです。
    タイトルは忘れましたけど、アイザックアシモフのコラムを読んでいた頃を思い出しました。

    今後も、その豊富な知識量を活かした、面白い書物を発表されるのを待っています。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    返信が遅くなり失礼しました。

    時空震さんからコメントは同じSF作品好きということもあり拝読していると、自分の視点のズレの調整に助かっています。
    そうそう。アシモフの科学エッセイ。私もすこぶる好きで読んでました。

    今回指摘されたように拙作のいくつかは、どうもカクヨムの平均的な作品群から離れているようなのです。
    なので今年は、わりと〝あたりまえの傾向〟へ寄せて書いてみたいです。

    後は書いてないジャンルであるホラーとかコメディとかラブコメとか何か書いてみようかと思案しております。

    たぶんろくなことにはならないでしょう。
    ただ、なんでもモノは試しですから。
    趣味くらい自由にやらねばですね。

    一般に物事を考えるのは面倒ですよね。
    私もそうです。

    でも私は稀に、それこそずーと、年単位で頭の隅に〝ある考え〟がいくつか残っているのです。
    他の人には、ないのでしょうか?
    たいていは暮らしと関わりない雑感です。

    そんなガラクタが邪魔だから書いて頭の外に記録したい。そして忘れたい。
    そう思う事柄がエッセイとなります。
    頭の整理整頓です。

    こういう趣味とも習慣ともつかないことが
    読み物となるのは、カクヨムの良いところですね。
    本作が時空震さんにも好意的に受け取っていただいて助かっています。

    まだしばらくはカクヨムで活動するので、今後ともよろしくお願いします。
    こちらとしては、
    〝異世界で俺だけがSFしている…のか?〟の更新を楽しみにしています。

    重ねて今回もまた本作へのコメントをいただき、ありがとうございました。

    編集済
  • 文字(物語)の読み方は人それぞれですよね。
    一文字一句を追う読み方もあれば、
    数行まとめて読んだり、
    最初の数行とラストの数行読むとか。

    ……物語ではないのですが、ビジネス書やらは目次だけ目を通して読了した(気分になっている)ものもあります。
    ははは……。
    死ぬまでにどれだけの文字を読むことができるのか。

    すこしふしぎな創作論でした。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    睡眠と同じくらいコメントへの返信が癒される時間です。

    さて。このエッセイもお終いまで読まれたようですね。思うと感謝しかないです。

    思い返すと。
    これを書く時は、ほんとうに説明することの難しさに直面していました。
    いつも、頭が痛かったように記憶しています。

    物語には、凡そのパターンがありますが、エッセイには特定の様式がないように思います。
    考えを書くだけです。

    だけなんですけど〝考えを書く〟って
    長々書くと、回りくどくてわかり難いし。
    短すぎても、言葉足らずで伝わり難い。
    図解にしたい。常にそう考えていました。


    〝書いたものの考えは、読む者にあまり伝わらない〟

    という内容を書いていた本人が伝わっていないと言うことです。
    お笑い草ですね。

    でも。書いておいて気が楽にはなりました。
    書き置きみたいな感じです。

    いつか誰かが読んで、何か思ってもらえたらそれで良いかと思います。

    重ねて、この度もコメントありがとうございました。


  • 編集済

    第四図 物語は消えていくへの応援コメント

    みなさんがすごく真面目にコメントされているなか、申し訳ないのですが、読解力のない人の7項目に吹き出してしまいました。

    いや、①ね。
    うん、①ね。
    ……老眼がちょっと辛いですし、スマホ画面は目に疲れます。

    ⑧として、そもそも読解しようという意志が欠落している……を付け加えたいところです。


    視点は変わって、
    文字を並べる側からの考えとしては、読解させようという気持ちもなく文字を並べているだけの画面を見かけるときもあります。
    読ませつづける工夫、わからせる工夫……飽きさせない、疲れさせない工夫として、エディトリアルデザイン、組版ルールなどが長い間に時代の流れと共に進化してきたのでしょうが。この先、文字のルールはどうなっていくのやら。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    三度の飯と同じくらいのコメント返信が好きなので助かります。

    さて。
    確かにコメントを付けて皆さんには、真面目な方が多いです。

    博識だし。ちゃんとした方が多いのです。
    おそらく神仏に愛され、輝かしい福運が舞い込んでいるに違いありません。

    なにせ私にコメントをくれるという功徳を積まれているのですから。

    というのはいったん置いておいて。
    最近思うのです。危惧しているのです。

    私はこんなエッセイなどで訳のわからないことを喋り続けていますから。
    多くの人に〝頭がおかしい、急に激昂するようなヤバイ人間〟だとか思われているのではないかと。

    だから腫れ物に触るように皆さんがキチンと感想を書いておられるのではないかと。

    カクヨムのなかでは〝モキュメンタリーホラー〟が定番化しています。

    そんな作品を読むと、大抵の作品に訳のわからない事を言う、突然豹変するキャラクター出てきます。
    私もそんな類と思われているのかも、と危ぶんでいるのです。妄想ですけど。

    なので普通に返信してくださるとある意味で、ほっとします。

    さて⑧。
    ほんとうにそうですね。誰も文字なんて読まずに済むなら読まなくて済ませたいです。脳に直で情報入らないかと思います。
    まー、それはそれで怖いですが。

    また読みやすい工夫は大切ですよね。
    これも未だに各々の書き手で、意見があるでしょう。
    スマホ読書が盛んになれば余白も変わるでしょうし。
    読書する端末が変わればドンドン変化しますでしょう。
    なんなら脳に直接の文字入れる未来もありえますし。マジ怖いですが。

     ……長くなりましたので今回はこれで。
    重ねてコメントありがとうございました。


  • なるほどねぇ。
    記憶ですか。
    私、記憶力が悪いからなぁと、ちょっと納得。

    そう思うと、文字ってすごい発明ですよね。

    覚えることが楽しい人……円周率でも暗記してたらいいか、と思ってしまいました。
    ふふふ。

    自分はなぜ物語が読みたいのか、書きたいのか。
    考えるきっかけをくださりありがとうございます。

    作者からの返信

    いつもコメント、ありがとうございます。
    数ある返信のなかでコメント返信が一番楽しいです。

    さて、記憶。  

    普通は〝思い出〟とか〝勉強〟とかに使うイメージですよね。
    でも案外、記憶がないと色々と捗らない。
    そんな気がします。
    前にやったことを憶えていないとできないこと、多いかもです。

    そんな事から
    〝書かれた物語を読むときにも記憶を使うよね〟  
    なんて話になっているわけです。

    ともあれ。このめんどくさいエッセイが、のりのりのさんの何事かを考えるキッカケになったとしたら、嬉しい事です。

    重ねて。この度もまた、コメントありがとうございました。 

  • お疲れさまでした。
    大変示唆的な内容だったと思います。
    物語を読むという行為を突き詰めたことがありませんでしたが、確かに何のためにお金を払って本を買って読むのかというと、知識を増やすためとか、仕事に活かすためとかではなく、何がしかの感動を求めているのだと改めて思いました。
    素敵なエッセイをありがとうございました。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    コメントをいただくと身体の調子が良くなる気がします。

    さて。
    書き終えたいまでも一番の謎が残っているのです。

    それは何故こんなエッセイを書いたのか自分でも分からない点なのです。

    〝話し言葉と書き言葉は、ずっと乖離しているなあ〟

    〝そういえば日本とか韓国って、文字を持たなかった民族だから、漢字を使ってたんだっけ〟(諸説あります)

    〝視覚の不自由な方の文字記憶ってどうなるのかな? 点字が浮かぶのかな。でも健常者も頭に文字が浮かぶ人は、あんまりいないのではないかな〟

    という事らへんを調べて、類例があまりないことからこんなエッセイを書き始めた感じを憶えている事は憶えています。

    でもわざわざ個人の感想をこんな長々と書くものかな。とも思います。
    私は言語学や心理学や哲学などを修めたわけでもないのですから。

    最後に振り返っても不思議です。
    でも読む方も幾人かは居てくださり、書いても良かったかな。とも思います。

    重ねてこの度もまた、コメントありがとうございました。

  • 川上君最高ですね。
    得難い経験をされたようです。
    桑原桑原…

    川上君のお陰で話の内容が理解できたような、吹っ飛んでしまったような感じです。
    なんにせよ、インパクトがでかかったです。

    作者からの返信

    いつも、コメントありがとうございます。
    コメントへの返信があたりまえの事ではないと噛み締めております。

    さて、川上くん。
    どんな大人になったのでしょうね。
    もはや交流がないので、確かめる術がないのが残念です。

    あの話が挿し込まれているのは、私自身が真面目な言説を語り続けることに違和感と苦痛を感じるからですね。
    ついつい流れの中に異物を入れたくなるのです。

    ホントは、いちゃラブ系のラブコメを書きたいくらいです。いえ、一度も書いたことは無いですが。

    ともあれ、こんな面倒なエッセイを読んでくれてかたじけないです。

    重ねて、この度はコメントありがとうございました。

  •  文字が人類の最大の発明なのは、私たちの様に文字を好む人の共通認識だと思います。
    新井素子先生の初期作品「ラビリンス」で文字は言葉を凍らせるもの。ずっと保存出来て後の世のみんなにも共有出来るもの、みたいな表現がされていたのを思い出します(ここも、細部の表現は記憶が曖昧ですが、大筋はあっているはず)。


    興味深い、すこしふしぎ(Sukoshi Fushigi)なお話、楽しく読ませて頂きました。
    他の作品も拝読させて頂きたいと思います。


    作者からの返信

    いつも、コメントありがとうございます。
    コメントへの返信。生涯であと何回できるかと思うと涙が溢れます。私は無病息災ですが。

    さてこの〝言葉は人類最大の発明〟
    ここも考えどころです。

    言葉を半分しか発明していない人類というか民族は結構あるのです。
    文字を持たない民族です。アフリカ、アマゾンの諸部族の一部とか。

    かくゆう我が国もお隣の国も、中国から文字を輸入しております。
    そこから〝かな〟や〝ハングル〟を作ったわけで。

    〝話し言葉と書き言葉は同じではない〟という事から前作〝物語分解図〟本作〝物語配置図〟が始まったのです。

    なので作中で私は馬鹿みたいに〝文字で書かれた物語〟と都度都度に長々書いていた訳なのです。

    〝話し言葉での思考と、書き言葉を読み取ってからの思考とは異なるのではないか?〟

    〝言語の形式が思考の形式の鋳型となるはずだ〟

    そんな妄想をしていたわけなのです。
    なんでそんなの考えていたのか、自分でもわかりません。
    書き終えたので、もう大丈夫です。

    こんな得体のしれないエッセイを好意的に受け取って貰うのは望外の幸せです。


    ともあれ。
    重ねてこの度も、コメントありがとうございました。


  • 第四図 物語は消えていくへの応援コメント

    記憶のメカニズムとしては、情報を「大きな絵」として脳内に保存しているという話を読んだことがあります。
    全体像は覚えているが、細部は目を凝らさないと見えない。

    また、これはソースを覚えているのですが藤子不二雄先生の作中で「忘れるということは、記憶という箱の鍵を見失っているだけ」みたいな解釈がされていた(しまった、この話の記憶が曖昧だw)記憶があります。

    エビングハウスの忘却曲線の理論の様に、反復を繰り返すことで、記憶は定着するといいますし、面白い命題ですよね。

    作者からの返信

    いつも、コメントありがとうございます。
    コメントへの返信は毎日打つ文章のなかで一番好きです。

    さて
    記憶を大きな絵に例えるのは私も聞いた事がありました。
    それはデータ構造で言うツリー構造なのだと理解していました。

    大きな表題は小さな表題をいくつも含み、小さな表題はさらに小さな表題がいくつも入る感じの。

    私を含め大抵の人は、記憶のその〝含む含まれる関係〟の段(階層)が浅いのでしょう。

    私は記憶と文字を考える際にまず〝視覚を持たない方の記憶の方法〟を簡単に調べました。

    そして必要な要素は〝意味内容の連結〟だと一人合点して本作を書いたのです。

    なので〝大きな絵〟が実際に画像記憶だけを示していたら、すみませんがわからない事例ですので返答できません。

    記憶の忘却の状況の比喩は全く同意です。
    ただし。
    人間は憶えたと思いこむし、まだ憶えているはずだとも思いこんでいたりするのが始末に困るところです。

    みなみに、本作で参考にしたのは、
    心理学者のロフタスが〝想起する度に記憶が少しずつ変容する〟事例について〝誤導情報パラダイム〟を用いて〝エピソード記憶〟の歪みを説明している点。

    それと〝バートレット効果〟という記憶には、単純化が起こりそれに伴い元情報の削減(忘却)も生じるという現象、などです。

    @catsince1994さんの言われたとおり、エビングハウスの忘却曲線の理論は間違いなく記憶定着の主要な要素だと思います。

    @catsince1994さんのように私の胡散臭いエッセイに様々な例示をあげて貰えるのは本当に感謝です。

    ともあれ。
    重ねてこの度も、コメントありがとうございました。

  • 読み専で、結構な数の小説を読んできましたが、木山先生の語り口は出会った作品の中では、「他に類を見ない」ものだと思います(誉め言葉です)。

    創作を語りながら、実はSFしているようにも思えます。
    観測することで、事象が確定するという「人間原理」の話を思い出しました。

    作者からの返信

    いつも、コメントありがとうございます。
    コメントが四文字語のなかでいま現在一番好きです。

    さて
    〝他に類を見ない〟と@catsince1994さんに言って貰えたのは望外の喜びです。

    良かれ悪しかれ少ない方がレアですから。
    〝鶏口となるとも牛後となるなかれ〟
    なのです。

    またこれもコメントに書かれていましたが。

    〝創作を語りながら、実はSFしているようにも思えます〟

    御明察です。
    私はすべての書き物をSF小説だと仮定して書いている奇人なのです(本当です)
    SFがすこぶる好きなのです。

    ……それとですが。
    僭越ながら@catsince1994が言われた内容は
    〝観測者効果〟もしくは〝不確定性原理〟のいずれかでは、ないでしょうか?
    違っていたらすいません。

    この〝人間原理〟〝観測者効果〟〝不確定性原理〟はSF小説でよく使われ、またよく混同されているものなのです。
    差し出がましいことでしたら失礼しました。

    ともあれ。
    重ねてこの度も、コメントありがとうございました。

  • なんというか、凄くシャープ且つ独特な切り口で創作を見つめられているな、と感心して読ませて頂いていました。

    そこで唐突にぶっ込まれる川上くん(仮)の話。
    ・・ズルいですよ。爆笑してしまった。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    仕事の休憩時間にコメント返信をしていると仕事よりずっと充実感があります。

    さて川上君の話。
    あのエピソードは、このイカれたエッセイのなかで唯一の癒し話ですよね……

    いや。あの人のほうがイカれていますね!

    結果としてこのエッセイには、頭おかしい事だけしかありませんでした。書いた私も残念です。

    そんなアレな話を他人様に読んでいただける喜びにうち震えております。

    重ねて、この度もコメントありがとうございました。

  • 物語も道具。
    なんかストンと腑に落ちます。

    落ちたからって心を揺らす道具を作れる自信出たぜ、って訳じゃありませんが。
    日々是精進(( ˘ω ˘ *))

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    コメント返信すると肩こりが軽くなります。コメント返信には薬効がありますね。

    さて。
    物語は道具。
    書き始めたころには、この件は考えていませんでした。

    〝人が考えるための道具って記号(文字や数字や音符等など)だけしかないよね。じゃあ物語って?
    あたりから考えたように記憶しています。

    ともあれ本作がハマハマさんの創作のうえでなにかの参考になれば幸いです。

    重ねて、この度はコメントありがとうございました。

  • 第四図 物語は消えていくへの応援コメント

    消えて行くどころか
    自分なりの解釈が物語になっていたりします。

    素敵なレヴューコメント
    嬉しいです
    ありがとうございます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    コメント摂取を中心にカクヨムをやっているので、忝ないです。

    そういうこと、あります。
    完全に記憶違いで憶えていたりします。
    後にその誤解が創作の素になることもあったりして。
    割と良いものですよね。

    ああ。レビューの縁で寄ってもらったのですね。
    そういう時機だったのでしょう。
    通り魔的犯行ですね。

    重ねて、この度はコメントありがとうございました。

  • 第四図 物語は消えていくへの応援コメント

    最近読み物の範囲が極端に狭まって、過去に読んで気に入った作品を繰り返し読む傾向が強くなってきています。
    単に新しい作者の作品を読むことに臆病になっているだけかも知れませんが、一部記憶力が衰えて、新しい作品を記憶することが出来なくなってきてるのかなと思いました。
    中々難しいですね。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    その日読んで楽しい文章のランキング一位はコメント文ですね。

    さて。
    新しい物を読むのが億劫。
    それと。
    記憶する分量や保持時間の減少。
    あります。

    私は万事がめんどうに感じる怠惰な者ですが。
    元々低い記憶力がさらに落ちているのでしょう。

    記憶することへの意欲は概ね年代によって差が出ますよね。

    幼少期は覚える事それ自体が楽しみになっていたりします。
    新しい事を知るのが嬉しい。
    新しい事は良い事、みたいな。

    遊びでもトランプ遊びの神経衰弱とかやりやがります。
    なぜあんな苦役みたいなことしなきゃならないのか意味がわかりません。

    おそらく余暇のなかに休養という概念がないので常に暇つぶしを求めているとかですかね。
    待機状態を厭う感じで。

    何度も読んだ本とか見るのは私もあります。

    たぶん感情の想起、というか初めに読んだ感じがまた再生しないかとも思うのですが、やはり初期衝動は再生しません。
    ただ別の感情が起きるもの良いです。

    重ねて、この度もまたコメントありがとうございました。

  • 第四図 物語は消えていくへの応援コメント

    ということは書く側の狙い目は、飽きさせない新鮮味と、個性的過ぎる突飛さの、その中間を攻めるのが正解なのかしら……

    読み取れてるのかしらワタシは……

    作者からの返信

    いつもコメントや評価を、ありがとうございます。
    コメントをもらうと、閉じかかったまぶたが上がります。

    さて。
    〝書く側の狙い目は、飽きさせない新鮮味と、個性的過ぎる突飛さの、その中間を攻めるのが正解なのかしら〟

    とのことですね。
    それで、このめんどうなエッセイの要点は

    〝物語って、みんなそんなにちゃんと読めないよ〟
    〝読んだ物語は、だいたい形が変わるし忘れるよ。なんなら「○○○は読んだよ。面白かった」くらいしか記憶ないよ〟

    ということなのです。
    だから書く方がなにをどうしようとも、それはそれ。
    読む方は好きなように読むし、
    意図も読み取るとは限らないですよ。
    だから、そこは過度に期待しないのが良いですね。

    て感じなのです。
    創作論ではないのでどう書くと良いかは残念ながら私にはよくわかりません。

    ということで
    重ねてこの度もコメントや評価をありがとうございました。

  • 『あの溝に硬貨を転がす』
    そう聞くと転がしてみたくなったワタシは怪異に毒されてやしないだろうか……

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    コメント返信を打っているときが一番スマホの価値が上がっている瞬間です。

    さて。
    怖ッ。

    川上くんは〝分け目に硬貨を転がす〟という言葉を見聞きすると、そういう行為をしたくなる。
    そんな怪異ですか? 呪い的な。

    いや。違うな。まず初めにそのセリフを聞いたはずの私が一ミリも硬貨とか転がしたくないし。

    ともあれ。
    重ねて今回もコメント、ありがとうございました。

  • 成程。
    好きな本を読み返すと、見落としていたことに気づいたり、違うように見えたりすることがあります。
    これは記憶の中で過去が更新されたり、変更されたりしているのかなという不思議な感覚を覚えました。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    コメントを返信する楽しみは格別です。

    さて本作。
    私の思いつき駄話なので、話半分に聞いておいてもらうとありがたいのですが。

    記憶が想起されるたびに僅かながら変容すること。
    これは心理学者のロフタスが
    〝誤導情報パラダイム〟を用いて〝エピソード記憶〟の歪みを説明している事例や
    あと
    〝バートレット効果〟という記憶の単純化と元情報の削減という現象もあります。

    それらを参照して本作を書いていましたので、あながち全くウソの現象でもないかもしれません。

    重ねてこの度はコメント、ありがとうございました。

  • 川上君の主人公にしてホラー短編書けそうですね。
    興味深い人物です。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    最近はコメント返信しているときにのみ、生きがいを感じております。

    さて。川上君。
    かなり個性があったと思うのですが……今回のエピソードの他は脚が速かった、ということしか記憶にないのです。
    不思議です。あんなに強い性癖なのに。
    記憶を食べられたのかもしれません。
    本当に怪異なのかもです。

    もっとも。風変わりな人との遭遇では六散人さんには及びません。
    〝六散人黙示録〟毎回楽しみにはしております。

    では
    重ねてこの度もコメントありがとうございました。

  • 読んでいて非常に納得感を覚えました。
    確かに単語や文章に込めるられた空気、作者の意図や感情のようなものを、読者は読み取っているのではないかと思います。
    その結果、読み手によって様々な文の解釈が生まれるのでしょうね。
    書き手側としても、自分の感情や思いのようなものを強く込めた文というのは、記憶に残るのだと思います。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    感想をいただく嬉しさと、感想を読んで学ぶ楽しさは格別ですね。

    さて今回の話。

    記憶と時間が切り口です。
    あとは前回と同じに
    〝人間の行動はすべて所要時間がかかる〟
    あたりですね。

    相変わらず自分で読み返しても、わかりにくい話ですが。
    読む方には負担を強いております。恐縮です。

    六散人さんの感想の
    〝自分の感情や思いのようなものを強く込めた文というのは、記憶に残るのだと思います〟
    この下り。巷では〝物語の強度〟と言われているものに関わる事柄ではないでしょうか。

    強い感情の下に認めた文は確かに書き様から変わります。
    技法上では拙くとも確り胸していますよね。

    極端な例ですが。
    私は素直な(感じがする)子どもの手紙とか読むと、感情の伝達において到底勝てない気がします。


    重ねて、この度もまたコメント付けてもらいありがとうございました。

    編集済