9.お泊り会 前編


 例年より長かった梅雨が終わり、期末テストを乗り切ると……念願の夏休みがやってきた。


 ……まぁ、例によって宿題は大量に出ているのだけど、それは些細なこと。


 本好きなあたしは、この夏休みに大量の読書計画を立てていた。


 それこそ、冷房の効いた自室で本の世界に入り浸るのは、あたしにとって至福のひとときなのだ。これは誰にも邪魔させない。


 ……そのはず、だったんだけど。


「あーづーいー」


 夏休みに入って数日が経過した日の午後。美咲みさきちゃんがあたしの部屋で伸びていた。


「ねぇ、あたしの家に勉強しに来るのはいいんだけどさ……この部屋、暑いでしょ?」


「うん。あづい。あづすぎる」


 足元に放置していた教科書で、ぱたぱたと自身をあおぐ。もはや口も回っていなかった。


 実を言うと、ここ最近エアコンの調子がおかしいのだ。動くのは動くのだけど、まったく涼しくならない。


 お母さんに相談したところ、どうやら室外機の故障らしく……修理に一週間くらいかかるらしい。


あおいちゃんと勉強したかったのに……これじゃ勉強どころじゃない~」


 今にも溶けてしまいそうな声で言って、美咲ちゃんはあたしにのしかかってくる。


「ちょっとやめてよ。余計暑苦しいじゃない」


「葵ちゃん、いい匂いがするぅ」


「しないから! 汗臭いだけ!」


 背中にへばりつく美咲ちゃんを振りほどき、あたしは立ち上がる。


 これじゃ読書どころじゃない。色々な意味で我慢の限界だった。


「こうなったら、冷房の効いた図書館に避難しましょ」


「ねぇ、どうせなら、わたしのうちに来ない?」


「へっ?」


 そそくさと荷物をまとめはじめた時、美咲ちゃんが笑顔で言った。


「どのみち、夜になったらこの温室に戻ってくるんでしょ? それならエアコンが直るまで、わたしのうちに泊まりなよ。折角の夏休みだから、お泊り会」


「いや、それはさすがに悪いわよ……晴海はるみさんたちもいるわけだし」


「お母さんたち、明日から九州のおばあちゃんちに帰省するって」


「え、美咲ちゃんは行かないの?」


「うん。葵ちゃんが来るなら残ろうかなって」


「いや、それこそ悪いわよ」


「いいのいいの。なんでこの時期に、わざわざ暑い九州に行かにゃならんのだ」


 里帰りでしょーが……なんて言葉が口から出かかるも、確かに美咲ちゃんの提案は魅力的だった。


「んー。ちょっと聞いてみようかな。お母さーん、話があるんだけど!」


 少し考えて、あたしは部屋を飛び出す。それからリビングでくつろぐお母さんに声をかけた。


「……という話になってるんだけど、明日から美咲ちゃん家に泊まってもいい?」


「いいわよー。晴海さんたちによろしくね」


 あたしと美咲ちゃんが幼馴染ということもあり、姫宮ひめみや家と伊吹いぶき家は家族ぐるみで仲がいい。


 このようなお泊り会も珍しくないので、お母さんは特に気にする様子もなく、二つ返事でOKしてくれた。


「じゃあ……お世話になろうかな」


「おっけい。不束者ふつつかものですが、よろしくお願いしますっ」


 部屋に戻って結果を伝えると、美咲ちゃんはよくわからないことを言いながら、その場で深々と土下座した。


 泊めてもらうのはあたしなのだから、頭を下げるのはこっちなのだけど……お互いに頭を下げ合うのも妙な気がして、その場はスルーすることにした。


「でも、遊ぶだけじゃ駄目よ。宿題もやらないと」


「わかってるわかってる。お母さんには勉強合宿だって説明しとくよ」


 美咲ちゃんは嬉々として言って、その小さな体を左右に揺らしていた。


 何がそこまで嬉しいのかしらねぇ。


 ◇


 その翌日。美咲ちゃんの家に向かったあたしは、出発直前だった彼女の両親に挨拶をする。


「……突然ですが、しばらくお世話になります」


「話は聞いてるわよー。葵ちゃん、美咲をよろしくね」


 よそ行きの服を着た晴海さんは美咲ちゃんとそっくりな笑顔をあたしに向けてくれる。


 いつまでも若々しくて、それこそ美咲ちゃんと姉妹と言われても誰も疑わないと思う。


「葵ちゃん、いらっしゃーい」


「美咲ちゃん、しばらくお世話になります」


「そんなかしこまらないでよー。わたしと葵ちゃんの仲じゃないか」


 家族に続いて玄関から出てきた美咲ちゃんに挨拶をするも、彼女はニコニコ顔であたしの肩を抱いてくる。


 ……やっぱり、めちゃくちゃ嬉しそうね。


 そんな美咲ちゃんは、Tシャツにデニムの半パンというラフなスタイルだった。


 そのTシャツには『ぐでねこ』という、半分溶けたような猫のキャラクターが描かれている。


 相変わらず、あの猫好きなのねぇ。あたしはとっくに飽きちゃったっていうのに。


「……それじゃ、上がって上がって。飲み物用意してくるから、わたしの部屋に行ってていいよ」


 美咲ちゃんの家族を見送ったあと、あたしは促されるがまま、二階にある彼女の部屋へと向かう。


「はぁぁぁ……!」


 そのドアを開けた瞬間、なんとも心地いい冷気があたしを包み込む。


 あたしの家と美咲ちゃんの家はそこまで離れていないけど、炎天下の中を歩いてきたのだ。この涼しさは骨身にしみる。


 もしかすると、あたしのために冷房を強めに設定してくれているのかもしれない。


「はふぅ……極楽、極楽」


 さすが文明の利器。あたしは思わず小躍りしそうになる。


「……何やってるの?」


 まさにその瞬間を、美咲ちゃんに見られていた。


「なんでもにゃい……」


 その瞬間、あたしは操り人形の糸が切れたかのようにクッションへと腰を下ろしたのだった。


 ……その後は冷たい麦茶をいただきながら、美咲ちゃんと他愛のない話をする。


「って、そうじゃなくて! 一緒に宿題するんじゃなかったの!?」


「えー、宿題は明日でもできるよ。今日は初日だし、まずは体を慣らさないと」


「いったい何に慣らすのよ……いいから、しばらく宿題するわよっ」


 巨大な肉球型クッションを抱いて床に転がる美咲ちゃんを引き起こし、あたしは荷物の中から宿題を取り出す。


 こういうのはやる気があるうちにやっておかないと、あとが苦しくなるのよ。



 ……そんなこんなで集中して勉強すること、数時間。


「ところで、晩ごはんどうする?」


 さすがに集中力が切れかけてきた頃、美咲ちゃんが頬に手を当てながら訊いてくる。


 自宅でリラックスしているのか、いつも以上に仕草が可愛らしい。


「そーねー、この気温じゃ外に出るのも億劫だけど……」


 あたしはノートから顔を上げ、部屋の時計を見る。


 猫グッズにまみれた部屋に溶け込むように置かれた肉球型の時計は、16時を示していた。


 お昼は晴海さんが作っておいてくれたけど、夕飯は自分たちで用意しないといけない。


「お母さんから食費もらってるし、ヤーバーイーツでも注文しちゃう?」


「初日からそれは駄目でしょ。こーいう時は節約しなきゃ」


 言いながら、あたしは持っていた袋を掲げる。


「ずっと気になってたんだけど、それ何?」


「数日間お世話になるんだし、自分の食べる分は持ってきたのよ」


「おお、そうめんだ!」


 美咲ちゃんは袋の中を覗き込みながら声を弾ませる。


「そうめん、実家から大量に送ってきたのよねー。夕飯、これにしましょ」


「これは、葵ちゃんの手料理が食べられる!?」


「そうめん茹でるだけだし、手料理なんて立派なもんじゃないわよー。それに、あんたも手伝うんだからね?」


「うぐっ……全力でネギを切ります」


「全部繋がらないように、気をつけなさいよねー」


 ◇


 ……そんなこんなで二人で調理をし、夕食を済ませる。


「葵ちゃん、お風呂湧いたよー」


 キッチンで洗い物をしていると、お風呂場から美咲ちゃんの声が飛んできた。


「あとで一緒に入ろうねぇ」


「はぁ!?」


 続いた言葉に、あたしは持っていた食器をあやうく落としそうになった。


 ……しまった。お泊りする時点で、こうなることは予想しておくべきだった。


 今になって後悔するも、もはや後の祭りだ。


 すでにあたしは、アリジゴクに落ちたアリ。覚悟を決めるしかなさそうだ。

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