成熟 side モモ
私は何の問題もなく大学生になった。もちろん私の隣にはスズが居るし、表立ってつるむことは絶対にないけど、フユも居る。フユは高卒認定試験を受けて無理矢理大学に入学した形となる。ここはスズの選んだ大学だ。そこに何も不満はないし私がなにか言うのは間違っている。ただ、ここがキレイなのかどうかは私が判断させてもらう。フユは私に目立てと言った。自分の過ごしてきた世界をいきなり別の何かに塗り替えるような新参が来たら良いように思わない人は少なからずいる。そういう嫌われ役を私が演じる。そこで生まれた私を疎ましく思う人に近づいて、フユがネットワークを構築する、計画らしい。私はそいつらの共通の敵になればいいってこと。まず何をすれば良いのかと聞いてみた。
「とりあえず入試満点合格でもしてみたらどうだ。目立つだろ」
心底やる気のない回答だった。やってみた。予想外だったのは入学式で新入生代表挨拶をさせられたことだったが、目立つという目的にはもってこいだろう。私とスズとの時間を奪ったことは罪だが、私の地位を盤石にするために単独で行動しなくてはならない場合の言い訳にもなった。一週間で私の地位を確立する。主要な運動部十数個全てに体験入部して力量を見せつけたのもそのためだ。そんなこんなで私のことが噂になるまでに一週間もかからなかった。
「モモすごいねぇ。入試満点なんて。モモがすごいのは知ってたけど、私、自信なくしちゃいそう……」
「まぁ最初くらい真面目にやってみようかなって。それに、私は何でも真面目に取り組めるスズのほうがすごいと思うよ」
私とスズは大学生になるにあたって同棲を始めた。まぁ高校時代も半同棲みたいな状況ではあったのだが。ちなみにスズは恥ずかしがって同棲という言葉を使ってくれない。ルームシェアだそうだ。私達は将来を誓いあった仲なのだから同棲で何も間違っていないと思うのだが。まぁそんなスズも可愛い。もちろん授業もスズと一緒に受けるわけで私の心の平穏を保てさせてくれているわけだ。そんなこんなで私の私生活は充実していた。
そして、まだ全てではないがこの大学の情報も集まってきた。やはり世界は汚かった。悲しいがそれは予想の範囲内。思っていたよりひどい現状にどうしたことかと頭を悩ませていると、明らかに私のことを気に入らないという気配をむき出しにしたやつに絡まれた。フユの差し金なのか、勝手に私のところに来た哀れな奴なのかは知らないが、とりあえず腕っぷしで黙らせておいた。これでそっち方面にも私の噂が流れることだろう。一気に勢力を伸ばすと懸念すべきはスズのことだ。スズはこの件には巻き込みたくない。そもそも知ってほしくない。スズから見える世界はキレイであるべきだ。そのための行為なのだから。
「ユフ、次の段階に進むよ」
「まだ早くないか?」
少しでも早く不安を取り除いておきたかった。反抗勢力は片っ端から潰す。向こうからなにかしてくる前に。スズが寝ている間に私は行動し、日中はずっとスズのそばにいる。これが最善のはずなんだ。スズのためならちょいとばかり睡眠時間がなくなろうとも、この身体に傷が増えようとも、関係ない。私は全員に他人に対する善意を持ってほしいだけなのだ。そういう人間だけになれば世界はキレイになるだろう。そこから溢れた者は、私達の世界には必要ない。今や私に対する反抗勢力の中心はフユになっている。つまりどういう計画で何をしようとしているか、そもそも何人居るかは私に筒抜けだ。手を打ちやすい。フユが、スズには手を出すな。以前それをやったら全員帰ってこなかった、と噂を流したおかげでスズの安全は一応は確保された。私はただ、スズに、キレイな世界で普通に生きてほしいだけなんだ。邪悪が多すぎるこの世界のきれいな面だけを見て生きてほしいだけなんだ。
そっち方面の話は置いといて、私の大学生活は充実していた。高校生の時より明らかにスズとの時間が増えたからに他ならない。家事の分担を決めたり、できないときは助け合ったり。それっぽいじゃないか。スズは私の料理を美味しいと言って食べてくれる。自分の作った料理を誰かに美味しく食べてもらうことがこんなにも嬉しいことだなんて知らなかった。一人で居たときは、自分のためだけに料理したり、何かを頑張ったりするのが面倒で、食事は適当にあるものを食べる程度だったし、掃除もほぼしなかった。でも今は頑張る理由がある。スズのためだ。スズのために料理も掃除もする。何だったら家事全部私がやってもいいくらいだ。それじゃあルームシェアの意味がないでしょ、ってスズに怒られたからそうなってないのだけれど。
朝は私が少し早く起きてスズのために朝食を作り、スズを起こす。
一緒に大学に行き、同じ授業を隣で受ける。
昼はお弁当を作っていったり、学食だったり、どこかに食べに行ったり。
帰りにスーパーで買い物したり、寄り道したり。
帰ってから私は簡単に掃除をして、その間にスズが夕食を作ってくれる。
そうして夕食を味わい、お風呂に入る。
夜は一緒のベッドでスズを抱きしめて眠る。
夜に出向かなきゃならないことも最近は減ってきたので存分にスズを感じながら眠ることができる。これが幸福でなくて何なのだろうか。しかし、忘れてはいけない。私は一度幸福に酔って許されざる間違いを犯してしまったことを。
もし過去に戻れるならいつに行く? というのはよくある子供の遊びの質問だ。無論、私は高校1年のときに戻る。スズにあんな思いをさせた自分をぶん殴ってから全力でアレを阻止するだろう。そのせいで未来が変わって今の幸福が消えてしまうとしても。
とはいえ過去に戻るなんて現実的じゃない。無力な私は過去を見つめ、未来に進むしかない。二度と同じ過ちを犯さないように。
私は日中をスズの隣で過ごし、夜の間にスズの元を離れスズのために動く。二重生活のようになっていた。私は他の人よりちょっぴり何かをするのが得意だが、それでもただの人間なのだ。先にガタが来るのは身体の方だった。
朝起きる。スズより少し早めに起きて朝食の準備をするのだ。起き上がる。頭が重い。そんなのよくあることだ。立ち上がり、キッチンに向かう。コーヒーマシンをセットする。パンをトースターにいれる。卵を焼いて、後は……何だったか。いかんな。身体がまだ眠っているのかもしれない。とりあえずコーヒーでも飲んで落ち着き、目を覚まそう。ドリップが終わったコーヒーをマグカップに入れる。スズとお揃いで買ったお気に入りだ。そして一口。盛大に噎せた。なんだこれ濃すぎる。設定を間違えたのか。入れ直さないと。
コーヒーの濃い匂いにかき消されていたが、徐々に強くなっていくこの嫌な匂いは。しまった。トースターに入れたパンを忘れていた。そこにはかろうじて原型をとどめている炭が残されていた。コーヒーマシンだけでなくトースターの設定も間違えていたのか。なんてことだ、私らしくないぞ。とりあえずこの炭とコーヒーをどうにかしよう。それらを回収して流し台に向かう。
「うぎゃあ!?」
これまた盛大にコケた。床は悲惨なことになったが、マグカップが割れなくて良かった。本当に良かった。一体どうしたことだろう。なにもないところでコケたり、あれやこれやミスを重ね過ぎだ。
「モモ、大丈夫……?」
「あー……ごめん。起こしちゃった?」
「いやそれは良いんだけど、手伝うね」
スズに心配されてしまった。何たる失態。掃除をして、片付けをして、朝食を作る。いつもの朝の準備にここまで時間がかかってしまうことになるとは。ようやくの思いで準備を終え食卓につく。結局殆どスズにやってもらってしまった。スズは、たまにはこんな日があってもいいじゃない、って言ってくれたけど。なんだかなぁ。
「それにしても珍しいね、モモがこんなになるなんて」
「ほんとどうしたんだろうね。こんなこと初めてかも」
そういえばちょっと顔赤くない? ってことで熱を測ることになった。んで実際に熱があったわけ。つまりは風邪を引いてたみたいで。風邪を引くのなんていつぶりだろう。十年ぶり位の可能性は全然ある。そのせいで、頭がボーッとして変なミスをかますときに病気を疑うということを失念していた。流石にこんな状態で大学になんか行けないってことで休むことになった。スズの前でこんなヘマをかますのが初めてだったのでスズがめちゃくちゃ心配しちゃって、私と一緒に休むと言って聞かなかった。過度な心配だし、私のことなんて気にせずに普段通り過ごしてほしかったが、結果的にはスズがいてくれて助かった。幸か不幸か私達は今まで病気に無縁だったせいで薬なんて置いてないし、こういう食欲が減衰したときに食べられるものとかもなかった。何よりこういうときは精神力も落ちるようで、スズが直ぐ側にいてくれるということがとても心強かった。スズは食べ物やら薬やらを買ってくるとか、おかゆくらいなら作れるよ、とか言ってくれたが、スズが近くにいてくれることが何より大事だった。私は、我儘言ってスズにどこにもいかないでもらった。スズにも一人でやりたいことくらいあったろうに。今なら気持ちがわかる。一人は心細い。ベッドで寝てる私と、その直ぐ側で私の手を握ってくれているスズ。私が安心して眠りにつくのにそう時間はかからなかった。次に目が冷めたのは夕方だった。随分と長く寝たものだ。スズは、ベッドサイドには居ない。でもリビングの方に気配がする。寝起き一番に見るのもスズの顔が良かったのに。まぁしょうがない。自分からスズの顔を見に行こう。
「モモ、起きたんだ。調子はどう?」
「そこそこ。多分良くなってると思う」
なら良かったと、スズがおかゆを出してくれた。それはレトルトとかではなく、スズの手作りだった。とてもあったかい。心が。でも正直言うと、おかゆは少し食感が苦手だ。だからこういう食欲のないときはお茶漬けを食べていたっけか。でも、スズの手作りなのだ。このおかゆは私の記憶の中で最も美味しかった料理として永久に語り継がれるだろう。食後に飲むための薬も用意してくれていた。つまり、私の寝ている間にスズは買い物に行ったのだろう。私の知らないところでスズがどこかに行く。そのまま帰ってこなくなる気がするのは病気で気が弱くなっているせいだろうか。きっとそのせいだろう。そういうことにしておこう。
そうしてまた眠る。今度はスズと一緒に。例え風邪でもスズに病気になってほしくない私は一人でリビングで寝ようと思っていたのだが、ずっと一緒の空間で過ごしてたし家にベッドは一つしかないんだから今更でしょ、と説得された。まぁ決め手になったのはスズの、
「今日は全然モモにくっつけなかったし、夜も別々は寂しいな」
という言葉だったが。相変わらず私はスズに甘すぎる。でもそれで良いのだ。それこそが私なのだから。
そんなこんなで平和な日々を過ごしていると、幸福の味を嗜んでいると、時間は流れた。フユからおおよそすべてが手に入ったと連絡があった。私はやり遂げたのだ。私を良いと思っている人はそのままで、疎ましく思っていてそれを口に出す人はフユがマークしている。行動を考える人はフユに相談するか、フユとつながっている人に相談する。フユはアドバイスしながらその話は私の耳にも入る。既知の嫌がらせや襲撃、それほど対処しやすいものはない。今やスズが時間を多く使う大学という閉ざされた世界は私の手の中にある。終わってみると虚しさが残る。私のやりたかったことは本当にこれだったのだろうか、と。
もちろん、スズにはもう二度とあんな思いしてほしくないし、そのためになんだってやるという気持ちは本物だ。でも、いつから私はすでに出来上がっている世界を壊して征服しようと考えた? スズは今の私を見たらどう思うのだろう。いくらスズを思っての行動であったとしても肯定はしてくれないだろう。もう後戻りできないところまで来てしまった。スズの目に映る世界だけを、スズの関わるコミュニティだけを私が一人で調べるだけで良かったのではないか。私が事前に察知していれば対処はできる。だが今のこれは何だ。私のやってきたことは、私の信じた道はこれだったのか? 管理された世界で生活して、スズは。スズは……
「モモ、どうしたの?」
「え、いや、なんでもないよ?」
「私は知ってるよ。モモが私のことをよく考えて、私のために色々してくれてること。だからたまには私に甘えても良いんだよ?」
ドキッとした。冷や汗が出そうになった。というか出た。明らかに後ろめたいことがある人間の反応だった。私は……
ハッとした。目が覚めた。私に現状を突き付け、こんな気持にさせる。紛れもない悪夢だった。家のベッド。隣にはスズが居る。そう、私の隣にはスズが居る。それだけが私の信じられるもので、それだけが私の全てだった。
あれはその時から半年経ったくらいの頃だっただろうか。それとも私達が二年生になった後だったかもしれない。アレが起きたのは。
その日も他の日と何も変わらない日常の一部だった。
朝起きる。私は高校生の時より早起きするようになった。他でもないスズのためだ。スズには少しでも長く心地良い睡眠時間を過ごして欲しい。そして、グラインドコーヒーのいい香りで目覚めて欲しい。私の作った朝食で元気になって、一緒に大学に行くのだ。そういう日々を送っていた。そうして肩を並べて、手をつなぎ、大学に向かう。唯一の違いといえば、その日はスズが大学に行きたくないと言ったことだった。体調が悪いとか嫌なことがあるとかではなく、ただ単に家でゆっくりしたかったようだ。でもその日は授業中に定期試験相当のテストがある日だったのだ。私は留年になろうが退学になろうがどうでもいいが、スズはそう思わないだろう。ということを私は知っている。そういう話をして、今日帰ったら家でのんびりしようということに落ち着いた。
そんなこんなでテストを受けて、それ以外特筆することもなくその日の授業を終えた。
スズと二人の帰り道。その日はなぜかスズが車道側を歩いていた。別にいつもはどっち側を歩いているとか決めてないし気にしてもいなかった。でも、とにかくその日はスズが車道側だった。家に帰ったら何をしようか、とかそんな話をしていたと思う。私の一、二歩前を歩いていたスズが私の方に振り返る。その瞬間、
「モモ! 危ない!」
私はスズに突き飛ばされた。
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