第45話

 何度も口を開けては、何かを言おうとして、声にならない声を上げる明日葉は、備前たちに迫る溶岩に気が付くと、慌てて足で遮る。


「う゛っ……」


 肉の焼ける匂いと痛みに、表情が歪むが、それでも足をその場に留める。


「……なんで……バカッ! 溶岩から離れろ!」


 まだ人の形になってから、一年も経っていない。

 力加減はもちろん、知識だってロクになく、ゆかりが毎日、親身になって教えていた。


 だが、溶岩が危険だとわからなくても、痛みはわかるはずだ。

 触れてはいけないものだとわかったはずだ。


 なのに、どうして、苦痛に表情を歪めて、脂汗を流しながらも、耐えているんだ。

 どうして、こちらを見て、安心したような泣き顔を向けるんだ。


「――――」


 理解したくないだけで、本当はわかっている。


 備前は、奥歯を噛みしめながら、膝に力を入れ直した時だ。

 焼けた匂いを残して、明日葉が溶岩の触手に叩かれ、湯気を上げる池に叩きつけられた。


「明日葉……!?」


 赤く煮えたぎるヴォルグレームスが、ゴーレムたちの残骸をかき分けながら、姿を現すと、明日葉を飛ばした方へ体を向けている。

 備前から、明日葉の姿は見えないが、沸騰して、水蒸気を上げ続けている池に放り込まれた人間の状況など、容易に想像がつく。


 皮膚は爛れ、炎に焼かれるように、全身の肉が硬直していく。

 そして、身動きが取れなくなり、水の中に沈んでいく。


 ヴォルグレームスも、既に明日葉の生死に興味が無くなったのか、備前の方へと顔を向ける。


「――――」


 だが、確かに聞こえた水の音に、ヴォルグレームスも備前も、その音に目を向ければ、全身が赤く焼け焦げ、黒ずんだ何か。


「だ、め……そのひ、とたち、は……」


 地を這うように、池の縁に辿り着いたそれは、縁に腕をついた途端、縁は壊れ、水は決壊する。


「ころ、させ、ない……」


 水がヴォルグレームスの足元に広がり、その体が赤から黒へと変色していく。

 そして、ひどく歪んだ赤黒い体をそれも、ヴォルグレームスの体を掴み、地面に叩きつける。


 水蒸気が吹き上がり、触れている腕どころか、全身が焼き焦がされていく。


 痛みがないわけがない。

 痛くないはずがない。


 でも、それよりも、目の前のこいつを止めなきゃいけなかった。


 必死に明日葉の腕から逃れようとするヴォルグレームスだが、いくら明日葉の体が焼け落ちようとも、湧き上がってくる肉と骨。

 強大な魔力の塊が、ただただ力の暴力として、自分に何度も振り下ろされていた。


「明日葉」


 動かなくなった黒い塊を、何度も殴り続けて、ようやく聞こえた声に、明日葉はゆっくりと顔を上げる。


「もう十分だ。十分だよ」


 備前は、自分たちよりも酷い火傷を負っている明日葉の元に屈む。


「まったく……女の子が、こんな無茶したら、ダメだよ……」


 微かに震えた声で、しかし、揺れていた視線は、ゆっくりと明日葉に焦点を合わせると、


「帰ろう。三人で」


 その焼けた腕に、優しく触れた。


*****


 その後、再度、別部隊が調査を行ったところ、ヴォルグレームスの核が破壊できていなかったことが発覚した。

 しかも、明日葉が考えなしに殴りつけた結果、ヴォルグレームスの核は、ダンジョンの階層の間に埋まった状態で、休眠状態になっているという。

 つまり、ヴォルグレームスが再生し、力を取り戻すまでは、手を出せなくなってしまった。


「では、そのヴォルグレームスの監視は、私が請け負います」

「本気で言ってるんですか?」


 今回の調査は、力を制御できていない明日葉を保護しようとしたゆかりへの、上からの嫌がらせのようなものだった。


 まさか、ヴォルグレームスが出てくるとは思っていなかっただろうが、それを死者なしで休眠状態にできたのは、十分な功績だ。

 だが上は決して、明日葉の功績として認めることはしないだろうし、なんだったら、休眠状態にしかできなかったのかと、嫌味も言われることも想像がつく。


「そんな顔しないで。良いように捉えれば、ヴォルグレームスが休眠状態の間は、あのダンジョンを医療部隊が好きに使えるし、その間に既成事実を作れば、医療部隊が好きに扱える土地が手に入るのよ?」

「それは随分と楽観的な考え方な気もしますが……」


 大胆というか、したたかというか、そこで死にかけていた人間とは思えない発言だが、ゆかりの表情からは強がっている様子はない。


 実際、先の見えない凶悪なモンスターの監視任務に、人員を割くことは、どの部隊もすぐに首を縦には振らない。

 それに進んで手を上げるならば、仕方ないという形で、監視任務が振られることになる。


 なにより、まだゆかりの耳には入れていないことが、ひとつあった。


「実はですね……備前さんが」


 部下が口にする内容に、ゆかりは少しだけ目を見開いた後、柔らかく目を細めた。


 部屋のドアを開けば、こちらを見ている明日葉の姿。


「残念だけど、僕だよ」


 明らかに、残念そうな表情をする明日葉に、備前はため息をついた。


「ゆかりちゃんは、僕らと違って繊細なの」

「でも、そろそろ帰ってくるって言ってたもん」


 拗ねたように体を伸ばしている明日葉の体は、すっかり元に治っており、四肢に再び封印の術式が描かれている。

 誰よりも酷い怪我だったというのに、誰よりも早く治った明日葉は、封印が施されるまで、この部屋で一人暇をしていたことのだろう。


「少し外に出るかい?」


 床に散らばっている本へ目をやりながら声をかければ、明日葉は驚いたように、備前を見上げた。


「なに?」

「めずらしい……」


 今まで、一度だって、備前が自分から明日葉を、外に連れ出そうとしたことはなかった。

 決まって、ゆかりが連れ出すのについて行くだけだ。


「行きたくないなら別に――」

「行く!」


 慌てて立ち上がる明日葉は、周囲を見渡すと、置かれた少し歪んだ桜の簪を手に取ると、それをじっと見た後、備前へ差し出した。


「……髪の結い方ぐらい覚えなさいよ」

「うぅぅ……」


 渋々と髪をまとめようとする明日葉に、備前はため息交じりに、ゴムを差し出す。


「下手なら大人しく、これ使いなさい」

「……うん」


 それから、しばらくして、備前と明日葉は、鍛冶屋にいた。

 以前、ゆかりに連れられて、何度か訪れたことがある店だ。ゆかりの同郷の人が開いている店で、色々無理を聞いてもらえるらしい。


「珍しいな。備前の坊が、そいつ連れてくるなんて」

「暇そうだったからね」


 店主がニヒルに笑えば、備前は視線を逸らした。

 そして、雑多に置かれた簪入れに触れようとしている明日葉の襟を掴む。


「勝手に触らない」

「あぁ、お前さん、相変わらず、そいつが好きだな」


 明日葉が触ろうとしていた簪を見て、店主が感心したように声を上げる。


「”アシタバ”だよ。初めてきた時にも、それを見てただろ」


 ゆかりに連れてこられた時も、そのアシタバの簪を見ていた。


「お前さんが、”力を制御できるようになったら”って、桜井の嬢ちゃんに言われてたろ」

「じゃあ、まだダメだね。僕に結わせようとしてたし」

「俺はいつでもいいんだがなぁ」


 歪みこそしているが、あの時以来、一度も新しくゆかりの使う桜の簪が、今日まで新しく注文されたことはない。

 店主が、備前に視線をやれば、何食わぬ顔で顔を背ける様子に、ため息をついた。


「とりあえず、これが頼まれてたやつだ」


 そして、取り出したのは、新しい桜の簪だ。


「これ、ゆかりちゃんの?」

「そ。壊れちゃったからね。あと、刀だけど」

「すぐに用意できる訳ねェだろ」

「悪いね。わりと急ぎで使いたくてね」

「ったく……間に合わせのやつを持ってきてやる」

「助かるよ」


 ぶつぶつと文句を言いながら、鍛冶場の隅に置かれた刀から、あーでもないと吟味している店主に、明日葉は不思議そうに首を傾げていた。


「使えれば何でもいいよぉ?」

「バカ野郎! その嬢ちゃんの相手なら、しなりが必須だろうが!! 大人しく待ってろ」

「はぁい……」


 また職人のこだわりが出てしまったかと、備前は店主が満足するまで、大人しく待つことにすれば、不思議そうに自分を指している明日葉がいた。


「あー……お前に戦い方を教えようと思ってね」

「戦い方?」

「そ。まぁ、”力の使い方”って方が正しいかな」


 世間は、制御できない力の塊を、良しとしない。

 強大な力というのは、それだけ力の使い方というものを、周りからは見られ続ける。


 まして、相手は、何もわからない子供だ。

 危険と判断して、処分するなど、簡単なこと。

 むしろ、自分たちに優位性が保てている現状でこそ、と思う。


 だからこそ、自分が守れる間に、その力を自分のものにするしか、この小さな子供を守る術はない。


「どうする?」


 自分が、この子供にできるのは、それくらいだ。


 だから、備前は、明日葉に問いかけた。


「そしたら、ゆかりちゃんも、春茂も、他の人も、守れる? 私を、怖がらない……?」

「僕が教えられるのは、あくまで”力の使い方”だけ。それをどう使うかは、お前……いや、明日葉が自分で決めるんだ」


 寂しくて、『助けて』って言葉すら痛みで返されて、伸ばすのをやめた手。

 その手に触れてきてくれたのは、ふたりだけだった。


 触れれば壊すこの手を、掴んでくれるその手を、もう自分のせいで、離したくなかった。


「――やる」


 小さく決意を固めた目で、明日葉は強く頷いた。



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