第26話 抜けてるのかい抜けてないのかい

 ヴァルダの気も知らず、ネトは無邪気に「はやくはやく」とキルイを急かす。


「あのね、精霊の加護をまったく感じない人間の前に、ネトは姿を見せたりしないんだよ」

「じゃあボクには、精霊の加護があるってことですか?」


 剣の前に向かいながら、驚いてキルイは訊いた。


「そうだよ。だからといって、必ず剣を抜けるってわけでもないけど。ネトは確定演出じゃないからね」


 そう言ってネトは剣の横に移動し、「さあ、どうぞ」と促した。


 キルイに精霊の加護がある。その言葉にヴァルダは、自分の鼓動が耳元で打っているのではと思うほど、緊張と興奮を覚えていた。しかし、ネトは剣を抜けないこともあると言った。過度な期待をしてはいけないと分かりつつも、うまく感情を落ち着けることができない。


「そういえば、ロアじいが剣を抜いたときには、ネトさんは出てこなかったんですか?」


 剣に手をかけようとしていたキルイだったが、不意にヴァルダの方へ顔を向けた。


「あ、ああ。言われてみればそうだな。精霊を見るのは今日が初めてだ」


 ヴァルダは答えている自分の声が、やけに遠くで聞こえる気がした。


「あー、あのときかな。やけにたくさんの人間が、剣を抜きに来てた時期があってね」


 嫌悪感まる出しの声で言うと、ネトはくるりと宙返りしながら剣の柄頭の上に立つ。ヴァルダははやく剣を抜いてほしいというれと、結果を知りたくないという忌避の情がないまぜになり、杖を持つ手に力が入った。


「そのころは、ここが観光名所みたいになってたみたいですよ」

「そうなんだ。いろんな人間がきったない手で剣を触るから、うんざりしてたんだよね。自分の手足をそうやって触られるところを想像してみてよ」


 キルイは言われた通り想像したのか、顔をしかめて、「嫌な気持ちになりますね」とうなずいた。


「ふー、ヤなこと思い出しちゃった。さ、そんなことはいいから、キミもはやくやってみなよ」

「はい」


 柄頭から飛び立つネトに改めて促され、キルイは今度こそ右手で剣の柄を握った。ようやくだ。キルイは少し足を開いて構えたが、ヴァルダも身を硬くした。そして両足を踏ん張り引き抜こうとするが、剣はびくともしない。


「あれ、ダメみたいだね」


 ネトは呑気に言って、キルイの周りを飛び回る。ヴァルダの気の高ぶりは、一気に落胆で塗りこめられていく。しかしキルイが柄を握る右手に左手を重ねて両手で持つと、かすかに剣が動いた。それで行けると踏んだのか、キルイは体を反って引き抜きにかかる。気落ちしていたヴァルダも、杖を砕き折らんばかりに握りしめた。


 すると、地中に埋まっていた台座ごと、剣が抜けた。


「わっ!」


 突然、支えるものがなくなり、キルイは短く声を上げて、ドスンと勢いよく地面に倒れこんだ。


「えー、なんでそんなことになるの!」

「大丈夫か?」


 ネトは驚き、ヴァルダはキルイを心配して駆け寄った。


「いてて……」


 キルイは背中をさすりながら、身を起こし立ち上がる。そして不思議そうに、手に持った台座つきの剣を掲げた。


「これは抜けたってことでいいんですかね?」

「どうなんだ?」


 ふたりはネトを見つめ、答えを待った。ネトは剣のそばまで飛んでいき、いろいろな角度から見たあと、腕組みして考える様子を見せる。そしてゆっくりと、組んでいた腕をほどいた。


「うーん、これはダメ。ダメー」


 そう言って、ネトは勢いよく両手でバツを作った。それを見たキルイは、「そんなあ」と情けない声を出す。ヴァルダは沈む心を押しとどめるように、強く目を瞑った。


「台座に刺さったままだから、ダメに決まってるでしょ」


 ネトは呆れたように言った。「だったら、すぐにダメって言えばいいじゃないですか」とキルイは責めたが、「それじゃつまらないよ。こんな風になるのは初めてだったしね」と意に介さない。「抜けてるってことでいいと思うんだけどなあ」と言いながら、キルイは台座の付いた剣を振ったのだろう、ぶんぶんと音が聞こえた。


 キルイが気落ちする様子をまるで感じさせないので、ヴァルダは落胆している自分が滑稽に思えてきた。目を開けると、キルイは片手に聖剣を持ち、反対の手で台座を掴んで抜けないか試している。その様子に、知らず口元が緩んだ。ネトにダメと言われたとき反射的にショックを受けたが、むしろこの方がキルイらしい。そして、聖剣を抜けるか抜けないかでキルイの価値を評価しようとしていた自分に気づき、ヴァルダは恥ずかしくなった。


 そんな折、キルイは剣を見ながら青ざめ、汚いものを遠ざけるように、元あった場所に剣を置く。そのおかしなようすに、「どうした?」とヴァルダは心配して問いかけた。


「剣が先の方からどんどん黒くなっていって、ボクの腕まで黒くなり始めたと思ったら、なんだかぞわっとしたんです」

「ワシには何も見えなかったが……」


 説明を聞いても、そんな変化に気づかなかったヴァルダは、困惑するしかなかった。しかしネトが、「ああ、それね」と嬉しそうに話しはじめる。


「剣を戻してもらうための、ちょっとした仕掛けなんだ。この剣は戦うために使うものじゃないけど、記念に持っていかれちゃうかもしれないからね。だから、元の場所に戻さないと嫌な気分になるようになってるの。面白いでしょ?」

「面白いって……」


 キルイは置かれた剣を見つめ、先ほどの感覚を思い出したのか、ぶるっと震える。そして、「ロアじいも慌てて剣を戻すはずだよ」と嘆いた。


「そうだ。そっちの人間さ、魔法使いだよね?台座を地面に固定できる?」

「ん?ああ、やってみよう」


 ヴァルダはまだキルイの様子が心配していたが、ネトに言われ剣に近づいた。光の魔法で灯していた明かりを消すと、辺りは青白い光だけとなる。そしてヴァルダが杖を構え魔法を使うと、周囲の地面が台座にひっくり返された土を飲み込みながら動き出し、土がしっかりと台座を包み込んで固まった。


「キルイ、適当に引っ張ってもらえるか」


 再び魔法で明かりを灯しながらヴァルダが頼むと、キルイは「えっ……」と、表情がこわばる。


「剣が地面から離れなければ、さっきみたいなことにはならないよ。全力じゃなくていいからさ。そっちのおじいさんがやるよりマシでしょ?」


 ネトから急に年寄り扱いされたヴァルダが眉根を寄せていると、キルイはため息をつきながら台座の前に立った。そして、剣の柄を掴み引っ張る。ヴァルダには明らかに力のかかりが弱く見えたが、台座の周囲を飛んでいたネトは、「うん、大丈夫そうだね」と満足そうに言った。


「しかし一瞬、抜けそうに見えたんだが、あれはなんだったんだ?」


 ヴァルダの問いかけに、ネトは顔を上げる。


「うん、惜しかったよね。でもまだ精霊の加護が足りないみたい。また挑戦してね、ってとこだね。もう台座は引っこ抜かないでほしいけど。そもそも、力ずくでどうにかするものじゃないんだからね」


 最後は怒ったように、ネトはキルイの顔の前に詰め寄った。その圧に少しのけぞりながら、「聖剣はもうたくさんだよ」とキルイは苦笑する。


「今はまだ精霊の加護はまだ足りないとすると、いつになったら聖剣を抜けるほどになるんだ?」


 ふたりのやりとりが終わるのを見計らい、ヴァルダは訊いた。するとネトは腕を組み上を見て、思案顔をする。


「さあ、どうだろう。三年か、五年かも。そっちの子がまだ若いから、まだって言ったけど、ずっと抜けないかもね」

「そうか……」


 ヴァルダはそうつぶやいて俯いた。しかし、ふと勝手な期待から自分が落ち込んでいることに気づき、自責の念にかられ思わずキルイを見る。しかしキルイはヴァルダのことを気に止めていない様子だったので、ほっと胸をなでおろした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る