記憶を奪われ追放された少女と国から拒まれた魔女の永遠の誓い

桜花滝

厄災編

第1話 始まりの記憶

「お前の記憶を奪ったうえで、この地を追放する」


 私が目を覚ました時に、手に持っていた紙にはそう書かれていた。これが、今の私の最初の記憶である。


「記憶……。私の……名前は……?」


 思い出せない。何もかも。名前も、故郷も、家族のことさえも。何も思い出せなかった。


 まずここはどこなのだろう。窓から外を見てみると、少し離れたところに小さな集落が見える。ここはその集落のはずれにある家、といったところだろうか。


 続いて今いる部屋の中を観察してみる。ワンセットになっている椅子と机、そしてベッドと鏡だけがある簡素な部屋だった。


 ……鏡か。自分の姿を見れば何か思い出すかもしれない。そんな淡い希望を抱きつつ、私は鏡を覗き見た。


 鏡の中には、薄い水色の髪をショートにした少女がいた。体は細いが、筋肉はついている。年齢はだいたい十五から十六といったところだろうか。


 そこに映る自分を見ても、何も思い出すことはなかった。少し落胆してしまう。そんなことをしていると、誰かが部屋に入ってきた。


「おや、起きたのかい。全く……、あんたもとんでもないことをしでかしたもんだね。その紙はもう読んだだろう。分かったらさっさとこの家を出ていきな」


 声を聴いて振り返ると、そこには髪を白くした熟年の女性がいた。察するに、この家の家主なのだろう。


 “とんでもないこと“の内容が気になるところだが、この様子では答えてもらえないだろう。それでも、今の何も分からない状態で外に出るのは躊躇われた。


「その……記憶を取り戻すまで、この家に置いてもらうことなどはできませんか?私にできることなら、何でもします」


 微かな希望を込めて頼み込んでみる。だが予想通り、家主の女性は苦い顔をした。


「それは無理な相談だね。この際一つ教えてやるがね、”記憶を消される”なんてのはとんでもない大罪人にしかされないんだよ。そんな大罪人にやる居場所なんてのは、この集落にはもうないよ」


 「なっ……!? 私は一体どんな罪を犯したのですか!?」


 思わず声を荒げてしまう。記憶を失う前の私はどんな罪を犯したというのだろう。


「その質問に答えてやる義理はないね。答えを知りたきゃ、それこそ国中探し回るこった」


 もう私に選択肢は一つしかないらしい。自分がどのような罪を犯したのかを知り、その罪を償う。私に躊躇うような余裕はないようだ。


 自分の罪と向き合うための、記憶を探す旅を始める。


 それが今の私に与えられた、ただ一つの選択肢だった。


 さっさと出て行け、と言われてしまったので長居するわけにもいかない。最低限の旅の準備だけ済ませて、私は家を出ることにした。


「その……お世話になりました。泊めてくださり、ありがとうございます」


 厄介者扱いされていたが、それでも感謝は伝えておくべきだと思った。


「へん。記憶を失って人格も変わっちまったってことかい? 分かってると思うが、あんたはこの集落じゃ既に厄介者だ。生きてたいってんならさっさとここを離れな」


「はい、分かりました。……ご忠告ありがとうございます」


 その言葉に返事はなく、無言でドアを閉められた。これでもう、私の居場所はこの集落にはないのだろう。そうなると考えていても仕方がない。


「……動こう」


 まずは街を見つけて、食料と身を守る手段を確保しなければ。これからどうするかは、その後で考えよう。




 そうして、私の旅が始まった。まず付近の景色を観察し、人通りのある場所を見つけたのでそこに行くことにした。


 幸い、そこは小さな街だったようで、食料と剣を確保することができた。ある程度人も多く、情報も多少集めることができそうだ。路銀については、依頼があったのでそれで多少稼いでから街を出ることにした。


 魔獣討伐の依頼があったのでそこで剣をどの程度扱えるか試してみたが、かなり手に馴染む。頭で理解している、というよりは体が覚えているといったような印象だ。


 記憶を失う前は剣を扱っていたのかもしれない。記憶を失う前の自分に一歩近づけたような気がして、少し嬉しかった。


 同じ依頼を受けていた人には、魔法を使って戦闘している人が多かった。どうやら、この国は剣よりも魔法を扱う方がメジャーなようだ。私にも魔法が使えるかと思って試してみたが、こちらはさっぱりだった。私に魔法の才はないらしい。


 街に滞在している間に、集落について聞いてみたりもしたが、何も情報は得られなかった。どうやら、あの集落はかなり閉塞的な場所のようだ。


 数日間依頼と情報収集をこなし、路銀にもある程度余裕が出てきたところで、街を離れた。




 それから二カ月ほどだろうか。この国についての情報を集めつつ、旅を続けていると大きな街に出た。かなり人も多く、栄えている。さらに遠くに目をやると、大きな城が見えた。

 

 ということは……。


「ここが、この国の首都”オミナス”……」


 二カ月間旅をしていて、首都の名前は何度か聞くことがあった。国の中央部に位置しており、様々な都市からの人が集まる場所だと聞いている。


 ここなら、今まで以上に情報を集めやすいだろう。あまり忙しそうには見えない男性を一人見つけたので、まずはその人に話を聞いてみることにした。


「すみません。そこの男性の方。今少しお時間を頂いてもいいでしょうか?」


 話しかけると男性がこちらに振り向いた。話は聞いてもらえそうだ。


「俺かい? この辺じゃあ見ない恰好だが……もしや別の国からの観光客か?」


 どうやら、私の服装は首都ですら見ないような恰好らしい。尚更、自分の生まれ故郷がどこなのかの謎が深まっていく。


「はい、そうなんです。よければ、この国について教えていただけませんか?」


「俺で良ければ答えるぜ。だが……今はちょっと時期が悪いな」


「すみません。時期が悪いとは……?」


「この国は百年に一度、魔女によって厄災が齎されるんだ。そして今年はまさにその年だ。今、城の周りの警備が厳重になってるのが見えるだろう?あれは厄災に備えてるんだよ」


 ……なるほど。ここまでの道中に通ってきた街も、どこか落ち着かない様子の街が多かった。きっと厄災に備えていたのだろう。話を聞いて納得した。


「なるほど……。厄災がどこに齎されるかは分かるのですか?」


 そう聞くと、男性は渋い顔をした。


「それは魔女のきまぐれだから分かんねえな……。ただ、この国のありとあらゆるところが標的になるって話だ。この首都も安全とは言えないな」


「分かりました。色々と話して頂いてありがとうございます」


「このくらいお安い御用さ、厄災には気をつけてな」


「はい、あなたも厄災に巻き込まれないことを祈ります」


 そうして、私は男性と別れた。


 これからも自分の記憶を探すための旅を続けるのならば、今年どこかに降りかかるという厄災は必ず回避しなくてはならない。


 そうなると、このまま一つの街に留まり続けるのは得策ではないだろう。厄災についての情報も集めておきたかったので、これまで通り旅を続けることにした。


「旅を続けよう、少しでも多くの情報を集めないと……」


 ここから自分が辿る道が、何処につながっているのかは分からない。だが自分から動かなければ情報も入ってこない。自分の記憶を追う旅を続けるために、私は歩み続けた。




 そうして旅を続けているうちに、深い森に迷い込んでしまった。


 日は落ち、食料は底をつき、護身用の剣は折れた。おそらくかなり深いところまで迷い込んでしまったのだろう。人の気配をまるで感じないし、人が通ったような跡もない。体力も限界に近かったため、その場で少し休もうとしたその時だった。


「!?」


 何かが動く気配がする。人のものではない。人にしては気配が小さすぎる。それに数も多い。


 囲まれている……?


 そう気づいた時にはもう遅かった。狼のような魔獣の群れが一斉に飛び掛かってくる。一人でどうこうなる数ではない。私は抵抗することもできずに魔獣の爪牙に切り裂かれた。


「カハッ……」


 全身から赤い液体が飛沫となって飛んでいく。魔獣も返り血を浴びていたが、そんなものお構いなしに鋭い牙や爪を突き立ててくる。なんとか魔獣を引きはがそうとするがダメだ。抵抗する腕に力が入らない。


(これが私の最期……なのかな)


 自分が何者であったのか、記憶を失う前はどんな人間であったのかすら分からず、向き合うことすら許されずに死ぬ。これが神様の言うところの運命であるのなら、私は相当残酷な運命を選んでしまったらしい。


 道半ばで、なんの記憶を取り戻すこともできずに終わってしまうのは悔しいが、もうどうしようもない。魔獣は無情にも、現在進行形で私の身体を切り裂いている。


(これで終わり……か)


 死に瀕しているというのに、思考は妙に冷静だった。結末が分かり切っているからだろうか。そう。自分はここで魔獣に切り裂かれて死ぬ。


 そういう運命だったのなら、仕方がないか……と今も自分に襲い掛かっている死を受け入れようとした、その時だった。突然襲ってきていた魔獣がいなくなった。


 ……いや違う。魔獣が吹き飛ばされている?


 だが。……あぁ。もうダメだと直感する。全身に力が入らない。視界もだんだんぼやけてきた。霞んでいく視界には、魔女のようなローブをまとった女性が映っていた。


「……だ、……んでは……いようですね」


 何を言っているのだろう。もうまともに言葉を聞き取ることすらままならなくなっていた。


 おそらく自分を助けてくれたのであろう人物に、礼すら言うことができずに死ぬのだ。なにやら女性が私に向けて魔法を向けているのが、最後に私の目が捉えた光景だった。


 ……まあ魔獣に喰い殺されるよりはいいか。あの綺麗な光に灼かれて死ぬのであればいいだろう。そうして、私は最後に残っていた意識を手放した。


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