第二話「白い花の花冠」

「なんとお礼を言っていいか……」

「いいえ。私は先代の意思を継いでいるだけですから」

「これまでの不遜な発言を謝罪させてください! 娘を助けていただき、ありがとうございました……!」


 こんな具合に、岬はその実力だけでどんどんと信頼を勝ち得ていった。今思えば、私はそれを見ているうちに彼女に惚れていたのだろう。

 自分の身一つで差別を覆していく彼女の強<したた>かな姿に憧れと熱情を抱いた。しかし、自分が彼女を本気で好きになっていると気がついたのはもう少し後の話だ。


「みぞれ様」

 寝室の入り口に岬。毎日のように見る図式だった。私は靴のことを指摘されながら起き上がり、食卓へ向かった。しかし、岬の両親はいなかった。どうやら、今日はいつもより早くから両親が狩りに出ているらしい。

 燭台の灯りで見る朧げな岬は、なんだかもじもじしていた。手を背中に隠している。

「なんだよ〜隠し事は良くないぞっ!」

 背中に回り込む。彼女が握っていたのは、白い花の花冠。

「え……? これって……」

「その……今日でみぞれ様がこの世界に来てから一ヶ月ですから何か贈ろうと思って……」

「そんなことじゃない……これって、あの時の」

 私が「生き物の命を無駄にするな」と彼女に対して怒鳴った時、彼女が手に持っていた白い花なのではいか?

 岬は全てを察しているだろうに

「いつかは忘れちゃいました。何せ、結構前のことなので」

 と戯<おど>ける。

「岬……ごめん、岬……ごめんなさい。私……」

 涙がとめどなく溢れてきた。ぼやけた視界の中で、岬がこちらへ向かってくるのが見えた。

「ほら、こんなに可愛い」

 岬の手が伸びてきて、私の涙を拭う。

「私、手先が不器用だからちょっと形が歪ですけど……」

 困ったように笑う岬に、私は心底惚れてしまった。その時に気がついた。いつからか彼女に対する好きが一線を超えていたことを。

 その時誓ったのだ。私は、特別にならなくてはいけない。岬はこの街を治せば罪の一族が解放されると思っている。私はそうでないと知っているのに、この生活があまりにも心地よく、それに胡座をかいていた。そろそろ、あの手紙の内容に向き合う頃だ。


「お姉ちゃん? 大丈夫ですか?」

 畦道に突っ立っていると、思った通り岬がやってきた。いつからか、岬は私のことをお姉ちゃんと呼ぶようになった。彼女は両親の言う「妖精となった兄」の神話を信じず、私こそがその妖精だと信じている様子だった。真相はわからない。単なる偶然かもしれない。だから、私は妹は呼び返さなかった。

 本当のことを言うと、少し照れ臭かった。

「実は、ハマっちゃって」

「では、助けに行きます」

 岬は靴が汚れるのも構わず、私を引っ張って救出した。その時の岬は肩で息をしていて、疲れているところに無茶なお願いをしてしまったな、と反省した。


 それからしばらく、私たちは街に着いた。城門付近には、いつものように荷馬車が三台。かつて一台だったのが、王都での直訴によって三倍になり、町人の台所事情は大幅に改善された。といっても、基本は穀物と水で、少々干した魚が混ざっている程度なので辛いは辛いだろう。そのことでたまに八つ当たりを受けることもある。しかし、全体的に差別や偏見はマイルドになっていた。それは、確かな手応えとして私たちの元に残っていて、この長く続く治療をやり切るだけの心の支えになっていた。

 もちろん、既に回復した家も何軒かあって、それも手応えになっている。しかし、この病気はそう簡単なものではない。

 ある日、それまでベットで寝返りすら打てないほど病気が進行し、死がそこまで迫っていることを私たちに実感させた患者が急に元気になったことがあった。理由はわからなかった。ライムが効いたのか、それとも風邪のように完治したのか。しかし、その患者はしばらくするとまた動けなくなった。それを何度か繰り返した末に、彼は亡くなった。それを踏まえて観察したり家族に聞いたりしていると、既に病死している患者で似たようなケースが多発していたことが明らかになった。

 岬は一件のレポートを書いて王都に戻る荷馬車の運転手に託した。岬が発見したのは、この病気は患者が活動をすると体を急激に蝕むが、そこで一息に殺してしまわないように一度「眠る」ということだった。その後、徒労病は周期的に眠ったり起きたりを繰り返す。そして、その段階に至っている患者はもう手遅れで、必ず死んでしまう。

 だから、今回復しているように見える患者たちもただ病魔が眠っているだけなのかもしれない。その不安がチラつく。

 しかし、彼らは中期症状の患者だったから治癒の可能性は大いにある。私たちはそれを信じていた。この病気は活動量に応じて初期症状・中期症状・末期症状と変わっていき、恐らく「眠る」現象が起きるのは末期症状の患者のみだ、と岬は突き止めていた。

「しかし」

 穀物を運びながら岬の方を見る。ぽわっとした顔で立ち止まり目をぱちくりする岬。可愛い。

「岬はそんなに優秀なんだからお医者さんになればいいのに。そしたら特別になれるじゃん」

 「よっこいせ」と穀物袋を膝に乗せ直しながら岬の方を見上げると、彼女は少し悲しそうな顔で「あはは」と笑った。

「なれないんですよ」

「なんで? 免許を取るお金がないとか?」

「いえ……罪の一族は職業に就くことができないんです。だから、自給自足の生活をしなくちゃいけなくて……」

 うっと胸がつっかえた。彼女には好きな仕事に就く自由すらないのか、ということが一つ。本来、それは私が解決すべき問題なのに真実を伝えずに今の生活に甘えている自分が一つ。

 今ここで言うべきか? 外務卿が手紙で提示してきた罪の一族救済の本当の条件を……。

「みぞれ様は、どうしてそんなに特別になりたいんですか?」

「えっ?」

 理外の問いかけに驚いて穀物袋を落とす。それを拾い直している最中も、岬はずっとこっちを見ていた。きっと、いつか聴きたいとずっと前から思っていたことなのだろう。そう感じた。けれど、それはあまりにも私の人生に直結するものだったから、

「いや〜。聞いてもつまんないと思うよ?」

 とお茶を濁す。それでも岬は意志を曲げない。猫のような瞳で、どうしてそんなに真っ直ぐでいられるんだろうと思うほどに真っ直ぐな視線で。仕方なく、私は理由を話すことにした。といっても、理由はシンプルだ。

「だって、特別な存在じゃないと愛してもらえないじゃん」

「それは、どういう……」

「そのまんま。特別な存在にならないと誰からも愛してもらえない。ここでは特別だから良いよね。誰からも気にかけてもらえる」

「……本気で言ってるんですか?」

「うん」

 岬の心が私から離れていくのが手に取るようにわかった。でも、私は特別だから最後には許してもらえる。

 岬も持っていた穀物袋を地面に置いた。そして、口を開いた。

「『私はどうして生まれたんだろう』。そう思うことが、時々ありませんか?」

 予想外の言葉に戸惑ったが、答えは決まっていた。

「……あるよ。そりゃ」

「それじゃあ、きっと私の話に共感してもらえると思います」

 そう言って、彼女はゆっくりと、自分のペースで過去を語り始めた。

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