第四話「その光の揺れる様が、壁にぶつかり、進路を変え、やがて道がわからなくなる人の生のように感じられた」

「ここが王宮です」

「ふーん」

 素っ気なくそう言ったが、実際には驚くべき光景が目に飛び込んできていた。それは、巨大な貝殻。巻貝を芸術的にしたような白塗りの建物が、橋が渡された島に建っていた。堀があるわけではない。本当に島の上に宮殿が立っている。

 橋の前には門があった。そこにいる兵士に声をかけ、門を開けさせる外務卿。我々はそのまま宮殿内部に入った。

 外務卿によると、王宮の内部は螺旋状になっており、中央に「王の間」があり、貝の外側に沿って兵士の宿舎やその他様々な部屋が用意されているという。

 私たちが通されたのは、王の間の隣にある部屋だった。その部屋は貝の内側に見られるような光り輝くモザイク柄をした壁に高い天井を備えた部屋で、真ん中には縦長のテーブルが置かれていた。ご丁寧に、濃紺のテーブルクロスが敷かれたテーブルには真珠があしらえてある。

「どうぞ、お好きな席に。お連れの方もどうぞ」

「……そのお連れの方っていう言い方、辞めない? この子には岬って名前があるんだよ」

「失礼致しました、岬様もお好きな席に」

 言わなくても良いことだったか、と思いつつも中央の椅子に座る。岬は左隣に座った。それを見て、外務卿は私の正面に座った。

「しばらくしたら料理が来ます。その前に、ここに来た目的を聞かせてもらえませんか?」

 外務卿は催促するように指でトントンと机を叩いた。ムッとしていたら、「ああ、来訪者様ではなく」と遮られ、外務卿は岬の方を見た。

「理由は……高空城という都市を支援していただきたいからです。その街はいま、未曾有の病に侵されています。支援は来ていますが、それでは足りません」

「それで、高空城を助けて我々に何か得はあるのですか?」

 「えっ?」という顔をする岬。

「岬、無駄だよ。こいつらは命をなんとも思っちゃいない。損得勘定の中に命を入れる。最低な人間だ」

「おやおや……」

 外務卿が大袈裟に笑う。それが耳障りだった。

「はっきり言っておく。高空城を襲っている新たな病は今に他の街を襲うぞ。小動物が病を運ぶだろう。今高空城の人々を治さなければ、病気回復のための貴重なノウハウも、一つの都市も、感染予防の手立ても失う。お前たちは惜しまず支援をするべきだ」

「なるほど……少しは道理が通っている。それで、王都からはるばる100kmはあるだろうところに医者を派遣しろ、というのか?」

 外務卿は少しイラついて、口調は荒っぽくなり、声のトーンがワントーン下がる。

「いや、その必要はない。あの街にはもう医者がいるからだ。単に物資を支援すればそれでいい。そして」

 私は立ち上がる。

「高空城40戸の人々の全てを治した証には、罪の一族を解放しろ。高空城にいる医者とは、この岬のことだからだ。罪の一族は来訪者を見つけるという任務を遂行した。私は来訪者だ。特別な存在だ。それを王様とやらに伝えてこい」

 外務卿は顔を真っ赤にし、黒いハットのツバを引っ張って顔を隠した。しばらくしてシェフが到着すると、

「遅い」

 とぐちぐち文句を言い、それで怒りが晴れたのか帽子を上げた。

「良いでしょう。私は国王陛下から来訪者との交渉を任されています。その私の名において、あなたの提案を承認します」

 歓喜の声が心の中で上がる。これで、私は正真正銘特別になれる。これなら、皆から愛してもらえる。

 そして、貝殻状の皿やホールにおさめられた数々の料理が運ばれて来た。

 

「さて、お腹は満ちましたかな?」

 外務卿は皿があったところに肘を付き、少し前のめりになってそう聞いた。

 「ええ」と返す私、手のひらを波うたせる岬。

「それは良かった。『晩餐会』というには少し寂しい人数で申し訳ありません。王は今何と言いますか、裏で色々ありましてね」

 何かを察したのか、外務卿の後ろに立っていた三人の守衛はバラバラになって視界から外れた。

「さて、ここからは来訪者様にのみお話ししておきたいことになります」

「は……? 彼女はこの場にいる資格がないというのか? それは、彼女が罪人の一族だからか?」

 濃紺のテーブルクロスをくしゃくしゃにし、詰め寄る。「まあそう焦らず」と片手で静止される。守衛がいないのに妙に余裕だな、と思ったが、静止を無視してまで殴りかかる私ではない。

「ここに同伴者様の身分は関係ありません。なぜなら、これは国王陛下から直接頂いた勅令。内容は『外務卿とその護衛一名、及び来訪者』のみにしか共有できないようになっています。つまり、護衛はいますが私と一対一で話し合いをするということです」

 外務卿は人工的な微笑みを浮かべながらチョビ髭を撫でた。私はもう一度テーブルクロスをくしゃくしゃにした。

「岬の安全が確保されない限り、そんな話は受けられない」

「お連れの方の安否が心配ですか?」

「当然だろう」

「そこは、わたくしどもを信頼していただく他ありませんね。よく考えてみてください。私たちが来訪者様の同行者を攻撃し、機嫌を損ねてしまったら利益は得られなくなる。つまり、同行者の方に危害を加える理由がないのです」

 確かに、言っていることはわかる。そして、道理も通っている。だが、私はどうしても外務卿の命への軽薄さが気になった。尊ぶべきものを尊ばない奴は信用できない。

「それはごもっともだ。じゃあ、私から一つ提案をしよう」

 外務卿が目を細める。

「ここに彼女を入れる必要はない。だが、外の様子が見える部屋にしてもらおう。そして、窓のそばに岬を立たせる。音は聞こえない。それなら問題ない」

 外務卿が目を剥いた。沸騰するように一瞬で顔が真っ赤になる。「失礼」と彼は両手で顔を覆い隠し、数秒後その手が左右に開かれると、そこにはさっきの人工的な張り付いた笑みがあった。

「取り乱しました」

「お茶でも飲んだらどう?」

 その変容に一瞬怯んだ。だが、それ以上に岬が怯んだ。それ故に、私は強硬な姿勢を崩せなくなって、相手を挑発するような言葉が口をつく。

 しかし、そこは彼も外務卿という立場にいる身だ、もう一度顔を茹で蛸にするようなことはなかった。笑みは張り付いたまま崩れず、苛立つような仕草の代わりにゆっくりと上下左右に左手を波打たせている。皮肉を受け取った、ということだろう。

「では、そのように取り計らいましょう。窓のある部屋がご希望なのですね? それなら、この王宮の外壁のどこかが良いでしょう……」

 かくして、外務卿は兵士たちの宿舎の一室を貸し切り、岬が窓の外にいるのを確認できるようになり、私はようやく胸を撫で下ろした。肩に入っていた力がスッと抜けて、虚脱感が胸を襲う。しかし、これではいけない。私は目を瞑って一呼吸入れた後、カッと目を見開いた。

 外務卿が整えてある口髭を撫でるのが見えた。

「さて、来訪者殿。簡潔に申し上げなくてはいけないことがあります」

 彼はチラリと岬の方を見て、私の方に目線を戻した。

「まず、小さな街を助けた程度で罪の一族を市民に戻すことは不可能です」

 私は今、椅子に座っている。背もたれは変だが、少なくとも一定の姿勢を保つのには役に立つ。椅子に座っていて良かった。でなければ、私は崩れ落ちていただろうか。

「今までの三倍の食料とライム三箱、その他最新医療器具を毎日送ります。しかし、それで高空城の全員が助かっても、罪の一族の罪は精算されません」

「それは……なんで?」

「天秤を想像してください。来訪者殿は左に『街を救う』というものを置いた。そして、私たち海の国は来訪者様に言われるがまま右の天秤に『罪の一族を平民の身分に戻す為の計らい』を置いた。その瞬間、天秤は振れたのです。大きく、右に」

「そんなに……いけないことがあるんですか? 罪って言っても、千年も前の話なんでしょ?」

  外務卿は笑顔を崩すことなく、

「はい。決して許されないことです。来訪者様の元いた世界には、生まれながらにして罪を背負う人間はいませんでしたか?」

 と、語りかけて来た。

 思えば、社会科や世界史では生まれながらに差別された人たちのことを勉強してきた。私は臨死世界に来てから、実際の差別も見た。

 けれど、意識はどうも希薄だった。生まれながらに罪を背負っている人なんて、いるとは思えない。それ程までに他人<ひと>を「許せない」と思うことがあるだろうか?

 けれど、「いない」と断言することもできなかったので私は俯いた。

 外務卿が波の模様があしらわれた江戸切子のような美しいグラスを揺らして、窓から差し込んだ光が複雑に反射した。その光の揺れる様が、壁にぶつかり、進路を変え、やがて道がわからなくなる人の生のように感じられた。

 外務卿はテーブルに映るその光を見て、

「光。光と言えば、私たちの希望そのものです」

 と言って、光について語り始めた。

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