第2話「ああっ! 早く人間になりたーい!」

 これは、記憶。少し遅れてやってきた走馬灯。私は誰もいない映画館で、最前列でもなく、最後列でもなく、真ん中でもない、どこか中途半端な席に座っていた。上映されているのはなんの捻りもない私の人生。

 ボーッと見ていたら父親の顔が映ったので、私は目を瞑った。しばらくして片目を開けたら、女子中学生がいた。私だった。中学の校舎を出た後、校門で待ち合わせ。そこにいるのは、高校生の彼氏。彼は、良い人だった。少なくとも、父親のような人間ではない。けれど、私にとってそれ以上にはならなかった。

 次のシーンで、私は女の子と手を繋いでいた。見ていて、心臓がどくんと音を立てた。彼女は幼馴染。彼氏とはだんだん疎遠になっていき、その子と遊ぶことが多くなった。

 さっきも言ったように、私の彼氏は悪い人ではなかった。デートには毎週連れて行ってくれたし、食事は全て奢ってくれた。だけど、私が求めているのはそういうことではなかったし、多くの人が彼の魅力だと捉える仕草も、言葉も、私にとっては「ありがとう」と返す以上の何かではなかった。

 でも、彼氏に代わって遊ぶようになったその子と手をつなぐと、いつも胸がドキドキした。二人でクレープを食べに行って、「クリームついてるよ」と頬をティッシュで拭ってもらった時は茹で蛸になった。

 薄らと、自分はそういう人種なのだと分かったのが中学生の時の話。失恋と呼ぶのか、気持ちを伝えられないままその女の子が男子と付き合い初めて、全てが嫌になったのが高校の春。

 鮮明に覚えている。その日は新学期で忙しかったから久々に通話しようと前から予定を入れていた日で、ゴールデンウィーク最後の日だった。桜はとっくに散っていて、高校に至るまでの景色も目新しいものではなくなっていた。そんな時世に、やけに弾んだ彼女の声に疑問を覚えて理由を聞いた時、それを告げられた。

 胸が嫌な意味で弾んで、そのまま通話を続けることはできなくて、その日はしばらくしてお開きになった。私はそれ以来、何事においてもモチベーションが消え失せた。


 喪失によって彼女の大きさをやっと認識して、乾いた笑いと涙が出た。それが今日まで続く不登校の最大の原因だった。


 時折、

「私は、そんな罰を受けるほど、罪を犯したろうか?」

 と、

「神様は、仏様は、罪の人違いをしたのではないか」

 と、考える。


 そして、今日がスクリーンに映った。私の枕元に置かれたデジタルの目覚まし時計はAM6時を示していた。色んなことをもういいかと思う日だった。昨日から風呂にも入らず、着替えもせず、眠ることもできず、ベッドで三角座りをしている。まるで特別とは言い難い自分に嫌気がさして、睡眠薬を見て魔が差した。私は薬箱に入っている睡眠薬を全てベッドの上に出して、ブックスタンドでそれを照らしながら、中身をタオルケットの上にぶちまけた。そして、タオルケットの端と端を持って顔の上に持ち上げ、下側の手を離して錠剤のシャワーを浴びた。


 そこで気がついた。私がさっきまで見ていたこの世のものとは違う世界の正体。可能性は二つ。一つは、ODで死んでしまったからあの世に転送された。もう一つは、臨死体験をしている。

 ブザーが鳴った。どうやら、上映はこれで終わりのようだった。幕が降りて、館内が明るくなっていく。

 眩しくて、目を開ける。

「お目覚めですか」

 そこには、手燭を持ったさっきの少女がいた。意識が覚醒してもここにいるということはただの夢でもないらしい。しかし、どうして私は生きている? 恐らくは完全に崖の下に落ちたのではなく少女が立っていた岩棚に落ちたのだろうが、それでも10メートル以上はあったように思える。とても助かるとは思えない。

「私、なんで生きてるの」

 私は簡素なベッドに寝かされていたようで、少女は傍らでそれを見ていてくれたようだ。

 私によく似た少女がこちらを覗き込んできたから、問いを投げてみた。

「あなた様の秘密を私は知っています。ですが、それをお話しする前に挨拶をさせていただけないでしょうか?」

「構わないよ」

「ありがとうございます」

 少女は自分の胸に手を当てた。

「私の前に、父と母を紹介させてください」

「うおっ」

 手燭の灯りしか無く、見えていなかった闇の中に彼女の両親がいたようで、その二人がこちらに寄ったことでまるで闇の中からいきなり顔が浮かび上がったような光景になったので、私は少しのけぞった。その時、強烈な違和感を覚えた。少女が両親だと呼んだその二人は、少女と似ても似つかない。明るい茶髪に、西洋系の顔立ち。

「本物の来訪者様が……」

「これで私たちの悲願も達成されるのね」

 少女の両親は、少女の黒髪とは全く違う金髪に近い茶髪をしていて、口走ったのは自己紹介というよりかは、独り言に近い。しかし、二人とも感極まった様子だった。だから、何も言わないでおいた。

 来訪者。それは、私のことだろう。それがこの体の秘密か。そして、こんな人の寄りつかないところに住んでいる理由か。私は、この世界では特別な存在なのだろうか?

「おお、来訪者様……! 手を出していただいても?」

「もちろん」

「ありがとうございます」

 少女の夫婦が私の掌を指先でなぞった。ゾクっとする感覚に片目を瞑りながら、もう片方の目で二人がその手を自分の胸に当てたのを見た。少女がやっていた動作と同じだ。これが敬意を払うジェスチャーなのか。

 そう思うと、なんだか私は気分が高まってきて、

「来訪者様であるぞ!」

 と大袈裟に叫び、寝たきりの姿勢から上半身を上げた。ザッと髪の毛の擦れる音と共に、平身低頭した三人の姿を見た。なんだか、満たされるものがある。現実世界の私が決して得られなかったものを、今手にしている気がする。

「では聞こう! 私は一体何者なんだ?」

「私がお話しします」

 少女は立ち上がり、手燭の灯りを持って移動した。灯がぼうっと岩肌を照らす。そこに浮かび上がったのは、石を削って作ったのだろう、椅子とテーブルを模した形の岩だった。そこに腰掛け、蝋燭と共にテーブルに置いてあった一冊の本を手に取り、捲<めく>った。どうやって封をしたのかは知らないが、洞窟は隙間風も入ってこないほど密閉されていて、ページを捲るパラパラという音が反響していた。

「先ほど、父が来訪者様、という言葉を口にしました。その通りです。貴方こそが来訪者。千年前の教典に予言されていた、不死身の存在。痛みすら感じない、完璧な人間。そして、その耳はあの世、つまり魂の世界から来たもので、あの世のものが起こす音を聞くことができる、と」

 預言者か、予言者か。私のいた世界と大して変わりない内容だな。

「それで、『千年後に来訪者がここに訪れる』って書いてあったわけね。いやー、任務ご苦労ご苦労」

 身を起こして、ベッドから降り、少女の両親の横をすり抜けて少女の背中に回って、肩を揉む。少女は振り解<ほど>こうとはしなかった。しかし、ページを捲る手を止める様子もなかった。

「そういうわけではないんです。予言は、『この世界を変える不死身の人間がいつか『海の国』の『罪の草原』に現れるだろう』と書いてあるだけでした」

「ん? それはおかしくない? その予言は千年前のものなんでしょ? 百年ぐらいならまだしも、千年もの間そこを監視するなんておかしい」

「それは……」

 苦しそうに、少女が言葉を搾り出す。

「私たちがかつて人類を裏切った罪の一族だからです。私たちは、罪人として死を免れる代わり、いつくるのかもわからぬまま人里離れたこの場所で、ずっと来訪者様を待っていたのです」

 少女は淡々と語った。その口調にゾッとした。こんな穴蔵に住んで、毎日見回りをして、ほとんどの人は予言が本当だったかも知らず死んでいく。その光景が心に直接投影されたように、ありありと浮かんだ。

「ああ……なんてこった!」

 私は左手で顔を覆った。

「こんな悲劇があっていいのか!」

 感情に身を任せ、私は叫んだ。空に右手を伸ばす。しかし、星は手に入らない。

「どうして、こんなことが許される……? 人類への叛逆<はんぎゃく>? そんなこと、この子には関係ないはずだろう!」

 感情が加速する。感情が心から漏れ出して、体を直接支配する。

「ハァ、ハァ、ハァ……」

 気がつくと、私の額からは大粒の汗が伝っていた。啜り泣く声が聞こえた。少女の両親が、声をあげて泣いていた。「来訪者様」「来訪者様」と上ずった声で繰り返している。悪くない気分だった。

「来訪者様。私たちのために言葉を尽くしてくださってありがとうございます」

 そう言うと、少女は私の肩揉みからするりと抜け出し、立って経典を捲り始めた。少女は、両親ほど喜んでもいなければ私のパフォーマンスに反応も示さない。それを少し不満に思った。

「岬、もっと喜びなさい」

 少女の母親が娘にそう呼びかけた。少女は「来てくださってありがとうございます」とだけ言って、母親は私が気を悪くするといけないと思ったのか「申し訳ありません、変な子なんです」と釈明した。

「来訪者様」

「どうしたの?」

「ご挨拶が遅れました。私の名前は岬。ただの岬です。来訪者はなんと仰るんですか?」

「岬、岬、岬ちゃん。なるほどそう来たか」

 岬。misaki。なるほど良い名前だ。しかし、岬はともかくその両親はどう考えても日本人ではない。そんな両親に育てられた彼女がまさか日本語話者な訳もない。第一、ここが私の元いた世界と違う以上、日本語なんてものは恐らく存在しないだろう。ならば、さっきから会話が続いている理由はなぜか。

 一番初めに「こんにちは」と言われた時の記憶が蘇る。あの時、明らかに彼女の唇は日本語の「こんにちは」の形とは違う動き方をしていた。つまり、自動的に翻訳されているのだ。まぁまぁ、異世界ファンタジー小説にはありがちな設定だ。となると、「岬」という人名にもそれが発動しているのだろう。

 常々思っていた。どうして地名や人物名といった固有名詞だけはその自動翻訳には引っかからないのだろうと。この世界での私には、それらも引っかかって直訳したものが届けられるようだ。

「ところで、私の名前か」

「嫌でしたら、もちろん」

「あいやいやいや、そんなことはないけど」

 名前は、なんとなく嫌いだ。一時期は苗字が一番嫌だったけど、今は名前。名前はこの世に生まれた時贈られる最初のギフトだと中学の国語の先生は語っていたけど、私にとって一番しっくりくる表現は呪いだ。親という絶対的な存在の暴走した情念から来る、一生ものの呪い。

「私、塩崎みぞれ! 高校二年生っ! よろしくねいっ!」

 今日も唱え続ける。その呪いの名前を。私って誰なんだって、そう思いながら。唱えるならせめて明るく、楽しそうに、普通の子供のように誇るべきものだというように。そのために掲げ続けるのだ、右目の前に、このピースサインを。

 ああっ! 早く人間になりたーい!

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