第2章 オーディションと新たな世界への第一歩③
2.3 練習の日々と苦悩
2.3.1「現実の壁と焦り」
「もっと足を開け!」
「リズムがズレてるぞ!」
響き渡るインストラクターの声に、私は反射的に姿勢を正した。
スタジオの大きな鏡に映る自分を見る。
シャープな顔立ち、中性的な雰囲気。
視線だけならプロっぽい。
でも——。
「……遅れてる」
そう、明らかに他のメンバーよりも動きが遅い。
このレッスンに参加するのは今日が初めてじゃない。
基礎レッスンを重ねてきたし、振りを覚えるのも遅くはない方だと思っていた。
けど——
頭では分かっているのに、体がついてこない。
「お前、動きが固いな。もっと柔らかく使え」
ふと横を見ると、海翔が腕を組んで私を見ていた。
海翔はダンス経験者ではないけど、体の使い方がすごく自然で、全体のバランスもいい。
「……分かってるんだけど」
私は小さくつぶやきながら、もう一度振りを確認する。
そう、分かってる。「アイドルオタク」だった頃の知識ならいくらでもある。
好きなグループのダンス動画を何度も繰り返し見て、「このステップの角度が完璧!」とか、「ここで一瞬タメを作るのが大事!」とか、そういう細かい部分まで理解していた。
でも——「見る」のと「やる」のは、全然違う。
(何でこんなに動きが重いんだろう……)
以前の私なら、もっと軽やかに動けた気がする。
でも今は、脚が思ったよりも長く、腕を上げるだけでも筋肉の使い方が違う。
「星弥、もう一回やってみろ」
インストラクターの言葉に、私はすぐにポジションにつく。
そして音楽が流れ——。
「くっ……」
鏡に映る自分が、あまりにぎこちない。
リズムを取ろうとするたび、余計な力が入って動きが硬くなる。
周りのメンバーはスムーズなのに、私だけが遅れを取っているのが分かる。
(男の体になったことで、できることも増えたはずなのに——)
運動神経自体は悪くないはずだ。
でも、この違和感がどうしても拭えない。
「努力だけは認めるよ」
不意に、淡々とした声が聞こえた。
振り向くと、海翔が腕を組んでこちらを見ている。
「……努力だけ?」
「まあな。まだまだ遅れてるし、動きもぎこちない。でも、真面目にやろうとしてるのは分かる」
サラッと言われたけど、ズシンとくる。
(つまり、今はまだ“下手”ってことか……)
分かっていたつもりだけど、改めて言われるとキツイ。
私はただのアイドル好きじゃない。
自分がアイドルになるためにここにいる。
なのに、いざ本格的なレッスンが始まると、全然思い通りに動けない——。
(焦るな……でも、焦る……!)
心臓がドクドクと早くなるのを感じながら、私はもう一度ポジションについた。
2.3.2 分析と成長
息が上がる。
足がもつれそうになるのを、必死にこらえた。
スタジオの鏡に映る自分の姿は、まだまだぎこちない。
頭では振りを理解しているつもりでも、体が思うように動いてくれない。
(やっぱり……ダンスって、難しい)
「星弥、もう一回やるぞ!」
「はい……!」
昴の明るい声に背中を押され、もう一度立ち位置に戻る。
湊のクールな表情を横目で見ながら、今度こそ遅れないようにしようと意識する。
音楽が流れる。
リズムに乗ることを意識しながら、右足を踏み出す——
つもりだったのに、ほんの少し遅れた。
焦ったせいで次の動きがさらにズレる。
(あっ……!)
瞬間、視界の端で湊がスッと動いた。
まるで空気と一体化するみたいに、流れるようなステップ。
それを見たとき、ふと気づいた。
(あの動き……もしかして、足の出し方じゃなくて、重心の移動がポイントなのかも?)
私は息を整えながら、もう一度スタジオの鏡を見つめた。
がむしゃらにやるだけじゃダメだ。
何かもっと、効率のいい方法があるはず——。
「見る力」を活かす
帰宅してから、私はスマホを開き、ひたすらダンス動画をチェックした。
プロのアイドルのパフォーマンス、初心者向けの解説、振り付けの分解動画——
いろんな視点からダンスを研究する。
そして気づいた。
(ただ動きを真似するんじゃなくて、“どうしてその動きになるのか”を理解するのが大事なんだ)
私はノートを開き、気づいたことを書き出してみた。
・ステップは「蹴り出す」より「重心移動」を意識するとスムーズ
・腕の動きは肩から連動させると自然になる
・リズムの取り方は足元だけじゃなく、上半身も使う
そうやって分析を進めるうちに、あることに気がついた。
(もしかして……メンバーの動きをもっと観察すれば、自分に足りないものが見えてくるんじゃ?)
次の日、スタジオでの練習中、私は意識的に昴と湊の動きを見るようにした。
昴は、リズムの取り方が独特で、体全体を軽やかに使っている。
湊は、無駄のない動きで、必要なところだけに力を入れている。
それぞれの”コツ”を掴もうと、私はこっそり真似してみた。
湊のステップを意識してみると、足の運びがスムーズになる。
昴のリズム感を取り入れると、身体全体が軽やかに動く。
(すごい……! 少しずつ、動きが良くなってる気がする!)
私は密かに手応えを感じた。
***
「星弥、最近動きが良くなってきたんじゃない?」
練習後、昴がニコッと笑いながら言った。
「えっ、そう?」
「うん! なんかさ、最初は見ててヒヤヒヤしてたけど……今はちゃんと『ダンスしてる!』って感じ!」
私は思わず頬をかいた。
「それ、最初がどれだけひどかったかってことだよね……?」
「まあまあ! でも、努力してるのは伝わるし、なんか……放っておけないよね!」
昴はそう言って、軽く肩を叩いてくる。
「それに、湊も言ってたよ? 星弥のダンス、悪くないって」
私は思わず湊の方を見る。
湊は相変わらず無表情だったが、少しだけ目を伏せて、ぽつりとつぶやいた。
「……悪くない」
それだけ言うと、湊はさっさと荷物をまとめ始めた。
でも、その一言が、妙に心に響いた。
(まだまだ下手だけど……でも、努力で変われるんだ)
私は深く息を吐いた。
——大丈夫、まだここから。
“見る力”を活かして、もっともっと成長してみせる。
2.3.3揺れる気持ちと前進
レッスンの合間、ふとスマホを手に取った。
汗で少し湿った指先が画面をなぞる。
無意識のうちに、私は、あるSNSのアカウントを開いていた。
「#今日の放課後」
友達だった子たちの投稿が並ぶ。
結菜、彩葉、茉璃──
中学でいつも一緒にいた、あの子たち。
「最近、星華の話題が出るたびに、なんかモヤモヤする」
そんな呟きに続いて、結菜がコメントを残していた。
「星華、急にいなくなって…大丈夫なのかな」
胸がチクリと痛む。
「何かあったなら話してほしかったよな」
茉璃のコメントを見た瞬間、喉がカラカラに渇いた気がした。
──何かあったよ。
伝えられないだけで。
だけど、それを説明するのは無理だ。
「星華」として生きていた私は、もうどこにもいない。
「星弥」として前に進もうとしている。
そう言い聞かせるけど、この気持ちはどこへ向かえばいいんだろう。
スマホを閉じた。
余計なことを考えていたら、次のレッスンに集中できなくなる。
「…行くか」
呟いた声が、少し掠れていた。
午後のレッスンは、ダンスの振り付け確認。
リズムに合わせて体を動かす。
最初は全然ついていけなかったけど、最近は少しマシになった気がする。
「星弥、動きが硬い!」
昴が前で手を叩く。
「もっと肩の力抜いて! ほら、こう!」
昴の真似をしようとするけど、ぎこちない動きになってしまう。
「…うーん、惜しいなぁ」
「すぐにできるようになったら苦労しないだろ」
後ろから低い声が聞こえた。
海翔だ。
「ま、少しは見れるようになったな」
ぽつりと呟いた海翔の言葉に、心が軽くなる。
「…そう?」
「ああ」
海翔はそれ以上何も言わなかったけど、それだけで十分だった。
ここで頑張りたい。
この場所に、「俺」の居場所を作るんだ。
その想いが、さっきまでのモヤモヤを少しだけ消してくれた気がした。
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