ボーダーレス・アイドル
瞬遥
第1章 突然の変化と新しい生活の始まり①
1.1 目覚めたら男になっていた
1.1.1 普通だったはずの日常
目覚ましの電子音が静かな部屋に響く。
枕元のスマホを手探りで探し、スライドしてアラームを止める。
「んん……」
まぶたが重い。
もう少し寝ていたいけど、二度寝したら確実に遅刻する。
仕方なく布団から手を伸ばし、ゆっくりと起き上がる。
ベッドの上で伸びをしてから、スリッパを履いて部屋を出る。
廊下を歩きながら、今日の天気はどうだったっけ、とぼんやり考えた。
たしか天気予報では晴れだった気がする。
洗面所に入り、鏡を覗き込む。
「んー……」
ぼさぼさのダークブラウンの髪が少し寝癖で跳ねている。
手ぐしで整えながら、軽く溜息をついた。
いつもどおりの自分。
「次の数学の小テスト、大丈夫かな……」
最近、数学がちょっと苦手になってきた。
昨日も少し復習したけど、まだ自信がない。
歯を磨き、顔を洗って、髪をとかしながらぼんやり考える。
こうしている時間は、特に変わったことのない「普通の朝」だ。
リビングへ行くと、テーブルには朝食が並んでいた。
「おはよう、星華」
母の絵美が、明るい声で迎えてくれる。
「おはよー……」
まだちょっと眠い。
椅子に座りながら、トーストを手に取る。
「星華、それ食べたら早く支度しなよ。今日も遅刻ギリギリでしょ」
姉の桜月が、コーンスープを飲みながら言った。
「う、うん、わかってる……」
口の中のトーストをもぐもぐしながら、時計を見る。
あと30分。
間に合うか微妙なライン。
父は新聞を広げながら、のんびりコーヒーを飲んでいる。
こういうとき、家族の温度差がすごいなって思う。
「今日は暑くなるってさ。制服の下にあんまり着込まないほうがいいかもな」
「ふーん……」
適当に相槌を打ちながら食べ終え、急いで部屋に戻って制服に着替える。
白いブラウスに紺のスカート。
ベストも羽織るけど、父の言うとおり、今日はやめておこうかな。
荷物を確認し、靴を履いて家を出る。
***
「おはよー、星華!」
いつもの交差点で、結菜・彩葉・茉璃の三人が手を振っていた。
「おはよー」
みんなと合流して、学校までの道を歩く。
「昨日のドラマ、見た?」
「見た見た! 最後のシーン、やばくなかった?」
「え、何それ、どんな話?」
たわいもない話をしながら、4人の集合場所の交差点から学校までの道を歩く。
この時間が、私は結構好きだったりする。
学校に着くと、いつものように授業が始まった。
先生の話を聞きながらノートを取るけど、どうしても途中で集中力が切れてしまう。
(……眠い)
隣の結菜が、こっそり紙を回してくる。
「放課後、公園寄る?」
「うん」
ペンを走らせて返事を書く。
こういうやりとりも、何だか楽しい。
***
放課後、みんなで公園に寄り道しておしゃべりしてから帰る。
「じゃあ、また明日!」
「ばいばーい!」
それぞれの帰り道へ分かれる。
家に帰ると、母が夕飯を作っていた。
「おかえりー。ちょうどご飯できたとこよ」
「ただいまー」
ご飯を食べて、のんびり過ごし、宿題を終わらせる。
お風呂に入って、パジャマに着替える。
「ふぅ……」
ベッドに寝転がる。
明日もまた、いつもどおりの一日が来る。
そう思いながら、ゆっくり目を閉じた——。
——そんな「普通の生活」が、あんな形で終わるなんて、このときは思いもしなかった。
1.1.2 異変の朝
目が覚めた瞬間、なんだか体が重い。
……いや、なんか変だ。
妙にダルいし、腕も足もいつもより沈み込む感じがする。
まるで自分の体じゃないみたいに違和感があった。
ぼんやりした頭のまま布団から手を出し、額を覆う前髪をかき上げる。
――あれ? 短い?
指先に絡まるはずのいつもの長い髪がない。
一気に目が覚めた。
「……え?」
跳ね起きて、慌てて自分の髪を手で探る。
やっぱりない。
いや、全くないわけじゃない。
でも、胸まであったはずの髪が、耳元あたりで途切れている。
心臓が早鐘を打つ。
寝ぼけてるだけかもしれない。
そう思いながら、部屋の端にある姿見へと駆け寄る。
そして――
「……誰?」
鏡の中の顔を見て、息を飲んだ。
目は……確かに私のものだ。
暗いブラウンのアーモンド型。
だけど、それ以外が全部違う。
輪郭がシャープになり、頬の丸みが消えている。
鼻筋もくっきりして、どこか凛々しい。
まるで、見知らぬ美形の男の子が、私と同じ目でこっちを見ているみたいだった。
混乱したまま視線を落とすと、肩幅が広がっていることに気づく。
パジャマがピチピチだ。
袖が短くなっているし、ボタンのあたりが少し突っ張っている。
「え、何これ……どういうこと……?」
思わず声を出した瞬間、その場で凍りついた。
――低い。
昨日までの私の声じゃない。
どこかハスキーで、中低音の男の声。
ゾッとする。
喉を押さえて、もう一度声を出そうとしたけど、出せなかった。
怖すぎて。――――
「う、うそ……」
とにかく着替えよう。
制服だ。
パニックになりかけながらクローゼットを開け、ハンガーにかけていた制服を手に取る。
スカートを履こうとしたところで、また違和感。
なんか、スカートっていう気分じゃない。
何の気分だ、とか考える余裕もないのに、体が「違う」と言ってる。
結局、代わりに適当なズボンを引っ張り出して履く。
シャツを羽織ってボタンを留めようとするが、きつい。
胸が邪魔しているわけじゃないのに、肩周りが突っ張る感覚が新鮮すぎた。
もうわけがわからない。
バタバタとボタンを留めながら混乱していると、部屋のドアがノックされた。
「星華ー、朝ごはんできてるわよー!」
お母さんの声がする。
ヤバい。
この状態をどう説明すればいい?
いや、説明できるわけがない。
そもそも私自身、何が起こったのかわかってないのに。
でも、返事をしないわけにもいかない。
「……えっと」
できるだけ高めに声を出そうとしたが、全然無理だった。
お母さんは待てなかったらしく、そのままドアが開く。
「おはよ――キャーッ!!!」
「!?」
突然の悲鳴に、こっちがびっくりする。
お母さんが目を丸くして、口をパクパクさせている。
「え? え? 星華!? ど、どういうこと!? …あれ? でも、まぁ、こういうこともあるわよね」
いや、ないでしょ!!
ツッコみたい気持ちを抑えながら、必死に「私だよ!」と伝えようとする。
「えっと、私、星華……だよ?」
母は一瞬考えるような顔をして、すぐにニッコリ微笑んだ。
「そっかぁ!まあ、いいんじゃない?」
よくない!!
そう叫びたかったが、その前にお父さんとお姉ちゃんまで起きてきて、リビングでの家族会議が始まることになるのだった。
1.1.3 原因不明…どうする?
「では、血液検査とMRIの結果をお伝えしますが……特に異常は見当たりませんでしたね」
白衣を着た医者がカルテをめくりながら、淡々と言った。
「え……?」
一瞬、耳を疑った。
異常なし?
いやいや、そんなはずない。
昨日までの私は、女だったんだ。
それが朝起きたら男になってたのに、異常なしなんて……そんなバカな話、あるわけ——
「そんな、嘘でしょ……? 先生、ちゃんと診ました?」
必死で食い下がるけれど、医者は困ったように首を傾げるだけだった。
「うーん、前例がないのでねぇ……現時点では、医学的に説明がつかないというのが正直なところですね」
前例がない。
医学的に説明がつかない。
つまり——私はこのまま、元に戻れないかもしれないってこと?
「なんで……私、昨日まで普通の女の子だったのに……!」
喉の奥が詰まり、視界が滲む。
信じられない。
どうしてこんなことになったの?
誰か説明してよ。誰か、助けてよ。
「まあ、人生いろいろあるしね!」
「元気ならいいんじゃない?」
「ま、これからどうするか考えればいいでしょ」
横を見ると、お母さんもお父さんもお姉ちゃんも、みんな呑気な顔をしている。
いや、待って。
どういうこと?
「ちょ、ちょっと待ってよ! みんな、もっと焦るとか、驚くとか、心配するとか、ないの!?」
私は取り乱しながら声を上げる。
だけど母はケロッとして、「だって、こうなっちゃったんだから仕方ないじゃない?」なんて笑っているし、父に至っては「元気ならいいんじゃない?」と本気で気にしていない様子。
お姉ちゃんは、スマホをいじりながら「まあ、別に男でも生きていけるしね」と適当なことを言っている。
——私だけが、取り残されている。
怖い。
こんなに世界が変わったのに、私以外の家族が全然気にしてないのが、何より怖い。
「……もういい」
それ以上、何を言っても無駄な気がして、私は診察室の椅子に力なく座り込んだ。
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