幸せ

@hoshiimo_2929

第1話

例えば、「厄年」なんて言葉がある。生まれた年によって厄が降りかかりやすい、悪いことが起きやすい年がある、といったような話だった筈だ。だとしたら私は毎年厄年だ。もし、神様なんてものがいるならまともに仕事をして欲しいものだ。一年を通してみれば、良いことも悪いことも沢山あるだろう。もちろん、良いことが多い年もあれば、悪いことが多い年もある筈だ。厄年、なんてものは言い訳に過ぎないのでは無いだろうか。人間、悪いことの方が良いことよりも記憶に残りやすい、と偉い人が言っていた気がする。悪いことがあっても今年は厄年だから仕方ない、本当に厄年だな、などと言った言い訳を並べるための概念なのでは無いのだろうか。

 「恋愛もの」、「ラブコメ」なんて言葉もある。主人公の男の子とヒロインの女の子が出会う。もしかしたら主人公はあまり格好良く無いかもしれないし、普通の子かもしれない。あるいは格好が良すぎるかもしれない。男の子視点で描かれるかもしれないし、逆かもしれない。最初は両者の関係は白紙かもしれないし、悪いかもしれない。例えばそれは、男の子が自分に自信が持てないのかもしれないし、逆に魅力的過ぎてヒロインが近付き難いのかもしれない。あるいは女の子が病気で余命いくばくも無いのかもしれない。なんらかのイベント、あるいは日常を経て二人の仲は深まっていく。もしかしたら、一度仲が悪くなり、和解するという過程を踏んでより仲が深まるのかもしれない。そして最後にはどちらかが告白して付き合うことになる、と言ったハッピーエンドかもしれない。あるいはなんらかの原因で結ばれない結果になるかもしれない。病気で亡くなってしまうというのが最も良くある終わりだろう。どちらにしても余韻を感じさせる良いものであることには違いない。ともあれ、1ジャンルの小説がこの程度の文章で語られて良いものだろうか。そんなことを言うなら自分で書けば良いじゃないか、と言われてしまったらそれまでである。もちろん、そんな技量はない。そんなもの、最初から持ち合わせていないのだ。小説を書き上げれる作家さん達には尊敬のほかに言葉が見つからない。私は、ただ捻くれたことが言いたいだけなのかもしれない。そんな自分に嫌気がさすばかりだ。

 もしかしたら、読み飛ばしながらここまで読んだ人もいるかもしれない。「かもしれない」を連呼している文を真面目に読みたい人はそう多くないだろう。書いている私でさえそう思う。じゃあお前は何が言いたいんだと言われると言葉に詰まってしまう。じつのところそんなものはないのだ。そんなものがあったら、最初から話している。しかし、こんな文章を「作品」だとか「小説」だとか言い張って良いのは中学生までだろう。仮にもそうした「作品」というラベルを貼りたいなら、工夫する必要がある。例えば、具体的にしてみたり、抽象的にしてみたり。例えば、何かに例えてみたり、舞台を変えてみたり。そう言った小さな変化を何回も、計算して加えることでただの文字の羅列が魅力的な作品になったり、ならなかったりするのかもしれない。

 ここまで私の頭の中を紙にこぼしてみたが、これでは作品にはならないだろう。しかし、物語で一番大切なのは最後、オチだと私は考える。「終わりよければ全て良し」なんて言葉もあるくらいだ。もちろん、それが全てとは言わないが少なからず全体に影響を与えることには違いないだろう。かく言う私はこのオチを考えるのが一番苦手なのだ。今回もすごく悩んだ。それどころか、今も悩んでいる。良いオチというのは中々ないものだ。意外性のあるものはさらに難しい。もう簡単なオチにしてしまおうか… そんな夢を見た夏の日を今も鮮明に覚えている。なんてオチにしかできないのだ。まあ、悩んだまま終わるのも悪くないのかもしれない…なんて自己肯定してしまえる自分が嫌いだ。

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