第2話 光バイト

俺は今、バイトに来ている。初出勤だ。


 ソーシャルゲームの課金やPCの改造に精を出しすぎて金欠になったところに友人?の田所が割のいいバイトがあると紹介してきたのがきっかけだ。提示された条件は破格の物で、俺は正直、暗黒面に堕ちるのではないかと疑ったのだが、田所がそれを否定するので、何かったらこいつのせいにする誓約書を書かせた上で、いってみることにした。


「ここかな」


 徒歩で向かえたことも、やって見ることにした要因の一つだ。と、いってもこんなところに工場があるなんて十数年生この町に生きて知らなかったのだけども、そういうこともあるだろう。人の記憶なんてそんなもんだ。


 遠目で見るとパン工場の影絵のようにも見えるその工場の前で人が待っていた。平凡な顔立ちだけど、柔和な顔つきが人付き合いしやすそうな人だった。どうやら初出勤の俺の為に立っていてくれたようで、工場の中に案内してくれた。


「田所くんが代わりに呼んでくれた廻赦渦悟くん……だったね。今日からよろしくね」


「あ、はい。よろしくお願いします。というか、代わり?田所はいないんですか?」


「うん、あの子は昨日で退職だったんだけど。穴を開けるのは申し訳ないっていって……いい子だよね。ん、もしかして聞いてない?」


「い、いいえ?!」


 あの野郎聞いてねえぞ……!誓約書まで書かせたというのに、俺に面倒を押し付けやがったのか?とはいえ、奴が無事に退職しているという情報を信じるなら、それほど差し迫った危険はないのかもしれない。もう少し様子を見てみるか。


「ここが、仕事をしてもらうところだよ」


 制服を上から羽織って、奥の扉を開けてもらうとそこには幾つものパーツを運んでいるベルトコンベアと、パーツを拾って組み立ててまたベルトコンベアに流す作業をする人々がいた。ライン作業というのだろうか?作業に従事している人々はみな晴れやかで清々しい表情をしていた。


「おおいみんな~、一旦作業を止めてくれ、新しい子が入るんだ。色々教えて上げてくれ」


 案内の人はどうやら現場でもある程度地位のある人らしい、みんなが作業を止めて一目散に集まってくるので、少し申し訳なさを感じる。


「田所の代わりに着ました、同級生の廻赦渦悟です。こういった作業は経験がないんですけど、早く仕事を覚えるので可愛がってもらえると幸いです」


 頭を下げる。そしてしばらく続く沈黙が、非常に気まずい。ベルトコンベアが止まった今、時計の針の音だけが無機質に響く。永遠にも続くと思われた重い時間は、突然破られた。


「田所くんのお友達なら安心だなあ」


「わからないことがあったら直ぐに聞いてね。最初は慣れないだろうけど、なあにすぐ覚えるさ」


「田所くんと同じなら男子高校生かぁ。わか~い」


「仕事だから疲れることもあるけど、休憩はちゃんと適宜取らせてもらえるし安心していいよ。マッサージチェアとかも使えるんだから」


 最初の沈黙が気になるが。どうやら好意的に受け取って貰えたようだ。これならば気になっていることも問題なく聞けるだろう。


「あの、ところで皆さんって何を作っているんでしょう」


 これが気になっていたのだ。流れてくるパーツはどれも硬質なようで流動的、工業製品というよりは生物に見える。俺は正直、こんなものをみたことがない。一体何に使うんだろう。


「ああ、私達が作っているのはね」


 案内の人は優しく答えてくれた。


「キトヌチャプノだよ」


「きと……?」


「よし、みんな作業を再開してくれ。悟くんはこの人についていって、あの右から二番目のレーンで作業してくれるかい?」


「あ、ああはい」


 上手く聞き取れなかったのか、聞いたことがない名詞で返された。専門用語なのだろうか。そしてみんな忙しなく移動し始めてしまったので聞き直す機会はない。仕方がない。俺は、指示された場所に陣取り、構えた。とはいえやり方がわからない。隣の人に聞いてみるか。


「あの、キトヌチャプノ?ってどう作ればいいんですか?」


「ああ、最初だとわからないよね。いいよ、しばらく私がやるから、悟くんはやり方を見ておいて」


「ありがとうございます」


 ベルトコンベアが動きだし、キトヌチャプノの元が流れてきた。すると隣の人は─


 なんだろう。一瞬意識を失っていたような、そんな気がする。だが、俺はちゃんと立っていて、目を開いている。作業のやりかたも、見れていなかったはずだが、なぜか俺はやり方を理解していた。


「いきます」


「がんばれ~」


 そうして仕事を開始した俺だったが、落とし穴があった。シンプルに、難しいのだ。やり方は理解したが、必要とされる数十の工程をミスなく、更に流れの邪魔にならないようにやるのは俺の身体・頭脳スペックでは無理があった。これは、本当に慣れとかでどうにかなるものなのか?次々不良品が積み上がり、前後の人の負担が増えていく。そして。


「あー、惜しい。もうちょっとだったのに」


「大丈夫大丈夫、最初は誰でもそんなもんだって」


「元気だせよ。ミスした分は経験者の俺たちが補ってやるからさ」


「そーそー将来性に期待ってね。頼んだよ未来のエース」


 まっっっっっっっっったく怒られないのだ。もはや働いて得る時給よりも損失の方が遥かに多く出ているというのに。誰も責めない。だが、迷惑を欠けているのは当然わかるので、苦しい。いっそ責めてくれたなら楽なのに。職場が暖かすぎる、嫌な人が全然いない、待遇がいい。これはもう光バイトだ。そして強すぎる光は時として人には毒なのだ。


 そうして俺の初出勤は終わった。このバイトは日給性で、悲惨な出来であったにも関わらず、提示された通りの給料を貰ってしまった。これだけで、ゲーム機が買えてしまう。


いっそ辞めようと思ったが、みんなが。


「悟くん、明日もよろしくね」

「一緒にがんばっていこうね」

「俺、やりやすいようにマニュアル書き直してみるよ」


 なんて優しくするから。辞めるに辞められなかった。こんな信頼、裏切れない。俺は這う這うの体で自宅の扉を開けた。


「ただいま……」


「おにいお帰り~。お、いつも通り辛気臭い顔してるじゃ~ん。犬のフンでも踏んだ?」


「そんなわけないだろ……」


「うわ、なんで泣いてんの?キモ」


 帰宅早々に投げられる妹の無遠慮な言葉がいっそ救いのように思えた。





 翌日以降も、俺は周囲の期待むなしくミスを連発し続けてきた。一つミスっては他人の仕事を増やし、二つミスっては気を使わせる。もう、こんな俺放っておいてくれ、期待しないでくれ。ちゃんと働けないというのがこんなに辛いことだとは思っていなかった。だというのに、みんなは─


「俺は……キトヌチャプノ職人失格の劣等生です!!」


「そんなことないよ、悟くんはよくやってくれている」


「みんなの足を引っ張ることしかできない!こんなに優しくしてもらっているのに」


「みんなはそう思ってないよ」


「そうそう、悟くん楽しい子だしさあ。一緒に仕事してて楽しいんだよ」


「コツさえ掴めるようになったら大丈夫だって」


「くっ……うぅ……なんでみんなそんなに優しいんですか」


「誰もが、悟くんの成長と幸せを願っているんだよ……」


 もう耐えられない!期待に応えられない自分が憎らしすぎる。かといってここで逃げ出してみんなに悲しい思いをさせられない。かといってこれ以上罰されないなら俺は壊れてしまう。どうすれば、どうすれば……あっ。


 追い詰められた俺の頭はある発想を閃いた。


「工場長!働くためにお願いがあるんですが」


「なんだい?」


「妹を呼んでいいですか!?」


「いいよお」


 通った。


「今日友達と約束してたのに工場呼び出すとかどういう神経してんのおにい?帰ったら覚えとけよ」


 妹召喚成功。


 勝ったな。そういう確信と共に、俺は妹に声をかけた。


「恵ちゃん。お兄ちゃんを煽っていいよ」


「は、頭に蛆が湧いてる?それとも悟りでも開いた?気持ち悪っ、煽りたい時は勝手に煽るから、もう帰っていい?」


「待って!待って!ホント大事なんだって」


恥も外聞もなく帰ろうとする妹の足を掴んで引きずられながら何とか説得する。


「お兄ちゃんが仕事でミスした時に責めて欲しいんだ!誰も怒ってくれないから辛いんだ!!」


「えー、めんど。頼まれて煽ったり責めたりしてもおにい喜ぶじゃん。煽りは屈辱を刻んで顔真っ赤にさせられるからやるもんだよ」


「お兄ちゃんのお給料半分あげるから!!!」


「やる~」


 スマートに交渉は成立した。






 そうして再開した仕事は。


「あっ」


「おっ、手元が覚束ないですな~。入って一日の新人さんなのかな?早く仕事を覚えれるよう頑張ろうね~!」




「うおっ」


「おいおい~ナマケモノでも、もうちょっと機敏だよ~。カロリー消費を抑えているのかな?じゃあもうご飯はいらないねぇ」




「ちぃぃぃぃ!」


「おぉーと見送り三振!悟選手、バットを振れない~自分が人生のバッターボックスに立っているという自覚がないのか~?」


 順調だった。確かにミスは発生するが、その度に煽り散らかされることにより、気持ちの切り替えができるようになった俺は、徐々に仕事のやり方を掴んできた。


 恵ちゃん、お前の腐り切った性根の舐めた口がここまで頼もしく感じるのは初めてだぜ。


 一日、二日、刻む毎に罪悪感に囚われなくなった俺は成長していく。もう、ただの足手纏いじゃあない。たまにミスはするけど。カバーが間に合う範囲だ。だから、一日、二日と経つごとに。



「すんません」


「あんれ~、仕事覚えたんじゃなかったけ~?一日二日でもう忘れちゃった~?これじゃおっさんじゃなくておじいちゃんだよ~」


「……」




「あ、カバーお願いします!」


「カバーって~、おにいは具体的にどうして欲しいのかな~?ちゃんといってくれないとやってくれる人も困っちゃうよぉ。気が利かない~」


「…………」




「あぁー、逃がした」


「逃がした魚はおっきかったね~。魚拓の準備してたんだけどな~。そろそろを変えたらどうかな」


「チッ!!」




 妹、うぜぇ。


 どうしてそうポンポンと人にライン越えの発言ができるんだ?教育がなってねえな。身内がいるなら見てみたいもんだ。


「あれれーおかしいぞ~?さっきからプルプル振るえて仕事が進んでな~い。お手洗いでも我慢しているのかな~。恥ずかしくていいだせないのかな~?」


 ますます腹が立ってきたな。どうして仕事をちゃんと覚えたこの俺が、たまのミスでビクビク僕を罰してってなんもしてねえ妹に煽られなきゃならねえんだ?どうしてここでちゃんと働けるなら、給料の半分を貢いでも仕方ないなんて思わなきゃならないんだ……?違うんじゃあねえか?


 申し訳ない思いをするのはクソ妹!お前の方だ!!



「恵ちゃん、提案があるんだが」


「ヤダ、仕事戻んなよ」


「まだ何もいってない。煽りはもういいから……恵ちゃんも一緒に働かないか?」


「な~んで高みの見物して上から目線で煽るだけでお金貰えるのにわざわざ労働なんてしないといけないわけぇ?」


「時間あたりの給料二倍だぞ。おにいに出来た仕事なんだ。お前ならもっと上手くやって更に時給アップも狙えるんじゃないか?煽るのも飽きたろ」


「ふーん、それもそっかぁ。ねー、工場長~。私、中学生だけどバイトオッケー?」


「いいよお」


 そして、妹は俺の隣で作業をすることになった。


「いいか、恵ちゃんよく見ておけよ」


 と、俺が見本を見せようとした時に。


「こうでしょおにい。遅いよ」


 あろうことか、妹は俺の前からキトヌチャプノの元を奪い取り、完成させた。


「なん……で……!?」


 いや、よく考えればこいつは俺の後ろからずっと俺や他の人がどうやってキトヌチャプノを組み立てるかを見てきたんだ。更に言えば、妹は指の筋力だけで鉄板を引き裂くフィジカルエリート。俺とは元より土台が違う……。に、


 憎い……!!


 若い才能が憎い、誇らしげにドヤ顔で成果を見せつけてくる妹が憎い……! このままでは、こいつに吠え面をかかせるという目標は失敗し、ただひたすらいい思いをさせることになってしまう。そんなことはさせない。


「恵ちゃん」


「ん、何おにい……。ぶははははははははっ!何その顔っ!はっ!?あー……」


「大丈夫よ~、私がカバーするから」


「すいません~」


 かかったな馬鹿が!俺はこういう時のために百を超える変顔を習得している。小娘一人の注意を逸らすなんてお茶の子さいさいよ。兄より優れた妹などいらねぇ!こっちを見ろぉ! 



「なあ恵ちゃん」


「……」


 おや無視かい。そんなら。


「今週の辣腕アコムGORUSHだが、今週は特番で時間ズレるから、多分録画失敗する」


「ちょっ、それ早くいってよ!あぁー……」


「任せて~」


 ひ~っひっひっひっ、楽しいね~。他の人に迷惑かけてる気がして罪悪感ゲージがもりもり上がってて苦しいけど楽しいねえ。後で腹を切ります。


「あ、そうだ恵ちゃん」


「…………」


 ふっ、無視か。だがお前が無視できない話題なんてお兄ちゃんは山ほど─なんだと!?


 妹の耳は塞がれていた。耳の筋肉を操作して、象がそうるように、閉じられていたのだ。恐るべしフィジカルエリート。これではもう音による妨害は使えない……。次の手を考えなければ。ぐっ……!?


 思考を切り替えようとした俺に、衝撃。


「ああっ!?」


「おにい、ミスった~」


「いったい何が……!?」


 次の組み立ての時も衝撃は襲ってきた。だが、俺は今度こそ見逃さなかった。衝撃波だ。

 パチン。パチン。


 発生元は妹、あの野郎……馬鹿の筋力で空気を打撃デコピンすることでこっちにステルス打撃を飛ばしてきやがった……!そっちがその気ならよぉ。こっちも考えがあるぜぇ。


 こちらが仕掛ければあちらが対応し、そして向こうが仕掛けてくればこちらも対応し仕掛け直す。この不毛な争いは長くは続かなかった。



 周りのいい人たちに迷惑かけるの、良くないよね。あまりに鷹揚に対応されるため、申し訳なくなったのだ。ちゃんと働こう。そういう意識がお互いに芽生えた。

 そして、長い時間が流れた。時には兄妹の連携で仲間をカバーしたり、工場長にご飯を奢ってもらったり、仲間たちと夢を語ったりした。充実した、楽しい時間だった。




 だけど、どんな時間にも終わりはあって。


 工場長がみんなを集めていった。


「前々から話していたけど。今日でこの工場は役目を終えます。みんな、これまでよく働いてくれて、ありがとう」


「とうとうこの時が……」


「お別れねぇ」


「もうキトヌチャプノと関わることもないのかぁ」


 みんなこの工場がなくなることを惜しんでいる。でも、受け入れてもいるんだ。恵と、俺を除いて。


「やっぱり……納得できませんよ!俺達、がんばって、がんばってキトヌチャプノ作れるようになったんですよ!それがこれで終わりだなんて!」


「おにいの言う通りだよ!私、もっとみんなとキトヌチャプノ作っていたいよ!」


 割り切れない俺達に、工場長は諭すようにいった。


「そこまで仕事とキトヌチャプノに思い入れを持ってくれて、とても嬉しいですね。ですが、キトヌチャプノは役目を果たして、次の世代に繋いだんです。ならば、それを作ってきた我々も次に進まねば」


「でも……」


「ですが、どこにいっても、君たちが一流のキトヌチャプノ職人であった事実は消えません。過去は消えないんです、良くも悪くもね。消えないなら、せっかくなので誇りにしてくださいね。そうしてくれると、私としても嬉しいです、きっとキトヌチャプノも」


「工場長……」


 そんなことを言われたら、駄々をこねてる俺達が、まるでガキみてえだ。俺達、何かできていたのかな……


「俺はお前らと働けて楽しかったぜ」


「そうそう、ちょっとずつ成長していくところとか、見てて我が子を見守るようだったわ」


「またどこかで会おうね」


「みんな……」


 そして俺達は思い出を語り合い、そして別れた。星の瞬く夜だった。結んでいけば、キトヌチャプノの星座も作れそうだった。


「で、」


 バイトが終わって数日が経った。妹とのんびりリビングで過ごしつつ思うことはある。


「キトヌチャプノってなんだったんだろうな」


「さぁ」


 あの後、工場のあった場所にはいつの間にかマンションが立っていた。どう考えても建設期間が足りないと思うのだが、立っているものは立っているので、仕方ないな。と思った。人が住んでるみたいだし。


「そういえばさあ」


「んー?」


「工場長ってどんな名前だったっけ?」


 そういえば、思い出せない。よく考えたら、他の人もそうだ、なんとなく顔もおぼろげだ。


「ま、どっかで出くわしたら思い出すだろ」


「まーね、終わったことだし。それより他に考えることあるしね」


「……そーね」


 そうして俺達は給与明細を取り出す。そこに書かれていた金額は。


「扶養外れちゃうねえ」


「税金の手続きわっかんね~……」


 光バイト、恐るべし。


 


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