再会

 喉が干上がり、背筋が凍った。


「待ってくださいっ……!」


 もう他にどうすることもできず、ヒメナはただ声を張り上げる──その直後だ。

 ふと違和感を覚えた。


 イメルダが、剣を突き出したままの体勢で硬直している。それで避ける時間ができたはずのレティシアも避けようとせず、石像のように固まっていた。


 ヒメナは観察を続け、さらに把握する。生理現象として多少は動かないとおかしい目蓋や胸でさえ、二人とも一切動いていない。水路も流れを止めている。微かに響いていた、チョロチョロという音が聞こえなくなっていることからも、それは間違いなかった。


 ヒメナ以外、時が止まっているようだ。いや、違う。これは本当に止まっているのだ。

 茫然としながら、ヒメナは呟く。


「これは、一体……」


「危なかった~! ていうか、できた! ここ神殿じゃないよね? なんかで擬似的にそうなってるの?」


 唐突に声が響いた。ヒメナは、その声が聞こえてきたほうを向く。

 そこには、一人の女性が立っていた。その女性は、長身で、腰に届くほど長い髪を持ち、飾り気がないワンピースを着ている。髪の色とワンピースの色は、どちらも白だった。


 誰だ? と思ったのは、つかの間だ。


「お姉、さん……?」


 それは間違いなく、ヒメナが幼少期にアバロスで会った女性だった。そのことに気付くなり、レティシアと交わした、とある会話が蘇ってくる。途端、ヒメナは悪寒を覚えた。


「ひっ、幽霊……?」


「違う違う違ーう! 私、幽霊じゃないから!」


 頬を膨らましながら否定する女性に、ヒメナは問い直す。


「で、では……?」


「まぁ、普通に名前言えば分かるかな? 私は、カミラだよ」


「カミ、ラ……? え、カミラって……」


 カミラ教で信仰の対象となっている、人類を創造したという神カミラか。


「嘘……」


 ヒメナは耳を疑っていた。レティシアから聞いた人工天使の話以上に信じがたい。


 しかし、カミラが実在するという話はあった。さらに、いま起きている時間停止がカミラの仕業だとしたら頷けた。こんな芸当、魔女にだって不可能だ。まさに神の奇跡としか言いようがない。まったく見た目が変わっていないのも、神であるなら納得できた。


「お姉さんは、カミラ様だったのですか……?」


「うん、そゆこと」


「どうして……なぜ、いまここに……?」


「約束を果たすため、かな。本当はちょっと遅いんだけどね」


「約束、というのは……」


 憶えがない。幼少期に会った際、交わしていたのか。

 ヒメナが小首を傾げていると、カミラは寂しげな笑みを浮かべる。


「あー、やっぱ忘れちゃってるか。まぁ、見れば思い出すよね。じゃ、早速行こ?」


 カミラが手首を掴んでくる。


「行くって、どこへ……?」


 ヒメナが顔に戸惑いを露わにした、次の瞬間だった。

 景色が一変する。視界の上半分には清々しい青が、下半分は瑞々しい緑が映った。

 その緑の正体は、大地を絨毯のように覆う森だった。では、上半分の青は何か。


 背筋が粟立つ。ヒメナは、広大な空へ投げ出されていた。


「わっ……わわっ!」


 転移魔術に似た何かか。ヒメナは手足をばたつかせる。身を強張らせ、落下によって訪れる浮遊感に備えようとした。


 だが、落下は始まらない。ヒメナは宙に留まったままでいる。重力も感じない。不思議に思いながらも脱力すると、頭が空へ、足は地面へ向かう形となり、体勢が安定した。


 目をぱちぱちとさせるヒメナの横で、カミラがくすくすと笑っている。


「慌てなくても大丈夫だよ。身体が浮いてるわけじゃない。ここには魂が来てるだけだから」


 話が異次元すぎて、まったく理解できない。だが、なんにせよ落ちないならよかった。


 何度か深呼吸をしてから、ヒメナは周囲を見渡す。

 四時の方向──そこには、城壁で囲まれた都市があった。


 その都市の中心には、塔が建っている。外壁には精巧なレリーフが刻まれ、アーチ型の窓にはステンドグラスが嵌め込まれた、そびえ立つように高い塔だ。それは、とある都市のランドマークとして有名なものだった。


「……アバロス?」


「正解。ただ、十二年前のアバロスだけどね」


 つまり、空間だけではなく時間も飛んだということか。


「あれを見てごらん」


 カミラが指差した先を、ヒメナは見遣る。泣きじゃくりながら、森を彷徨うようにして歩く少女がいた。


『うぅっ、あぁ……母様……母様、どこですか……?』


 少女の瞳は、エメラルドのような緑色だった。髪は深海のような青色で、アシンメトリーのボブ。その少女が誰かはすぐ見当がついた。


「わたし? 幼い頃の……」


「そ、ひーちゃんはイメルダと剣の鍛錬で森にやってきてたんだ。けど、途中でイメルダとははぐれちゃったんだよね。で、戻ろうとしたら逆に森の奥深くまで来ちゃって。でも、そこにはかつて神殿だった廃墟があった。だから、私は現れることができたの」


『めそめそ泣いて、どうしたの?』


 もう一人のカミラが──過去のカミラが姿を見せる。過去のヒメナと目線を合わせるようにして屈み、微笑みを向けた。


 ヒメナは既視感を得て、はっとする。ほとんど剥がれかけてはいたが、その微笑みはまだ脳裏に張りついていたのだ。


「段々、思い出してきた?」


 カミラが、ヒメナの顔を覗き込んでくる。


「まず、これが私とひーちゃんが会うまでの経緯ね。じゃ、次行こっか」


 ふたたび景色が一変する。いくつもの柱が立ち並ぶ、高く広い、石造りの空間に移った。ここはカミラが言っていた、神殿だったという廃墟の内部か。

 過去のヒメナとカミラは向かい合い、しりとりをしている。


『臨戦態勢!』


『い、いか……』


『過重労働!』


『うさぎ……』


『疑心暗鬼!』


『き、きりん……』


 過去のヒメナは、どこかそわそわした様子だった。カミラへの警戒心があるのだろう。イメルダの元に早く戻らなくていいのかという迷いもあったかもしれない。


 だが、その警戒心や迷いはすこしずつ薄れていったようだ。しりとりをやめ、お花屋さんごっこで遊ぶようになったころには、過去のヒメナはすっかり上機嫌になっていた。


『おきゃくさん、どんなお花がほしいですか!』


『そうだなぁ、お部屋に飾ったら元気が出そうなお花がいいかも』


『でしたら、この赤いチューリップがおすすめです!』


 過去のヒメナは晴れるような笑顔で、店員の役を演じていた。

 驚かされる。この頃の自分はこんな風に笑うことができたのか。とてもではないが、いまはこのように笑えない。

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