原動力とすべき感情

 レティシアの過去を聞いたヒメナは、驚愕に固まっていた。


「人工天使だなんて……カミラ教が、そんな……」


 俄には信じられない。しかし、話に説得力を持たせるような出来事はあった。


「人工悪魔が吹き飛ばされた、あれは……」


「たぶん、あたしの天術。きっと身体にちょっぴり取り込んだ天素が残ってたんだろね。だから、火事場の馬鹿力的に使えたんだと思うけどさ──ヒメナちゃん」


 レティシアが、ヒメナの両肩に手を乗せる。


「ごめん、あんま上手く言えないんだけどさ。これって、きっかけだと思うんだ」


「きっかけ……?」


「うん。なんていうか、まず気持ちって二種類あると思ってるんだ。自分の中でできたやつと、人からもらったやつで……」


 言わんとすることは分かる。ようするに、自分に基づいた感情か、他人に基づいた感情かということだろう。前者は、他人に何を言われても、何をされても、揺らぐことはない。しかし、後者は簡単に揺らいでしまう。


「生きてくには最初のほうの気持ちが大事だと思ってるの。助けを求めている人を助けてあげたいっていう、あたしの気持ちは最初のほうで、その気持ちで生きてるいまは毎日がキラキラしてるから」


 実際、レティシアの目はいつもキラキラしたものを見るように輝いていた。ヒメナはその目がどこか眩しかった。


「でも、ヒメナちゃんはそうじゃなかったんでしょ? シブチョーからもらった気持ちで生きて、それはよくなかったとは思うんだ。けど、シブチョーから突き放されて、ホントにつらいとは思うけど、それでよくなさからは抜け出せると思う。今日この日から、ヒメナちゃんは自分の中でできた気持ちで生きていけるようになると思うんだよ」


 つまりは、自分に基づいた感情を原動力にしろということか。

 反論する気は起きなかった。レティシアの言ったことはすべて正しい。しかし、受け入れることはできなかった。


 理由は簡単だ。自分に基づいた感情など、ヒメナにはなかったから。ヒメナにあったのは、イメルダに基づいた、イメルダ次第で揺らいでしまう感情だけ。

 だから、レティシアの言うようにはできない。レティシアの思いには応えられない。


 ヒメナが顔を上げずにいると、レティシアは立ち上がった。


「とにかく、出口探さなきゃだよね。できたら、フクシブチョーに話しよ。シブチョーは魔女で強いけど、さすがに騎士団全体を敵に回すってなったら困るっしょ? だから──」


「ふむ、それは確かに困るな。では、阻止しよう」


 唐突に響いた声が、レティシアの話を遮った。

 ヒメナとレティシアは目を剥き、声が響いた方向を見遣る。そこには宙に浮く、点のような黒い靄があった。その靄は段々と広がっていき、最後には中から一人の人間を吐き出す。


 騎士団のエンブレムが彫られた鎧、エメラルドのような緑の虹彩を持つ瞳、深海色の髪──それは、イメルダだった。


「母、様っ……」


 ヒメナは、胸が潰れるような感覚を味わう。

 イメルダは両眉を軽く上げながら、口を動かしていった。


「いささか驚いている。逃げられないと思っていたからな。だが、騎士学校首席卒業と一発試験の実技満点合格は伊達ではないということか。ならば──」


 ヒメナとレティシアに向けられていた眼差しが鋭く、冷たくなる。


「私が直接、手を下すまでだ」


 静かな殺意が放たれ、ヒメナは萎縮してしまう。

 だが、レティシアは動じていなかった。それどころか、自分の身体でイメルダの視線からヒメナを守るようにして前に出る。


「大丈夫だよ」


 振り向きながら、レティシアは笑みを見せてきた。


「右脚の傷から流れる血は止まったし、痛みにも慣れた。だから、戦える。守れる。ヒメナちゃんは死なせない。で、あたしも死なない。まだまだ全然、人救えてないんだからっ!」


 レティシアは叫び、地面を強く蹴る。踏む度に水を跳ねさせながら、イメルダへと迫っていった。


 イメルダは魔術で剣を触れずに抜き、その剣を宙で操ったまま四振りに分身させ、レティシアを迎え撃つ。


 地下水路の壁を背にし、なるべく囲まれないような位置で、レティシアは四振りの剣を捌いていった。鮮やかな手際だったが、防戦一方になってしまっている。そんななか、レティシアは無理やり攻めに転じた。


「こんの!」


 多少の傷はやむなしといった姿勢で、レティシアは腕や脚を斬られながらも四振りの剣を突破する。そして、イメルダに肉薄していった。


「剣ぜんぶあっちだよ……丸腰じゃない⁉」


 レティシアが挑発気味に言い放つと、イメルダは溜息を溢す。


「実技は満点だが、筆記はほぼゼロ点。これならそれも納得だ。二十年以上も騎士をやっている人間が、得物を手放す危うさを理解していないわけがないだろう」


 イメルダは呆れ顔になりながら、右腕を掲げた。直後、袖から何かがシュルシュルと這い出てくる──青い縞模様の蛇だ。


 イメルダは蛇を巻き付かせた右腕で、レティシアの一太刀を防いだ。それは、硬質化の魔術が扱える蛇だったか。


 蛇は剣を伝って、レティシアの肩に移る。そのまま、両腕を巻き込むようにして身を縛り上げていった。

 動きを封じられたレティシアに、イメルダは後ろ回し蹴りを叩き込む。


「うぁっ……」


 レティシアは、派手に水飛沫を上げながら倒れた。

 イメルダは無機質な瞳を向けながら、レティシアに近づいていく。


「頭の回転が速いとは言えない。だが、戦いのセンスは本物だ。鍛錬を積めば、王国を代表する騎士になっていただろうに。騎士団の人間としては残念でならないな」


 四振りの剣が呼び戻され、合わさり、一振りに戻った。イメルダはその一振りを握り、レティシアに切っ先を向ける。


「アンヘルっ!」


 ヒメナの胸に焦燥が噴き出した。


 このままではレティシアが殺されてしまう。助けたい。助けなければいけない。


 いますぐ飛び出し、二人の間に割って入れば、レティシアを守れるかもしれなかった。しかし、身体が言うことを聞かない。恐怖からか、絶望からか、立ち上がろうとしても脚が動いてくれなかったのだ。無理やりにでも動かそうと叩いても、脚は固まったまま。


 そんななか、バシャッ、という音が響いた。イメルダが踏み出した足を水に突っ込ませながら、レティシアに剣を突き出そうとしている。

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